「日奈久~志水][志水~湯浦]「高尾野~薩摩大川]「薩摩大川~薩摩川内]


○ 「薩摩街道No7」見聞録(日奈久~湯浦&高尾野~薩摩川内)・(距離 79.8km(今回)/ 375.4km(累計))

  1.「薩摩街道」(日奈久~志水・16.1km) 2014.01.17. 7:20~15:45 曇り後晴れ


門司往還・長崎街道・薩摩街道宿場一覧
「日奈久~志水MAP」

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昨年8月に、現役時代5年間単身赴任していた出水市の元会社を訪れ、昔の仲間と楽しく懇談した。本来なら、前回の最終地点の 日奈久から進まなければいけないが、「薩摩街道」の最大の難所と云われる「三太郎峠(赤松太郎・佐敷太郎。津奈木太郎)」越えがあるが 藪道・暑さ・マムシを避け、パスして進んだ次第だ。
12月に地元の主催する「三太郎峠」を踏破する「薩摩街道ふれあいウォーク」が行われ、旧街道も確保されているようなので、実施すること にした。事前に「熊本県芦北地域振興局」問い合わせると親切に地図や資料を送っていただき、それを基に、行程を検討した。
「佐敷太郎峠」の一部は鉱山の私有地になっていて、通行不能とのことなので、再度、問い合わせ、通行許可をお願いすると、鉱山の 休業日なら可能とのことで、調整をお願いし、嬉しいことに許可をいただくことができた。
土曜日に「佐敷太郎峠」越えを実施するよう、木曜日に以前活用した大阪~熊本の格安深夜バス(3900円)で熊本に行き、JR・バスを使って 日奈久温泉まで進み、「赤松太郎峠」を越え「佐敷太郎峠」の手前まで進み、バスで宿泊予定の佐敷まで進むことにする。
翌日(土曜日)は、バスで戻り「佐敷太郎峠」越えをし、「津奈木太郎峠」を越え、前回のスタート地点・新水俣まで進みたいが、無理はしない ことにし、前回の中抜き区間を埋めることが出来れば良しとして出水で宿泊することにする。
3日目は、前日までの行程によるが、前回最終地点・高尾野から阿久根まで進み、4日目は更に薩摩川内まで進みたいと考えるが、天候・体調で 柔軟に対応することにする。帰路は、薩摩川内からシャトルバスで鹿児島空港に行き、 Peachで帰阪する予定とする。前半の行程達成度、出水での滞在時間により、余裕を持って進もうと計画した。

1/16(木)、23時発・熊本行深夜バスに合わせ、21時過ぎにじたくを出て、何時ものように梅田で睡眠導入剤を飲み、停留所へ。バスはガラガラで 2人席を専用出来、直ぐに眠る。前回同様、後部のトイレ横には「くまもん」が座っている熊本仕様だ。 途中、数か所SAで停まったが、ウトウトし、最終の玉名SAで冷たい外気を吸う。天気は大丈夫のようだ。予定より早く熊本駅に到着したため、朝食は 食べずにJRに飛び乗り、八代駅に向かう。八代駅のコンビニで、サンドウィッチとおにぎりの朝食を食べ、昼食用の助六寿司を買い求める。

日奈久温泉駅の時計台

名物の平天

1/17(金)、9時59分発のバスで、前々回歩いた行程を懐かしく眺めながら、日奈久温泉駅に向かう。
雨の中、足裏のマメの痛みを堪えながら歩いた ことを思い出しながら。
10時30分、前々回の最終地点・日奈久温泉駅の時計台からスタートする。
開店した店で、名物の「ちくわ」と共に売られている「平天」を1枚買い、朝食の補助として食べながら、入浴した「温泉センター・ばんぺい湯」 まで進み、薩摩二見駅に向かい「薩摩街道」を歩き始める。
静かな日奈久の街並みを進むと国道3号線に合流し、国道歩きとなる。さすが九州、冷たさは感じず、手袋も付けずに進む。国道沿いの店には 大きな晩白柚が山なりで売られている。以前、歩いた時は木に稔っていた小さな実が、こんなに大きくなったのだ。
やがて、南九州自動車道のICのややこしい道となるが、国道3号線を進むと「地蔵堂」が祀られ、旧街道の面影を残している。高速道路の 高架下を抜けると、左に短い区間、旧街道が残っているのを確認し、国道に戻る。
右に不知火海が広がり、左に「薩摩街道十四里木跡」の木碑が立っている。熊本城から14里=56km歩いたことを確認する。

晩白柚の販売

地蔵堂

薩摩街道十四里木跡


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

その先、右の踏切手前に「西南戦争衝背軍上陸地」の標柱が立っている。西南戦争の史跡も残る海岸だ。国道を進むと肥薩おれんじ鉄道・ 薩摩二見駅に至る。前回、足裏のマメが痛くて歩けず、バスで訪れた場所だ。駅に向かう途中の民家で老夫婦が大根を削っているので、 何をしているのかと尋ねると、漬物用に干しているのだと。以降の行程でも、この干し大根を何度か見ることが出来た。 二見駅に到着し、ベストを脱ぎ、一息入れる。(11:10)
駅の右側の道を進む。陽射しが暖かく、少し汗ばむくらいだ。やがて、国道に合流して進むと右に 閉店したドライブインが残っている。昔、社内バス旅行の時、休憩した所だが、高速道路が出来、バスも通らなくなったので、廃業した ようだ。高速道路建設の明暗だろうと思いながら進む。
ゴルフ練習所付近の清流は「君が淵」と呼ばれているようで、きっと難所だったのだろうと思いながら進む。国道の左に「地蔵尊」が祀られ、 案内板が立っている。この辺りの史跡が記され、「眼鏡橋」が点在して、残っているものもあるようだ。「君が淵眼鏡橋」があったそうで、 探すが、その痕跡は分からなかった。

薩摩二見駅 干し大根

地蔵尊

君が淵


高速道路の高架下を抜け、国道を進むと「鹿児島147km・水俣35km・芦北15km」の標識が立ち、随分来たと思うと同時に、先は長いと 実感する。

緩やかな旧街道

新免眼鏡橋

畑が広がる国道を進むと「かんねさこ荘」の標識を目印に右折して、畑の中に進み、橋を左折する。
この辺りに「堂園眼鏡橋」があった そうだが、痕跡はない。
気持ちの良い畑の中の旧街道は、緩やかに曲がり、アップタ゚ウンを繰り返し、左折する所に「新免眼鏡橋」が架かっている。眼鏡橋の 名前から二重のアーチかと思っていたが、一重の橋だ。案内板には、「嘉永六(1853)年頃」と記されている。
眼鏡橋を渡って、すぐ右折して進むと国道に合流する。

赤松第一号眼鏡橋

国道を少し進むと左に「薩摩街道十五里木跡」の木碑が立ち、「二見城跡へ2.5km 赤松太郎峠へ0.5km」と記されている。(12:10)
旧街道は、少し先から右に降りて行く。直ぐ横の民家の犬が大きな声で吠え、驚いていると、ご主人が出てこられ、犬を叱り、気を付けて とご挨拶。
のどかな旧街道を進むと「赤松第一号眼鏡橋」が見え、眼鏡橋がたくさんあることが分かる。
二見川に架かる六つの眼鏡橋の中では最も保存状態が良く、橋の両側の欄干には扇面やひょうたん等の色々な彫刻が施されています。
架橋の年代は、嘉永5年(1852)頃です。(八代市HP・市指定文化財HPより)

先程の「新免眼鏡橋」には欄干がなかったので、欄干のある眼鏡橋は珍しいようだ。(以降の行程で見る眼鏡橋も欄干あるのは少ない。)
眼鏡橋を渡り、棚田になっている坂道を上る。冬の棚田は殺風景だが、きれいに区画され美しい。
林の中に入るとひんやりとして気持ちが良く、熊本の冬だと思い、更に進むと「大平眼鏡橋」が迎えてくれる。橋の手前の道を右折して坂道を 上って行く。

薩摩街道十五里木跡

旧街道への分岐

大平眼鏡橋


緩やかな坂道を上って行くと左下に橋が見える二股は右に上ると平坦となる。

新大平眼鏡橋

大平眼鏡橋之碑

この辺りが「御籠据所(おかごすえどころ)」だったと云われているようだ。
直ぐに下り坂となり、旧国道の舗装道路と合流する。その角に「薩摩街道御籠据所跡入口」の木柱が立っている。「御籠据所」とは、坂や峠の 頂上に参勤交代の籠を止め行列を休ませるための場所のことだそうだ。
木柱の前の旧国道のには「砲弾型道標」が立っているが、田浦・佐敷は読めるが、他は分からない。
旧街道は直進するが、旧国道を左に行くと「新大平眼鏡橋」があるそうなので、左に少し進むと、立派な「新大平眼鏡橋」が架かり、 横に立つ「大平眼鏡橋之碑」には、明治38年築造と示されている。今までの眼鏡橋とは違って新しく欄干もあり、頑丈そうだ。

右の坂道へ

御籠据所跡入口の碑 御籠据所跡付近

砲弾型道標


元の場所に戻り、旧街道は旧国道を横切り、下って行く。
坂を下って「小藪眼鏡橋」を渡り進むと「八代市立二見小学校小藪分校」の校舎が建っているが、もう廃校になっているようだ。 道なりに下ると国道3号線に合流する。
左の「地蔵堂」に頭を垂れ、国道を進むと、上小藪バス停の手前から右下に下るのが旧街道なので、間違えてないことを確認して、旧街道を 「赤松太郎峠」に向かって進む。(12:55)

小藪眼鏡橋 二見小学校小藪分校

地蔵堂

赤松太郎峠への道・右下


「薩摩街道(日奈久~志水)①」の「紀行スライドショー」

いよいよ「赤松太郎峠」に向かうのだと気合を入れ、道なりに進むと「須田眼鏡橋」が架かり渡って進む。本当に石造りの眼鏡橋が多い 地域だと。
しばらく、細い舗装道路を進むと道は地道となり、ブッシュの中に入って行く。道横には、猪を捕獲する檻も置かれている自然豊かな地道だ。 この先、崖の上を通る旧国道に上らなくてはならないが、 果たして道が通じているか不安だったが、せせらぎには丸太橋が架けられ、急坂も道が整備されている。有難い。 坂を上り切ると舗装道路があり、右に進むと旧国道に出会い、一安心する。

須田眼鏡橋

地道の峠道

丸太の橋


現在の国道3号線は赤松トンネル(680m)を抜けて進めるが、1965年まではこの旧国道を通っていたのだ。全く車が通っていない旧国道を進むと 岩肌には、蛇紋岩が黒く光っている。広い旧街道の右に「地蔵尊」が祀られ、旧街道だと教えてくれる。
緩やかな旧国道を上って行くと、左には採石場があり、「赤松太郎峠」の頂上のようだと思っていると、大変なことが起こった。 採石場で放し飼いされている犬が猛烈に吠え出した。それも5匹だ。走ることも出来ず、ソロソロと無視するように進むが、5匹は回りを取り囲んで 離れない。段々と怖くなってくる。砕石場の事務所の女性が出て来て、犬を叱りながら、首輪を抑えるが、2匹しか抑えられず、3匹は吠えまくる。
本来、この辺りが「赤松太郎峠」の頂上だろうが、感慨に耽る間もなくソロソロと通り抜け、やっと犬の襲撃から逃れ、頂上付近をパチリ。

蛇紋岩の旧国道

旧街道の地蔵尊

赤松太郎峠の頂上付近


犬の襲撃で、頂上を極めた感激もなく、下り坂に入る。思ったより、簡単に踏破できのは予想外だった。

赤松太郎峠から地道へ 助六

車も通らない旧国道の右には「三基の地蔵尊」が祀られ、その少し先の左に、「薩摩街道」の道標が立ち、左下の地道に進むように 示している。ここで、遅めの助六寿司の昼食にする。(13:20-13:35)

三基の地蔵尊

「薩摩街道・三太郎峠」の一つ「赤松太郎峠」を越え、本格的な旧街道の地道の下り坂に進む。
陽射しも暖かく、木漏れ日が降り注ぐ気持ち良い下り坂には、石畳も残っている。
石畳の上には落葉が積もり、滑り易くなっているので、気を付けて下って行く。
分岐点には「薩摩街道」の道標が、方向を示してくれるのは嬉しい。枯葉を踏み締めて下って行くと丸太橋が架かり、楽しく下って行く。

石畳の旧街道

薩摩街道・道標 地蔵尊

丸太橋のある下り坂


快調に下ると「砂防指定地・赤松砂防ダム」の標識があり、その先に「薩摩街道」の道標が立っている。薩摩の方向に進むが、 ブッシュに阻まれて進むことが出来ない。
元に戻ると「地蔵尊」が祀られ、迂回道を探すと少し上に舗装道路があり、小さな「薩摩街道ふれあいウオーク」の道標が付いているので、 舗装道路を下って行く。 本来の旧街道は砂防ダムに突き当たるそうだが、それらしき砂防ダムを左下に見ながら下って行く。
狭い舗装道路を下って行くと左に「薩摩街道十六里木跡」の新しい木碑が立っている。最近立てられたようで、地元の方のご努力に感謝する。 横には石の祠に「地蔵尊」が祀られている。

地蔵尊

迂回道の舗装道路

薩摩街道十六里木跡と地蔵尊


更に下ると右のみかん畑に「薩摩街道」道標と「合戦場の首塚の碑」が立っている。案内板によると、豊臣秀吉の朝鮮出兵時の文禄元年 (1592)、島津の武将梅北宮内左衛門が佐敷城を襲い、「梅北の乱」が起こった。首塚は、乱に乗じて八代麦島城に攻め入った梅北側の 二人の武将が転戦して赤松太郎峠を下りたとき田浦城主檜前助兵衛らに討ち取られたものであると。
坂道の左には、みかんのビニールハウスが立ち並び、みかんは露地で作っていると思っていたのが、ビニールハウスでも作られていることを知る。 坂道を下って行くと、右上に「観音堂」が祀られている。
更に下ると、峠の頂上付近で歩いていた旧国道と合流し、「薩摩街道」道標に従い、左に進む。その先右に「明治十年之役官軍戦死者」の 碑が立つのを見て下って行く。(14:10)

合戦場の首塚の碑

みかんのビニールハウス

観音堂


旧国道を下ると「薩摩街道」の道標が立ち、薩摩方向は民家に向かっている。道が無いので、そのまま進むと駐在所があり、駐在さんが、 何処から来たのかと問われ、大阪から歩いていると応えると驚いて、気を付けてと激励される。田舎の駐在さんとの交流だった。
ここからは、以前、芦北地域振興局に問い合わせた時に送っていただいた「薩摩街道ウオークマップ芦北町」のマップを参照しながら、道標や路面道標 を目印に進むことにする。
その先に、御立岬入口の信号があり、右に「浜町八幡宮」の鳥居が見える。佐敷へのバスの時刻も心配なので、参拝はパスする。 神社の鳥居の前に「薩摩街道」の道標が立ち、赤松川を渡る方向を示している。

赤松館

手前の橋を渡り、道標が示す所まで戻り、左の坂を下ると橋の延長となる道との合流地点に「観音堂」が祀られている。 少し進んだ高速道路下のT字路には、「薩摩街道」の道標は右を示しているが、左に進み「赤松館」の見学に向かう。
葦北郡芦北町田浦にある藤崎家住宅は、地元では赤松館(せきしょうかん)と呼ばれ、江戸時代後期から芦北地方の大地主として栄えた 藤崎家の邸宅として、5代目当主・藤崎弥一郎が建造を行い、明治27年の日清戦争勃発により、未完成のまま工事を終えました。
主屋をはじめ米蔵、表門など9件が、高い水準の大工技術を有する近代和風建築として、平成12年に国登録有形文化財に登録されています。
また、料理研究家の江上トミ(1899~1980)の生家としても有名です。(芦北地域振興局HPより)

「赤松館」は休館日で、内部の見学は出来なかったが、その外観の立派なお屋敷は見事で、前には大きな米蔵も残っている。江上トミさんの 生家とのことで、お嬢様だったのだと認識し、元のT字路に戻り、「薩摩街道」の指示に従い、右に進む。

浜町八幡宮

川を渡る薩摩街道の道標

赤松館の大きな米蔵


「薩摩街道(日奈久~志水)②」の「紀行スライドショー」

峠道から町の中に入るが、旧街道の探索が難しいのではと思っていたが、道標が要所に立ち、導いてくれるのは有難い。 少し先の田浦川を渡り、「薩摩街道」道標に従い、右折して川沿いに進む。少し進むと左に「お堂」が祀られ、その横にも道標が 示してくれる。
前には、静かな不知火湾が眺められ、左には山が迫る気持ちの良い道を進むと舟江の信号で国道3号線に合流する。国道と海岸の間には 肥薩おれんじ鉄道が走り、丁度、1時間に1本の列車に出会う。少し先に、左へ進む旧街道が残っており、左に進むと左山側に小さな 「地蔵尊」が祀られ、再び、国道に合流する。ここにも道標があるのは嬉しい。

田浦川の道標 お堂

肥薩おれんじ鉄道

小さな地蔵尊


国道を進み、塩屋信号の二股は左に進み、塩屋橋のバス停で、バスの時刻を確認する。今日は、「佐敷太郎峠」の手前の志水バス停からバスで 佐敷に向かうので、その時刻を確認した訳だ。志水発16:31に乗るので、以降の行程を考えても、大丈夫だろうと一安心する。(14:50)
塩屋川に架かる橋の手前を道標に従い左折し、民家の庭の中を川沿いに進むと橋の手前に道標が立ち、橋を渡って左折し、川沿いに進むが 次の道標が分からない。路上に道標が貼ってあるらしいが見つからない。
住宅街に入り、少し進み過ぎたように思えたので、戻って路上の道標を再度探すが、分からない所に、地元の方が通りかかったので、 「天子宮」の場所を尋ねると、行き過ぎた道を左(間違っていなければ右)に進めば良いと。感謝だ。
低いマンションが立ち並ぶ道を進み、交叉点の角に祠が建っているので、歩いていた老婆に「天子宮」かと尋ねると、その先にあると示してくれる。 旧街道沿いに「天子宮」が鎮座し、境内には、「景行天皇行幸船泊地跡」「藻掛けの松跡地」の石碑が立ち、 その前にも「薩摩街道」の道標が薩摩への道を示している

旧街道は左へ

川沿いへの道標

天子宮 道標


道標に従い進むと山際の防護壁に当たり、道なりに細い路地を進むと国道3号線に接するようになり、路面には「薩摩街道」道標が貼られている。 所々破れている。「天子宮」途中の路上道標が、見つからなかったのは破れて無くなっていたのかも知れない。
事前に地図をチェックしたが、この辺りは地図にない道を進むようで、道標を頼りに行くしかない。指示に従い左折し、右に国道のトンネルを見ながら、 民家の間の細い道を通り、石段があるので上って行く。直ぐ地道になり、丘の上に「地蔵尊」が祀られている。この下をトンネルが通っているのだと 思いながら、分かりにくい旧街道を振り返る

路面の薩摩街道・道標

丘への地道

丘の上の地蔵尊


西日が眩しく感じながら、丘を下ると右に「観音堂」が祀られ、横には「薩摩街道」道標と「薩摩街道十七里木跡」の碑が立っている。 この「十七里木跡」の碑も新しく設置されたようだ。
道標に従って進むと路面にも道標が貼ってあり、再び国道3号線に合流する。すぐ先に、「薩摩街道」道標が左の細い道に進めと示している。 民家の間にも、路面道標が貼られており、右折し、その先も道標に従って進む。道標がなければ、とても進むことが出来ない旧街道だ。 路面道標が破れて無くなっていれば、迷ってしまうが、どうにか、国道3号線に合流し、ホッとする。
国道を進むと左に「小田浦阿蘇神社」が鎮座する。西日を浴びながら、国道を進むと「門司より253km」の標識が立っている。その先に 今日の最終地点である志水のバス停があり、今日の紀行を終える。ここまでの歩行歩数は30500歩だった。(15:50)
バスは16時31分なので、40分程時間があるので、明日進む「佐敷太郎峠」への道を探索する。一応のルートを確認し、バス停でバスを待つ。 ヒッチハイクで停まってくれる車がないかと希望的観測もあり、手を挙げてみても、西日で眩しく、分からないようだ。

薩摩街道十七里木跡

薩摩街道の道標

小田浦阿蘇神社


定刻通り、バスが来て長い佐敷トンネルを抜けて、佐敷駅に向かう。

野坂屋旅館

薩摩街道の石碑と道標

明日はこのトンネルの上の「佐敷太郎峠」越えをするのだと思いながら。 佐敷駅から今夜の宿泊旅館「野坂屋旅館」に向かう。旅館は「薩摩街道」に面しており、前には「薩摩街道」の大きな石碑と道標が立っている。
旅館のご主人とは、メールで「薩摩街道」を歩き、明日、「佐敷太郎峠」の鉱山私有地の通行許可をお願いしていると話していたので、許可が 取れたかと聞かれ、OKと応える。ただ、バスで志水に戻るのが、土曜時刻で遅くなるので、先に進んで、そのバスで志水に向かおうと考えて いることを話すと、志水まで送ってあげると嬉しい返答に、有難くお受けすることにする。感謝・感謝!!

夕食の一部

早速、風呂に入り、汗を流し、足腰をマッサージする。やはり、大浴場で身体を癒すのは最高だ。予約では、夕食は頼んでいなかったが、夕食の 準備ができるとのことでお願いする。
食事処に行くが、誰も居られず、ビールを頼み、予定通りに紀行出来たことに乾杯する。芋焼酎も頼み、ゆっくりしていると宿泊しておられる 方が次々来られ、挨拶をし、懇談する。
近くの地殻調査のボーリングに来ておられる方々で、持参の芋焼酎を飲みながら、仕事の話、「薩摩街道」の話が弾み、焼酎のお替りを 頼もうとすると持参された焼酎を呑もうと勧められ、有難く頂戴する。ボーリング作業は地中の見えない箇所を経験と勘で、固めて行くので 大変だと。74才のHさんが、第一線で活躍されているのだ。
楽しい時間を過ごし、部屋に戻り、ぐっすりと眠る。明日は、最大難所の「佐敷太郎峠」と「津奈木太郎峠」に挑戦だと思いながら。 今日の歩行歩数は30900歩だった。

「薩摩街道(日奈久~志水)③」の「紀行スライドショー」


「日奈久~志水][志水~湯浦]「高尾野~薩摩大川]「薩摩大川~薩摩川内]







    
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