「日奈久~志水][志水~湯浦]「高尾野~薩摩大川]「薩摩大川~薩摩川内]


○ 「薩摩街道No7」見聞録(日奈久~湯浦&高尾野~薩摩川内)・(距離 79.8km(今回)/ 375.4km(累計))

  3.「薩摩街道」(高尾野~薩摩大川・27.0km) 2014.01.19. 7:45~17:15 晴れ時々曇り


門司往還・長崎街道・薩摩街道宿場一覧
「高尾野~薩摩大川MAP」

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2日間で「薩摩街道」の最大難所である「赤松太郎峠」と「佐敷太郎峠」は踏破出来た満足感と、「津奈木太郎峠」は高速道路の工事のため、 断念した悔しさがあったが、昔の仲間との懇親会で元気をもらい、ぐっすりと眠った。
5時30分頃に目覚め、今日の行程をトレースする。前回の最終地点・高尾野から阿久根を経由して、薩摩大川か西方を目指そうと計画する。 無理をせず、楽しみながら進もうと。

くまもん列車

くまもんと共に

7時からの朝食をしっかりと食べ、出水駅に向かう。天気は良さそうで、外気は冷たく手袋が必要だ。
肥薩おれんじ鉄道のホームには、出水に 毎年飛来する「只今のツル飛来数」の看板が立ち、12294羽と記録されている。
今年も万羽鶴が訪れたのだ。出水に赴任した時、初めて万羽鶴に なったことを記憶している。
日曜日なので、ダイヤが変わっていて、7時36分発の快速鹿児島中央行は「くまもん列車」で、座席には前にも 会った「くまもん」が座っている。「くまもん」の人気と利用する企業の多いのには驚き、次の高尾野まで、前回の行程を思い起こしながら 進む。
7時45分、前回、大雨で断念した高尾野駅前交叉点から出発する。
今回の紀行は、以前に入手していた鹿児島地域振興局・薩摩街道保存会作成の「薩摩街道(出水筋)歩行マップ」をベースに進める。 冷たく、車の往来も少ない日曜日の朝、人は見当たらない。
交叉点の角に「恵比寿・大黒を祀る祠」を確認し、国道504号線を進む。外気が冷たく、淡々と陽射しが眩しく感じる国道の周辺は植木の 栽培地が多く、槇の木等の大きな木も売られている。野田川の手前に二股があり、昨日までとは違った「薩摩街道」道標に従い、左の旧道に 入って行く。旧街道は野田川の堤に当たるが、葦で対岸を見えず、川沿いに国道の野田橋に向かい、野田川を渡って、直ぐ左折し、 堤の上の道を進む。(8:20)

恵比寿・大黒の祠

旧街道分岐点 道標

野田川沿いの旧街道


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

しばらく進み、対岸の行き止まりとなった地点の延長線付近に「薩摩街道」道標が、堤を降りて進むよう指示しているので、下って、 静かな道を進み、国道に合流する手前で左折する。この道は「別府道」と云われるそうで、本来の「薩摩街道・出水筋」は直進し、 国道を進むのだが、この道を、途中まで行くことにする。
道標に従って進むと左からの道の合流点に「別府・田の神さぁ」が祀られている。出水に単身赴任していた時、ドライブ途中で時々見かけた 可愛い「田の神さぁ」は集落毎にあったと記憶していた。
「別府道」はまだ続き、「菅原神社」付近で、「薩摩街道」と合流するが、昨夜、地元のT君が、ぜひ「感応禅寺」は行ってくださいと アドバイスをもらっていたので、次の四辻を右にそれて、「薩摩街道」方面に進むと「小松神社」が鎮座し、角を曲がって「薩摩街道」に 合流する。
本来は左に進むのだが、「感応禅寺」に向かうため、右に曲り「薩摩街道」を逆に進む。

薩摩街道・道標

別府・田の神さぁ

小松神社


きれいな石垣が続く旧街道を逆走し、国道を渡って、肥薩おれんじ鉄道・野田郷駅に向かう途中、消防署の前に人が集まり、何かと確認すると 「野田町一周駅伝競走大会」の横断幕が道路を横切って張られている。鹿児島県では、地域毎に駅伝大会が開かれ、単身赴任時代も出水市の 駅伝大会に会社のチームが出場し、雪の中を応援したことを思い出し、野田町駅伝も応援しようと、スタート時間聞くと10時10分だと。
まずは、「感応禅寺」に参拝しようと、野田郷駅を越えて向かう途中にも、駅伝の係員や応援者が道に集まり、熱気が分かる。石垣が連なる 街並みを楽しみながら、道路標識に従い「感応禅寺」に向かう。 お寺の手前には「筥崎八幡神社」が鎮座する。案内によると、島津家始祖忠久が薩摩に海路で赴任する時、博多の沖で暴風にあい難航し、 筑前筥崎八幡を祈願して、一難を逃れたので、この地に勧進したそうだ。
その先には、石の「仁王像」が見守る「感応禅寺」が建ち、その間の参道を通って本殿に向かう。

感応禅寺・仁王像

感応禅寺・仁王像

建久5年(1194年)島津家初代忠久が創建し臨済宗禅の祖栄西禅師が開山した日本最古の禅寺で、島津家菩提寺として栄えたところです。
寺宝として、県指定重要文化財の十一面千手観世音菩薩像と脇立四天王像の5体の木造が所蔵されているほか、様々な文化財 が保存されています。
境内には、忠久、忠時、久経、忠宗、貞久の島津家5代の墓碑、五廟社が残されています。(出水市HPより)

静かな境内を進むと信者の方もたくさん参っておられ、挨拶をしながら本堂に進み、参拝する。
次に、五代の島津家藩主(忠久、忠時、久経、忠宗、貞久)を祀っている 「島津五廟社」を探し、落ち着いた歴代の藩主の墓に参拝する。さすが立派な島津家のお墓だ。
ここで、「感応禅寺」の静かな雰囲気を味わいながら、一息入れる。「仁王像」も威厳があり、美しい。(9:15-9:25)

筥崎八幡神社

感応禅寺

島津五廟社


駅伝のスタートが近付いて来たので、急ぎ足で、元来た道を戻る。整備する係員、応援の方も先程より多くなっている。

駅伝のスタート

タスキ渡し(菅原神社前)

鹿児島の方は駅伝が 好きで、年配の方も率先して、地域の応援をするのには、野田も出水も同じで、驚く。
スタート地点に戻り、スタートの号砲を待つ間に、係の方に何チーム出るのかと尋ねると、 地域代表10チームが出場し、スタートは中学男子、その後女子、高校生、20代、30代、40代と全世代のランナーが出場するのだと。
号砲と同時に、中学生達が一斉にスタートし、応援の方も拍手で送り出す。
先程、歩いて来た方向に走り出したのを見て、本来の「薩摩街道」に戻って進む。(この先「菅原神社」でタスキ渡しの中継点に出会ったので、 その写真も同時に載せる。)
国道を渡って「薩摩街道」を進む。武家屋敷跡の石垣の立派な家が立ち並び、本当に美しい街並みだ。左の野田小学校は「御仮屋跡」 だそうだ。 暖かい陽射しを浴びて、石垣の街並みを進むと先程曲がって来た「別府道」との分岐点「小松神社」には、「薩摩街道・出水筋」の道標と 「庚申碑」が立っている。

武家屋敷跡の美しい街並み

武家屋敷跡

小松神社の庚申碑


少し進んだ右四つ角に「大日の仁王像」が両脇に立っている。この辺りは、石造りの仁王像が特徴で、風雨に耐えて、睨みを利かしている。 「感応禅寺」の末寺だった寺にあった像を移設したそうでだ。
石垣が美しい街並みを楽しみながら進むと右に石垣で囲まれた「石敢當」がある。横に「天神の石敢当」の案内板があり、 「石敢當」とは負けたことがない豪傑の名前で、魔除けのまじないとして、この碑が立てるのだと。起源は中国の風習が琉球を経て 14世紀頃日本に伝わったのだと。
更に進むと「別府道」と合流する所に「菅原神社」が鎮座し、その前には「薩摩街道・出水筋」の道標が立っている。境内の梅の蕾は、 まだ固く、春の訪れはもう少しだ。
ここは「野田町一周駅伝」の中継点となっており、メンバーと応援者がたくさん居られ、一緒に中継を待つ。やがて、広報車の先導で1位のランナーが 走って来て、男性から女性にタスキ渡しをする。3位位までは応援したが、後は差が大きいので進むことにする。。時間のロスはあったが、地元の 行事に参加出来、有意義な時間だった。(10:30-10:50)

大日の仁王像 両側の仁王像

石敢當

菅原神社


「薩摩街道(高尾野~薩摩大川)①」の「紀行スライドショー」

「菅原神社」の前を右折し、細い緩やかな坂道を上って行く。「薩摩街道歩行マップ」によると、次の二股を右に行くようになっているので、 その通り進むと下りになり、T字路に突き当たる。そのまま右に進むと何と先程通った「大日の仁王像」が立っているではないか。 間違ったと元の二股まで戻り、左に進むとまた二股があり、それを右に進むのが、旧街道だと分かる。ロスも楽しい!?
舗装道路の上り坂を上って行くと右からの道に合流し、左に「薩摩街道」道標が立っているので、一安心する。直ぐ、オレンジロードに当たり、 広いオレンジロードを右に進む。地方に行くと広域農道が発達していて、野山の真ん中を立派な道路が走っているのに驚く。オレンジロードもその一つで 真っ直ぐな道が、阿久根近くまで通じているのだ。
少し進んだ左のカーブミラーのある所を左前方の道に進む。曲がりくねった舗装道路が続き、気持ち良く下って行く。車は全く通っていない。

薩摩街道の道標

オレンジロード

旧街道は左へ 曲がりくねった道


坂を下り切った所で、T字路に当たり右折する。その角には「大丸地区基盤整備 竣工記念碑」が立っている。そのまま進むと先程分岐した オレンジロードに合流し、左に曲がり、オレンジロードを進む。
緩やかなアップダウンの道を進むが、車の往来が少ないので助かる。阿久根市との境界線があるらしいので、それを頼りに、まだかまだかと 思いながら歩むと、右に産業廃棄物中間処理施設が建ち、道路脇に立つ「薩摩街道」道標に従い、右折して進む。
静かな舗装道路は、緩やかな上り道で、遠くには大きなアンテナドームが見える。やがて、下り坂になり、下り切った所に「大山祇神社」の鳥居が 立っている。広い道に当たり、その角に「街道の店 とみよし」の富吉商店が建っているので、買い忘れた昼食がないかと立ち寄り、パンを 買って、旧街道の道を確認して左に進む。

大丸地区基盤整備竣工記念碑

オレンジロードからの分岐点 林の中の道

大山祇神社の鳥居


少し先の赤剥橋を渡り、直ぐ右の道に入って行くと「薩摩街道」道標が立ち、更に進むとT字路の角に「桑原城跡」の案内碑が立っている。 鎌倉時代初期の天然要害だったと。しかし、周囲を見渡しても、それらしき面影は残っていない。
ここにも立っている「薩摩街道」道標に従い、左に進む。その先左に「桑原城橋記念碑」が立ち、小さな橋があり、橋を渡って左の草道に 向かうが、ここで、パンの昼食とする。(12:15-12:30)

赤剥橋を右に 道標

桑原城跡の碑

桑原城橋記念碑


暖かい陽ざしを浴びて、草の地道を進む。舗装道路が続いたので、草道は気持ち良い。少し進んだ二股は左に向かい、その先は右に 進む。上り坂の舗装道路の三叉路は直進すると左にサイロが見える牧場風の農家が建ち、その横を通って道なりに進むと元の舗装道路に 合流する。
青空が気持ち良い誰も通らない道の前方に、大きな球体の無線基地が見える。何処の所管かと見るが分からず、広い敷地に三体の基地が あるようだ。
下り坂になり、道なりに緩やかな坂道を下ると新しい広い道があり、横断すると牧内公民館が建ち、その先の高台に鳥居が建ち、「馬頭観音」 が祀られている。「中山道」では何度も出会った「馬頭観音」だが、「薩摩街道」では珍しいと思いがら進む。

草の地道 牧場風の農家

球体の無線基地

牧内の鳥居 馬頭観音像


左の広場にソーラーパネルが立ち並ぶ道路を進むと左に「株式会社海連」の建物が連なり、右に曲がる道の角に「薩摩街道」道標が立って いるので、右折して進む。少し進むと両側に木々が茂る山道になり、ひんやりした空気が気持ち良い。右の森の向こうには、 阿久根総合運動公園があるようだが、体育館らしき建物が見えるだけだ。
その先左に「鶴翔高等学校」の林が続いている。昔の「阿久根農業高等学校」の実習林のようだ。その先に「鶴翔高等学校」の校舎 が建っている。さすがに広い敷地だと驚く。その高台からは、遥か東シナ海が眺められる。春の霞に煙る海は、気持ちの良い光景だ。
ここからは、下り坂になり下って行くとコンクリート壁に「薩摩街道」道標が立ち、下り切ると「鶴翔高校入口」信号で、国道3号線に合流する。 久し振りの国道3号線を左に進む。

右折する道 道標

林の道

東シナ海を望む 道標


国道3号線を進むと「門司から309km」の標識が立っている。300km過ぎたのだと思いながら、「寺山入口」信号から右折すると、左は何か 工事をしており、その先の二股は左に下って行くと、肥薩おれんじ鉄道の人が通れるだけの狭い「寺山踏切」を渡る。
道なりに進み、右の阿久根市民病院が建ち、海が見え出すので、旧街道を離れて、海側の道を進み、穏やかな阿久根港を眺める。 暖かくて気持ち良い。海辺の公園を阿久根駅方面に進んでいると「恵比須大明神」の小さな祠が祀られているのを見て、阿久根駅まで進み、 工事中の駅舎の待合室で一息入れる。(14:10-14:20)

左の道へ

海沿いの道 阿久根港

恵比須大明神 阿久根駅


「薩摩街道(高尾野~薩摩大川)②」の「紀行スライドショー」

阿久根駅から旧街道に戻るが、阿久根市街は戦災のため旧街道は残っておらず、南に進み、道なりに左折して「本町」交叉点で国道3号線に 合流する。その先の高松川を高松橋で渡り、商工会議所の角を右折するのが、旧街道だそうだが、それ以降は分からない。
古そうな建物が残っている道を進むと右に「光接寺」が建ち、その先には広い空間の「鳥越古墳群一号墳」がこんものと丘になっている。 「薩摩街道歩行マップ」によると、その辺りに「薩摩街道」道標が立っているそうなので、探すが分からない。古墳の池の端に道標を発見し、 国道に向かい、ここからは国道歩きとなる。

高松橋

光接寺

鳥越古墳群一号墳 道標


本来の旧街道は、国道3号線の左右を縫うように走っていたそうだが、今はその面影もなく、左は肥薩おれんじ鉄道の線路が遮っている。 国道には「下関から312km」の標識が立ち、国道とは云え、車も少なく、広い歩道をひたすら歩く。 高之口の集落に入ると右に「地蔵尊」が祀られ、左には「稲荷神社」が鎮座する。退屈な国道歩きには、地蔵尊や神社を見付けると ホッとする。国道沿いには、無人の阿久根名物「ボンタン」わ売っている。一袋500円と安いが、重さを考えると断念する。
その先右に、きれいな海が臨まれ、光る海をしばし眺める。(15:25)

稲荷神社 地蔵尊

阿久根名物ボンタン

光る海


海を眺めながら進むと西目小学校の前の歩道橋に「鹿児島76km・薩摩川内26km」の標識があり、今回は薩摩川内までは向かいたいと気持ちを 引き締める。その前に、今日は何処まで進めるかと。
海岸の広い砂浜で、子供が潮干狩りをしているようだ。きれいな海だ。その先に、午前中通って来たオレンジロードの終点が、国道と合流する 地点を確認する。
少し先の「公園下」バス停から左の肥薩おれんじ鉄道の踏切を越えて、上り坂に向かうと、右に「薩摩街道」道標と 「頼山陽公園 150m先右折」の案内板が立っている。坂を上って行くと右の高台に「頼山陽公園」があり、頼山陽の詩碑が立っている。 ある。意味は分からないが、頼山陽の史跡は「山陽道」紀行時、「頼山陽史跡資料館」に立ち寄ったことを想い出し、 頼山陽の行動範囲が広いことに驚く。
高台からの見晴らしも良いが、木が邪魔をして今一だ。ここで一息入れる。(16:00)

牛ノ浜の海

薩摩街道の道標

頼山陽公園 詩碑


元の坂道に戻り、下って行くと右下に「牛ノ浜」駅が望め、左右に曲がりながら、下り切ると肥薩おれんじ鉄道の狭いガードをくぐって 国道3号線に合流する。「牛ノ浜海岸」は夕日に美しく輝き、冬の海とは思えない穏やかなものだ。
海を眺めながら、気持ち良く国道を進むと長迫入口の信号で、肥薩やおれんじ鉄道に沿って、左に曲がって行く。右には「薩摩街道」道標が 立ち、静かで緩やかな坂道を上って行く。

狭いガード

牛ノ浜の海

長迫入口を左折 道標


上り坂を上って行く。静かで、時々鳥の鳴き声が聞こえる。長迫公民館の先の高架道路を抜けると二股があるが、「薩摩街道」道標に従い右に 進む。「薩摩街道歩行マップ」によると、その先、ゴミ収集箱の先から「矢重坂」に向かう道があるので、下りになった坂道を下って行く。
注意しながら下って行くと左にゴミ収集箱を発見し、その右前に細いコンクリートの道が続いている。多分、この道だと上って行くと、やがて、 地道となり、石がゴロゴロとする歩き難い道となる。これが「矢重坂」と確信し、地道を上り切り、石に注意しながら、坂道を下って行く。

高架道路を抜ける

ゴミ収集箱の先から矢重坂へ

矢重坂 地道


「矢重坂」の地道を降り、コンクリート道になる。この時、17時のチャイムが聞こえて来た。下り切った所に大川小学校が建ち、右角に「薩摩街道」 道標と「史跡フゾドンの墓」の案内板が 立っている。「フゾドン」とは山伏・修験者のことで、その姿が「不動明王」と似ていることから「フゾドン(不動尊)」と云われたと。 藩政時代、上納の際、役人に不正をしないように忠告した修験者が役人の怒りにふれ斬られてしまった墓だと。
ここを左折して、小学校のプールを回るとゴミ収集箱からの舗装道路に合流する。本来の旧街道は、横の大川中学校の中を通っているようだが、 迂回せざるを得ない。中学校の周りを迂回し、大川川に突き当たると大きな「大川道路改修記念碑」が立ち、「水神」の石碑と祠が 祀られている。
大川川沿いの道を右折し、その先の橋を渡り、肥薩おれんじ鉄道の踏切を越えると「大昭寺」が建ち、その角を左折するのが、旧街道だが、 次の西方駅に進むのは無理と考え、右に曲がって薩摩大川駅に到着する。(17:15)

道標と史跡フゾドンの墓

大川道路改修記念碑と水神

薩摩大川駅


無人駅の待合室で一息入れる。

夕日

歩いている時は、寒さや冷たさは感じないが、待合室で座っていると寒くなってくる。陽射しはまだあるので、 ホームに出ると夕日が美しい。しばし、魅入る。
約30分待ち、肥薩おれんじ鉄道で薩摩川内に向かう。明日、歩く行程を見ようと思うが、暗闇が広がり諦めて列車の揺れに身を任す。
薩摩川内駅に到着し、大浴場があるホテル・ルートインにチェックインし、早速、大浴場で足腰をマッサージし、明日への備えをし、食事のため外に出るが、 日曜日のため、余り店が開いていない。近くで見つけた居酒屋で、ビールで乾杯し、ゆっくりと食事を楽しむ。 ホテルに戻り、明日の準備をした後、ぐっすりと眠る。今日の歩行歩数は48700歩だった。

今日の行程は、平坦な道で、昨日までとは大きく違い、疲れは少なかったが、史跡は少なく、少し物足りなかった。明日に期待したい。

「薩摩街道(高尾野~薩摩大川)③」の「紀行スライドショー」


「日奈久~志水][志水~湯浦]「高尾野~薩摩大川]「薩摩大川~薩摩川内]







    
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