[貝田宿~白石宿][白石宿~柴田町][柴田町~槻木宿]


○ 「奥州街道・仙台道No3」見聞録(貝田宿~槻木宿)・(距離 38.6km(今回)/ 152.8km(累計)/391.7km(江戸から累計))

  1.「奥州街道・仙台道」(白石宿~柴田町・20.1km) 2017.03.09. 7:10~14:40 晴れ時々曇り


仙台道マップ
(揺次郎のウォーキング・ライフ
HPより借用)
仙台道(白河~仙台)宿場一覧
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「白石宿~柴田町・行程MAP」

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見聞ルートに沿って歩行出来ます。

心地良い疲れと酔いで、昨夜は8時過ぎから眠ってしまい、2時ごろ目覚めて、少し準備の資料整理をした後、再びぐっすり眠る。

パシフィックホテル

木製の鐘楼

5時30分頃目覚め、外を見るとまだ薄暗いが天気は良さそうなので一安心だ。
荷物を整理しながら、本日の計画を立てる。昨日、もう少し先まで進む予定が、ホテル直行となったので、本日の宿泊予定地・槻木宿までは約25kmあるので 無理と考えるが、事前の調査では、エスケープするバス路線もないので、適当な所でタクシーを呼ぼうと決意する。
6時30分、食事処でHさんと挨拶し、しっかりと食事をした後、ロビー集合とし、身支度を整える。
7時10分、2日目の紀行をスタートする。外気は冷たいが、青空も見え、昨日のような雪は大丈夫だろうと話しながら、駅前の木製の鐘楼に見送られて、 旧街道に向かう。
「奥州街道・仙台道」の交叉点まで戻ると正面の建物の間から「白石城」の櫓が見えるので、望遠を効かせてパチリと。今日も訪れる機会はないが、 仙台藩の最南の城の姿が望めたのはラッキーだ。 交叉点を右折して「白石宿」の街並みを眺めると立派な家もあり、アーケードのある商店街にも旧家が点在しているが、シャッターが降りていて店の様子は 分からない。
商店街を進み、突き当たり手前の筋を左折して「長町市神」を探す。少し行った右に祀られているのを発見する。それぞれの町に「市神」が氏神のように 祀られているようだが、探すのは難しく、この「長町市神」を見付けて満足する。

白石城の櫓

白石宿の街並み 静かなアーケード

長町市神


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

旧街道に戻り、直進するとT字路になり、左折して進む。まだ、朝が早いので人通りも車も通っていない。
次の交叉点を右折すると白石川を渡る 白石大橋に至るが、旧街道は直進する。左に立派な建物が建ち「奥州街道ふれあいの館」と 看板が示しているが、まだ開いていない。その先に「うーめん発祥の地」の標識と案内板が立っている。白石名物の温麺の由来が記されている。 昨夜、味わって良かったとHさんと話しながら進む。
少し進んだ左の空間から「白石城」の櫓が見え、訪れたような気持ちになるのは自己満足か!?  水車のある「温麺食事処」を過ぎた角で右に曲がり、白石川の堤防に出る。

奥州街道ふれあいの館

うーめん発祥の地

白石城の櫓


白石川の堤防に上がると左奥の山に雪が積もっているのが望まれ、昨日の雪は広範囲に積もったことが分かる。堤防の道を戻るように進むと広い 河川敷があり、「白石市運動公園」となっており、フィールドの芝生には薄っすらと雪が残っている。朝日も射し、美しい光景だ。
白石大橋の手前辺りに渡し船場があったそうだが、その跡の史跡は残っておいないが、対岸には、何か史跡があるようで案内板が見える。 少し先の白石大橋で白石川を渡る。橋の上からの山々・清流の光景は美しい。
橋を渡って堤防を渡し船場跡まで行くと石碑や案内板が立ち、この付近に、関ヶ原の戦いで伊達政宗が上杉勢を攻めた「陣場跡」があり、戊辰戦争の 奥州鎮撫総督府参謀長州藩士「世良修造の墓」が祀られていると。戦国時代・明治維新前とこの辺りは白石川を挟んだ戦場だったのだ。 お墓は、丘の上なのでパスする。

白石市運動公園

白石川

陣場跡と世良修造の墓


白石大橋まで戻って右に進むと交通安全ボランティアの方がたくさん立っておられ、子供たちの通学の安全確保をされている。Hさんもボランティアをされて いるので、声をかけてご挨拶。県道12号線を道なりに進むと左に大きな「馬頭観世音碑」が立っている。その大きさに驚き、前の広場の石の上で一息入れる。 (8:10-8:20)
少し先から、右に細い道が県道に並行して通っているので、これが旧街道と見立てて進むと国道4号線が県道に合流するのを左に見て、その細い道を進む。 国道4号線には「仙台45km・東京から308km」の道路標識が立っている。昨日、道を間違った要因の一つに東京から300kmの標識探しがあったことを 想い出すとともに仙台までまだ65kmあるのだと認識する。
その先、児捨(こすて)川に架かる白鳥橋(しろとりは)を渡る。白鳥橋の欄干には、可愛い「こけし」が飾られている。国道沿いの道を進み、広場あった ので、ここで一息入れる。昨日は、雪や濡れている場所が多く、休憩できなかったが、晴れているので一休みできるのはgoodだ。(8:55-9:05)

大きな馬頭観世音碑

県道横の旧街道 道路標識

こけしの白鳥橋


国道沿いに進むと、少し先に高速道路に接続するICがあり、本来なら右回りに進むのだが、ショートサーキットして、国道4号線の狭い歩道を進み、 ICを通過する。少し進むと「蔵王町」と「東京から310km」の標識が立ち、蔵王町に突入する。 歩道のある国道歩きが続き、しばらく進んだ宮交叉点で、左の県道12号線に曲がると「刈田宮宿」に至る。
左折した左に「馬頭観世音」や「庚申」等の石塔群が立っている。少し先の右にも文字が読めない石塔が立ち、宿場町の雰囲気がある。
少し先左の宮小学校の入口に「小野訓導殉職記念碑」が立っている。案内板によると、宮城県女子師範を卒業して着任したばかり の22歳の宮小学校の先生が白石川で野外活動中に溺れた3人の児童のうち2人まで助けてもう一人を助けようとして殉職したと。立派な碑 なので、地域の人望が厚かったのだろうと想像できる。
右には立派な家も残っており、「刈田宮宿」の雰囲気があり、その先左のお屋敷の庭の中に「明治天皇御駐蹕之碑」が立っている。塀の上から覗く ようにしてパチリと。この辺りが宿場の中心なのか、立派な家が続いている。

馬頭観世音塔の石塔群 読めない石塔

小野訓導殉職記念碑

明治天皇御駐蹕之碑 刈田宮宿の家


県道を直進すると「刈田嶺神社」に通じるが、寄り道は止めて、その先のT字路で右折して旧街道を進む。
すぐ先、左に「蓮蔵寺」の参道があり、その角に道標が立っている。

蓮蔵寺の参道 道標

三谷寺

「東仙臺方面至金ケ瀬村」「南福島方面至白石町 宮村分會」等、記されている。
少し先左に「三谷寺」が建っている。「殉職小野さつき訓導墓所入口」の碑があり、先程の宮小学校前で見た児童を救おうとして殉職した先生の 墓所が祀られているのだ。人望厚い先生だったと改めて思った次第だ。
宿場を離れて、野原が続く旧街道となり、宮大橋を渡り、カメラのニコンの工場を見ながら進むと国道4号線に当たり、それを横切って国道と並行した旧街道を 進む。
コカコーラの工場前の広場で大福を食べ、一息入れる。国道から一筋入ると静かな旧街道だ。(10:00-10:15)
国道の騒音を遠くに聞きながら進む旧街道は、やがて国道と合流し、国道歩きとなる。しばらくの間は、単調な国道歩きで面白味がない。風が強く なって来たが、追い風なので押されるように進めるのは有難い。向かい風だと大変だとHさんと話しながら進む。
東北新幹線のガードをくぐり、更にこくどうを進むと蔵王町に入り、蔵王町篭石の信号の先から左に入って行く。
緩やかな坂道を上る左に「里程標」が立っている。石碑は読めないが、木標には、仙台から10里を示すと記されている。後40kmだと意気が上がる。

大高山神社 鉄の鳥居

少しきつい坂道を上ると右に「大高山神社」が鎮座する。 大高山神社は、敏達天皇が即位した敏達元年(571)に日本武尊を祭神とし創建、創建当初は日本武尊が東夷東征の際仮宮であり、 後に推古天皇御代、聖徳太子の父橘豊日尊(用命帝)も合祀された。
江戸時代まで柴田郡総鎮守として崇められており、 本殿は江戸中期の建物で、施設内には国重要文化財の東北最古の鰐口、文治年間藤原忠衡寄進の鉄九輪塔、 江戸期の絵馬など貴重な文化財を多く所蔵する。 (宮城県の町並みと歴史建築HPより抜粋)

境内は静かで、本殿に参拝し、鉄の鳥居を確認して、ベンチで一息入れる。(11:00-11:10)
「大高山神社」は小高い丘の上に鎮座しているので、参道の鳥居は、国道方向の石段の下にある。入って来た裏側からの道が無いかと探すが、 上る道しかないので、珍しい「鉄の鳥居」をくぐり、急な石段を下りて行くと赤い立派な鳥居が立っている。
旧街道は、先程の「里程標」辺りから国道に降りて、鳥居に進むのかも知れない。

旧街道は左へ

里程標

大高山神社の鳥居


石段を降り、鳥居の先の道が二本あるので迷ってしまう。丁度通りかかった地元の方に尋ねると右の道が旧街道だと。安心して右の道を 「金ヶ瀬宿」に向かって進む。
住宅街となっている「金ヶ瀬宿」を進むと大きな「馬頭観音碑」が立ち、所々には旧家もあるが、新興住宅街の様子だ。先達の方の紀行記に よると、「金ヶ瀬宿」は、西側に片倉藩の足軽百姓が住み、東側には仙台藩の 百姓が住んでいたので、西側の家の玄関は白石の方角に向け、東側の家は仙台を向いていたそうだとのことで、注意してみると確かに 道に向かって玄関がなく、左右に玄関があるのが分かる。律儀な方が多いのだと。

馬頭観音碑

金ヶ瀬宿の街並み

玄関の向き


史跡が残っていない「金ヶ瀬宿」を淡々と進むと再び、国道4号線に合流する。その先は、大きなショッピンクセンターが立ち並び、今までの街道とは違った 雰囲気になる。国道の横の道を進み、国道から右折して大河原方面に向かう。
道の方向に不安があったので、ガソリンスタンドで確認し、間違いないことを確かめて広い道に並行に通じている細い道を進む。二股になった道は左に行くと 突き当たりに「薬師堂」が祀られている。
ここを左折すると「大河原宿」となり、大きな旧家も点在する街並みを楽しみながら進む。そろそろ食事時なので、食事処を探すが見当たらず、 白石川を渡った先のJR大河原駅に通じる交叉点まで来てしまった。通りかかった地元の女性に、昼食を食べる所を尋ねると反対側のラーメン屋を 教えてもらい、昼食とする。小さな店で、時間はかかったが、食事に在りつけた次第だ。(12:20-12:55)

ショッピングセンターの道

薬師堂

大河原宿の街並み 昼食


昼食を終え、旧街道に戻って北に向かう。少し先の右奥に「繁昌院」建っているので立ち寄ることにする。「大河原宿」には「東の繁昌院」 「西の最勝院」の二大寺院があり、「繁昌院」には、「明治天皇行在所記念碑」かあるとのことで、探すがなかなか分からない。やっと、寺院の外、 旧街道寄りに、高い円柱の塔「明治天皇行幸記念碑」を見付けた。珍しい煙突のような碑に驚く。
旧街道に戻り、反対側に「最勝院」が建っているが、少し奥にあるのでパスして進む。

繁昌院

明治天皇行在所記念碑

最勝院


少し進んだ大河原小学校の角は枡形になっているようで、左折して直ぐ右折して進み、その先の二股は右に進むのが旧街道だ。そのまま直進すると 荒川に当たる。昔はここから対岸に渡っていたようだが、橋もないので、右折して堤防の道を進む。少しの間、荒川の堤防を進み、 荒川が白石川と合流する手前に韮神橋が架かっており、橋の上から白石川方向を見ると堤防には、見事な桜並木が連なっている。地元でも有名な観桜地 だそうだ。
橋を渡った左に、たくさんの石碑が祀られている。国道4号線のバイパス工事で失われる史跡がここに集約されたそうで、「韮神山」「芭蕉の碑」 「憚りの国の歌碑」「三十三観音と遷大悲閣の碑」の案内板が立っている。
ここ韮神山は、 奥州街道に臨み白石川に面し、奇岩怪石の山で、文治の役の古戦場でもあり、その景観はここを通る多くの人の旅情を慰めたと記されている。 「芭蕉の碑」の横に大きな句碑があり、「鶯の笠おとしたる椿かな」と刻まれている。 歴史上も有名な場所だったのだと石碑群を見て感じ入る。きれいな所だ。

白石川の桜並木 荒川堤防

韮神山の石碑群

芭蕉の碑 句碑


韮神橋に戻り、国道歩きとなる。右に流れる白石川の堤防に植わっている桜並木を見ながら進むと対岸の丘の上に「船岡城址」の標識が望める。 少し進んだ所から右に入って行く。
柴田町の標識の手前左に「西 沼邉村」「東 槻木」と記された道標が立っている。今日の宿泊地の槻木の地名が出て来た。旧街道沿いに植わっている 白梅が満開なのを見て、ここで一息入れる。Hさんの疲労度は大きそうだ。(14:00-14:10)
左の国道4号線沿いの道を進むとスーパーマーケットイオンが建っているので、案内所に行って近くの町との送迎バスが無いかと尋ねると無いとのことで、タクシーの 電話番号を教えてもらう。事前の計画時も、この辺りからのエスケープ方法は、バスが無いのでタクシーに頼らざるを得ないと思っていたので、適当な所から タクシーで、槻木の民宿に行こうと決断する。
やがて、旧街道は国道に合流する所で、タクシーを呼ぶことにし、柴田町西船迫の交叉点でタクシーを待つ。(14:40)

船岡城址

柴田町の道標

満開の白梅


民宿に電話して、少し早いがよろしくと頼み、タクシーで槻木駅近くの「逢隈(おおくま)旅館」に向かう。手前のコンビニで缶ビールを買い、16時からのチェックインを 早めてもらい部屋でご苦労様の乾杯!!

逢隈旅館

夕食

17時からの入浴まで、布団に横になりゆっくりと過ごす。風呂に入り、大きな湯船で足腰をマッサージする。民宿の大きな風呂が良いと改めて思う次第だ。
18時から夕食となり、おばあさんの手料理に舌鼓を打ちながら、ビール・日本酒で改めて乾杯。
おばあさんの話では、この旅館は16代目で、昔は養蚕業も営んでいたと。庭には、明治天皇が休憩した時の「お手植えの松」が植わっている歴史ある 旅籠だと。旧街道筋の昔の旅籠に泊まるのは歴史を知る上でもgoodだ。
今日は、計画通り歩行できなかったが、無理することなくタクシーでエスケープし、疲労度も軽くて済んだ。高齢のHさんもしっかりと歩かれたことは凄いと 改めて思った次第だ。
明日は、タクシーで今日の終了地点まで戻り、ここ「槻木宿」まで歩き、列車で仙台に向かい、ポイントを巡ろうと話し、ゆっくりと休む。


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