[一関宿~平泉][平泉~水沢宿][水沢宿~金が崎宿]


○ 「奥州街道・松前道No6.」見聞録(一関宿~金ヶ崎宿)・(距離 41.4km(今回)/ 140.0km(累計)/608.2.0km(江戸から累計))

  1.「奥州街道・松前道」(一関宿~平泉・8.4km) 2018.03.20. 16:40~18:00 晴れ


仙台道マップ
(揺次郎のウォーキング・ライフ
HPより借用)
松前道(仙台~三厩)宿場一覧
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「一関宿~平泉・行程MAP」

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見聞ルートに沿って歩行出来ます。

冬の間の東北地方は、積雪による紀行に適していないので、休眠していた。今年の冬の積雪量は、過去最高クラスの積もり方で、休眠していて良かったと 思った位だ。
3月の声を聞き、そろそろ目覚めなくてはと検討を始める。前回の最終地点・一関まで進む方法の一つとして「青春18きっぷ」を活用して行けるかを検討した結果、 夜行快速「ムーンライトながら」を用いて進めることができることが分かり、具体策を確定した。
丸一日の列車乗車の「青春18きっぷ」での「奥州街道」紀行実施の列車の旅 を楽しみながら、一関駅まで進んだ。

16時23分、一関駅着なので、少し暗くなるが、一関で宿泊せず、平泉まで進み宿泊することにしている。

一関駅

大槻三賢人像

16時30分、身支度を整えて、関西・東京は雨だったが、まだ青空が残る一関駅前をスタートする。
駅前には、前回も観た大槻三賢人像が立っている。蘭学者の大槻玄沢・儒学者の大槻磐渓・国語学者の大槻文彦と 大槻家は地元の名士の家系なのだ。
駅前通りを旧街道に戻る途中に、前回確認した「おくのほそ道芭蕉の辻」碑・「日本の道百選おくのほそ道」碑等が並んでいるのを見ながら進むと 右に「高平小五郎」の碑が立っている。明治初期に外交官として活躍した人物だと。
一関駅前交叉点を右折して旧街道を進む。 この辺りは「一関宿」だが、特に史跡も残っていない。少し先右に「大町の由来」の案内板が立ち、江戸時代初期に一関城が大町と名付けられ、 以来宿場町として栄え、藩主田村氏に引き継がれたのだと、
次の地主町角交叉点で左折する。この先右に本陣があったそうだが、その痕跡は見当たらない。左の松栄堂和菓子店の前に植え込みがあり、その中に 道標が立っているが、茂みに隠れて何処を示しているのか分からない。
少し先、左に入り、造酒屋「世嬉の一」の蔵を眺める。蔵の前に「島崎藤村ゆかりの地」と記した案内板が立ち、島崎藤村が恋に悩み、 ここ一関の豪商宅に寄寓したと。
蔵の前には、古い酒樽が飾られ、当時の雰囲気を味合わせてくれるのは嬉しい。

大町の由来の案内板 高平小五郎碑

茂みに隠れた道標

世嬉の一の蔵 古い酒樽


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街道に戻り、磐井川に向かうと磐井橋の直前左に「芭蕉奥州路最北の宿 芭蕉二夜庵跡」の大きな案内板が立っている。 曾良の日記によると、奥の細道行脚の旅で、ここ金森家に二泊し、その間、平泉を訪れたと。横には「奥の細道」のこの辺りの行程図もあり、 改めて芭蕉が東北地方に与えた影響の大きさを感じる。
磐井橋を渡って、直ぐ右の堤防沿いの道を進み、左に下って行く。その先右に「俳聖芭蕉紀行の道」「元禄二年五月十三日紀行(一六八九)」と 記された碑が立っている。道なりに進むと、右に「第二十九代横綱宮城山福松」の碑が立っている。この地の出身だと。
少し先の広い道を渡り、県道14号線に合流して進む。この道が旧街道だ。

芭蕉奥州路最北の宿 芭蕉二夜庵跡

磐井川

俳聖芭蕉紀行の道 横綱宮城山福松の碑


旧街道は「山目宿」に入って行く。少し先左に「延喜式内社配志和神社」の鳥居が立ち、その前には「延命地蔵尊」が祀られている。参道は奥まで 続いているので、参拝は遠慮して前に進む。
静かで落ち着いた「山目宿」を進むと右に「史跡標柱「山目宿問屋・旧上町」」と記された白い標柱が立っている。また、右の連子格子の家の前には 「カスリン台風洪水位(昭和22年9月16日)」と書かれた水位を示す標識もあり、その凄さが分かる。 史跡の標識が、設置されているのは嬉しい。

延喜式内社配志和神社 延命地蔵尊

山目宿の街並み

山目宿問屋・旧上町の標柱


少し先右の道角に「史跡標柱「気仙の交通路・旧今泉街道入口(横丁)」」と記された標柱が立っている。今泉街道は知らないが、宿場から方々に 交通網が引かれていたのだろうと。このお屋敷は、長い連子格子が続く風情のあるお屋敷だ。
その先右中里公民館前に「史跡標柱「照井堰改修の先駆者・柏原清左衛門末裔屋敷跡」」の標識が立ち、「蠶祖神」と刻んだ大きな石碑が立っている。 難しい文字だ。更に進むと右に「史跡標柱「金山奉行の足軽居住・旧久賀町」」の標識が立ち、その先左に「龍澤寺」が建っている。

気仙の交通路・旧今泉街道入口の標識

蠶祖神の石碑

龍澤寺


山ノ目駅前を過ぎ、日没が近付いて来たので歩を速める。薄暗くなった旧街道の左に「史跡標柱「端郷街村(はしのごうかいそん)・旧根岸町」」の 標識が立っている。薄暗くなっても白い標識は目立つのでよく分かる。
少し先左に「少名彦神社」の鳥居が立ち、その先には「八雲神社」の石標と標識が立っているが、暗くなるので、参拝もせず先を急ぐ。
右から東北本線の線路が迫ってくる辺りに「平泉町」の標識が立ち、一関市から平泉町に入ったことを示してくれる。
この辺りで、日没の暗闇が 迫ってくる。前回の真っ暗になって道に迷った経験から、エスケープ策として、路線バスの時刻を調べていた。次の川屋敷バス停発が、16時59分なので、 それに合すべくバス停に急ぐ。
ここから先、平泉駅までは史跡もないので、路線バスでエスケープすることにし、定刻過ぎに来たバスに乗り、車窓から観察する。国道4号線を横切って、 左の「八坂神社」を確認し、太田川を渡って、右下の道が旧街道だと確認するが、バスは県道を通り、毛越寺口交叉点を右折して古風な造りの 趣きのある平泉駅に到着する。さすが世界遺産の玄関口だと。 交叉点と駅前の間の細い道が、旧街道だと確認する。

山ノ目駅 端郷街村・旧根岸町の碑

少名彦神社の鳥居

平泉駅


駅の観光案内所は閉まっているので、置かれている観光資料をいただいて、宿に向かう。
駅前から直ぐに横切る道が旧街道で、明日はここからスタートするのだと確認し、「毛越寺」方向に向かって緩やかな坂道を上って行く。道もきれいに 整備され、さすがと思いながら、夕食場所をチェックしながら本日の宿泊地「旅館アイリス悠」を探し当て、チェックインする。
落ち着いたこじんまりした宿で、早速、浴場で昨日からの列車の旅、短かったが今日の歩行の疲れを癒す。やはり、浴場の広い湯船で、 足腰を伸ばすのは気持ち良い。
女将さんのお奨めの居酒屋「談笑」に向かう。歩いて来た時、少し高級そうだと思ったが、女将の話では、地元の方も良く来ているのでお奨めだと。 店に入ると、カウンターは地元の方で いっぱいで、端っこの座り、ビールで乾杯する。風呂上りで美味しい!!
お奨めの地元の料理(名前?)を頼み、地元の方と談笑する。大阪から歩いていると話すと驚いておられ、地元の話もしていただきながら、楽しい 時間が過ぎる。 地酒「関山」の熱燗も美味しく、お奨めの牡蠣酢もいただき、疲れが吹っ飛ぶようだ。平泉に来た時は、立ち寄りたい店だ。

旅館アイリス悠

居酒屋・談笑

地元の料理?


気持ち良い酔いで、旅館に帰って直ぐに眠ってしまう。やはり、夜行列車と東京から一関までの列車の旅は、それなりにダメージを受けていたのだろう。 「青春18きっぷ」の使い方も、歳相応にしなくては・・・・と思うが、まだ、青春だと。
明日は、「中尊寺」の参拝をし、北に向かおうとぐっすり眠る。本日の歩行歩数は、16600歩だった。


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