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○ 「奥州街道・松前道No8.」見聞録(盛岡~二戸)・(距離 77.3km(今回)/ 217.3km(累計)/685.5km(江戸から累計))

  1.「奥州街道・松前道」(盛岡~渋民・17.1km) 2019.04.19. 6:55~15:50 小雨後晴れ


仙台道マップ
(揺次郎のウォーキング・ライフ
HPより借用)
松前道(仙台~三厩)宿場一覧
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「盛岡~渋民・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。

「奥州街道・松前道」紀行も盛岡を過ぎ、青森県境に向かう行程になった。
今回の「奥州街道・松前道」紀行の行程は、先達の紀行記等を調べると「奥州街道」の中でも、旧街道の趣きを色濃く残す旧街道であり、 山の中を通るため、道に迷い易いとの記述があり、不安があったため、通過する自治体に「奥州街道」の資料・地図のサポートをお願いした。
岩手町・一戸町・二戸市から詳細な資料や地図が送付され、大いに役立ったことに感謝したい。

岩手町・奥州街道紀行(一関宿から金田一宿)

一戸町・いちのへ歴史の道を歩く

各自治体ともに、地元も含め「一関宿」 から「金田一宿」までの地図も送付していただき、今までの行程のフォローもできたのは嬉しい限りだ。
一戸町の山中の紀行に対する詳細な地図は有難く、道に迷うこともないようで、安心して紀行ができると心強く思った次第だ。
今回の紀行の計画・実施は、これらの資料・地図をベースに、後期高齢者となった体力も考慮に入れ、無理のない計画と柔軟な実施を念頭に、北岩手の 奥深い森の中の旧街道を堪能したいものだ。
岩手県盛岡市がスタートとなるが、関西から岩手県への夜行バスはなく、従来通り仙台乗継で向かうと半日が潰れてしまう。紀行日程をフルに活用するため、 前後の日程は掛っても仕方がないと考え、大阪~東京は昼間バスで繋ぎ、東京~岩手県の夜行バスを活用し、 従来は、二泊三日の行程で紀行していたが、遠方になるのと歩行時間を考え、三泊四日の紀行に変更することにする。
そのような計画をしている最中、「日光・奥州街道」のスタートをした時に一緒に歩いた友人TB君が、母校が出場する甲子園に応援に訪れ、帰宅時に落ち 合うことになった。今回の計画を話すと東京で会おうとのことになり、スタート時に同行したTB君・TJ君と合流することになったのは、嬉しい限りだ。
平成から令和に代わるため、10連休になるので、それまでに実行しようと企画するが、バスの予約が1ケ月前からなので、宿との兼ね合いで調整に苦しむ。 土日にかかるので、宿が休み・団体予約で計画通りにはいかない。バスも混雑しているらしく、昼間の大阪~東京は早割で3200円と上手く取れ、東京 ~盛岡、二戸~東京の夜行バスも確保することができた。宿も第一希望はダメだったが、行程的には最良の場所を取ることができた。

4月18日(木)、10時30分京都発の昼間バスで東京に向かうため、9時過ぎに家を出る。
京都駅は外国人観光客で混雑しており、バスもほぼ満席の状態に驚く。東京までの昼間バスに乗るのは初めてだが、老若男女各層が乗車しているのだ。 結構、年配の方も多いのは意外だった。
車窓から東名高速の景観を眺め、適当にトイレ休憩を取りながら進む。浜名湖SAで軽く昼食を食べ、渋滞にも巻き込まれたが、定刻の18時13分頃に 東京駅に到着する。

浜名湖

友人達との夕食

東京駅で、4年前(2015年5月)「日光街道」のスタートを共にしたTJ君・TB君が待っていてくれ、再会の握手・握手。
TB君は、その初紀行以来 「旧街道歩き」に開眼し、「東海道・出雲街道」を踏破し、目下、「奥州街道」の海側に通じている旧街道を歩き、宮古市から帰京した ところで、リュック姿での再会だ。
TJ君の配慮で、深夜バスの出発地に近い居酒屋で乾杯!!三人で会うのは、初紀行以来で、お互いの健康を称え、昔の仲間に帰って大いに呑み、 話しが弾む。良き仲間との懇親は、何よりの出発のお祝いだ。しっかりと睡眠導入剤を仕込んで、気を付けての激励を受けお別れする。
22時30分発の盛岡行の深夜バスは、4人席も満席で出発する。出発と同時に、深い眠りに入り、途中、3回のトイレ休憩をした後、ほぼ定刻の6時に 盛岡駅に到着する。良く眠ったので、快調だ。

4月19日(金)、小雨降る盛岡駅で朝食場所を探すが、まだ開いていない。事前に調べていた駅前の「すきや」で朝定食を食べる。早朝なので 北上川の河川敷を散策した後、前回の最終地点「高松神社」までバスで行く予定だったが、雨なので散策は止め、直接目的地に行くことにする。
6時40分発のバスは通学客で満杯だ。小雨の中をバスは進み、高松神社で下車し、バス停で身支度を整える。
6時55分、本日の紀行をスタートする。少し肌寒く、道路脇の桜は、咲き始めの状態で、少しだけ開花している。盛岡と大阪の違いを感じざるを得ない。 旧街道は緩やかな上り坂となり、少し進んだ盛岡第三高等学校の手前に「岩手の教師ここに育つの碑」が立っている。また、校庭には 「岩手師範寮歌碑」も立ち、教育に熱心な県民性を表しているようだ。寮歌の碑を観るのは初めてなので、その歌詞の力強さを感じる。 その先にコンビニがあったので、昼食用にサンドウィッチを買い、雨が止んだので、傘をたたみ一息付く。(7:15)

盛岡駅 朝食

岩手の教師ここに育つの碑

岩手師範寮歌碑


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

雨が止んだので、心新たに坂道を上って行くと左の「ANNEX KAWATOKU」の前に「上田一里塚」が残っている。今回の紀行で初めての一里塚だ。 街の中の一里塚が立派に残っているのは嬉しい。今回の紀行では、たくさんの一里塚に出会えるようだが、最初の一里塚だ。
その先、左に「松並木」が数本残っており、「本街道 奥州道中」の案内板が立っている。当時は、もっと長い松並木だっただろうと想像しながら進む。 少し進むと「富士見台緑地」の緑の広場があり、木々の間から北上川を堰き止めた「四十四田(しじゅうしだ)ダム」が見える。この辺りから旧街道へ 入る道があると注意深くみていると金網の切れ目から細い道が通じている。これが旧街道だと確信し、細い地道に入って行く。

上田一里塚 松並木

富士見台緑地

旧街道への分岐 細い地道


広い道を渡り「座頭転がし」と云われる急勾配の坂道を上ると右に「壱願観音堂」が建っている。
更に上り、下り坂になり、左の「県立博物館」の手前に「明治天皇駐蹕之地碑」が立っている。今までも良く観た明治9年と14年の東北巡幸の史跡だ。 「県立博物館」の前を通って進むが少しおかしい。前には盛岡少年刑務所の門があるので、間違いに気付き迂回して旧街道に戻る。
旧街道には「小松野一里塚」と示した道標が立っているのは嬉しい。これからも設置されていることを願う。

壱願観音堂

明治天皇駐蹕之地碑

県立博物館 道標


緩やかなアップダウンの旧街道は、青空も見え始め気持ち良く進める。道なりに進むと左には「四十四田ダム湖」が間近に望まれ、その大きさを実感する。 左に「ドミニカン・ロザリオの聖母修道院」の入口を確認する。こんな所に修道院があるのに驚きながら進むと左右の塚が残る「小松野一里塚」がある。 左右の塚が残っているのは珍しいが、道が広くて両方の塚を同時に写せないのは残念だ。

四十四田ダム湖

小松野一里塚・右

小松野一里塚・左


ダム湖を渡る新しい橋ができているが、旧街道は右の静かな道に下って行く。右上に赤い鳥居があるので「小野松観世音」が祀られているのかと 行ってみるが名前が分からない神社で、観音さんが神社に祭られているのはおかしいなと思いながら、旧街道に戻って進むと左に「小野松観世音」が 祀られている。案内書を読むとこれは「里宮」で山の上に「奥宮」があるそうだ。ここで一息入れる。(9:05-9:10)
ダム湖沿いの旧街道を進むと右に「おの松かんのん清水」がある。竹筒から水が流れ、古人の咽喉を潤していたのだろうと想像する。旧街道はダム湖沿いに 上って行き橋の反対側に出る。この先は水没したようだ。
「四十四田ダム湖」沿いの気持ちの良い舗装道路を湖を観ながら進む。柵の下には、たくさんの「ふきのとう」が群生しており、この景色はこれからも 楽しませてくれる。

赤い鳥居

小野松観世音

おの松かんのん清水 ふきのとう


湖沿いの道を快調に進む。ダム湖から流れ出す飛田川に架かる観音橋を渡り、この辺りから岩手山が見えるとのことだが、雲に隠れて姿見えない。 橋を渡った先、左に「二十三夜塔」等の石碑が祀られているので、旧街道に戻ったのかと想いながら進むと左に「春日大明神」の小さな社が祀られている。
この辺りは「新奥の細道」と名付けられたハイキングコースになっているようだ。 ダム湖は小さくなり、北上川沿いの舗装道路を曲がりくねりながら進むと岩姫橋があり、旧街道は渡らずに右に進む。この分岐点の道横で一息入れる。 (10:10-10:20)

二十三夜塔等の石碑

春日大明神

岩姫橋


旧街道は、北上川から離れて山側の道を進む。正面に「岩淵第二発電所」の水路パイプが見え、再び北上川に近付いて進むと笹平大橋が架かり、 この辺りに水没しているかもしれない「笹平一里塚」があるらしい。

笹平一里塚 !?

良く分からないので、近くで農作業をしている夫人に尋ねると橋の近くにあるが、水没しているかも知れないと。滑り落ちないよう気を付けてとの アドバイスで探し始める。
熊笹で覆われた川岸近くに塚のようなものがないかと 探索すると水没し、塚の上に生えている木が見えるこんもりとした島(?)を発見する。
標識もないので、これが「笹平一里塚」だと断定できないが、 他にそれらしきものが見当たらないので、小生にとっては「笹平一里塚」を発見したことにし、発見したことに大喜びだ。
無理だろうと思っていた「笹平一里塚」の発見(?)に満足し、熊笹を掻き分けて道に戻り、見上げると祝福するように雪を戴いた岩手山の雄姿が見える。 さすが、岩手県を代表する山だと感激する。これからの旅の友・岩手山との初めての対面だった。
まだ新緑ではない森の木々を観ながら、舗装道路で整備された旧街道を進む。緩やかな上り坂は、うねうねと曲がりくねって上って行く。横からの 林道近くに「明治天皇御小休碑」が立っているのを探しながら進むが、なかなか見つからない。見落としたかとも心配した時、右に 「明治天皇御小休碑」が立っている。案内板によれば、明治9年・14年の巡幸は旧幕府軍の仙台藩・盛岡藩の反発を抑える目的もあったようだ。 それで、辺鄙な東北巡幸が二度もあったのだと理解できた。

岩淵第二発電所

雪を戴いた岩手山

明治天皇御小休碑


旧街道の坂道は、新幹線のトンネルの上を通り、やがて下り坂となる。この辺りからの岩手山は雲も切れ、山頂まではっきりと展望でき、その雄姿を 心行くまで眺めることができるのは嬉しい。

岩手山

判別不明な石碑

下り坂の集落には、文字が判読できない石碑が立ち、旧街道の趣きを残している。その先にも石碑があり、楽しみながら下って行く。
坂を下り切ると工業団地に上る急な坂道となる。 大きな工業団地は、高台の上に広がっており、ふーふー云いながら上る。 丁度12時なったのか、近くの学校のチャイムがお昼を知らせている。
何処かで、昼食をしようと、工業団地の空地の芝生の上に座って、サンドウィッチの 昼食とする。
遠くに岩手山を望んでの昼食は満足だ。アップダウンが厳しかったので、ゆっくりと休憩する。(12:05-12:30)
工業団地の坂道を下り、渋民バイパスの高架下を抜けて渋民の集落に入って行く。
この辺りに「渋民一里塚」があるはずなので、探しながら進むが 見当たらない。行ったり来たりとするが分からないので、食堂に入り訪ねると高架下の手前にあるはずだと。再び戻って、注意深く探索すると 渋民集落の中心に向かって右に小さな塚があり「渋民一里塚」の標識が立っている。やっと見つけ、一安心だ。ほとんど原型は残っていないが、 小さな塚があり、標識があったので分かった次第だ。
いよいよ、石川啄木の故郷である渋民村に入って行く。少し先右に「愛宕清水の井戸」があり、直ぐ横に「愛宕神社の鳥居」が立っている。 啄木がよく訪れた愛宕山に祀られている「愛宕神社」だ。 急な坂道を上るが、木の根っ子の階段で、上りつらいこと限りなく、やっと「愛宕神社・本殿」に到達し、木々が生い茂り、視界が効かないが、 岩手山や渋民村の街並みを見下ろしながら、一息入れる。(13:20-13:30)

渋民一里塚

愛宕清水の井戸

愛宕神社の鳥居 根っ子の道


滑るのに注意して愛宕山を下り「渋民宿」に入って行くが、古い建屋も残っていないようだ。
宿場の街並みを眺めながら進むと右に啄木の「かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おのひでの川」の 歌碑が立っている。少し読み難いが、さすが、石川啄木の街だ。
その先左に「里程標五里」と書かれた石碑が立っている。盛岡から五里なのだろう。

渋民宿の街並み

石川啄木の歌碑

里程標


少し進んだ右に広い広場があり、その奥に「啄木記念館」が建っている。

啄木記念館

近代日本を代表する歌人の一人である石川啄木の故郷である渋民に、啄木の顕彰と資料収集、保存、情報提供を目的として1970年に開館しました。
現在の記念館は、啄木がかつて理想の「家」を詩に託した白い西洋風の家をイメージし、生誕100年を記念して1986年に建てられました。
館内は、啄木文学の原点から終焉まで啄木の人生を直筆書簡、ノート、日誌のほか、遺品、写真パネル、映像等で紹介しています。
敷地内には啄木が代用教員を務めた旧渋民尋常高等小学校や一家が間借りした旧齊藤家が移築されており、当時の雰囲気を今に伝えてくれます。 また啄木と子供達のブロンズ像と岩手山の雄姿が来館者を温かく迎えてくれます。(盛岡市文化振興事業団HPより)

リュックを預けて館内の見学に向かう。館内は撮影禁止だが、啄木の生い立ちから直筆の文書・詩等々が展示されており、表面的にしか知らなかった 啄木自身を少し知ることができた。 特に、妻・節子との恋愛については、その押しの強さに驚いた次第だ。
たくさんの歌も展示されており、観たり聞いたりした作品も多く、啄木の偉大さを再認識できた。

啄木と妻と歌碑

啄木と子供たち

「啄木記念館」の玄関には、啄木と妻・節子の写真と詩を写した石版が飾られており、有名な 「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」が記されている。
庭園の入口には、啄木が代用教員をしていた当時の子供たちとの像も立ち、ほのぼのとした気分になるのは不思議だ。
庭園の奥には、啄木が代用教員を務めた「旧渋民尋常高等小学校」や一家が間借りした「旧齊藤家」が移築されており、内部の見学もできる。 昔の建物がそのまま残っているのは貴重で、外観だけではなく、内部も見学できるのは嬉しい。当時の学校・住居の素朴さ、貧しさを 感じざるを得ない。

旧齊藤家

旧渋民尋常高等小学校

教室


旧街道を渡って、渋民公園に向かう。途中、道標通りに行くと行き止まりになっている等の間違いもあったが、渋民公園に到着し、「啄木の歌碑」を 探す。広い公園の奥、雪を戴く岩手山を背景に堂々と立っている。立地場所は最高だ。
この歌碑は、大正11年(1922)建立の全国にある「啄木の歌碑」の第一号だとのことで 「やはらかに 柳あをめる北上の 岸邊目に見ゆ 泣けとごとくに」が記されている。
静かな公園の雰囲気と雪の岩手山を眺めながら、啄木がこの自然豊かな所で育ったのだと思いながらたたずむ。
旧街道に戻る歩道に、往路は反対側を歩いていたので、気付かなかったが、「啄木の歌」がたくさん記されている。一度は聞いたことのある歌が 記されており、読みながらゆっくりと戻る。

渋民公園の啄木の歌碑

啄木の歌①

啄木の歌② 啄木の歌③


今夜の民宿「竹乃家」は近いが、少し時間が早いので、近くのスーパーで時間を潰す。
昼食時に、民宿に電話した時、女将さんが申し訳なそうに、料理人が怪我をして不在なので、女将自身が料理するので・・・と云っておられた。 大丈夫かと思いながら、旧街道沿い左の「竹乃家」に到着する。(15:50)

民宿・竹乃家

夕食

女将さんが出て来られ、街道歩きなので断れなかったので、何時ものようではないが、ゆっくりしてくださいと。
他のお客は全て断ったので、 今日は小生一人の宿泊だそうだ。少し寂しいが仕方がないと思い、早速風呂に入る。
広い湯船で、ゆっくりと足腰を伸ばして、夜行バス・本日の紀行の疲れを癒す。
17時過ぎから夕食となり、ビールを頼むと缶ビール2本をサービスだから飲んでくださいと。喜んで、美味しいおかずと共にいただく。民宿では、他のお客さんと 話しをする楽しみがあるのだが、今回は出来なかったのは残念だ。持参した芋焼酎も飲み、一人ぼっちの夕食を終える。
部屋でゆっくりとテレビを観たり、本日のトレースをしたりと時間を潰している中に眠ってしまう。

岩手県北の「奥州街道」紀行は順調にスタートできた。雪の岩手山の雄姿と共に歩き、いろいろな形の一里塚にも出会い、正岡子規の故郷で泊まること ができた。今日は序の口で、明日以降 期待している「奥州街道」紀行が始まるのだと思いながら眠ったようだ。本日の歩行歩数は、37500歩だった。


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