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○ 「奥州街道・松前道No9.」見聞録(二戸~七戸)・(距離 63.9km(今回)/ 281.2km(累計)/749.4km(江戸から累計))

  1.「奥州街道・松前道」(二戸~三戸・16.9km) 2019.11.06. 8:45~16:00 晴れ


仙台道マップ
(揺次郎のウォーキング・ライフ
HPより借用)
松前道(仙台~三厩)宿場一覧
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「二戸~三戸・行程MAP」

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見聞ルートに沿って歩行出来ます。

「奥州街道・松前道」紀行も岩手県を踏破し、最終の青森県に進むことになった。
今回の「奥州街道・松前道」紀行の行程は、前回の最終地点・二戸市武内神社からスタートし、青森県との県境の明治天皇行幸時には馬車を降り、 歩いて上ったと伝えられる険しい「蓑ケ峠」越えがあり、ここから七戸にかけての旧街道は「日本道百選」に選ばれる程の快適な行程のようで、 楽しみな紀行となりそうだ。
後期高齢者となり、歩幅は短くなり、ピッチも遅くなったので、従来より距離が稼げなくなって来たので、三泊四日で、何処まで進むかを迷ったが、 次回の行程との兼ね合いも考え、少しきついが、野辺地まで進み、青森から夜行バスで東京に戻ることにする。
今年の夏は暑く、残暑も厳しく、10月になっても台風来襲が続き、関東地方への直撃により、停電・洪水の被害が多く大変な状態だった。 また、ラグビーワールドカップでは、ベスト8進出となり、その熱戦でラグビーファンが増えたのは嬉しいことだ。今年冬のラグビーの試合に、どれだけの観衆が集まるかが問題だ。
何時実行するが検討していた。やはり、紅葉の季節が良いが、日没が早くなるので、 11月初旬に狙いをつけ、交通機関・宿を検討する。
前回と同様に、大阪~東京は昼間バスで進み、東京からは、前回帰路に活用した深夜バスで二戸まで行き、前回の終了地点・武内神社までバスで 進むことにする。往路のバスの予約が1ケ月前からなので、宿と帰路のバスの予約を先行させ、ラグビーワールドカップの日本の活躍に驚きながら、 紀行計画を楽しむ。
ここまで、紀行前に記述し、楽しみにしていたが、結果は見事に裏切られた。今までの紀行の中で最悪の結果となったのは残念だ。二日目の 紀行から、腰の状態がおかしくなり、計画が未達で終わってしまった。歳を取ったものだと再認識した次第だ。

11月05日(火)、前回と同様、10時30分京都発の昼間バスで東京に向かうため、9時過ぎに家を出る。
京都駅は、相変わらず外国人観光客が多く、バス停にも外国人が待っている。二階建てバスは満席で、老若男女・外国人も乗っており、高速バスの 人気ぶりが分かる。時間がかかっても運賃の安さ(3600円)が魅力なのだろう。

二階建てバス

豚の背骨ちょもらんま

名古屋で東名高速に入るJCTで渋滞があり、30分ほど遅れて浜名湖SAに到着し、で簡単な食事を済ます。
今夜は、東京駅で息子と待合せることにしているが、工事渋滞や都内に入ると天皇陛下即位の行事等で、交通規制が厳しく、ノロノロ運転で進まざるを得ず、約40分遅れで東京駅に到着する。
息子と合流し、地下街の居酒屋に行くが満席なので、隣の中華風の居酒屋で乾杯。大きな餃子や中華系の料理で、初めてホッピーを飲み楽しい時間を過ごす。名物料理が「豚の背骨ちょもらんま」の小盛りを頼むと山のような背骨が出てきて驚く。スペアリブの肉の少ない骨料理で、エベレスト山のように盛られているから名付けられたのだろうか?夜行バスの出発時間まで息子とゆっくりと飲むのは楽しい。
22時45分発の夜行バスは、4列席だが隣は空席でラッキーと思い、直ぐに眠ってしまう。途中、3ケ所のSAでトイレ休憩をし、盛岡駅経由で前回の最終地点 二戸駅に定刻前に到着する。駅中のコンビニで、朝食用のサンドウィッチと昼食用の弁当を購入し、ベンチで朝食とする。
8時30分発のバスで、前回の最終地点・武内神社まで進む。前回歩いた行程を眺めながら車窓を楽しむ。
8時45分、身支度を整えて紀行をスタートする。やはり、外気は冷たく北国の雰囲気で、景色も秋色で、紅葉は散ってしまったのかと。県道を進むと 右に「八戸街道の追分石」立っている。前回通った追分石を確認して進む。前回は、この先からバスの路線と離れるため紀行を終えた場所だ。

二戸駅 朝食

武内神社前バス停

八戸街道の追分石


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

少し先を左折して斗米橋に通じる道を進む。橋に行く途中、右に行く細い道が旧街道だが、その先で途切れているため、斗米橋で秋色に染まる馬渕川を渡って右折し国道4号線を進む。
冷たい外気を感じながら、旧街道の対岸付近に行くと河原からの上り道に「奥州街道」道標が立っている。その前のタイヤショツプの手前の細い道にも道標が立ち、踏切の方向を示している。初め、それが分からず少し進んで戻った次第だ。
細い道はいわて銀河鉄道の「第2長瀬踏切」に通じ、踏切を渡った左に「トトメキの追分石」の案内板が立っている。南無阿弥陀仏六字名号の銘 が記された二基の石碑が立っている。その上の道脇に祈願や餓死者の追善供養のために、河原の石にお経の文字を書いた経石を積み上げて土を被せた「経塚」が祀られている。

秋色の馬渕川

奥州街道・道標

トトメキの追分石 経塚


静かな線路沿いの道を北に進むと右に「餓歿供養塔」が祀られ、少し先の左には「庚申・廿三夜塔」が祀られている。旧街道の雰囲気を残す道だ。その先左に「長寿寺」「八坂神社」「相馬大作演舞場跡」の案内があるがパスして進む。
人通りのない「金田一宿」を通っているとご婦人が大根を洗っておられた。その根の長さに驚いて話しすると漬物用の大根だが、今年は根が曲がっているのが多いと。台風の影響ですかと尋ねるが、分からないと。
宿場の左に鳥居があり、小さな祠の中に「延命地蔵尊」が祀られている。天文年間に大坂で造られ、八戸から大八車で一戸に運ばれる途中、金田一で奉られたいと動かなくなったと。面白い逸話も街道歩きの楽しみだ。
その先右に「白山神社」が鎮座する。明治の初期一人の医師が加賀の国から転居した際白山神社の分神を鎮座させたものだと。旧街道は「下金田一踏切」を渡って左折する。少し先にはIGRの金田一温泉駅がありここで一息入れる。前回、金田一温泉で宿泊したことを想い出しながら。(9:55-10:05)

餓歿供養塔

金田一宿の街並み

延命地蔵尊 白山神社


いよいよ、岩手県から青森県への「蓑ケ坂」越えになる。熊の出没は聞いていないが、熊鈴を付けて進む。
駅前の道を進むと左の細い道に進むべく「奥州街道」道標が立っている。その指示に従い、細い道に入り、新幹線の高架下を抜け、IGRの「野々上通踏切」を渡ると急な「府金坂」の山道となる。道はしっかりと踏み固められていて、季節が進んで落葉が多い坂道を上って行く。
急な山道の分岐点には「奥州街道」道標が立ち、迷わないのは有難い。視界が開けて下を望むと馬渕川・新幹線線路が眼下に観られ、高く上って来たことを実感する。秋本番だ。
名も分からない神社の鳥居を見て、上って行くと舗装道路に出て、その先左に「願海庵」が建っている。「由来」によると、円忍が兵乱続く京洛を嫌って遁れ、ここに庵を結んだと。境内には立ち寄らず、舗装道路を下って行く。

奥州街道・道標

府金坂 道標

展望 願海庵


車の往来もない舗装道路を下って行くと右に「姉滝100m」の案内板があるが、そのまま進んだ所に「姉滝神社」があり、「姉滝」も見えるとの先達の紀行記を信じて上って行くが、見落としたのか神社も滝とも出会えない。随分先まで行ったが見当たらず、戻るのも癪なのでパスする。
舗装された上り坂が左に曲がって行く所から直進して草道を進むのが旧街道で、森の中に分け入って行く。落葉を踏みながら進むと「奥州街道」道標も立ち、旧街道と確信し、杉木立の地道を進む。気持ち良い旧街道を堪能する。
旧街道は、山道からリンゴ畑の中を進み、やがて舗装道路に突き当たる。その手前に「十和田山碑」と「庚申・廿三夜塔」が祀られている。

姉滝100mの案内板

県道から地道へ 落葉の道

杉木立と道標 十和田山碑


青空の中、紅葉の美しい木々を観ながら進むと川口橋に当たり、渡って右に進む。リンゴ畑が広がり、関西では経験できない豊かな気持ちになる。 リンゴ畑には、大きな鳥の凧が舞っていて、害鳥駆除をしている光景も珍しい。
リンゴ畑で作業している女性に、台風の影響が無かったですかと尋ねると大きな被害はなかったと。収穫したリンゴを分けてくださいとお願いすると少し傷のついたシナノゴールドを分けていただき、お礼を云ってかぶりつく。甘くで美味しい。疲れが取れ、咽喉の渇きも無くなり、元気が出る。感謝だ。
リンゴ畑が続く旧街道を進んでいると年配の女性が、「蓑ケ坂」に上るのかと尋ねられたので、そうだと応えるとあそこの「庚申さん」碑に安全をお祈りして行くと良いとアドバイスをいただいたので「庚申・廿三夜塔」に頭を下げ進む。
その先右に「稲荷清水」の案内板が立っているので、畑の小道を進むが分からず、戻る途中、家の裏に泉を発見した。入って直ぐだったのだ。「蓑ケ坂」に上る前、冷たい水を飲むのに良い場所だと。

川口橋を渡って右へ

リンゴ畑 シナノゴールド

稲荷清水 庚申塔


舗装道路が左に曲がる正面の山道に「奥州街道蓑ヶ坂」「蓑ヶ坂入口」の案内板が立っている。この入口が分かるか心配していたが、はっきりした 案内板があるので安心だ。ここで一息入れる。(11:40-11:45)

奥州街道蓑ヶ坂標識 蓑ケ坂入口

奥州街道は岩手県二戸市から青森県に入り、その入り口が三戸町の蓑ケ坂である。慶安2年(1649)の「大道筋」に「長さ20町、坂の内道広さ1間、狭き所にて3尺」、また「邦内郷村志」には「大難処不通 馬足、九曲折坂也」と書かれている険しい山道だ。
名の由来に、近くの沼に棲む大蛇が蓑に化けて旅人を害したという伝説が残る。
明治9年の天皇巡幸の際、天皇が乗った2頭立ての馬車がこの坂で立ち往生し、地元の若者10人が馬車を押し上げて助けたという。
蓑ケ坂を登り切ると、駕籠立場に至る。ここから美しい山並みや蛇行する馬淵川などが眺められ、その風景は旅人の疲れを癒したことだろう。松や桜などに囲まれた駕籠立場には、2度の巡幸を記念する「明治天皇駐蹕の地」碑や馬車を助けた若者たちを称える記念碑、吉田松陰の「東北遊日記」碑が建っている。(青森河川国道事務所HPより)

いよいよ岩手県から青森県に突入するのだと気構えて、落葉が積もる急な坂道を上って行く。
ここから「蓑ヶ坂」を越え、さらに三戸の先「長坂」「高山」を越え、五戸までの道は「奥州街道 蓑ヶ坂・長坂・高山越」として文化庁「歴史の道百選」に指定されているそうだ。その一歩を踏み出すのだと思うと気持ちが高ぶる。
坂道は急で、所々に紅葉も残り、息を切らして上って行く。途中「奥州街道」道標も設置されており、息を切らしながら上ると「駕籠立場まで500m」や「駕籠立場まで200m」の標識が立っているので、気を引き締めて紅葉の道や木漏れ日の道・切通しの坂道を上る。

蓑ケ坂

紅葉の道 標識

木漏れ日の道


やがて、「駕籠立場」に上る階段があり、それを上り切ると「景勝地駕籠立場」という標柱が立ち、上の高台に見晴台が整備されている。 見晴らし台の上からは、秋色に染まった山川の景観が望まれ、県境に来た実感が湧く。静かな自然を感じながら、しばし景観を楽しむ。

駕籠立場の見晴らし台

見晴らし台からの景観①

見晴らし台からの景観②


見晴らし台下の「駕籠立場」の広場には、「明治天皇駐蹕之碑」と「明治天皇陛下」行幸記念碑が立っている。この急坂を馬車を担いで上って来られたのだと思いながら碑を眺める。その横に、吉田松陰の「東北遊日記」の一節が刻まれた記念碑が立っている。こんな所に吉田松陰が訪れているとは知らなかった。
展望台になっているベンチに座って、おにぎり弁当の昼食とする。風が吹くと冷たい。(12:10-12:35)

明治天皇駐蹕之碑 記念碑

吉田松陰記念碑

昼食


森の中の気持ち良い下り坂を快調に下って行く。地道の下り坂は、緩やかなので膝の負担も少なく快調だ。
少し下った先、両側にこんもりとした塚があり、「駕籠立場の一里塚」の案内板が立っている。両側ともに残っているが、整備されていないので一里塚とは思えない。
その先の二股は直進し、「蓑ケ坂」の下り道を楽しみながら進むと「共和清運」の所で、国道4号線に合流する。これで、難所の一つ「蓑ケ坂」を越えて青森県に入ったことを確信する。 

蓑ケ坂の下り坂

駕籠立場の一里塚

杉木立の道


山道から国道歩きになる。交通量は少ないが、大型トラックの風圧に負けないよう進む。旧街道は、右に折れて行くので、注意しながら進むが、 結構距離があり不安になる頃、右に民家がある所から右折する。右折した所に「東北自然歩道」「3.1km関根の松 駕籠立場2.4km」と標識が 立っている。
まずは「板坂」の舗装された坂道を上って行き、突き当りを左折する。赤い実を付けたリンゴ畑が左右に広がり、気持ち良く歩を進める。 北国の旧街道を歩いている快適さだ。途中、道標もあり安心して真っ直ぐな旧街道を進む。

国道から右へ

真っ直ぐな旧街道 リンゴ畑

道標


緩やかに曲る「竹林坂」を下りると県道に突き当たる。三戸の街に近付いたのだ。昔、この角に「右ハかつの 左ハもり岡」と記された道標があったが、移設されたと。その角には「奥州・鹿角街道の分岐」の案内板が立っている。
県道を右折して「同心町」に入って行く。この辺りから「三戸宿」が始まっているようだ。右に「三戸大神宮表参道」を確認して歩を進める。 その先に「佐滝本店」の案内板があるので、覗いてみると立派な洋館が建っている。この地域では、珍しい建物だ。少し進むと右に三戸城の守り神「門住稲荷神社」が鎮座している。

奥州・鹿角街道の分岐・案内板

三戸宿の街並み 三戸大神宮表参道

門住稲荷神社 洋館


風が強くなり、冷たく感じるようになる。まずは「三戸城跡」に向かおうと道標に沿って進む。城跡は高台にあり、急な坂道を上って行くと紅葉が美しい。風が強くなり、上り難くなる位だ。上から下りて来られた方に、紅葉の状態を聞くと散ってしまっているとのことで、城跡まで 上ることを断念する。
それでは、先程の道標に示されていた「関根の松」に向かおうと城跡の小道を下って熊原川岸に降りる。

三戸城跡

三戸城跡の紅葉

熊原川岸への小道


熊原川に架かる黄金(きがね)橋は、きれいに朱塗りされ、擬宝珠が飾られている。

黄金橋の擬宝珠

川を渡り、川沿いに進むと見事な「関根の松」が植わっている。

関根の松

推定樹齢360年余。樹高約6m、目通り幹囲2.63mである。
南部藩御野馬別当一戸五右衛門の屋敷跡であるが、このマツは慶長年間(1596~)に岩手県一戸村から三戸へ引越してきた五右衛門の祖先、一戸兵部綱定という人が藩主から賜った盆栽松だったという。
樹高はわずか6mほどであるが、9本の枝が伸びており、長い枝は16mにもなり、その姿は地をはう竜のようだともいわれている。 (青森県観光協会HPより)

夕日に映える見事な松を眺めながら一息入れる。(14:40-14:50)
旧街道に戻り、北国の夕日が落ちてくのを感じながら進むと左に「法泉寺」が建っている。ここの山門は、旧三戸城の「搦め手門」を移築したものだと。その先左に「毘沙門堂」があるが、改装中のようだ。
少し先左に「えの坂の由来」と書かれた案内板が立っているが、坂があるようには思えない位だ。「熊野神社」が鎮座し、「龍川寺」が建つている。この山門は、旧三戸城の表門だったと。寺院や神社が続く旧街道の先にアップルドームが建っている。

法泉寺

龍川寺 熊野神社

アップルドーム


その先を右折して三戸駅に向かう。
今夜の宿は、三戸駅前の清水屋旅館なので、馬渕川を渡って進む。川を渡ると南部町になり、三戸駅は三戸町ではなく南部町に存在する変な住所になっている。

清水屋旅館

夕食

16時、三戸駅に立ち寄り、駅前の清水屋旅館に到着する。創業100年以上の老舗旅館の風貌が残る立派な旅館だ。
暖房の入った部屋に通され、着替えをして広い風呂で足腰を伸ばす。旅館はこれができるのが良い。
夕食は、部屋にお膳が運ばれ、テレビを観ながらの一人食事なのは寂しい。やはり、食堂でたくさんの方と話しながら食べる方が好きだ。ビールを頼み、持参している芋焼酎で、美味しくいただく。
明日は、今回のハイライトとなる街道歩きなので、宿の女将から貰った地図も参考に作戦を立て、疲れと青森県に突入した満足感でぐっすりと眠る。

鹿児島県から青森県までの紀行の線が続いた。後は、青森県を横断して津軽半島・竜飛岬に向かう計画の達成をするのみだ。 今回の紀行は、宿場間の距離が短いので、如何に進むかを検討した中で、上手くバスを乗り継いで、進むことにしているが、この時は、その計画の甘さには気付いていなかった。明日は、大変な紀行となったのだ。


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