○ 「奥州街道・松前道No10.」見聞録(七戸~青森)・(距離 80.5km/ 361.7km/829.9km) 1.「奥州街道・松前道」(七戸~千曳・18.0km) 2021.07.12. 10:00~15:20 曇り
前回(一昨年10月)の「奥州街道・松前道」紀行は、悲惨な歩行だった。腰痛の悪化で、予定の行程を踏破できず、未達のまま終わってしまった。 要因を分析するとやはり年齢による衰えが顕著で、計画に無理があったことが一番の原因だと。 雨の中の紀行で、尻餅を付き、起き上がれなかったことは、今までに経験したことがない屈辱で、気分的に落ち込んだ次第だ。 今後は、この轍をを踏まないよう計画・実践したいと決意したところだ。 喜寿を迎えた年に「旧街道・日本縦断」を達成させようと昨年春に計画をし、飛行機・宿泊所の予約をしていたが、 3月からコロナウイルスの蔓延が始まり、 紀行するムードも消え、緊急事態宣言発出と未曽有の事態となり、5月の紀行はキャンセルせざるを得なくなった。 その後もコロナ騒動は、アベノマスクに象徴されるような対応で、国民から見放される事態となり、秋にも計画しようと 考えたが、コロナ禍は衰退する傾向もなく、諦めざるを得ない状態で喜寿の年を越した次第だ。 今年になっても安定せず、GWにも緊急事態宣言が発出され、第四波として拡大し、大阪は医療崩壊が顕著になり、政府・自治体の 対応に、国民が疑問を持つ状態となったが、ワクチンの遅まきながらの接種に期待を寄せざるを得ない事態が続いている。ワクチン接種の 予約に翻弄されたが、どうにか二回目の接種ができ、夏前に実施しようと計画した。 しかし、オリンピックの実施or中止、無観客or有観客制限の論議もされないまま、実施方向で進んでいるのに危惧を感じる。 間近になり、無観客となったが・・・・ 二回のワクチン接種も終わり、緊急事態宣言からまん延防止措置になるタイミングで「奥州街道」紀行を実施しようと計画した。前回の紀行の 経験上、無理はできないので、行程を色々と検討した。 前回の終了地点が「七戸城址」なので、そこへのルートを検討した結果、飛行機ではスタート時間が遅くなるので、京都から夜行バスで 仙台に行き、新幹線で七戸十和田駅に向かうことにした。 本来なら「野辺地宿」まで行くのがベストだが、無理があるので、途中の青い森鉄道の千曳駅まで行き、野辺地まで列車で進むことにした。 京都発21時10分発の深夜バスに合わせて、17時過ぎに家を出て京都駅に向かう。コロナのまん延防止措置期間のため、飲酒は19時までと制限 されているので、開いている店もなく睡眠導入剤を仕込めない状態だ。 以前利用していた深夜バスより早い3列シートにした理由は、仙台からの新幹線に早く乗るためで、ガラガラの3列シートの座席で寛ぐ。 ここで大きなアクシデントが起こり、以降の紀行に大きな影響を及ぼすことになった。発車前に大きな着信音が鳴り、慌てて消音した所、 スマホがフリーズしてしまい、動かなくなったしまった。いろいろと操作するが、ギブアップの状態だ。 仕方がないので、そのままリクライニングを延ばして眠らざるを得ない。コロナの影響か、バスは5-6名しか乗っておらず、前後左右は空席と 広々とした空間だ。途中、御在所SAで下車した以外、運転手の交替で停車したようだが、一直線に仙台まで進み、定刻より少し早く7時20分に 仙台駅に到着する。
駅構内で、サンドウィッチとコーヒーを買い求め、8時5分発のはやぶさ1号で七戸十和田駅に向かう。 仙台から歩いた「奥州街道・松前道」の行程を想い出しながら車窓から景色を眺め、朝食をとる。 新幹線沿いに歩いた所もあったが、なかなか判別できず、新幹線の停車駅で食事したりした所はチェックできるが、木々の間の旧街道は 判別できないのは仕方がない。 七戸十和田駅着8時44分で、バスの時刻を確認するが、適当な時刻のバスはなく、タクシーを呼んで、前回の最終地点・七戸本町バス停に向かう。 曇り空で、大阪のような蒸し暑さがないのはありがたい。 10時、身支度を整え今回の紀行をスタートする。「七戸宿」を進み、七戸町郵便局のある交差点を右折して、少し先に岸「青岸寺」が建っている。 この山門は、旧七戸城の城門であり、山門をくぐると、立派な本殿の前に草むらに囲まれた追分石が立ち、「右ハもりおかミち 左ハ在郷ミち」と刻まれている。
旧街道は「青岸寺」を左折して続いているが、その先が分からない。「天王一里塚跡」を探索するため、地元の夫人に尋ねると歩いてこられた 男性の方が分かると云われ尋ねる。 シニアの男性は、複雑だから案内してあげると嬉しいお言葉。公民館横の広い道を 進むとここからが旧道だと右の狭い道に入って行き、少し広い道を左折して進むと先程の広い道に通じている。 広い道を進み、「花松神社参道」看板を過ぎると交差点があり、もう少し先の藪の中に立っていると教えられ、お礼を伊って別れする。 本当に感謝だ。 交差点を渡り、進むと「道の駅しちのへ」の標識の先左の茂みの中に、白い標識が立っている。近くまで寄れないが「天王一里塚跡」と 記されているので発見だ。教えていただかねば分からない史跡だった。
県道を少し進んだ左に「道の駅・しちのへ」が建っている。その前には、美術館があり、日本ダーヒーに優勝した地元の名馬二頭の銅像が 立っている。父母の名前と牧場も記され、見事な名馬だと。 道の駅の食堂で昼食とする。暑くて食欲はないが、冷やし蕎麦で英気を養う。(11:10-11:25) 道の駅の旧街道沿いの入り口に「奥州街道」の碑と「奥州街道図(七戸野辺地間)」の案内板が立ち、奥州街道は、鹿角産の御用銅や 福岡・三戸・五戸・七戸産の御用大豆を大坂へ送るため野辺地港まで運ぶ人牛馬の通行で賑わったと解説されている。また、 松前藩主、菅江真澄、高山彦九郎、吉田松陰らがこの辺りを通ったとも書かれている。 今朝、到着した七戸十和田田駅を左に見て、跨線橋を渡って野辺地に向かう。
跨線橋を越えると右に営農大学校があり、校門の横に先程と同じ「奥州街道」碑が立っている。ここから、見事な松並木が 約1.6kmに渡って続いている。見事な景観だ。右の大学沿いには桜並木が連なり、春には美しいと。 旧街道は、やがて、「中野追分」に至る。この中野三差路信号で、旧街道は右の下道(本道)と左の上道(近道)とに分かれ、 野辺地で再び合流する。 その追分の旧宮沢医院の前に、道標を兼ねた庚申碑が立っている。前は草に覆われているが「右ハ野辺地本道」「左ハ同近道」 と刻まれている。近くに旅人の目印になった「大イチョウ」あるので探すと上道側に立派なイチョウの幹を発見し、その高さに 驚く。元に戻って、遠くからその雄姿をパチリと。 この追分をどちらに進むかは、右の下道が参勤交代の道というので、下道を選ぶことに決めていた。
計画通り、下道を進む。すぐ先、左に七戸町中央公園があり、公園の中で、この時期の特有の「ワクチン接種会場」が 設置されている。どこの自治体も大変だ。十字路の先の「天間館」の標識のある二股を左に進む。 下り坂を少し行くと、両側が残る「天間館の一里塚」が迎えてくれる。左側のケヤキの大木は見事だ。案内板によると 日本橋から175番目に当たると。「天王一里塚跡」から4km歩いたのだ。 静かな街並みを楽しみながら、突き当りを右折して進み、広い道に当たり左折すると天間館橋で坪川を渡る。
坪川を渡ると工事区間になっており、少し迂回して本来の旧街道に向かう細い道を探し、大邸宅の白い壁に沿った道を進む。 舗装道路は、天寿園の辺りから地道となる。暑くなって長袖シャツを脱ぎ、Tシャッス姿になる。(12:55) この辺りから圃場整備で旧街道は途切れてしまうようで、事前に先達の紀行記で、旧街道を辿る行程を 検討していた。 目標の「蒼前平一里塚」は変電所付近にあるとのことだが、高圧線はまだ先だ。道なりに進み、舗装道路に出会うと次の十字路を右折する。 広い舗装道路に出会い右折すると変電所の鉄塔が少し近くなった。道の周りは広々とした農地で、青々した稲が揺れている。はるか向こうには 山並みも見え、広大な景観の中を進む。 右側に水路のある所を右折するので、その水路を探しながら進んでいると長いコンクリート製の水路を発見する。
水路のある道を右折し、直ぐ左折して地道に入る。この右に池があるはずだが、埋めたのか見当たらない。スマホがあれば、現在地を確認 できるのだが、分からないので、進むしかない。変電所を目標に、右に左に地道を進む。 細い舗装道路を進むと右に白い柵があり、その中にこんもりとした塚があるので、これは「蒼前平一里塚」だと思い、何処から入るのか 探しながら進むと右に「奥州街道」の碑が立ち「蒼前平一里塚」と記されている。草道の旧街道を進むと二基の塚が並び立ち、その間に 旧街道の草道が続く。当時の街道は、このような雰囲気だったのだろうと灌漑深く眺める。 案内板には、江戸から数えて176番目の一里塚だと。昔の雰囲気で残っているのは見事で嬉しい。周辺を観察し、横の東北電力・上北変電所が あり、道標役をしてくれたことに感謝する。 東屋もあり、本日の第一目的に到達したことに満足し、雰囲気を楽しむ。(14:05-14:10)
本来、野辺地まで進みたい所だが、体力面を考慮して、青い森鉄道の千曳(ちびき)駅に向かう予定になっているが、列車時刻が15時09分で 次は2時間後の17時05分だ。1時間で千曳駅まで行かねばならい。 しかし、ここからの旧街道は迂回せざるを得ない状態だと。取り合えず、 旧街道を進み、水路で行き止まりになっている所を左に迂回し、当たった広い道を右折し、また右折し、旧街道の延長線に戻る必要がある。 更に、青い森鉄道のトンネルをくぐり、線路沿いに千曳駅に向かうため、約5kmを1時間で行けるか疑問がある。 犬の散歩で通りかかった方に、迂回せず、真っ直ぐ行って千曳駅に行けるかと尋ねるともう少し先で聞けば・・とのこと。迂回せず、千曳駅に 反対側からトライすることにする。 道なりに左に進むと広い畑が広がってる。北側(右)に行く道があるか分からない。農作業をしている方を 見付け、尋ねると駅との間には深い藪があり通れないと。国道4号線に出る方が良いとのアドバイスがあった。スマホがないので、 現在地、4号線までの距離等分からないが進まざるを得ない。
時刻表を確認すると15:36'の野辺地方面行があるので、約10分待ち、このバスで野辺地に向かうことにする。ラッキーだ。 バス停で休んでいると荷物をたくさん積んだサイクリングの若者が来たので、頑張れと声援を送ると笑顔で会釈してくれた。 もう夏休みなのだろう。若者のトライに拍手だ。 少し遅れてバスが来て、誰も乗っていないバスに乗車し、上道の景色を眺めながら進むと、少し先の「日本の中央モニュメント」に サイクリングの若者が休憩している。この「日本の中央」碑は奇異に感じざるを得ないが、坂上田村麻呂が関連している等、 奥が深そうなので省略する。 バスは上道を進み、野辺地の駅前に到着し、名物の「常夜燈」が迎えてくれる。観光案内所でマップをもらい、 駅前にあった公衆電話で、無事、野辺地に到着したことを家に報告し、駅前近くの松山旅館にチェックインする。早速、 風呂に入り、足腰を延ばし、深夜バス・歩行の疲れを癒す。 旅館は、近くの作業現場の方が多く、賑わっている。18時30分からの夕食は、地元の刺身やホタテの肴が多く、ビールで乾杯し美味しくいただく。 地元の方との交流は、この時期なのでできなかったのは残念だ。
夕食後は、部屋でサッカーのテレビを観ながら眠ってしまった。スマホは使用できなかっが、帰宅して代理店に行くと万歩計は 記録していて、本日の歩行歩数は32400歩だった。 1年半振りの「奥州街道」紀行は、スマホの故障で散々な目にあった。スマホ活用は、今回が初めてであったが、文明の利器を得て、 やはり油断があったのだろう。地図作製も従来通りだが、詰めが甘く、最後はスマホの現在地・距離が確認できると考えていたのが 問題だった。 しかし、青森県の旧街道・史跡を十分感じることができ幸せだった。一里塚も、残っており、特に「蒼前平一里塚」とその間を通る 旧街道の草道は最高だった。 計画は従来より軽減したつもりで練ったが、スマホ便りの弊害で、予定通り達成できなかったところは残念だった。 このHPを作成している間にオリンピックが始まった。昨夜の開会式は、不祥事での辞任・解任で開催が心配されたが、大きな問題も なかったようだ。実施or中止、有観客or無観客と世論は割れていたが、政府は無観客実施に突き進んだ。アスリートのコロナ感染もあり、 バブル方式での安全神話も不安が多いのが現実だ。 しかし、オリンピックが始まったのだから、アスリートの活躍を応援したい。前回の東京大会は、大学生だった。あの感動はないが、 やるからには成功させたいものだ。頑張れ・日本!!
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