[青森~蓬田][蓬田~平舘][平舘~竜飛岬][竜飛岬~青森]


○ 「奥州街道・松前道No11.」見聞録(青森~竜飛岬)・(距離 78.0km(今回)/ 439.7km(累計)/907.9km(江戸から累計))

  1.「奥州街道・松前道」(青森~蓬田・19.1km) 2022.05.23. 10:20~15:50 晴れ


仙台道マップ
(揺次郎のウォーキング・ライフ
HPより借用)
松前道(仙台~三厩)宿場一覧
クリックすると拡大します。

前回(昨年7月)「奥州街道・松前道」紀行を実施し、その年の間に最終行程の竜飛岬までの「旧街道・日本縦断」を達成しようと意気込んだが、コロナ禍の 再拡大等の要因で、実施できなかった。
今年の春に実施しようと計画を練っている所に、「日光街道」紀行のスタートを日本橋から一緒にした大学時代の友人TJ君・TB君から最終ゴール竜飛岬で 「旧街道・日本縦断」達成の乾杯をしようとの嬉しい要請があり、二つ返事でOKをした次第だ。三人の日程を調整した結果、全員三回目のワクチン接種も終わり、 コロナも落ち着いているだろうと予測して5月の後半に実施することになり、細部の計画を練った。
最終的に竜飛岬のホテルで合流し、竜飛岬を眺めて、ひと風呂浴びて乾杯することとした。TB君は「奥州街道」を歩いているので、竜飛岬まで彼のペースで進み、 TJ君はホテルで合流することになり、翌日はTJ君は五能線に乗り、不老不死温泉に向かい、TB君は酸ケ湯温泉に向かうので、ホテルでの宿泊だけだが、 スタート・ゴールを共にできることは素晴らしいことだと。
5/23、5時過ぎに家を出て、安満遺跡公園を横断し阪急高槻市駅に急ぐ。天気は良さそうなので安心し、モノレールで伊丹空港へ向かい、チェックインを 終え新しくなった空港内を探索しながら搭乗口へ。まだ時間が早いので、観光客も少なく、コロナ禍の影響があるのかと。

JAL2151便

田植えが終わっている

7時45分発のJAL2151便は、バスに乗ってタラップから搭乗するため、近くからパチリと。 搭乗するとE190機種の3-3列で、ほぼ満員の状態だ。離陸したのは知っているが、直ぐ眠ってしまい、飲物サービスも知らない位だ。
雲海の上を飛んでいるのをウトウトしながら過ごし、定刻より10分余り遅れて青森空港に着陸する。
急いでシャトルバス乗場に向かうが、飛行機の遅れに合わせ出発時刻も遅らせているようで、問題なかった。
青森駅に向かう車窓からは、早くも田植えが終わっている景色を見て、北国に来たことを確認する。気温は16℃とヒンヤリしている。
青森駅は改装中で、東口から連絡通路で西口に進む。通路からは、青函連絡船が通っていた時代の線路が海に延びているのを確認し、時代の変化を 感じざるを得ない。西口は東口に比べ、裏口となるので開発途上だ。
旧街道は消滅しているが、できるだけ近い道を進むと右に「青森市森林博物館」が建っているが、見学はせず進む。

連絡路からの展望

青森駅西口

青森市森林博物館


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

「森林博物館」の先、沖館川を渡って進むとT字路があり、国道280号がスタートする。この国道280号がほぼ今回の「奥州街道・松前道」の道筋で 地元では「松前街道」と呼ばれている。
左折して、国道280号起点から北に向かう。道横には「地蔵尊」と「百萬遍供養塔」が祀られており、この「松前街道」では、これからも各地区毎に 祀られているのは不思議な程だ。
新城川を渡ると湊町として栄えた「油川宿」となる。少し先右「イタリア館」が建っている。大正年代に建てられたと。(写真撮影失敗) その先にも「地蔵尊」と「百萬遍供養塔」が祀られ、左に「明誓寺」が建ち、その少し先に「神明宮」が鎮座する。

地蔵尊と百萬遍供養塔

明誓寺

神明宮


真っ直ぐな国道280号を進むと左に「浄満寺」が建っているが、先を急ぐのでパスして進むと右の青森銀行の横の壁に「青森発祥の地 油川」と 記された看板が掛かってる。昔はこの港町・油川が青森の中心だったのであろうかと。
その先の天田内川を渡ると左の堤に「菊谷栄文学碑」が立っている。案内板によれば、菊谷栄氏は油川に生まれ、エノケンこと榎本健一の 劇作家などで活躍したそうだで、先程の「明誓寺」に祀られていると。
この辺りの家の庭には、関西では散ってしまった「ツツジ」が満開に咲き誇っている。さすが北国だと。

浄満寺

青森発祥の地 油川

菊谷栄文学碑 ツツジ


その先油川仲町の右に長い黒塀が続く「西田酒造店」の雰囲気のある建物が建っている。積雪時にも歩けるよう長い庇が設けられ、 江戸時代から麹屋として栄えたようだ。今では青森の地酒で有名な「田酒」の醸造所なのだ。今回の仲間との打ち上げにこの「田酒」を 持って行こうと求めると醸造だけで販売はしていないと冷たい返事。交渉したがダメで販売店を教えて貰うが、確約はできないと。 この「田酒」購入道中が今回の紀行のアクセントとなった。
その「西田酒造店」の角が「羽州街道」との追分で、前には「羽州街道松前街道合流之碑」と案内板が立っている。「羽州街道」は、 以前「仙台道」の「桑折宿」で分かれ、山形県・秋田県を経てここで「松前街道」に合流したのだ。

西田酒造店 長い庇

羽州街道松前街道合流之碑

桑折宿の追分(左が羽州街道)


右に曲がると陸奥湾と油川漁港がある。潮風が感じられる。少し先左に、JR油川駅の矢印がある。「松前街道」はJR津軽線と並行しているので、何時でも エスケープできるのは嬉しい。今日は、後潟(うしろがた)駅まで進む予定だ。
右の建物の壁に「おいでよ あぶらかわ会」と表示され、横には「ねぶた発祥の地」と記されている。やはり、油川は青森の中心地だったのだろうと想像 しながら進むと「粟嶋神社」が鎮座している。
「西田酒造店」で「田酒」がなかったので、街道筋の酒屋を見付ける度に尋ねるが、何処にもない。銘酒として有名なので売り切れのようだ。 海岸に出てみると薄い霧の中に青森港と下北半島が望まれ、街道に戻ると近くの民家のフジの花が満開に咲き誇っている。

ねぶた発祥の地の看板

粟嶋神社

陸奥湾と下北半島 フジの花


少し進んだ先左に「八幡宮」が鎮座し、社殿の前には「馬の像」が狛犬のように祀られている。津軽地方では、南部馬に由来するのか、馬が祀られている ことが多い。
少し進むと海岸に「青森海岸」の標識が立っているので、海岸に進むと防波堤が段々になっており、海水浴もできるようだ。潮風が汗ばんだ身体に気持ち良い 冷たさを感じさせる。
先程から昼食処を探しているが見つからず、困っていた。 街道に戻り進んでいると食料品と酒を売る店があったので、「田酒」があるかと尋ねるとやはりないと。この辺りでは売っていないだろうと。パンを売っていた ので、買い求める。やはり、青森駅で弁当を買っておくべきだと後悔する次第だ。
国道を進んでいると左に「羽黒神社」の大きな石碑が立っており、はるか向こうに鳥居が見えるがパスし、海岸に出て、岸壁に座ってパンを食べる。 潮風が気持ち良く、陸奥湾を眺めながらの昼食はgoodだ。(13:00-13:15)

八幡宮と馬の像

青森海岸 防波堤

羽黒神社 昼食


国道280号線の「松前街道」は真っ直ぐに北に向かっている単調な道中だ。その街道沿いに、所々残っている松並木がアクセントとして疲れを癒してくれる。 JR津軽宮田駅を過ぎるとその先左に「清岸寺」が建っている。案内板によると、青森市指定文化財木彫阿弥陀如来座像が祀られているそうだ。 境内には、五代綱吉、八代吉宗両将軍の墓前にあった石灯籠が立っている。
やがて、奥内駅を過ぎ、単調な史跡も少ない旧街道を進む。「天満宮」の大きな社漂を観て、内真部(うちまんぺ)川を渡る時に海側を観ると下北半島も 間近に感じられる。内真部皮を渡ると「大山祇神社」と記された大きな岩の標識が立っているが、鉄道の向こう側のようなのでパスする。
酒屋は所々にあるが「田酒」は売っていないかあっても一升瓶なので、とてもリュックに入らないので諦める。 単調な歩行で疲れが倍増する。

名残の松林

清岸寺

内真部川からの眺め


JR左堰駅を過ぎ、そろそろ今夜の宿泊所である蟹田に向かう列車のことを考えねばならない。

昇龍の松

後潟駅発の蟹田行の時刻は、15時51分発の次は17時3分まで1時間以上待たねばならない。この時間から進めば、後潟・中沢を越え、蓬田(よもぎた)駅まで進進める だろうと考え、実施することを決意する。。少し、急がねばならない。
六枚橋を渡ってすぐ右に「昇龍の松」が植わっている。
案内板によると松前侯が参勤交代の折、宿泊所になったこの地の赤平家に贈った盆栽の黒松を大地に 植え替えたものが大きくなったものとか
推定樹齢500年・幹周3.15m・樹高4.4mkの見事な松だ。
少し松場が少ないのが気になったが、堂々とした松の姿に見惚れる。ここで一息入れる。(14:35-14:40)
蓬田駅発15時57分の列車に間に合わそうと足早に進む。後潟駅を過ぎ、「熊野神社」「後潟神社」の石碑を観て進むと「地蔵尊」と「百萬遍供養塔」が祀られている。 どの地蔵尊も赤や青の着物を着せられているのはこの地方の特徴のようだ。
国道は青森市から蓬田村に入って行く。村の入口にも「地蔵尊」と「百萬遍供養塔」が祀られている。今までいくつあったのだろうかと。
蓬田村の「松前街道」を進むと「傘松御苑」と記された大きな石碑がある。傘松と云われる松が植わっているようだが、時間の関係でパスして進むと左に JR蓬田駅の標識があるので、駅に急ぐ。発車の5分前に到着したので、無人駅のホームで列車を待つ。

熊野神社 後潟神社

傘松御苑

JR蓬田駅


15時57分発のワンマンカーで蟹田に向かう。1両編成の車内はがら空き状態で、疲れた体を座席に座り、のんびりと。
蟹田駅に着き、ホームの案内板に「北緯41度 ニューヨーク・ローマと結ぶ町」と記している。思わぬ所で、世界地図との関連を知ることができた。 駅舎の写真は逆光で分からない。駅前広場には、外ヶ浜町の案内図と石碑があるが読むことができない。横には「ウェル蟹」の名の土産物店があり、 その先の案内板の横に「蟹田町奉行所跡」の標識が立っている。「蟹田宿」の中心地なのだろう。

蟹田駅の案内板 ウェル蟹

外ヶ浜町の案内図と石碑

蟹田町奉行所跡


「蟹田宿」の街並みを感じながら、今夜の宿泊所「中村旅館」に向かう。

中村旅館

夕食

16時30分、「中村旅館」に到着する。
部屋に通され、直ぐ風呂に入る。広い湯船に足腰を延ばし、早朝からの紀行の疲れを癒す。やはり大きな湯船での入浴が疲れを癒すのだ。
蟹田には、中学からの友人M君が仙台に下宿している所に行き、二人で東北一周の旅に出て、この蟹田に泊った。駅前からの突き当りと思ったが、 旅館はなく、女将さんに尋ねると昔はあったと。
その後、彼とは竜飛岬に行ったので、今回は二度目の訪問となるのだ。
ビールで乾杯し、美味しい料理をいただく。海の幸・山の幸と地元の食材を満喫する。日本酒も頼み、第一日目の紀行を振り返る。
コロナ禍でブランクがあり、長距離の歩行が心配だったので、事前に「京都散策」で20km歩いていた。この効果か大きな身体のトラブルが なかったのは幸いだった。しかし、道中の単調さに少し疲れたが、無事「旧街道・日本縦断」の最終行程をスタートでき、大満足だ。 本日の朝からの歩行歩数は、18900歩だった。


[青森~蓬田][蓬田~平舘][平舘~竜飛岬][竜飛岬~青森]


 





    
広告 無料レンタルサーバー ブログ blog