○ 「ミーソン・ホイアン」(2014.12.06.<土>) 何時ものように、ぐっすりと眠り5時過ぎに目覚める。昨夜は暗くて分からなかったが、カーテンを開けると前には川が静かに流れているのが 薄明かりの中に確認できる。 雨も降っていず、静かな川の流れを眺め、今日も天気だと安心し、ホテルの庭園を散策する。木々が茂り、池には睡蓮の花が咲いている。 別の棟には、トレーニング室も設置されている。 管理棟の方に向かうとプールもあり、なかなかリゾート気分満喫のホテルだ。ホテルの入口もすっきりとしたホイアンリバーサイドリゾートと記され、落ち着いた 気持ちの良いホテルだと満足する。 まだ、食事時間ではないが、レストランに向かうと川縁に沿ったテラスで、川面には漁をする小舟が浮かび、牧歌的な光景だ。 早目に行き、良い席を確保しようと部屋に戻る。 7時からの朝食開始に合わせて、レストランに向かい、テラスの見晴らしの良い席を確保する。 宿泊客が少ないので、メインはバイキングではなく、コース料理になっている。洋食コースを頼み、川面の景観を楽しみながら、ゆったりとした朝食タイムを 満喫する。 ホーやコーヒーは自由に食べられ、果物も豊富だ。ジュースは新鮮でお代わりとリゾート気分を味わいながら、美味しくいただく。 川沿いの椰子の木には、大きな実も稔り、南国の風情いっぱいだ。 朝食を終え部屋に戻る。連泊なので、荷物の整理も必要ないため集合までの間に庭園を散策する。部屋の横には、テラスがあり、川辺を望まれ、 のんびりとした時間が過ごせる。広い庭園には、南国の花が咲き、石仏等も飾られている。 川の対岸には、薄く煙った先に藁葺き屋根の建物も立っており、ベトナムの田舎の風情が漂っている。のんびりできるリゾートホテル なのだ。 8時45分、全員集合し、世界遺産「ミーソン遺跡」見学に向かう。 小1時間、田園風景を眺めながら、山の方向に向かう途中に、牛の放牧を見たり、水田を耕す水牛を見たりと農業国ベトナムの雰囲気を楽しむ。 「ミーソン遺跡」の入口には、大きな案内板があり、「My Son」と書かれている。英語の息子の意味で覚え易いのは有難い。 緩やかな林の中の石畳の道を上って行くと前方には霧に覆われた山並みも望まれ、自然の中の遺跡だと分かる。 石畳の道を上ると建物が建ち、そこで「民族舞踊」が行われるとのことで見学する。 当時のチャム族の舞踊で、当時の楽器の演奏に合わせ、美女たちが踊り、歌ってくれる。観光客は日本人も多く、もちろん西欧人も半数ほど 楽しんでいる。 再び、林の中の地道を上って行くと小雨が降り出した。傘を差すほどでもないので、ゆっくりと上って行くと目の前に「ミーソン遺跡」の石造りと レンガ造りの大きな建造物が現れて来る。 チャンバ王国はインド系文化のため、ヒンドウー教を崇拝していました。ガネーシャ像など当時の宗教を思わせる彫刻が随所に彫られて いるのをうかがうことができます。 ミーソン遺跡は長く続いたベトナム戦争の傷跡が大きく、貴重な祠堂も多くが破壊されてしまいましたが、1999年にその希少価値が 認められ世界遺産に登録されました。 現在ではいくつかの祠堂と周辺の遺跡を見物することができ、祠堂の中では発掘された石像が展示されています。 (ベトナム観光ガイドHPより) 若い現地ガイドの説明を聞きながら見学する。 西欧人の団体も多く、遺跡の前は混雑気味で、停滞するほどだ。 初めの建造物は、レンガ造りの主祠堂で堂々とそびえている。遠くからは石造りと思えたが、間近に進むとレンガが積まれて築かれている。上部は 草に覆われ、歴史を感じる遺跡だ。 広い「ミーソン遺跡」の遺跡を見学して行く。ヒンドゥー教の像も残っており、仏教と違った趣があり、異文化の香りを味わう。残念なのは、タイでも 観られた仏像の頭部が削られている像がたくさんあることだ。 順次、遺跡の建造物、仏像、発掘物を見学し、自由時間となり、もう一度、自然豊かな場所に建つ「ミーソン遺跡」をじっくりと味わい、集合場所に 戻り、遺跡を後にする。(12:05) ◎「ミーソン・ホイアン観光①」の「紀行スライドショー」 バスでホイアンに戻る。 昼食後、ホイアン観光に向かうが、レストランの前に、観光用のシクロ(人力車)が待機している。今回のツァーのポイントのひとつとして、このシクロに乗ってのホイアン 市内観光が含まれている。20数台のシクロに一人づつ乗り、縦列状態で街の中を巡る。 黄色く塗られた街並み、川沿い、西欧人がお茶をするカフェ等々、30分余り楽しむ。縦列なので、正面の写真は撮り難いが、長い列なので、街の 方から手を振られたりと楽しい時間を過ごす。(14:30) 楽しいシクロでの市内観光を終え、現地ガイドの案内で、世界遺産ホイアンの主要なポイントを見物する。 ホイアンの街は急速に衰退し、一時人々の間から忘れ去られたような格好となりましたが、ベトナム近隣の大都市が近代化の影響を 受けることで、逆にホイアンの昔の面影をそのまま留めた街並みが貴重な遺産と認められ、1999年ベトナム国内で 二番目の文化遺産として登録されました。時代と共に様々な文化の影響を色濃く受けたホイアンの景観を見に、世界各国から多数の 旅行者が訪れています。 (ベトナムガイドHPより) 土曜日なので観光客も多く、歩行者専用となった街並みを楽しみながら、1757年に建てられた福建系華僑の集会場「福建会館」に向かう。 中国風の立派な門をくぐると石の狛犬(狛竜?)が迎えてくれ、建物の中には仏像が祀られている。中国仏教様式の華やかな本殿内を見学し、仏像に 礼拝する。 街並みを楽しみながら、中国人の旧家を使った「海のシルクロード博物館」に向かう。昔の海のシルクロードの中継港として栄えたホイアンの歴史遺産を展示している。 2階建ての建物には、当時の帆船の模型や道具・地図も展示され、日本との交流も示されている。 「海のシルクロード博物館」を終え、洪水で浸かっても色が分からないためと云う黄色い壁の街並みを進むと中国風の「廣擎会館」が建っている。 中国の各地区の集会所が設けられているのだ。 昨日「灯篭流し」を行った川沿いに進み、手漕ぎ観光舟に乗る西欧人の観光客を見ながら「日本橋」の名称で知られる「来遠橋」に向かう。 1593年に1000人ほど住んでいた日本人が建てたことから日本橋とも呼ばれるホイアン名物の橋だ。 観光客で一杯の橋を渡る。屋根付の橋も珍しいが、真ん中にはお寺もあり珍しい。人並みに押されるように渡ってしまう。当時は、 日本人もたくさん住んでいたそうだが、鎖国のため、日本人は帰国し、この橋だけが残ったようで、その名残から日本橋と呼ばれると。 また、後日聞いて驚いたのは、ベトナム紙幣の20000VNDの裏側の絵が「日本橋」だと。聞いた時、ヨレヨレの札しかなかったが、記念として保存した。 次に、約200年前に貿易商人の家として建てられたベトナム・中国・日本の建築様式が混然とした木造家屋の「フンフンの家」を訪れる。2階建ての 天井は日本風と思われ、当時の国際都市ホイアンの歴史を感じる。2階の窓からは下の街並みも眺められ、手すりに腰をかけて、何となく懐かしい 感じのする光景を楽しむ。東洋は日本と同じ息吹があると。 16時50分「日本橋」の橋詰集合で、小一時間の自由時間となる。 記念の品を買い求めようと絵を売っている店をのぞき、ベトナムの風情を表しているイラスト画を数点買い求める。家の壁に貼ったイラスト画を記録として パチリと。 落ち着いて静かなホイアンの街並みを散策する。京都のような古都の雰囲気があり、気分も穏やかになる。我々が乗ったシクロも適当に観光客を 乗せて走っている。少し静かな横道の黄色い街並みは落ち着いていて、何故かバイクではなく、自転車が多い。 川沿いの道に出ると漁船や観光船が停泊しており、かっての港町の風情も残っている。鎖国までは日本人もたくさん住んでいたのだと思い ながら、集合場所に戻る。(16:45) 集合場所の「日本橋」の近くで、結婚式の花婿・花嫁が記念撮影をしている。ベトナムでもこのような形式が多いのだろうか。きれいな花嫁に カメラを向ける観光客も多く、一緒にパチリと。 川沿いのカフェで一休みとなり、旅行社から飲み物のサービスがあるので、地ビールとコーヒーで一息入れる。テラスに座っていると、果物を売る女性が 物売りに来るのはベトナムだと。日が暮れて来ると、ランタンに灯が灯り、昨夜の風情と同じ光景となって来るが、夕食時間となり、レストランに急ぐ。 今回の旅行のレストランは何処もお洒落で、ゆったりしている。 地ビールで乾杯し、名物のホイアン料理を味わって行く。次々と運ばれてくるので、名前は覚えられないが、どれも美味しく仲間の方とホイアンの感想を 話しながら楽しくいただく。 各地で少しづつ味付けが違うが、いずれも日本人の舌に合っているのは共通だ。ベトナム料理は満足だ。(19:00) 夕食に満足し、ホテルに戻る。連泊なので、直ぐ中庭を歩いてにコテージの部屋に行き、バスにお湯を満たしてくつろぎ、今日の行程に満足し、 ぐっすりと眠ってしまう。 ◎「ミーソン・ホイアン観光②」の「紀行スライドショー」 今日は、ミーソン見物の時少し雨が降ったが、傘を差すほどでもなく遺跡を見学でき、ホイアンでも天気にも恵まれラッキーだった。中部ベトナムの遺跡や 街並みを楽しみ、リゾートホテルを堪能できたのは満足だ。、
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