「青春18切符」...「餘部鉄橋散策」


○ 2006.08.07.(高槻→姫路→和田山→城崎温泉→餘部→豊岡 →福知山→京都→高槻)

先日の中国・四国散策から帰ってからは猛暑が続く。長梅雨の後の猛暑で暑さに対する体の調整が 遅れている。8/5は隣の枚方市が38.2℃で日本一の暑い都市となったらしい。

この暑さを逃れるため、昨年は「名古屋・イタリア村」、一昨年は「醒ヶ井・梅花藻」の見物を兼ね 涼しいJRで「青春18きっぷ」を活用して納涼旅行に行った。
今年も何処かへ。妻と話し合って改修されると云う「餘部鉄橋」見物に行くこととした。鉄橋の上は 何度か通ったが、下車したことがないので、改修前の鉄橋を間近で見ておこうと。

○、高槻(6:50)→大阪(7:07・7:18)→姫路(8:21・8:44)→寺前(9:27・9:29)→和田山(10:14・ 10:41)→城崎温泉(11:28・11:58)→餘部(12:48・14:24)→香住(14:38・14:41)→豊岡(15:26・16:08) →福知山(17:35・17:48)→園部(18:56・18:57)→京都(20:01・20:25)→高槻(20:45)

どのルートで行くか検討した結果、姫路の「駅そば」を食べたいとの要望に沿って播但線周りで行くこと にする。
軽く朝食を食べた後、6時15分出発する。駅まで歩く間に汗びっしょりに。まだ時間が早いので、 姫路行の新快速はなく大阪まで快速で行き、大阪から新快速で姫路に進む。ラッシュにはまだ少し早いので 座って行ける。
姫路で降りてすぐに「駅そば屋」に直行し、天婦羅ときつねを注文。珍しい味に妻も納得する。

8時44分発の寺前行は2両編成の長椅子タイプのワンマンカーだ。稲の緑が10日前より濃くなった感じがする。 一部は早くも稲穂が付き始めている。
寺前から1両のワンマンカーになり、播但ルートを北上し和田山に到着。(10:14)
接続町の間に、和田山の「牛弁当」は有名なので、陶器の器に入った「釜飯」と1つづつ購入しておく。 これで昼食はOKだ。餘部駅近辺に昼食を食べる所が無さそうなので。

10時41分和田山発の列車は京都周りで来ても同じ列車で、播但線周りの方が少し早いようだ。列車は 満員だったがどうにか座れ、城崎温泉駅へ。(11:28)
接続待ちの間に駅前の「足湯」で一息入れる。やはり城崎温泉は観光地で人は多い。

寺前〜和田山の列車

城崎温泉駅

城崎温泉駅の足湯


「足湯」で少しノンビリし、列車に急ぐと入線していて海側の席は詰まっているので、山側のボックス席 に座り発車を待つ。(11:58)
ツァーのバッチを付けた団体客や鉄道マニアの子供達や小グループがたくさん乗っている。列車は進み 緑が豊かな路線から時々静かな日本海が望めるようになる。沖は霞んで水平線ははっきりしないが、 穏やかな海だ。トンネルを抜けたり、海を眺めたりと進む。香住を過ぎてそろそろ「餘部鉄橋」に近付いた ので窓を開けて下をのぞく。小さく下の家が見える。あっと云う間に鉄橋を渡り餘部駅に到着する。 (12:48)
鉄橋を渡った所に駅があり、振り返れば今渡って来た鉄橋が望める。この駅建設を要望し協力した地元 の方が石を運ぶ壁画に当時の切迫した住民の願いが描かれている。

浜坂行列車

餘部駅名

餘部鉄橋 ..壁画→ ..説明→


ツァー客がホームを離れるまで少し時間がかかる。ホームの横に「鉄橋撮影ポイント登り口」の標識があるので 坂を登るとたくさんのカメラマンが鉄橋に向かってカメラの放列だ。凄い。
本数の少ない列車を狙ってシャッターチャンスを狙っているのだ。先日の「SLやまぐち号」にもカメラマンがたくさん 集まっていたのを思い出す。横には通過列車の時刻表の看板も立ち、駅の案内放送で全員一点に集中 するのだ。

ここからは「餘部鉄橋」の全景が望める。明治45年に開通した高さ41.45m・長さ310mの見事な鉄橋だ。
我々もスペースのある場所を確保し、列車の通過を待つ。やがて、ホームの案内が聞こえ鉄橋の向こうの トンネルから「特急はまかぜ」が姿を現す。周りからシャッターの音がカシャカシャと聞こえる。小生も下手なりに パチリと。
一段落した所で周囲にはたくさんのカメラマンが居られるが、弁当をひろげビールで乾杯する。「牛弁当」は 佃煮状になっており美味い。「釜飯」にも牛肉が入っており、但馬牛の産地の名物弁当だ。

次の列車が来るようで、再び身構える。この時期の臨時列車である「あまるべロマン号」が展望車を 付けてやって来る。少し待つと次は普通列車と。

餘部鉄橋を渡るあまるべロマン号


鉄橋撮影ポイント登り口の標識

餘部鉄橋全景 ..説明→

多数のカメラマン ..時刻表→



****「餘部鉄橋・写真集-1」****


カメラスポットを離れて橋の下に降りることにする。41mのダラダラ坂を下って行く。木陰のそよ風が気持良く、 微かに潮の香りがする。
鉄橋の下から見上げると明治時代に立派な鉄塔を組み立てたと驚く。陽射しが厳しく汗が流れるが、 木陰に入ると涼しい。
海岸に出る。波もなく穏やかな日本海だ。丁度、次の列車が鉄橋の上を走っている。逆光で列車の 影しか見えないが高い所を走っているのが良く分かる。

1986年(昭和61年)、強風で鉄橋の上から列車が7両転落し、下の作業場で働いて居られた方と車掌の 6名が亡くなられた。当時は大事故として報じられ驚いたものだ。
橋の下に「慰霊碑」が祀られている。現在は風速20mになると運行中止となるのもこの事故の教訓から と。次の改修では30mまで可能になるとか。

下から見た餘部鉄橋

餘部鉄橋上の列車

慰霊碑


帰りの列車の時間に合わせて坂を登り始める。登るに連れ涼風が気持良い。ホームには写真を写す人、 列車を待つ人で賑わっている。
14時24分発「あまるべロマン号」が到着する。先頭車両はパノラマカーになっていて既に満席だ。通路から 鉄橋を渡る所を写す。座席に戻り、徐行して進む列車の下を写す。サービス満点の運行だ。

あまるべロマン号

運転席と餘部鉄橋

車窓から下を見る



****「餘部鉄橋・写真集-2」****


短時間であったが、改修される前の「餘部鉄橋」を上から下からと堪能した。知らない歴史を知り、 悲しい出来事を思い出した。
日本海の荒波・強風をまともに受ける「餘部鉄橋」の雄大な姿を後に香住に向かう。「あまるべロマン号」は 浜坂・香住間で運行されているので、豊岡行に乗り換える。
豊岡行はガラガラでボックス席を占領し、ウトウトしながら進む。豊岡に着いたの知らず、車掌に起こされびっくり。 30分ほど待ち時間があるので、駅前のスーパーに行く。外は灼熱地獄だ。天気予報で豊岡の暑さ・寒さに ついて報道されている。確かに暑い所だ。
スーパーで冷菓を買い、涼しいベンチで一服する。

16時08分発の列車も空席が多く、ゆっくりと福知山に。(17:35)
福知山からの列車は段々と混み出し、少しづつ暮れ行く青空と緑の山々を見ながら進む。
園部でもう一度乗り換える。ここからの列車は浴衣姿の女性が多数乗って来る。浴衣姿が多く華やかだ。 亀岡で花火大会があるようで、たくさんの人が降りる。もう少し遅くなれば花火が見られたのだ。

京都着20時01分、駅ビルを散策し、大階段の頂上まで行く。夕涼みをする人や外人がたくさん居る。
快速で高槻に戻り、新しく出来た居酒屋で乾杯する。妻は列車の乗り詰めで少しくたびれたようだが、 「餘部鉄橋」を眺められ満足したようだ。
今年の納涼紀行は充実したものだった。





    
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