「青春18切符」...「鞆の浦・散策」




○ 2012.08.29. (福山→岡山→姫路→高槻)

今回の旅は、前日「山陽道No10」紀行で福山まで来て、次の行程に進む 予定であったが、前日の打ち上げで一杯飲みながら、福山まで来たのだから、「鞆の浦」は見たいなぁと話し、「山陽道」紀行を中断し、 予定を変更した次第だ。
5時半頃目覚めて、「福山城」まで散歩しようかと窓の外を見ると、傘を差している人がいるので、諦めてもう一眠りする。7時30分に 朝食しようと約束していたので、少し前にロビーに行くと、O君が散歩から帰って来た。6時半頃から歩いたそうだ。

福山城

N君も降りて来て、朝食のバイキングをしっかりと食べる。チェックアウトした後、近くの「福山城」見学に向かう。新幹線で通る度に、駅前に 立派な城が建っているので、何時の日か訪れたいと思っていた所だ。
福山城は、徳川幕府から西国鎮護の拠点として、譜代大名の水野勝成が1619年(元和5年)に備後10万石の領主として、入府し築いた城です。
伏見櫓は、築城の際に、京都伏見城の「松の丸東やぐら」であった遺構を徳川秀忠が移建させたものです。白壁三層の豪華な姿に桃山時代の 気風が伺えます。
歴代の藩主は、水野氏5代、松平氏1代、阿部氏10代と続き廃藩置県に至るまで福山城が藩治の中心になっていました。
1873年(明治6年)に廃城となり、多くの城の建物が取り壊され、1945年(昭和20年)8月の空襲により、天守閣と御湯殿は焼失 しましたが、1966年(昭和41年)の秋に市制50周年事業として天守閣と御湯殿、月見櫓が復原されました。(福山城博物館HPより)

階段を上り、城門から入城する。まだ時間が早いので、ほとんど人はいない。時々、散歩をしている人と出会う程度だ。城内の広場から 天守閣を仰ぎ見る。なかなか立派なお城だと改めて感じ入る。
また天守閣に登れる時間ではないので、外観を眺め、広場を散策する。伏見城から移設した御湯殿や鐘櫓を見学し、駅に向かう。

城門

御湯殿

鐘櫓


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

福山駅前には昨日、井原の「田中美術館」で観賞した「五浦釣人像」が堂々と飾られている。平櫛田中は有名な彫刻家なのだ と改めて認識する。

五浦釣人像

魚介類を売る店

バスターミナルから鞆の浦行のバスに乗車する。最後部席を占領し、福山市街地を眺め、川沿いの道を瀬戸内海方向に 進む。静かで素敵な街だ。
交通渋滞のため、鞆の浦の湾内に橋を架けるか問題になっていたが、港までの道中は渋滞もなく、スムースに進む。バイパスも整備されて いるが、バスは旧道を進むのは街道歩きでは、見慣れた光景だ。
約30分程で、鞆の浦に到着する。潮の香りが満ち溢れ、潮風が気持ち良い。平日の朝早い時間なので、観光客も少なく、海岸通りには 地元のお婆さんが魚介類を売るテント張りの店が立ち並ぶ。蛸の干物を干している風景を期待したが、無かったのは寂しい。
海岸線を進み、「対潮楼・福禅寺」への坂道を上って行く。

対潮楼・大広間からの景観

福禅寺は平安時代の950年頃の創建と伝えられています。本尊は千手観音。現在の本堂や隣接する客殿は江戸時代のに建立された もので客殿「対潮楼」は朝鮮通信使のための迎賓館として使用されました。
「対潮楼」の座敷からは鞆の浦の海と島が一望できて、その景観は素晴らしく朝鮮通信使の李邦彦が「日東第一景勝(朝鮮より東で 一番美しい景勝地という意)」と賞賛したそうです。
あの「いろは丸事件」の際には、海援隊と紀州藩の交渉の場ともなっています。
「いろは丸事件」
慶応3年(1867年)、坂本龍馬が率いる海援隊の武器などを積載した雇船「いろは丸」と紀州和歌山藩の軍艦・明光丸が現在の広島県 福山市鞆の浦沖の六島付近で衝突した事件。我が国最初の「蒸気船どうしの衝突事故」でありました。 (ボンネットバスが走る鞆の浦の魅力HPより)

福禅寺の拝観料(200円)を支払って入場する。団体客が入っておられ、海の見える大広間は満杯だ。順番を待って、座敷に座り、広い 窓からの景観を楽しむ。朝鮮通信使が「日東第一景勝」と賞賛した景観をゆっくりと眺める。静かで落ち着いた風景は年代を越えて 残っているのは嬉しい。
「対潮楼」の大広間には珍しい写真が掲げられている。幕末の志士がほぼ全員写っている貴重な写真だ。、坂本龍馬、勝海舟、伊藤博文、 高杉晋作、大久保利通、大隈重信、中岡慎太郎、桂小五郎、岩倉具視、後藤象二郎、西郷隆盛達の集合写真なので驚いた。 西郷隆盛の写真がないと聞いていたが、その姿も写っている。良く見る肖像画とは全く違った風貌に、本物かと。
本堂の仏像は写真撮影禁止で写せなかったが、平安・鎌倉・室町時代の仏像で、見事なものだった。

福禅寺

対潮楼の大広間

幕末の志士の写真


「対潮楼・福禅寺」を出て、鞆の浦の街並みを楽しむ。尾道と同じように坂が多い小道は雰囲気もあり、「山陽道」とは違った趣があり ゆったりとした気持ちになる。鞆の浦歴史民俗資料館が建っている丘の上に上る手前に当時の風貌を残す「鞆の浦の商家」が堂々と 建っている。
丘に上って「鞆の浦」の景観を眺める。曇り空だが、鞆の浦の港から、瀬戸内海の小島が点々と眺められ美しい。瀬戸内海の泊まりとして 発展した景観を楽しむ。
バスで来た道は海岸で途切れ、細い道が港沿いに通っており、対岸には広い道が開かれている。 数年前から問題になっていたのは、交通渋滞解消のため海の中に橋を架ける話が進んでいた。鞆の浦の景観を守ろうと反対する人が 多く、最近、海底トンネルを通すことになったそうだ。
丘の上から見た景観から考えると正解と思える。あの美しい港の真ん中に橋を造るのは興ざめだと実感する。
丘の上には琴の名手「宮城道雄像」が飾られている。観光客もその前で記念撮影をすると和やかな雰囲気だ。

坂が多い小道

鞆の浦の商家

鞆の浦の景観 宮城道雄像


丘から下りて、坂の細い道を散策する。
O君は前に訪れていて、その記憶の中に、理髪店が喫茶店に変わった店があったと。暑くなって来たので、冷たいものをその喫茶店で 飲もうと歩いていると、あの店だと云う記憶に残る店があり、前まで行くと今日は閉店だと。 直ぐ近くに氷の旗を掲げている店があったので、氷を食べることにする。氷を食べながら、喫茶店について聞くと、元は理髪店だったと。 O君の記憶が正しかったことに、敬意を払って氷を食べる。体が冷えてgoodだ。
港の方に狭い露地を進む。酒屋さんの蔵らしき露地は雰囲気もあり、隙間から港が望まれ、鞆の浦そのものの風情を感じる。港に出ると 小船がたくさん係留されており、突堤には大きな石の「常夜燈」が立っている。「金毘羅大権現」の銘が入った立派なもので、瀬戸内海の 対岸が「金毘羅さん」なので、その船の行き来も多かったのだろう。

理髪店だった喫茶店

狭い露地

金毘羅大権現の常夜燈 港の船


気持ち良い潮風を浴び、小学生が写生しているのを見て、古い建屋の建つ街中に進む。

太田家住宅

龍馬談判の町屋

石畳の両側には、土産物屋も建ち、ひと際立派な「太田家住宅」が建っている。江戸初期から薬酒・保命酒を醸造し、財をなした名士なのだと。 内部には入らなかったが、立派なお屋敷のようだ。
その並びに保命酒を売る店があり、試飲してみたが、甘くてとても・・・・。
角を曲がって行くと「龍馬談判の町屋」の暖簾が掛かっている旧家があり、「いろは丸」事件の時、賠償交渉をした所らしい。
海岸に出て、「平成いろは丸」に乗って、仙酔島に行こうと。渡し船になっており、往復240円と安く、船旅を味わえる。当時の「いろは丸」を 模した船体に乗り、約20分余りの船旅を楽しむ。
曇り空なので、瀬戸内海の小島が薄っすらと望まれ、潮風を浴びながら仙酔島に上陸する。水は澄み切っており、船着場には「さより」の 群れが泳いでいる。竿があれば直ぐ釣れそうだと話しながら、次の渡船の時間まで島を散策する。船着場の反対側にはきれいな海水浴場や 国民宿舎があり、リゾート地としても素晴らしい所だ。30分余りの仙酔島探訪を終え、再び「平成いろは丸」で鞆の浦に戻る。

平成いろは丸

船上からの眺め

仙酔島の海水浴場


港に戻り、景観を楽しみながら、先程の氷屋さんで聞いていたお食事処「千とせ」を探す。

昼食

鞆シーサイドホテルの横奥にあるきれいな店で入るとほぼ満席で、座敷に通され、まずは生ビールで乾杯!! 定食を注文し、足を伸ばしてビールを楽しむ。本来なら、この時間は「山陽道」を歩いているか、昼食を食べ、午後の行程を検討している頃だ。 しかし、鞆の浦の景観を堪能し、美味しいビールを楽しむギャップも旅の面白さだ。
定食と云っても立派なもので、刺身・鯛の煮付け・天婦羅等々があり、ビールをお代りし、鞆の浦に立ち寄って良かったと話しながら、2日間の 行程を語り合う。
食事を終え、バス停に向かう。干物を買おうとテント張りの店をのぞくが、誰もいないので諦める。ノンビリとした港町だ。
直ぐバスが来て、最後尾の座席を確保し、少し話すが、直ぐに睡魔が襲って来て、全員ウトウトと。運転手の呼び声で目が覚め、慌てて下車する ハプニングもありながら福山駅に到着する。

「鞆の浦散策」の「紀行スライド」

汗もかいたので、銭湯に行こうと探すが、入湯は16時からの銭湯ばかりで、案内所で20分ほど歩くとスーパー銭湯があるとのことで、歩いて行く。 スーパー銭湯だが、入浴料は400円と安い。ゆっくりと体を癒して、帰りはバスで駅に向かう。
駅で名物の蒲鉾・じゃこ天(福山では別名だったが、失念)を土産に買い、新幹線で帰るN君と分かれ、O君と「青春18きっぷ」で帰る。 岡山・姫路で乗換え、尼崎でO君と分かれ、19時過ぎに帰宅する。

今回の「鞆の浦散策」は「山陽道」紀行の行程変更で実施した計画外の旅だったが、初めての景勝地の景観・歴史を尋ねることが出来、 楽しいものだった。こんな寄り道は良いものだと。







    
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