「青春18切符」...「浜坂・餘部・城崎温泉散策の旅」




○ 2014.09.02. (高槻→京都→福知山→豊岡→浜坂→餘部→城崎温泉→豊岡→福知山→尼崎→高槻)

先日、「倉敷・姫路散策の旅」を楽しみ、残っている1枚の「青春18きっぷ」を如何に使おうかと検討していた。北陸地方の盲腸路線の踏破を 考えていた所、情報番組で兵庫県香住地区で有名な「べんりで酢」の特集をしており、その万能調味料的な「酢」に興味を持ち、香住方面に 向かい、以前、「改修前の餘部鉄橋」の最後の姿を見たので、 新しい「餘部鉄橋」を見物することにする。

○行程(8/21)

高槻(6:04)→京都(6:26・6:37)→福知山(8:37・8:39)→豊岡(9:55・9:57)→浜坂(11:09)→散策→浜坂(13:17)→餘部(13:31)→散策→餘部(14:34) →城崎湯温泉(15:28)→散策→城崎温泉(17:05)→豊岡(17:17・17:33)→福知山(18:49・18:58))→尼崎(21:12・21:22)→高槻(21:47)  ===> 464.3km・8100円

不順な天気が続いた8月だったが、天気予報では、やっと晴れそうなので、実施することにする。
山陰本線で、浜坂まで行くには、6時過ぎの列車に乗れば良いので、5時30分頃、出発する。やっと、夜が明けた頃で、空気はひんやりしているが、 駅に着く頃には汗ばんでくる。
6時04分発の普通電車は空いていて、京都まで座って行けた。山陰本線・福知山行に乗換えるが、福知山行は前2両、後4両は園部駅なので、前に 乗り、2人席の通路側側に座ることができた。。早くも混み、座れない人も居る。
6時37分発の電車は、定刻通り出発し、嵯峨野を通り、保津川沿いに北上するが、トンネルが多く、景観はトロッコ列車に譲らねばならない。ウトウトしながら 福知山に到着し、待っている列車に、急いで乗換え、4人席独り占めで座る。

但馬路の稲穂

竹野の港

8時39分発の豊岡行には「18キッパー」と思われる人も多く座っている。窓側なので、丹波の景観を楽しみながら進む。早くも稲刈りが終わっている 田圃もあるが、大半は稲穂が頭を垂れる収穫前だ。1時間20分程乗り、豊岡で乗り換える。
9時57分発の浜坂行もガラガラで、4人席を独占し、のんびりと車窓を楽しむ。城崎温泉駅で少し降りたが、乗る人はいない。竹野駅を過ぎると、 進行方向右に日本海が望まれるようになり、日本海まで来たことを実感する。
「べんりて酢」は香住で造られているようなので、香住駅で降りることも考えたが、後の行程が厳しくなるので、浜坂で売っていなかったら、 帰路に香住駅に降りることにし、そのまま松阪に向かう。
いよいよ、餘部鉄橋に近付き、海側の窓を開けて身構える。確か、以前は列車の速度を落とし、簡単な説明があった記憶があるが、今回は 普通のスピードであっと云う間に、鉄橋を渡り餘部駅に到着する。わずかな時間に、何枚か写真を写したが、帰路にゆっくりと見学すること にする。餘部駅では、何人かの乗客が降り、新鉄橋の見学に向かっている。帰路には、ゆっくりと見学しよう。

餘部鉄橋から日本海を

鉄橋の下の民家

後方の窓からの鉄橋


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

浜坂駅

11時9分、浜坂駅に到着する。
早速、駅前の案内所で浜坂の街のMapを入手し、この近くに「べんりで酢」を売っている所がないかと尋ねると、駅横の土産物屋兼 コンビニに売っているはずだと。早速、コンビニに行ってみると、「べんりで酢」は陳列棚に並んでいるので、帰りに買うと云って、浜坂散策に 向かう。
Mapに沿って、本通り海側に向かう。右ルートを進み、味原川を渡った所から、川沿いに素敵な小路が続いている。「石垣並みの味原小径」と 云われる川沿いの雰囲気のある小路を進む。
小川の対岸には石垣の家が立ち並び、川に小さな水脈が流れ落ちる光景は、静けさと 落ち着き感じさせる。とても、海の近くにある街並みとは思えない小路だ。川沿いには、可愛い屋根付の標識も立っている。
景観を楽しみながら進むと右に立派な建物が建っていて「加藤文太郎記念図書館」だと。加藤文太郎氏は、浜坂出身の大正・昭和時代の登山家で 新田次郎著「孤高の人」の主人公としても有名だと。図書館には、山岳図書がたくさん所蔵されているそうだ。

石垣並みの味原小径

可愛い標識

加藤文太郎記念図書館


小路を抜けて左に曲がって行くと「浜坂温泉源泉塔」が立っている。昭和53年に偶然発見された浜坂の源泉が湧き出る所で、ここから町内の 各戸に温泉が供給されるシステムができているそうだ。置いてある柄杓で源泉を飲んでみると、熱くて少ししょっぱい塩泉だった。横には、 可愛いお地蔵様が祀られ、温泉の街・浜坂の象徴のようだ。
源泉塔に並んでエキゾチックな「西光寺・煉瓦塀」が続く。1911年(明治44年)に開通した山陰本線の工事で亡くなった朝鮮人労働者の霊を弔るため 西光寺の住職が、トンネル工事で余った煉瓦を集め、構築したそうだ。真ん中の門は、トンネルをイメージした煉瓦積みとなっているのだと。
その向かいに建つ「ユートピア浜坂」の前には、「温泉たまご造り」の温泉が設けられており、2-3本たまごを入れている綱が見られた。 温泉が街に同化した良い光景だ。

浜坂温泉源泉塔

西光寺・煉瓦塀

温泉たまご造り


角を曲がって、海岸に向かう細い「漁師町の街並み」に向かう。

浜坂サンビーチ

特に、魚の臭いがしないが、漁師さんが住んで居られる小路を抜けると 目の前に日本海が広がる。
浜坂サンビーチの広々とした海岸が続いている。雨続きなので、海は濁っているが、潮の香りが気持ち良い。
冬場と違って、海は穏やかで、海岸に波が打ち寄せる時だけ白波が見られる。静かな海だ。
夏休みも終わり、海岸には誰もいない。「今はもう秋、誰もいない海・・・・」の歌を思い出しながら、砂浜の中に設けられた遊歩道を 進む。

漁師町の街並み

海岸に並行に松林も続き、気持ちの良い浜だ。
その先には「山陰海岸ジオパーク館」が建っているが、閉まっているようなので、海岸から離れ、昼食処を探す。
広い道路の右に大きな食堂があり、観光バスが停まっている。観光客も収容する大きな食事処だが、何か見覚えがある。
2年前に 「香住ジオパーク遊覧と魚介食べ放題のバスツァー」で訪れた所で、 甘エビ・岩ガキ・サザエ・帆立貝を焼き、甘エヒ・白イカの刺身も食べ放題で堪能したことを思い出す。
団体客とは違う3階の食事処に案内され、海鮮丼を注文する。海鮮も多く、美味しくいただき、最後はコーヒーで締めくくる。値段も安く さすが、海際の食事処だ。
海鮮丼に満足し、駅に戻る途中、何か碑か立っているので、確認すると「新田次郎文学碑」だ。先程見た「加藤文太郎記念図書館」の加藤文太郎氏 をモデルにした「孤高の人」の一節が刻まれているのだ。新田次郎の碑が、何故立っているのかと謎が解明された。「孤高の人」は読んだ記憶は あるが、覚えていない。
その先、新温泉町役場の庭には、「温泉塔」が建っていて、温泉の源泉が方々にあることが分かる。

海鮮丼

田次郎文学碑

温泉塔


浜坂駅前の足湯

浜坂温泉郷の石碑とべんりな酢

列車の発車時間も迫って来たので、速足で浜坂駅に戻る。
今日の目的の一つである「べんりな酢」を買いに、駅横の土産物屋に行き、大きい瓶と小さい瓶を1本づつ買い求める。
奥さんが、テレビの放映が あってから、大阪方面から来られる方が、買って行くのだと。便利なので、この辺りでは何処の家でも、使っていると話し、レシピの小冊子も 付けてくれた。
駅前には。「足湯」があり、若い女性2人が浸かっている。
温泉の街・浜坂のPRとしては、最高の立地だ。
その前に立つ「浜坂温泉郷」の石碑に「べんりな酢」を置いて、記念撮影をする。目的の一つが達成でき、一安心だ。
2時間余りの「浜坂散策」を満喫して、餘部鉄橋に向かう。

「浜坂・餘部・城崎温泉散策@」の旅「紀行スライド」

13時17分発の列車で餘部に向かう。

餘部駅標識

新鉄橋を渡る列車

餘部駅では、同好の方が10名余り降り、列車が、新しい鉄橋を渡って行くのを見送る。
昨年完成したコンクリート造りの鉄橋を渡って行く姿に、 安心感を覚える。
以前の線路は、駅の海側を通っていたが、新しい線路は山側を通っており、鉄橋を渡って、向こう側のトンネルを入るため、 左に(海側)に蛇行している。
餘部駅を見渡すと、旧線路が残っており、鉄橋に向かう所は「空の駅・展望台」と名付けられ、旧線路の上に板張りの展望台となっている。 先まで行くと、旧線路が少し伸びている。昔の鉄橋は、この先に設置されており、今は、横に新しいコンクリートの橋脚の鉄橋が引かれている。
金網が張られている展望台からは、ホームより近く、下の民家と日本海が展望され、「空の駅」のイメージを満たしている。また、板張りの一部に 透明の窓があり、真下の民家が望め、その高さを再認識する。潮風が気持ち良く、ベンチで一息入れる。

空の駅・展望台

旧線路

展望台からの眺め 透明の窓


以前は、餘部鉄橋の全景が見られる撮影ポイントが山の上にあったが、線路が山側に移ったので行けなくなっている。一旦、坂を下り、高架下を 抜けて、山側のポイントに行く道があるので、上って行く。
前回は、たくさんのカメラマンが列を作って、撮影していたが、今は誰もいない。早速、全景が見える場所に上り、新しい餘部鉄橋を写す。 旧鉄橋の趣はないが、深い谷間に、長さ310m、高さ41.5mの白い軌道が走っている光景は見事だ。
2006年に訪れた時の旧鉄橋と対比して、記念写真を載せて置く。

旧餘部鉄橋 (2006年撮影)

新餘部鉄橋


空の駅の旧線路

新旧鉄橋の橋脚

撮影ポイントからの餘部鉄橋


橋梁を下から

新旧の橋梁

坂道を下って行くと、間近に見上げるような旧鉄橋の橋脚が残り、その山側に新鉄橋のコンクリートの橋脚がそびえている。高い!!。
「空の駅」から伸びていた旧線路の先端も見上げられる。

餘部鉄橋空の駅・開設記念碑

九十九折りの坂道を、色々な角度から新旧の鉄橋を眺めながら地表に下り切る。
橋脚の下は、広場となっていて、整備され、「餘部鉄橋空の駅・開設記念碑」が立っている。
日付を確認すると、平成25年5月3日となっているので、昨年春に完成したのだ。当時の新聞で、大きく報じられたことを思い出す。
高架下の広場には、「観音様」が祀られている。1986年(昭和61年)に香住駅かせ浜坂駅に向かう回送列車が、最大風速33m/sの突風にあおられ、 客車が鉄橋を落下し、車掌と下の工場の従業員5名が死亡し、6名が重傷を負う事故が発生した。その慰霊を弔う「観音様」なのだ。参拝して 海の方に向かう。
途中に「山陰本線・余部橋りょう」と大きく記され橋梁が置いてある。旧鉄橋の一部を記念として保存されているのだ。
海岸に進むと、穏やかな日本海が望まれ、列車落下の突風が吹き荒れとは思えない静けさだ。

観音像

旧橋梁

餘部の海


列車の時刻が近付いて来たので、急な坂を上り、ホームに向かう。途中の木立からは、ミンミン蝉・ツクツクボーシの鳴き声が聞こえてくる。日本海側は 秋の訪れが来ているようだ。
ホームに戻り、昔の面影と違ったホームの雰囲気を改めて感じ、「空の駅」の金網の間にカメラを突っ込み、下の民家を写したりと他の飛んでいると、 列車が到着し、新旧の餘部駅・餘部鉄橋を楽しんだ時間を終える。

真下の民家

餘部駅

到着する列車


14時44分発の列車で、城崎温泉に向かう。餘部鉄橋を渡りながら、改めて鉄橋の上から、穏やかな日本海を眺める。もう事故は起こらない ことを願って。

城崎温泉の川沿いの柳並木

城崎温泉駅に到着しすると、やはり、観光客が多い。古風な駅舎も温泉街の雰囲気を残している。
駅前には、関西地方では有名なゆるきゃら「玄さん」が迎えてくれる。玄武洞のイメージキャラで、喋るゆるきゃらとして認知されている。
横には、足湯もあり、浴衣姿の女性グループもたくさん楽しんでいる。少し熱いようだが、キャキャと楽しそうだ。
本通りを川に向かって進む。土産物屋さんが立ち並び、外国人の浴衣姿も見られ、観光都市だ。
先日の兵庫県議の不正出張で有名になった城崎温泉だが、平日なのに観光客が多いのは嬉しい。
七つの外湯巡りをする宿泊客が、浴衣姿で散策している。今日は、何処の外湯に入ろうかと、ブラブラと歩き、川沿いの柳並木に出る。城崎温泉の 風情を表している柳並木を眺め、「地蔵湯」は入ったので、その先の「柳湯」に向かう。
随分前、宿泊した時に、ほとんどの外湯を楽しんだので、駅に近い「柳湯」にすることにした次第だ。600円と少し高くなった入浴料を払い、 温泉を楽しむ。
3人先客が入っていたが、直ぐに上がり、大きくないがゆったりとした湯船で足腰を伸ばしてくつろぐ。お湯は、少し熱く、長くは浸かって いられないが、透明な城崎温泉の湯を堪能する。
浜坂・餘部で流した汗を流し、気持ち良く川沿いの柳並木を散策し、コンビニで缶ビールとおでんを買って、駅横の足湯のベンチで、今日一日の健闘に 乾杯する。湯上りのビールは最高だ。

城崎温泉駅

柳湯

足湯 玄さんのお迎え



「浜坂・餘部・城崎温泉散策A」の旅「紀行スライド」

17時05分発の豊岡駅に乗り、豊岡乗換えで福知山に向かう。「青春18きっぷ」の旅では、出来るだけ往路と同じルートを通らないとの主義なので、 本来、和田山から播但線で、姫路に出なければならないが、帰宅時間が厳しくなるので、福知山から福知山線経由で、大阪に出て、高槻に 向かうことにする。
18時49分発の快速は、東海道本線の新快速と同じ車両で、2人席を占領し、ゆっくりと本を読みながら進む。通学の学生が多く、満員になる時も あったが、ウトウトしたりしながら、大阪駅の1つ手前の尼崎駅で乗換える。大阪駅では座れないが、1つ手前から乗れば、降りる人が多い大阪駅で 座れるのだ。
尼崎駅で乗り換えても、座ることができ、そのまま高槻まで行き、22時過ぎに帰宅する。

「べんりて酢」購入目的に、新しい「餘部鉄橋」見学と「城崎温泉」散策を加えた、充実した旅となった。過去に行った場所も、変わっている 姿を確認することも新しい旅の魅力だと再認識できたことは嬉しい。
夏の「青春18きっぷ」は終わったが、冬・春に向かって、計画を楽しもう。







    
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送