○ 2016.08.30. (高槻→姫路→相生→岡山→福山→(バス)→鞆の浦<散策>→(バス)→福山→尾道→姫→高槻) 「青春18きっぷ」が2枚残っているので、何処に行こうかと検討していた。前回は東の半田市に行ったので、西方向を考えた末、「鞆の浦」に妻が行っていないので 少し遠いが実施することにする。 以前、倉敷に行った時、相生での乗換時間が短く、「相生ダッシュ」と云われる陸橋を走っての乗換を避けるため、1本早い列車で相生まで進み、待ち時間は長いが、 「相生ダッシュ」を回避する予定を考えた。 東から西に進み、Uターンする迷走台風10号が東北地方に上陸する予報をみて、福山地方は晴れと確信して実施することにする。台風一過で、涼しくなり、風は少し 強いが、秋の風情が漂う絶好の天気となった。 ○行程(8/30) 高槻6:58→8:25姫路8:40→9:01相生9:32→10:38岡山10:49→11:48福山12:00→(バス)→12:32鞆の浦 (散策) 鞆の浦14:20→14;55福山15:35→16:17倉敷16:49 →18:43姫路18:56→20:16高槻 ===> 512.0km・8860円 + 1040円 「相生ダッシュ」を避けるため、6時過ぎに家を出て、始発のバスで高槻駅に向かう。
新快速は満員で大阪駅までは座れなかったが、大阪駅からは二人席に座れ、新聞を読みながら姫路に向かう。 姫路駅では、15分の乗換時間の間に、名物立ち食い「駅そば」を食べる。ラーメンの麺にうどん出汁で、この駅では毎回食べる恒例の味だ。 高槻始発では、岡山行は姫路発だが、この時間は相生発なので、播州赤穂行の列車に乗り、相生に向かう。 岡山行出発まで30分あり、ホームのベンチで待っているが、台風の影響で、涼風が気持ち良く、数日前の大阪の猛暑が嘘みたいだ。やがて、列車が到着し、始発なので 二人席をゆうゆうと確保する。 接続列車が少し遅れたが、姫路からの列車から「相生ダッシュ」の乗客が殺到する。今回はホームの反対側なので、陸橋を渡ることは ないが、ダッシュした前の乗客は座れるが、たくさんの人が立っている。岡山まで約1時間立たなければならないので「相生ダッシュ」をするのだ。
以前、友人たちと「旧山陽道紀行」時に立ち寄った時には気付かなかったが、福山は「バラの町」としてPRしているようで、駅前広場にはバラの花壇が 設けられ、色とりどりのバラが咲き誇っている。 定刻通りバスが来て、数人の観光客と地元の方で空席の目立つバスで「鞆の浦」に向かう。 約20分乗車し、左前方に瀬戸内海が見えて来る所が「鞆の浦」だ。バスを降りると、潮の香りが漂い、目の前には静かな瀬戸内海の景観が望まれる。 青空と島々と穏やかな海と自然をいっぱい吸い込む。 海岸通りには、前回は干物の出店が並んでいたが、今日は店がなく、海岸の干物干場にも魚が並んでいないのは残念だ。通りの上の道には、古い旧家が 建っている。「対仙酔楼」と云われる鞆の浦の豪商・大坂屋が建てた楼閣で、頼山陽が滞在したとそうだ。 海岸沿いに進むと「鞆の浦」の港に出て、対岸に有名な「常夜燈」が立っているのが望まれる。美しい光景に、しばし魅入る。スケッチするのには、 絶好のポイントだろうと。
景観を堪能して進むと海に向かって「力石神社」が鎮座している。狭い境内には花崗岩製の140kg〜250kgの丸い石が置かれている。江戸時代の船積み作業をする 沖仲仕が、祭礼のときに力や技を競ったそうだ。 海岸沿いの家々の間の路地を進むと石畳の広い道に出て、「保命酒」を売る店や干物の店がが立ち並び、右に大きな旧家が建っている。この 「太田家住宅」は、「鞆の浦」名産薬用酒である「保命酒」を江戸期から製造販売していた商家で、酒蔵と主屋などからなり、公家の三条実美らも宿泊した ことがあったと。この建造物群が重要文化財に指定されているそうだ。
石畳の道を抜けると目の前に鞆の浦港が広がり、正面に立派な「常夜燈」が立っている。
大阪の「住吉神社」の常夜燈も大きいが、それに匹敵する程の立派な常夜燈が、青空の下に映える。
「常夜燈」を眺めながら、潮風を浴びながら、青空と島と海と船を眺め、その景観を堪能する。 この「常夜燈」は、テレビドラマ「流星ワゴン」の撮影が行われた所で、ドラマを観ていたので、親しみを感じる。 昼食時間も過ぎているので、妻がネットでチェックしていた「常夜燈」前のイタリアンの店に入る。倉庫か町屋を改装した店で、満席だったが座ることができ、パスタと サンドウィッチのセットを頼み、シェアすることにする。内部は、昔ながらの梁がむき出しの素朴な建屋で、料理も満足する。食後のコーヒーをゆっくりと頂きながら、 開かれたドアからの「鞆の浦」の港を眺める。至福の時間だ。(前菜だけ撮影し、パスタ・サンドウィッチの撮影を忘れる)
イタリアンの店の横には「いろは丸展示館」があるが、入口に飾られている坂本竜馬の写真を見て次に進む。坂本竜馬の「海援隊」所属の「いろは丸」と 紀州藩の「明光丸」と鞆の浦沖で衝突沈没した遺品を展示されている。 前回、「仙酔島」へ渡る渡船が、「いろは丸」の形状をしていたので、それを見れば良いと 思っていたが、その渡船が運行されていないようなのと波が荒いので、「仙酔島」へ行くのは止めることにする。
海岸山千手院福禅寺は、平安時代の天暦年間(950年頃)の創建と伝えられの真言宗の寺院。 本堂に隣接する客殿對潮楼は,江戸時代の元禄年間(1690年頃)の 創建と伝えられ、そこは仙酔島など海島の景勝を臨む絶好の立地にあります。 朝鮮通信使の高官の迎賓館宿舎にあてられ、高官がこの景色を「日東第一形勝」 と賞讃し、客殿を対潮楼と命名した。 宮殿からの眺めがすばらしい。また、いろは丸沈没事件の際、海援隊と紀州藩の交渉の場となった。 (ひろしま観光ナビHPより) 昔から瀬戸内海航路の潮泊まりとして賑わった「鞆の浦」の絶景の場所で、高台への坂道を上ると「福禅寺」が建ち、その客殿が「対潮楼」と名付けられている。 前回訪れた時、景観の美しさもさることながら、幕末の志士たちが寄り集まっている写真が展示してあったのに驚いた思いがある。西郷隆盛がここに来た はずがないとか、いろいろと論議した記憶がある。 入場料を払い、広間に行くと誰も居ない貸切状態で、ゆっくりと額縁のようになった窓から、前方の「仙酔島」「弁天島」を眺める。涼風が吹き抜け、 気持ちの良い空間で時間を忘れる。景観と風の音が聞こえるだけの静寂さを満喫する。 西郷隆盛・坂本竜馬等が写った写真を前にして、妻に前回の議論を説明したり、楼内を見学する。 誰も居ないので、係の方が窓際で写真を撮っていただく。慣れているので、ポイントを前・中・後からとバッチリ写してもらい、退出する。
坂を下りて海岸線に進むと風が強く、帽子が飛ばされそうになる。海には白波が立ち、「仙酔島」への渡船が激しく揺れている。「いろは丸」状の渡船は 運行されていないようなので、バス停に向かうが、干物の露店は開店していないのは残念だ。 待合場の売店によるも魅力的な品が見付からないので、バスに乗車して福山駅に戻る。 「仙酔島」に立ち寄らなかったので、予定より早いバスに乗車したために、「福山城」を訪れることにする。 福山駅の反対側に建つ「福山城」は、元和5年(1619年)に水野勝成が築城した江戸時代における名城と云われた。空襲により天守閣などは消滅したが、 「伏見櫓・筋鉄御門」は国の重要文化財に指定されて残っている。 城への坂を上り、重厚な「伏見櫓・筋鉄御門」を抜けて城内に入ると広場の向こうに「天守閣」がそびえている。見事なお城だとベンチに座り仰ぎ見る。 風が気持ち良く、江戸時代の風情を満喫する。
天守閣には上らず、福山駅に戻り岡山行の列車に乗る。糸崎からだが、ガラガラで二人席でゆっくりと疲れを癒す。 本来の計画では、もう少し遅い時間に福山に到着し、駅弁を買って、車内で食べようと考えていたが、少し早いので、如何にするが時刻表を見ながら考える。 岡山乗換は混雑するので、姫路直通の列車を探すと丁度良い列車が見付かった。倉敷で降りて、駅弁を買って、姫路行に乗れば、岡山の混雑は回避できると 考えた次第だ。 倉敷で下車し、ビールと寿司とつまみを買って姫路行に乗車するが、二人席は取れず、妻と別々に座り、岡山駅で二人席に座ることができた。作戦は成功したので、 ビールで乾杯し、軽い夕食とする。姫路駅でも問題なく座れ、高槻までウトウトしながら進むことができ、 20時30分頃に帰宅し、無事「鞆の浦散策の旅」を終えることができた。 「鞆の浦散策の旅」の旅「紀行スライド」 台風は東北・北海道で大きな被害を与えたようだ。被害の少ないことを願いたい。 今年の夏は、半田市・鞆の浦と東西に「青春18きっぷ」を楽しみ、一人では「孫娘のバスケ応援」と充実した旅行となった。冬にも楽しみたいものだ。 今日の歩行歩数は、11200歩だった。
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