○ 2018.03.19〜03.20. (高槻→姫路→東觜崎→(出雲街道再紀行)→播州新宮→姫路→米原→大垣→ (ムーンライトながら)→東京→宇都宮→黒磯→新白河→郡山→福島→仙台→小牛田→一関 「旧街道・日本縦断」紀行も鹿児島市から岩手県一関市まで進んだ。 昨秋、「奥州街道・松前道」を宮城県から岩手県に進んだが、冬の東北地方は降雪等気候条件が厳しいため、今春に実施しようと考えていた。 今年の冬は、大変厳しい状況であったが、3月には再開しようと決断した。 久し振りに「青春18きっぷ」を活用して実施しようと検討した。大垣から東京への「ムーンライトながら」に乗車して、一関まで向かおうと計画したが、 初日の大垣発が22時48分なので、その日を有効に活用する方法を考えた。 「奥州街道・松前道」紀行と並行して、「旧山陽道」を一緒に紀行した小学校以来の友人と「出雲街道」紀行を実施した時、道を間違えて、 実行できなかった行程を大垣発の時刻まで、再度歩こうと考え、時刻表と行程地図を見比べながら、実行計画を作成した。 ○行程(03/19) @高槻11:13→12:32姫路12:52→13:19東觜崎→(出雲街道紀行リベンジ)→播磨新宮 ===> 126.9km・2270円 「奥州街道」紀行の荷物をリュックに詰めて、小雨模様の中、高槻駅に向かう。前日までは、春の陽気で桜の開花宣言が相次いだが、今日は一転して 冷たい雨と風が吹く悪天候だ。 何時ものように、新快速に乗り、まずは姫路に向かう。姫路に着くとホームの「駅そば」で昼食とする。姫路恒例の行事だ。 昨年12月に、以前「旧山陽道」紀行をした小学校以来の友人と 「出雲街道」紀行(播磨高岡〜播磨新宮)にトラした時、道を間違えて行程を完歩 出来なかった。大垣からの夜行快速「ムヘンライトながら」乗車までの時間を有効に活用してリベンジするのだ。 姫新線のホームには、播磨新宮行が停車している。播磨新宮の一つ手前の東觜崎(ひがしはしさき)駅まで行き、間違った道をリベンジする。 雨の中を電車は進み、13時19分に無人の東觜崎駅に到着する。 13時25分、雨の中を「出雲街道」リベンジ紀行をスタートする。この編は「出雲街道」 紀行(播磨高岡〜播磨新宮)に追加記述する。15時25分、「出雲街道」紀行のリベンジも無事終え、播磨新宮駅に到着する。
A播磨新宮15:38→16:10姫路17:26→19:58米原20:05→20:36大垣22:48→06:41東京 ===> 644.3km・9830円 約2時間の「出雲街道」リベンジ紀行を終え、いよいよ「奥州街道」紀行の今回のスタート地点・岩手県一関駅に向かう。「ムーンライトながら」の大垣発者時間を 考えながら、乗り継いで進む。 雨に濡れた衣服を乾かしながら、姫新線で姫路に戻り、前回も立ち寄った駅構内の地元名産店のフードコートで、「姫路おでん」を食べながらビールでリベンジの 成功とこれからの行程の安全を願って乾杯する。「姫路おでん」は辛子をつけるのではなく、生姜の出汁に浸して食べる優れものだ。 17時26分発の新快速で米原に向かう。二人掛けの窓側に座り、雨が降る外を見ていると眠ってしまう。 神戸も大阪も知らず、自宅横を通っていたのも築かない位の熟睡だ。米原駅に到着し、少しの時間の間に隣のホームに移動し、大垣行の列車に乗り変える。 連結も多くがら空き状況で大垣に進む。 大垣駅前の居酒屋で、睡眠導入剤を入れ、軽く夕食とする。雨が降っているので、うろうろ出来ず、駅に戻るが、待合室はホームにしかなく、狭い 待合室はいっぱいだ。シニアの男性ばかりで、学生の姿は見えない。「青春18きっぷ」も若者離れが多くなったのかと心配になる。 前に座っているシニアの方の話では、「ムーンライトながら」の販売初日は、切符が取れず、今日に変更したのだと。帰路の便も取れなかったと聞き、やはり 人気路線なのだと納得する。列車が入線するので、ホームに行くと若者・シニアといっぱいだ。若者離れの心配はなさそうなので一安心だ。 「ムーンライトながら」が入線し、乗ると特急列車仕様の座席に、時代の変化を感じた。昔は、もっと悪い座席だったと。通路側に座り、隣の席に誰も 来ないのでラッキーと思いながら、車内を見廻すと六分程度の込み具合だ。 定刻に出発し、ウトウトとしていると隣の席に老婦人が来られた。名古屋からの乗車だ。心地良い揺れを感じながら、ぐっすりと眠ってしまう。横浜を 過ぎた辺りで目覚め、外を見るとまだ雨が降っている。もう直ぐ東京だ。
○行程(03/20) @ →05:05東京06:41→08:18宇都宮08:32→09:23黒磯10:25→10:50新白河10:53→11:32郡山11:40→12:28福島12:40→13:55仙台15:20→ 15:20小牛田15:35→16:23一関→(奥州街道紀行)→平泉 ===> 455.3km・7340円 〇「青春18きっぷ」二日間使用合計 1226.5km・19440円 5時5分、定刻通り東京駅に到着する。足を延ばせて眠れたので、疲れも少ない。 6時41分の東北本線出発まで時間があるので、まだ人の少ない東京駅を散策しながら、朝食場所を探すが、何処も開いていない。以前「日光街道」紀行 をした時は、駅近くの牛丼店で朝食を食べたが、雨が降っているので外に出るのも面倒だ。丸の内出口の装飾等を観た後、仕方がないので、サンドウィッチと ボトルコーヒーと新聞を買い、ホームのベンチで朝食とする。
前にシニアの方が座られお話をする。ゲートボールの試合に行くとのことで、旅行の話や「旧街道日本縦断」の話題で時間を潰す。「青春18きっぷ」のことは ご存知ないようなので、切符を見せて説明する。一人旅が好きだとのことで、良い話を聞いたと喜んでおられたのは幸いだ。小山で下車され、また お会いできたら・・とご挨拶してお別れする。良き出会いだった。 列車は宇都宮に到着し、黒磯行に乗換える。雨が止んだのは有難い。 宇都宮は「日光街道」「奥州街道」の分岐点として、小学校以来の友人O君と歩いた想い出の駅だ。 8時32分発の黒磯行は初めて乗る路線だ。「奥州街道」は、JR路線から離れて旧街道が続くので、この路線は乗っていないのだ。乗客には、南米系と 思われる外国人が多い。周辺に大きな企業があるのだろうと。 定刻通り、黒磯駅に到着する。ここでの待ち時間が1時間程度あるので、駅周辺を散策する。特に何もないが、風の冷たさが厳しい。さすが、北国に 来たことを実感する。構内には、黒牛のモニュメントが飾られ、地元の銘牛のPRなのだろう。朝食が早かったので、売店で「助六寿司」を買って食べて、 時間を潰す。
10時25分発の新白河行に乗る。当初「奥州街道」は東京から津軽半島まで連なっていると考えていたが、江戸時代の幕府直轄の五街道「奥州街道」は 白河までで、それ以降は藩管轄の「奥州街道・仙台道」と「奥州街道・松前道」として表示されていることをこの新白河駅の手前で、別れていたのだ。 JR路線から旧街道は望めないが、この辺りで街道が、幕府から藩に管轄が変わったのだと思い出しながら進む。
白河駅に着き、車窓から雨に煙る「小峰城」を眺める。「奥州街道」を踏破する直前に出会ったお城だ。その先で、阿武隈川を渡り、小学校時代に 習った東北地方の川の名前に感激した想い出がよみがえる。遠くまで来たのだと。 その先の「女石追分」までが幕府直轄の「奥州街道」で藩管轄の「奥州街道・仙台道」に連なるのだ。 車窓からは追分は見えないが、その方向を眺めながら、到達した感激を想い出す。鹿児島から白河まで結んだのだと。 車窓から「奥州街道・仙台道」の行程を想い出しながら眺めるが、細かな記憶が薄れているのは悲しいことだ。 やがて、郡山駅に到着する。郡山は夜行バスの往復で、数回利用した懐かしい駅だ。銭湯を探した思い出もある地だ。 11時40分発の福島行に乗換える。列車は満員で、立っている人もいる混雑ぶりは、ローカル路線では珍しい。 雪を頂く山並みを見ながら、懐かしい地名を確認しながら福島に向かい、短時間の乗換で、仙台行のホームに向かう。 12時40分発の仙台行は、仙台シティラビット号の快速列車で、ゆったりと座って進む。 車窓からは、記憶に新しい地名・駅名が続き、ここで腰が痛くなったなぁと思い出しながら、福島県と宮城県の県境の貝田駅を通過する。昨年3月、 現役時代の一回り上の上司と雪の中を宮城県に突入したことを想い出す。 景観を眺めたり、少しウトウトしていると仙台に到着する。乗換時間の間に、昼食として構内の「お茶漬け」屋に入り、お茶漬けを食べる。外でお茶漬けを 食べるのは初めてだ。 仙台の「芭蕉の辻」から「奥州街道・仙台道」は「奥州街道・松前道」になり、津軽半島まで続いているのだ。 帰路は「青春18きっぷ」は使わず、仙台の居酒屋で睡眠導入剤を仕入れ、夜行バスで帰宅する予定でいる。
さあ、次は宮城県から岩手県に進むのだと意気込んでホームに向かう。
車窓から、松島湾の小島を眺め、 内陸部に入り、広い平野を突き抜けて小牛田に進む。 いよいよ最後の一関行列車に乗換え、本日の目的地・一関には、16時23分に到着する。 前回訪れた一ノ関駅前で、駅の写真を写して、今回の「青春18きっぷ」の旅を終える。 前日の15時38分に播磨新宮駅を出発して、乗換え時間はあるが、24時間以上の列車の旅だった。 走行距離 1226.5km、通常運賃 19440円の旅を、「青春18きっぷ」では 4740円で到達したのだ。時間の贅沢さを満喫した旅だった。 さあ、これから「奥州街道・松前道」を平泉まで進むのだ!!
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