○ [第1日]、出発〜湯布院温泉(2009/12/22) 鹿児島に単身赴任していた時、「湯布院温泉」には行ったが、「黒川温泉」は傍を通っただけで、宿泊したことはなかった。 「黒川温泉」に行きたいと思い、JRの割引切符&レンタカーで廻ることも考えていた所、両方の温泉を廻るツァーを発見した。 内容を見ると日程的にもゆっくりしていて、知らない場所・改築された熊本城を巡るので申し込んだ。 旅行中の日程はゆっくりしているが、集合時間が新大阪駅6時45分と早い。真っ暗の中を出て行かねばならず、タクシーを予約して 6時に出発する。 ガラガラの列車で、新大阪の集合場所に行くと添乗員のS本さんが待っておられ、今回のツァー参加者は16名だと。 バスは大型なので、一人で2席確保できるとのことだ。ラッキー!! 外の電光温度計は2℃を示している。昨日までの寒波の影響は残っているが、暖かくなる予報で一安心だ。 妻は山陽新幹線に乗ったのは初めてとのことで 車窓から眺めるが、トンネルが多いのに驚いている。 車内でゆっくりとくつろぎ、9時23分に小倉駅に到着し、祐徳バスで3日間観光することになる。 1番前と2列目の席に座り、ベテランガイドの案内で大分県「宇佐神宮」に向かう。 九州は昨日まで寒波に襲われ、玄界灘周辺は雪が降り、 山間部は積雪もあったそうだ。高速道路も積雪で不通になり、今回のコースの一部も通行止めだったと。 一日遅れで、太陽が顔を出す天気で良かった。 バスガイド手作りの上手に描かれた行程表がバスの前に貼られ、概要を説明してもらう。ゆったりした行程で、バスの走行距離も最終日以外は 短くでのんびり出来そうだ。 バスは国道10号線を南下して、「日本のアメリカ」とも云われる「宇佐」に進む。前にも聞いたことがあるが、何故「日本のアメリカ」と云われるか? 「宇佐」をローマ字で書くと「USA」となり、アメリカなのだ。なるほどと納得する。 途中のトイレ休憩を挟んで、「宇佐神宮」に到着する。駐車場には観光バス・乗用車も停まっていず、初詣では満杯になるそうだが、 今回は貸切状態の中、参拝する。 八幡さまは応神天皇の御神霊で、欽明天皇の32年(571)に初めて宇佐の地に御示顕になったといわれます。 応神天皇は大陸の文化と産業を輸入、新しい国づくりをされた方で、神亀2年(725)、聖武天皇の勅願により 現社地に御殿を造立、八幡神を奉祀されました。これが宇佐神宮の創立です。 もとよりこの宇佐の地は畿内や出雲と同様に早くから開けたところで、神代に比売大神が御許山に天降られたと『日本書紀』に 記されています。 その御分霊は、平安京鎮護のための石清水八幡宮や、鎌倉の鶴岡八幡宮など、各地で祀られています。 そもそも八幡信仰は、応神天皇の御聖徳を八幡神として称え奉るとともに、仏教文化と、我が国固有の神道を融合したものとも考えられ、 宇佐神宮の神事、祭会や建造物、宝物などにそのうるわしい姿を遺しています。 (宇佐神宮HPより抜粋) 参道の入り口には、新年の初詣の準備が整えられ、門松が飾られているが、竹の丈が非常に長い特徴がある。参道の土産物屋さんも 人が通らないので寂しい限りだ。玉砂利を踏みしめて、参道を進むと大きな鳥居が立ち、誰も参拝していない静かな境内を進む。 ガイドが貸切ですねと云うように、この時期の参拝者に出会わない。突然、何故か古い蒸気機関車が展示されている。似つかわしくないが、 面白い光景だ。 深い森と云った感じの境内には長い階段があり、それを上って行くと朱色の立派な「西大門」が青空の下、堂々と建っている。 普通は「二礼・二拍手・一礼」だが、この神社は「二礼・四拍手・一礼」だと。 その理由は巫女に聞いても分からなかったとのことで、その説明板が掲示されているのは可笑しかった。 前回、個人で参拝した時には その説明に気付かず、普通の作法で参拝したはずだ。こんな所は、ツァーの長所だろう。 本殿は「一之御殿」「二之御殿」「三之御殿」と並んで建っている。それぞれの本殿に「二礼・四拍手・一礼」で、 健康であることを願い、頭を下げる。 静かな森の中に朱色の本殿と青空が気持ち良い。全国の八幡神社の本家とのことで、「熊野古道・高野道」のスタートとして訪れた 「石清水八幡神宮」と似た感じを思い出す。 参拝を終え、集合時間に合わせて、ゆっくりと参道を戻る。本当に貸切状態の境内だ。社務所の横の国旗掲揚台に掲げられた日の丸と 青空も美しい。境内の道脇には屋根の上に「宇佐八幡宮」が飾られたポストが立っている。ご当地ポストだろう。 往路に渡った朱色の橋が水面に映るのどかな神社の風景を眺めて境内を後にする。 お土産物屋さんは客もなくひっそりとして寂しい。 前回来た時に「宇佐飴」を買ったが、食べ切れなかったのでパスし、道路の向こうにあるJAの売店に行って、みかんを買い求める。 みかんの産地でもあるらしく、10個・120円と大きいみかんは甘くて美味しかった。(12:40) 「一日目@」の「スライドショー」 バスは次の目的地である国東・豊後高田の「昭和の町」に向かう。 豊後高田「昭和の町」は、この商店街が最後に元気だった時代、昭和30年代の賑わいをもう一度よみがえらせようという願いをこめて、 平成13年に着手した町づくりです。 ところで、昭和30年代とは、どんな時代だったのでしょうか? 貧しく不便だったけれど、明るい未来を信じて、隣近所が肩を寄せあい、助けあいながら生きていました。 豊かで便利になったとはいえ、平成の今に比べて、幸せが実感できた時代、生きる手ごたえがあった時代といってもいいでしょう。 時は物の形も人の心もすっかり変えてしまいましたが、豊後高田「昭和の町」には変わらなくてよかった形や心が今なお残されています。 平成の今、懐かしさにしてしまった物も人も、ここではまだ大切に守り伝えられているのです。 お帰りなさい。思い出の町へ。 (豊後高田・昭和の町HPより) バスで「昭和の町」の地図を渡され、昼食について説明がある。 昭和55年当時のメニューと価格の店があるとのことだ。13時になるので、まず食事をしようとその「大寅屋食堂」に向かう。 高菜入りのチャーハンも野菜タップリのチャンポンも美味しく当時の味がする感じだ。 お腹も一杯になり、町の散策に繰り出す。人通りは少ないが、お店の店先には懐かしい昭和の香りがする道具・電気機器等々が 並べられ思わず微笑んでしまう。 当時は地方の中心街として繁栄した頃の雰囲気を残す店、白黒テレビ、氷の冷蔵庫、昔のポスター等々を眺めながら、ブラブラと町の 風情を楽しむ。ガソリンスタンドには当時の価格が表示されている。昭和37年のガソリンは46円、灯油は21円と。雲泥の差だ。 地図を見ながら商店街を進む。店先に赤いポストの立つ餅屋や石造りの旧共同野村銀行の古い建物を見ながら行くと旧大分合同銀行の 跡が「昭和の町展示館」として公開されている。 館内には当時の映画のポスターがたくさん展示されている。写真のものもあるが、懐かしい手書きのポスターが並べられ、映画館の 前でワクワクしていたのを思い出す。 美空ひばり・江利チエミ・雪村いずみのジャンケン娘、三船敏郎の用心棒、ジョンウェインの駅馬車、大友柳太朗の丹下左膳や色々のポスターを懐かしく眺める。 水原弘の殺虫剤の看板を懐かしく眺めて進むと昔の映画館がひっそりと建ち、「ローマの休日」「荒野の決闘」の看板が掲げられて いるのも懐かしい。 「昭和ロマン館」と名付けられた展示館の前には、当時大流行した三輪自動車「ミゼット」が数台展示されている。佐々十郎・大村昆の喜劇 「やりくりアパート」で一躍有名になった車だ。小学校時代の懐かしいテレビ喜劇を思い出すことが出来た。他にも、「バタバタ」と云われた 三輪トラックと大八車等々が展示されている。昭和時代に戻ったようだ。 「昭和ロマン館」には3つの展示館があり、入場料を払って入る。「昭和の夢町三丁目館」には当時の民家の部屋が展示されている。茶の間の ちゃぶ台、白黒TV、姫鏡台、台所のタイル張り流し台、冷蔵庫、炊飯器と懐かしい光景が広がる。 「昭和の絵本美術館」にはマニアの方が集められた絵本の数々、当時のおもちゃが所狭しと展示されている。凄い収集だと驚く。 集合時間が近付いたので、慌てて集合場所に急ぎ、楽しく懐かしかった「昭和の町」散策を終える。(14:30) 「一日目A」の「スライドショー」 バスは今日の宿泊地「湯布院温泉」に向かう。 高速から九州独特の草原の山が連なる。 湯布院ICで降りる時に「由布岳」のV字型の頂上が望める。青空に映えて美しいが、なかなか見られないそうだ。雪の後の 晴天に感謝しなければと。 15時30分過ぎに「ゆふいん山水館」に到着する。 早い到着は有難い。「由布岳」を展望できる洋室は広くて快適だ。早速、 温泉に直行する。 まだ誰もいない露天風呂からは「由布岳」が展望出来、ゆったりと早朝からの疲れを癒す。手足を伸ばして ひんやりとした外気と熱い温泉を満喫する。 部屋で湯上りビールで「由布岳」を眺めながら乾杯する。段々と暮れて行く山の光景の変化は面白い。山頂が黄金色に輝き夕闇に 包まれて行く。頂上まで見られることが、珍しいとの話なのでゆっくりと眺められるのは嬉しい。 ホテルの庭から裏の堤防に出て、少し散策する。外気はやはり冷たく、早々に部屋に戻る。窓から見られる「由布岳」は色濃く闇が 迫っている。 夕食までの間、地元のローカルテレビを楽しむ。ご当地テレビはそれなりに面白い。 夕方から 夕暮れまでの「由布岳」を堪能した満足感を秘めて「食事処」に向かう。「食事処」は個室になっており、料理が次々と運ばれて来る。 生ビールで乾杯して、大分湾の刺身、山菜料理と楽しむ。芋焼酎も頼んでゆっくりと堪能する。美味しい!! 食後はゆっくりとし、寝る前にもう一度露天風呂へ。真っ暗な闇で「由布岳」はもう望めないが、何度も眺めたので残像は残っている。 「由布岳」の雄姿を思い出しながら、ぐっすりと眠る。 「一日目B」の「スライドショー」 、
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