○ 「中国街道No2・山陽道No1」見聞録(甲子園〜神戸)・(距離 20.7km(今回)/ 105.1km(累計))

  1.甲子園〜神戸・(20.7km) 2012.01.25 9:40〜16:40 曇り


西国・山陽道全行程.Map

「甲子園〜神戸・行程MAP」

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見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

前回から5日後に、第2回目の「中国街道」紀行をO君と実行する。阪神梅田駅で待ち合わせ、前回の終了地点の甲子園駅まで進む。

阪神・甲子園駅

9時40分、冷たい空気だが、陽射しのある道を歩き始める。今回は、「中国街道」と云われる旧街道を「西国街道」の合流地点「西宮神社」 まで進み、「山陽道」の第一歩を踏み出し、兵庫辺りまで進もうと計画する。
真っ直ぐな道を西に進むと今津駅に出ると高架駅になっていて、昔のイメージとは大いに違い、長い間、この辺りに訪れていないことを 認識する。
高架下を抜けて真っ直ぐ進むと道は二叉路になっていて右に進むが、東川に当たり左の道〜通じる橋の手前に、「大岩大神」の 石碑が並んで祀られている。
東川を渡ると三角地の小さな公園がある。この地点を北に向かうと「西国街道」になるようだ。前回歩いた時は、「十日戎」の露店に沿って 歩いたので、この地点は知らなかったが、「西国街道」と「中国街道」の交叉点で、これからが「山陽道」になるのだと。
前の「正念寺」を確認し、この裏辺りが、本来の旧街道だと思いながら、三角公園をポイントとして確認し、「西宮神社」に向かう。

二叉路

大岩大神の石碑

西国街道・中国街道の交叉点


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

西宮神社・本殿

前回の賑やかな縁日の光景ではなく、静かな「西宮宿」跡と思われる道を進むと立派な「蛭児御輿屋伝承地」の碑が立っている。「蛭児」の 人名は知らなかったが、古事記に出てくる、「蛭児」が流されて西宮に流れ着いたという伝説の場所だそうだ。
札場筋との名前の道を見て、高札場があったのかと想像しながら、「西宮神社」の鳥居を目指して進む。

戎参道の常夜燈

道横には「戎参道」の木製の小さな 常夜燈が立ち、「西宮神社」の門前町だと。鳥居をくぐり、「表大門」から、前回の賑やかさとは正反対の静かな境内に向かう。
O君に「十日戎」の賑わいを話し、鮪にお賽銭を貼り付ける風習を話したりとしながら、本殿に参拝する。いよいよ「山陽道」のスタートだと 旅の安全を願い、一息入れる。(10:30)
境内を散策して、国道に面した「南門」から「山陽道」へ歩み始める。

蛭児御輿屋伝承地の碑

西宮神社・表大門

西宮神社・南門


外に出ると立派な神社を囲む全長247mの「大練塀」が続く。練塀とは練り土や漆喰と瓦とを交互に重ねて築いた塀で、強固なものだそうだ。 すぐ隣の立派な「圓満寺」の前から国道から右の旧街道に進む。
しばらく進むと阪神・香炉園駅に至る。駅舎もきれいで、幼い頃、香炉園浜で海水浴を楽しみ、数年前には夙川の堤桜を楽しんだのは少し 上流の所だ。この辺りも震災の影響があったのだろう街並みが変わっている。
拡幅された道に旧街道が分からず、取り敢えず西に向かうが、「道標地蔵」は見つけられなかった。住宅街の道を進むと打出駅近くの道角に 「阿保親王廟」と刻まれた石碑が立つ。 平城天皇の皇子で、在原業平の父でもある阿保親王の墓はこの山手に祀られているとのことだ。

大練塀

圓満寺

阿保親王廟


この辺りの町名が打出小槌町とおめでたい名前で、道筋に「打出小槌郵便局」が建っている。ここに住んでいるとお金持ちになるような 感覚になるのではと。
ジグザクに進むと道角に「白露地蔵尊」が祀られている。宮川を渡り、道なりに進むと国道2号線と合流し、広く感じる歩道を淡々と進むと 芦屋川に当たり、六甲山方向を望む。寒いが青空が気持ち良い。
少し進むと「子安地蔵堂」が祀られ、その先の赤鳥居交叉点には「稲荷神社の赤鳥居」が立っている。
昼食時になったので、先程から食堂を探していたが、見つからず、やっとのことでラーメン屋を見つけて入店する。その後、続々とお客が来て 行列の出来るラーメン屋だったので、ラッキーだと満足する。(12:15-35)

白露地蔵尊 地蔵尊

子安地蔵堂

稲荷神社の赤鳥居



「中国街道・山陽道@」の「紀行スライドショー」

昼食を済ませ、国道を西に進むと、右手に「国道地蔵」の大きな地蔵尊と五輪塔・石仏が祀られている。
「三王神社」の横から右の旧街道に入り、道なりに本山南中学の横を抜けて進むと道角に「花松首地蔵」の祠が建ち、中には首だけの お地蔵さんが祀られている。一瞬、ドキッとする地蔵に驚く。首から上の病に霊験があるとのことだが、「首なし地蔵」と見たことがあるが、 首だけの地蔵は多分初めてではなかろうか。

国道地蔵

三王神社

花松首地蔵 地蔵 説明


再び国道に合流して住吉川を渡る。この辺りも震災の被害が大きかったのか、建物は新しく、歩道も広い。
「本住吉神社」の手前の交差点に「有馬道」の石碑が立ち「是より北江九十丁」と刻まれている。六甲山越えの有馬に通じる道があったのだ。 近くに「西国街道」と刻まれた新しい道標が立っている。神戸市では「山陽道」と云わないで「西国街道」の名前で通っているのだ。 (その後の新しい標識も全て「西国街道」だった)
御影中町2の交叉点で旧街道は南に入りすぐ西に曲がり、突き当たりを北に曲がり国道に出る。国道を西に向かい、大手筋゙交叉点で再び 南に入り、御影中学の西角に新しい「旧西国街道」の道標を西に向かう。
天神川に当たり、川沿いの小さな公園の角に「徳川道起点」と書かれた案内板が立つ。初めての名前なので、説明を読むと幕末、兵庫港 開港に当たり、外国人と西国街道を通る諸大名や武士との衝突を避けるための迂回路として造られた「幻の道」だと。その横に架かる 「一里橋」を渡って西に向かう。この辺りに「一里塚」があったとも。

西国街道の道標

本住吉神社

徳川道起点・案内板 説明


西に向かっていると道角に「処女塚の道標」案内板が立ち、左折して阪神電車の高架下を抜けて進むと高速道路の手前に「処女塚 (おとめづか)古墳」のこんもりとした丘がある。4世紀頃の前方後方墳で万葉集や大和物語に悲恋の物語の舞台として登場するとか。
塚の上に上って周囲を見回す。きっと震災の時は周りが崩壊し、すごい光景だったと思いながら、反対側に降りると「小山田家の碑と 田辺福麻呂の歌碑」が立つ。
旧街道に戻り、西に向かうと道なりに国道2号線と合流する手前に鉄格子で保護された「厄除東向八幡宮」の碑が立つ。

処女塚古墳

小山田家の碑と田辺福麻呂の歌碑 説明

厄除東向八幡宮の碑


  国道を西に向かうと、西灘交叉点で国道は左に向かうが、旧街道は真っ直ぐに進む。
岩屋中橋を渡って右折してJRの線路の一つ南の道を進み、青陽東養護学校過ぎて、拡幅された新しい街並みを左折し、阪神・岩屋駅前の 広場に向かう。地下に潜った阪神電車の上の道を西に進むと小さな「地蔵堂」が祀られ、更に西に向かうと旧臨港線高架の手前に 「脇浜子安地蔵尊」が祀られている。
アーケードのある春日野道商店街の手前に「旧西国街道」の案内板が立っている。今回歩いているのは「本街道」で浜側に「浜街道」があった そうだ。大名と庶民が通る道を分けていたと。
少し進むと「大安亭市場」が奥の方まで賑わっている。先程の春日野商店街も含め、商店街が活気のあるのは嬉しい気持ちだ。この辺りから 雪雲が現れ、風が強くなり、雪が激しく降り出した。

脇浜子安地蔵尊

旧西国街道の案内板 説明

大安亭市場


  風と雪の中を進み新生田川を渡る時、摩耶山方面を望むと雪で煙っている。O君と摩耶山や布引の滝に遠足で来たことを思い出しながら 三宮に向かう。
段々と賑やかになりJR三宮駅に到着し、旅行会社のベンチで一息入れ、暖を取る。(15:25)
寒くなると疲労感は強くなるようで、兵庫までは無理だが、次の神戸駅までは進もうと、気合を入れて「生田神社」方向に向かう。 神社への参拝はパスして、トーアロードを南に下り、大丸の方向に進む。

摩耶山方面を望む

JR三宮駅周辺

生田神社


  大丸の前に「三宮神社」が鎮座する。

三宮神社

説明文には「神戸事件発生の地」とあるが、初めて聞いた事件だ。神戸港開港当時、警備に当たって いた備前藩士の行列の前を横切った外国人を、藩士が無礼討ちにしたのが発端で、大きな国際問題となった。結局、藩士の「瀧善三郎正信」 を責任者として、切腹させることにより解決したと。
先程見た「徳川道」を通っていれば、起こらなかったのであろうが、制度と実行は古今ともに合致しないので、「徳川道」が「幻の道」と 云われたのであろう。良い勉強になった。
旧街道は中華街の一つ北の元町商店街を通るが、中華街は丁度「春節祭」で賑わっているので、寄り道して中華街を進む。平日なので 思ったより人通りは少なかったが、お祭りムードの道で、饅頭を買ったりと楽しみながら進むと中央の公園でイベントが行われている。
中国から来た芸人(?)が一瞬の中に仮面を次々と変えて行く姿に、観衆一同驚き、思わず拍手すると楽しいひと時を味あう。たくさんの観衆と 共に会話や芸能をしばらく楽しみ、中華街を抜け、横の旧街道である元町商店街に進む。

中華街の春節祭

イベント会場

元町商店街


兵庫縣里程元標

  神戸の商店街は地元密着型で賑わっている。港に続く細い道からは「ポートタワー」が望まれ、神戸駅方向に進むと左に「走水(はしうど)神社」 の案内があるので参拝する。菅原道真を祀っており、境内には大きな「銅製の筆塚」が立っている。大阪から歩いて「綱敷天神社」に 次いでの2つ目の「筆塚」だ。
商店街の中に有名な「瓦せんべいの亀井堂」の本店が建っているのに、ここが本店なのだと話しながら商店街を楽しむ。
商店街を抜けた広場に「兵庫縣里程元標」が立っている。明石へは19km、何処か分からないが兵庫県管轄界・梨カ原まで101kmと書かれている。 兵庫県境までまだ100kmあるのだと気を引き締める。反対に神崎川を渡った大阪府からは30km歩いて来たことを確認する。
JR神戸駅の前の広場には「D51蒸気機関車」が展示されているのを確認して駅舎に向かう。 時間的にはもう少し歩けるが、寒さで体力的に厳しくなったので、今日はここで終了することにする。(16:40)
次回はここから兵庫駅への行程の中で、最近大河ドラマで有名になっている「平清盛」関連の史跡も尋ねながら、須磨辺りまで進むことに してJRで大阪に戻る。今日の歩行歩数は35400歩だった。

ポートタワー

走水神社 筆塚

D51蒸気機関車



「中国街道・山陽道A」の「紀行スライドショー」

大阪から福島に行き、O君が知っている「おでん屋」で乾杯する。前半は暖かかったが、後半は寒くておでんの温かさは嬉しい。
西宮以降は「山陽道」と思っていたが、神戸市内は全て「西国街道」の標識だった。どの地点から「山陽道」になるのか、それとも 下関まで「西国街道」なのか、その境界を見つけるのも楽しみだ。






    
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