○ 「山陽道No4」見聞録(土山〜御着)・(距離 19.7km(今回)/ 159.0km(累計))

  1.土山〜御着・(19.7km) 2012.03.14 9:40〜16:05 晴れ


西国・山陽道全行程.Map

「土山〜御着・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

JR土山駅

土山薬師堂

「山陽道」4回目の紀行は穏やかで陽射しが気持ち良い天気の中、前回と同様、O君、N君と3人でJR土山駅から実施する。
新大阪駅でN君、尼崎駅でO君が小生が乗っている新快速に合流し、明石で鈍行に乗換えて、前回歩いた行程を土山駅まで進む。
少し冷たいが、絶好の紀行日和で3人の日頃の行いの良さを称えながら、 前回の旧街道地点まで戻り、「土山薬師堂」から今日の紀行をスタートする。
直ぐに落ち着いた旧街道の街並みが続くのは嬉しい。ウォーミングアップでスローペースで進むとJR山陽本線の踏切を渡り、少し進むと「五社大神社」が 鎮座する。
高畑集落も気持ちの良い街並みが続き、「高畑地蔵堂」が祀られているのを見て進むと右に「長松寺」があり、境内には「天童山老典座和尚と 若き日の道元禅師」と書かれた彫像が立っている。

旧街道の街並み

五社大神社 高畑地蔵堂

長松寺の彫像 説明


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

道なりに進むと国道2号線に当たり、反対側のラーメン屋の横の細道が旧街道で、平岡小学校で国道に戻るので、そのまま国道を進み、右手に 入って行くと「西谷八幡宮」が鎮座し、西谷集落を進むと新在家の五叉路に至り、左斜めの道を進む。 集落を進むと右に東加古川駅が見え、その先の公園に「新在家の五輪塔」が立つ。案内板には、室町初期の作と云われ、「足利左馬頭義氏 の墓」との説もあると。
旧街道はイオン加古川店とマンションで遮られているので、イオンでトイレを借りて、マンションの中の公園で一息入れる。桜の蕾はまだ固いが、 少しピンクが見える。(10:45)

西谷八幡宮

新在家の五叉路

新在家の五輪塔 マンション


マンションの桜並木の道は旧街道に続き、設計時に旧街道を残そうとした意識を感じるが、真偽は?
旧街道が復活し進むと「野口神社」が鎮座し、角には「南式内日岡神社」等刻まれた「道標」が立つ。
その先右に「教信寺」が建つ。

教信寺・本堂 説明

教信寺は天台宗の寺で、ここで没したといわれる教信という高僧の廟跡に建つ。周辺は古代山陽道の加古の駅といわれた地である。 開山堂に納められている教信の頭部像には応仁の乱直前の康正2(1456)年という修保の年代が残り、『日本極楽往生記』には 教信のなきがらのうち顔だけが損なわれていなかったという伝承が伝わる。
また教信の廟墓は、境内にある鎌倉末期の五輪石塔(県指定文化財)である。鎌倉時代に浄土真宗を興した親鸞や、時宗を興した一遍 にも敬慕された。現代に続く野口念仏の起源は、一遍の弟子により始められた念仏踊りである。
現在も教信寺の前には山陽道が通っている。江戸時代とさほど変わらない狭い道を、多くの人が行き交う姿は、 当時の街道の様子を彷彿とさせる。 (ひょうご歴史ステーションHPより)

境内に入ると立派な本堂が建ち、左には「教信の墓」と伝えられる「五輪塔」が祀られている。この辺りは「五輪塔」が多いのは 何故だろうと話しながら進む。

野口神社

教信寺・山門

教信上人廟・五輪塔


道標には「山陽道」の表示が見当たらないが、HP作成時に参照した「ひょうご歴史ステーションHP」には「山陽道」と記述されている。
少し進んだ右に「宝筐印塔」が祀られている。案内板では「和泉式部の墓」と伝えられていると。「西国街道」を歩いた時に、伊丹坂付近で 確認したので、全国にたくさん墓があるようだ。
旧街道を進むと右の高台に「宝来神社」の二つの社殿が見られ、下り坂になり、別府川を渡って進むと国道2号線と平野東交叉点で合流し、 少し進んだ後、右斜めに入って行く。
平岡の集落を進むと右に「龍泉寺」が建ち、境内には「五輪塔」が祀られている。本当に「五輪塔」が多い旧街道だと話し、その説明文を 読むと「山陽道」の文字があるではないか。good!!

宝筐印塔 説明

宝来神社

龍泉寺の五輪塔 説明


少し進んだ小川の手前に「胴切れ地蔵」が祀られている。説明文を読むと面白いので、後ろに廻ってお地蔵様を見ると確かに横に切れた 跡も見られる。横の川沿いには古い建屋とレンガ造りの建物が立ち並び、素敵な景観になっているのでパトリ。
少し進むと連子格子の黒塗りのうだつがある旧家も建ち、「加古川宿」の風情を感じることが出来る。そろそろ昼食の加古川名物 「かつめし」を食べようと店を探すと幟が立つ店があったので、官庁街の喫茶店で「かつめし」の昼食とする。(11:50-12:20)

胴切れ地蔵 説明

古い建屋とレンガ造りの建物

かつめし 旧家



「山陽道No4@」の「紀行スライドショー」

「かつめし」は洋風のカツ丼の様なもので、たまごの代りにデミグラスソースがかかり、皿に盛られているが箸で食べるのだ。加古川名物として PRされて、ローカル色豊かなB級グルメのようだ。その後歩いていると「かつめし」の幟が立てられた店がたくさんあるのに驚く。
昼食でお腹も満ち足りて歩き始める。官庁街を過ぎると加古川駅に通じる広い道を渡ると商店街となる。この辺りが「加古川宿」で 左手に「本陣跡」があるそうだが、丁度工事中で史跡は残っていない。その隣の「わかまつや」の店前には色々な写真が飾られている。 良く見ると「菅原洋一の生家」の看板が掛かり、山口百恵と一緒の写真等、昔の写真が展示されている。
その先の角には、黒壁のうだつのある旧家が残っている。その右には「陣屋」の屋号の人形店のがあり、「陣屋(山脇邸)」の案内板が立つ。 ここの表示は「山陽道」ではなく「西国街道」だ。

菅原洋一の生家

黒壁のうだつのある旧家

陣屋(山脇邸) 説明


商店街を抜けて進むとニッケ(日本毛織)のレンガ造りの工場跡が遠くに見える。昔はもっとたくさん建っていたが、ショッピングセンターに変わったようだ。 旧街道は加古川にぶつかり、加古川橋に向かうと橋詰に「地蔵堂」が祀られている。のどかな春風を楽しみながら加古川を渡る。 昔はこの川を渡るのは大変だっただろうと話しながら渡り切ると「紅梅」が満開だ。

橋詰の地蔵堂

加古川

紅梅


旧街道は橋を渡って左の小道を進んで、再び国道2号線に合流し、少し進んだ平津交番前交叉点から右斜めに進む。
落ち着いた平津集落を進むと「妙見宮」建ち、その先の「福正寺」に参拝すると境内には「石棺仏」が祀られている。室町時代の中期 またはそれ以前に作られたもので、家型石棺の蓋に立像の地蔵が彫られている。
道なりにバイパスの高架下を抜けて進むとJR宝殿駅に至り、駅前広場には「尉と姥(じょうとうば)発祥地の碑」が建っている。ここは 高砂市で結婚式でお馴染の「高砂や・・・」の発祥地であると。これも知らなかった。

平津集落の街並み

福正寺の石棺仏

尉と姥発祥地の碑


宝殿駅から進むと斜めになった「石の宝殿・道標」が立つ。以前行ったことがあるが、巨大な石に囲まれた「生石(おうしこ)神社」が 祀られている一風変わった神社まで13丁と示している。
駅の西側の踏切を渡り、細くなった旧街道を進むと「石の宝殿鳥居」が野中に立ち、横には、山片蟠桃が寄進した灯篭が立っている。 少し進んだ所にはその「石の宝殿・道標」が立つ。
「神爪(かづめ)」とは読めない名前の集落は畑も多く、進んで行くと「山片蟠桃、幼時父と酒屋を営んでいた家跡」の碑が立っている。 山片蟠桃の名前は知らなかったが、N君が大阪の懐徳堂で学んだ江戸時代を代表する町人学者で、大阪府では国際文化賞として 「山片蟠桃賞」を設けていると解説してくれる。彼の出身地なので先程の灯篭も寄進したのだと納得する。
右手の少し高台になっている所に五輪塔や、石像など「神爪の五輪さん」が祀られている。五輪塔が本当に多い。

石の宝殿鳥居 道標

山片蟠桃の碑

神爪の五輪さん


少し進んだ草むらの中に、この辺りでは見られない「男女の道祖神」が祀られている。「中山道」の「信濃路」では数多く祀られていたのが、 ここで見られるとは。
国道2号線のバイパスの高架下を通り、川の手前に「魚川橋の道標」が大きな石に仏様(?)や「左 志方 法花山 清水」などと刻まれている。 川を渡ると旧街道は静かで落ち着いた魚川の集落に入って行く。

男女の道祖神

魚川橋の道標

魚川の集落


太陽が西になり始めたので、進行方向は眩しい。まだ暑くはないが、これからの紀行では午後の歩きは暑さと眩しさとの戦いになるだろうと 話しながら進む。
集落の中に「安楽寺」が建っている。境内には石棺を利用した「水桶」があり、木陰で一息入れる。(14:20)
少し先の「土田家住宅」は、手前に緑色の大正風の旧郵便局舎が建ち、板塀の立派な建屋が建っている。
その先の「正蓮寺」の門前には「月の砂漠 童謡作曲家 佐々木英先生生育の地」と書かれた碑がある。この境内地で生まれたと書かれている。 しばらく「月の砂漠」の歌を唄いながら進むが、途中で歌詞が分からなくなってしまい、年だなぁと嘆くことしきり。

安楽寺の水桶

旧郵便局舎 土田家住宅

正蓮寺 説明



「山陽道No4A」の「紀行スライドショー」

旧街道は魚橋西で国道2号線を斜めに横切って進む。北池の集落を進んでいると何処からともなく甘辛い香りが漂って来る。何処かで経験 している香りの正体は「いかなごのくぎ煮」を煮る匂いだが、集落全体から漂って来るのには驚く。このシーズンに「くぎ煮」を作って親類・ 知人に贈るために作っているのだろうと季節感・地域の特徴を感じながら歩む。
広い道を過ぎ、阿弥陀集落を進むと「地蔵堂」が祀られ、その先の「薬師堂」の前には三体のお地蔵様が祀られている。「地蔵院」の前には 「明治天皇御遺跡・地蔵院」の石碑が立っている。
少し進んだ高台に「大日寺」があり、境内には大きな「五輪塔」と仏様が刻まれた石碑がが祀られている。またもや「五輪塔」だと話し ながら一息入れる。(14:40)

北池の集落

薬師堂の地蔵 地蔵堂

大日寺の五輪塔 石仏


道なりに進むとR曽根駅の高架下に「5基の道標」が並んでいる。そこから右手に曲がって池の横を行くと国道2号線と交わり、長い歩道橋で 渡って右側の山手の豆崎の集落を進む。
山が間近に迫り、自然を感じながら歩むが、この辺りの山々はハゲ山が多く、木が茂っていないのが気になる。岩盤が多くて木が育たない のかと。「地蔵堂」が祀られ、旧街道は倉庫会社の敷地で遮られ、建物を廻るように進み、再び旧街道に戻る。
少し進むと「六騎塚」が祀られている。南北朝時代の史跡が所々に残っているのも「山陽道」の特徴だと 思いながら案内板を読む。ここでも一息入れる。(15:10)

5基の道標

豆崎の集落 地蔵堂

六騎塚 説明


大きな池の脇を通り、レンコン畑が連なっている田舎道を進むと白鷺が飛んでいるのどかな風景だ。小さな「地蔵堂」が祀られ、別所の 集落に入って行く。
「日吉神社」の「常夜燈」を眺めて進むと立派な旧家が建つ。別所の集落は落ち着いた街並みを残している。
国道を渡り、左の細い道を入ると御着の集落となる。

レンコン畑と白鷺 地蔵堂

日吉神社の常夜燈

別所集落の街並み


静かで落ち着いた御着の集落に入ると、右側に石碑で囲まれた「塞の神」が祀られている。少し進んだ所にも同じような「賽の神」が 祀られている光景は珍しい。
右手に「延命寺」が建ち、「明治天皇御着御小休所」の石碑が立っている。その横には「大歳神社」が鎮座し、本殿には古くて鮮やかな 絵馬がたくさん掛けられている。

塞の神

延命寺

大歳神社 絵馬


御着の街並みを眺めながら進むと白壁と黒板塀の立派な旧家が建ち、その前の「御着公会堂」の前には「御着宿本陣」の案内板が立っている。 御着は姫路と加古川の「間の宿(あいのしゅく)」と示されている。「中山道」でも数カ所の「間の宿」があり、本来の宿場より風情が あったことを思い出す。
御着近くの工業団地に少しの間勤務していたが、この辺りは歩いたこともなく、良い街並みを楽しむ。国道を渡った所に御着城跡公園や 司馬遼太郎の「播磨物語」でも有名な「黒田官兵衛孝高」の史跡もあるが、パスをすることにする。
予定では姫路まで行きたかったが、疲れも増して来たので、今日はここまでとしてJR御着駅に向かう。(16:15)

白壁と黒板塀の旧家

御着公会堂 説明

JR御着駅



「山陽道No4B」の「紀行スライドショー」

今日の歩行歩数は34200歩とまあまあだったが、今回の行程では「五輪塔」がやたらと多かったのが印象的だった。 JRで三宮まで戻り、前回は休みだったので、3人で初めてビルの地下にある「市場の居酒屋・丸吉」で乾杯する。天候も良く、快適で 有意義な紀行だったのはそれぞれの個性が発揮され、楽しく話しながら、知らないことも学習出来た。
次回はN君は参加出来ないが、また合流することでお別れする。






    
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