○ 「吉野道 No1」見聞録 

1.京都・五条〜黄檗
 2005.02.17 8:35〜16:00 曇り

2003年に大阪から「熊野三山」への「紀伊路・中辺路」の完全歩行踏破した。次に伊勢神宮からの 「伊勢路」と紀伊田辺からの「大辺路」を歩き、紀伊半島の海岸沿いの古道をほぼ踏破し、後は 「伊勢路・本宮道」での「本宮大社」参拝のみを残すだけとなった。
高野山から「本宮大社」への「小辺路」紀行に先駆けて京都から「高野街道・町石道」で 高野山まで踏破し、今春には山岳コースの「小辺路」踏破をトライする予定だ。

「熊野古道」紀行も残るは「大峯奥駈け道」だけとなった。吉野から「本宮大社」までは行者修行道で 小生の登山能力では難しい古道だ。まずは「小辺路」と同じ様に京都から吉野までの道を踏破した後、 本格的な修行道に挑みたいがどうなるか・・・。
京都から吉野への道を検討したが、「高野街道」のように明確なルートを発見出来ず、久し振りに 歴史の年表や出来事を図書館やサイトで調べる。古くは天智天皇・持統天皇から平安時代の藤原道長、 源平時代の義経、建武の中興の後醍醐天皇等々吉野詣をした方は多い。

色々の説があるようだが、まずは京都から奈良への「大和街道」を探しながら、豊臣秀吉が伏見城 を築いた時に開拓した「伏見街道」をベースに進み、途中から迂回して宇治に向うことにする。
検討に当たり伏見在住の「かばのしっぽ」さんのHP 「ぼちぼちいこか」を歴史的観点も含め最大限参考にさせていただき感謝する次第です。

「伏見街道」のスタートは五条大橋の近くなので、通常通り朝食を食べ出発する。阪急電車で四条河原町に 着いたのが8:35。高瀬川沿いに五条を目指して南下する。まだ早いので静かだ。五条大橋の手前の 緑地帯に可愛い「義経と弁慶」のモニュメントをスタート地点とする。(8:50)
五条大橋を渡り三本目の筋が「本町通り」で「伏見街道」のスタートだそうだ。この本町通りを南下して 進むことにする。北行きの一方通行の道には、旧家が建ち古道を思わせる。

義経と弁慶

五条大橋

本町通りの旧家


この辺りに久し振りに来たので、東に行き豊臣秀吉が朝鮮半島に侵攻した時の遺跡「耳塚」を通り、 秀吉を祀る「豊国神社」に参拝し、今回の紀行の無事を祈る。
境内の横にある「方広寺」の大きな釣鐘を見に行くと修学旅行の中学生が最近はタクシーで廻るらしく 運転手の説明を横で聞かせてもらう。8tonもの釣鐘が一点で釣られ、有名な「国家安康・君臣豊楽」 の銘が見られる。中学生が写真を写しているのと比べると釣鐘の大きさが分かる。

耳塚.. 説明→

豊国神社.. 説明→

方広寺釣鐘.. 銘→・ 説明→


「豊国神社」の前の道を南に進む。「京都国立博物館」の前の道路標識には「大和大路通り」と あるので、これが「大和街道」の名残りかと勝手に推測し、「三十三間堂」横の細い通りを行こう かと考えたが、七条通りを「伏見街道」に戻る。
しばらく進むとJR東海道線にぶつかり、歩道だけの高架橋で渡る。西には京都駅が見え、東はすぐに 東山トンネルが口を開けている。トンネルに入る新幹線をパチリ。高架橋を越えると街道には古い街並みが 残っている。

大和大路通りの標識

東山トンネルと新幹線

古い街並み


「伏見街道」には4つの橋が架かっていたそうで、「第一橋」を探す。街道筋の一橋小学校の校庭に あるそうなので、小学校の周りを廻り校庭に橋を見つける。しかし、先日、寝屋川の小学校で事件が あったので、不審者と見られる恐れがある。丁度、先生らしい方が居られたので理由を説明し、 校庭に入れていただく。「伏水街道・第一」と深く彫られている。伏見は伏水と書かれるくらい 伏流が多く、これが名水の源とか。
先生から「街道筋を離れた道にも、古い史跡がありますよ」とのアドバイスをいただき次に向かう。 小学校の近くには小さな「地蔵堂」が祀られ、これからの道中でもたくさんの「地蔵堂」が見られた。 すぐに「瀧尾神社」があり参拝する。境内には義経ゆかりの「遥向石」が祀られ、大丸百貨店の銘の ある装飾絵が飾られている。

伏水街道・第一橋 説明→

瀧尾神社

遥向石 説明→


ここから「伏見街道」を離れて「泉涌寺」「今熊野観音寺」に向かう。「那智大社」に参拝 した時、隣接する「西国三十三霊場」の一番札所である「青岸渡寺」で納経帳を入手し、いつかは 「西国三十三霊場」参拝をしようと考えていた。
緩やかな坂を上っていく。「泉涌寺」の参道は舗装されているが、車も人も通らず静かだ。中へは 拝観せず入口で一礼。途中にある十五番札所の「今熊野観音寺」に向かう。
赤く塗られた「鳥居橋」を渡り本堂に進む。誰も居らず静寂を独り占めする。本堂で記帳して いただき、観音様に参拝する。写真撮影OKの許可を得て観音様を写すがもう少しアップにすれば ・・・と後で悔やむ。「大師堂」「お地蔵様」にも参拝し、暑くなったのでシャツを一枚脱ぎ、境内の 水を飲み一息入れる。(10:10)

泉涌寺 説明→

今熊野観音寺・本堂 説明→

観音様


鳥居橋

弘法大師像

大師堂

お地蔵様

釣鐘堂


「伏見街道」に戻る。東大路通りの高架下に「伏水街道第二橋」が移設され、歩道の両脇に 欄干の石柱が立っている。川がなく高架下とは少し淋しい感じだ。
少し南下すると東福寺入口の標識があったので左折して寺院の中を進む。思いもかけず「臥雲橋」に 着き、橋の上から「通天橋」が望める。紅葉の季節は最高だろう。本堂で参拝し、三門を巡り境内の 紅梅を眺めながら「通天橋」の入口まで行き、臨済宗大本山「東福寺」を後にする。

伏水街道第二橋

東福寺・臥雲橋

東福寺・三門


東福寺への入口を北から入ったので「法性寺(ほっしょうじ)」を通り過ぎた。「伏見街道」を北へ 戻る。
「法性寺」は藤原氏の氏寺として昔は大きかったらしい。平安時代には初瀬詣の順路として古道 「法性寺大路」(大和大路)があったそうだ。
今回の紀行でのキ-ポイントとして「法性寺」を位置付けこのお寺を見付けたかった。「伏見街道」沿いに あるのでこの街道を歩こうと思った理由だ。「大和大路通り」を南下すれば東山が迫っているので 自然と「伏見街道」に合流するような地形になっているので古人もこの道を吉野に向かったのだろう。

「伏見街道」(大和街道)を戻ると東福寺入口の手前に「伏水街道第三橋」が実際に三の橋川を 渡っている。
結構交通量の多い一方通行の「伏見街道」を南下する。伏見人形店「丹嘉」の趣のある商家が心を 和ませてくれる。

法性寺 説明→

伏水街道第三橋

伏見人形店・丹嘉


「伏見稲荷大社」の境内に入る。さすがに参拝者は多く商売繁盛の神様だ。本殿に参拝し、朱印帳に 記帳してもらい、奥の院への「千本鳥居」を分岐点の所まで進み、奥の院の参拝はせず境内に戻る。
丁度、神楽殿でお神楽奉納が始まり見学する。琴・笛・太鼓と謡で巫女2人が舞い踊る。神事なので 写真は写せないが10数分間趣のある時間を過ごす。ラッキーだった。係りの人にお神楽の費用を聞くと 2-10万円とか。

伏見稲荷大社・鳥居 説明→

伏見稲荷大社・本殿

千本鳥居


「伏見稲荷大社」からJR稲荷駅に行き「ランプ小屋」を外から見る。東山トンネルが出来る大正10年まで 東海道線は膳所から稲荷に廻り京都に向かったそうだ。これは知らなかった。「ランプ小屋」は 当時の遺構で国鉄最古の建物だそうだ。
駅前には古い料亭が建ち古道の息吹が残っている。ここから進んで食堂がなくては困るので、駅に 近い食堂で昼食にする。(11:45)

JR稲荷駅

ランプ小屋 説明→

古い料亭



トンカツ定食を食べて出発する。(12:15)
「伏見街道」は豊臣秀吉が伏見城築城に際し開拓した街道で、京都と伏見を直線的に結ぶべく、当時 伏見近辺に広がる大きな巨椋(おぐら)池に堤防を築き、大坂との陸・水上交通の要として伏見の町を 開発し、古くから開けていた宇治とは観月橋を架け通じさせたとのことだ。

「大峯奥駈け道」へのステップとして吉野への道を考えると平安時代の道を辿る方が忠実と考え、 藤原道真が「吉野詣」を行った古道を出来るだけ歩きたいと調べたが、明確ではない。
サイトで調べた資料によると『大和大路は鴨川の東岸を南下し、稲荷を過ぎるとやや東に向かい宝塔寺・ 真宗院の門前を通り、大亀谷・八科峠から六地蔵を経由して宇治橋を渡り宇治に向かう』とある。 紫式部・藤原道長も巨椋池を迂回してこの道を通ったのだろうと。

JR伏見駅から「伏見街道」を南下するとJRの踏切にぶつかり、直進すると「大和大路」と離れること になる。踏切手前に「腹帯地蔵」を祀る「摂取院」があり、地蔵は見ることが出来なかったが 踏切を渡らず「伏見街道」から離れ、東に小道を進む。
路地のような小道を迷いながら歯痛祈願の「ぬりこべ地蔵」を探し、墓地の中に見つける。参拝し 「石峰寺」に向かう。階段の上に禅宗の特徴ある山門があり、たくさんの石仏が境内に祀られている。 静かな境内での小さな「石仏」は落着いて気持ち良い。お寺は高台に建っているので、展望は なかなかのものだ。

摂取院 説明→

ぬりこべ地蔵

石峰寺 説明→


石仏

石仏

十八羅漢

賽の河原・石仏

展望


「石峰寺」の近くに「茶わんこの井戸」があるとのことで探すが分からず、通りかかった人の アドバイスの道を進むと「摂取院」に出てしまった。諦めて来た道を戻り、ロスタイムがあったのを 取り戻すべく「宝塔寺」を目指して急ぐ。
「宝塔寺」を見つけ、この前を「大和大路」が通っていたと思いながら立派なお寺に参拝するが、 中には入らず次に進む。(13:00)

道なりにJR沿いに進むと左側にかやぶき屋根の山門と本堂を持つ「瑞光寺」の風流な姿に出会い、 今までに見たことがない寺院に驚く。
「嘉祥寺」を通り、資料にあった「真宗院」に到着する。落着いた門前を古人も歩いたと思いながら 進むと名神高速道路が見えて来る。このまま進めば良いのだが、「伏見街道」の「伏水街道第四橋」 や「道しるべ」を見つけたいので「伏見街道」まで戻る。

宝塔寺 説明→

瑞光寺 説明→

真宗院 説明→


JRの踏切を渡り、賑やかな「伏見街道」に戻り、名神高速の高架下を過ぎたところの深草小学校 校庭に「道しるべ」があるらしい。校庭に「道しるべ」を確認出来たが、校門は鍵がかかっている のでインターホンで職員室に用件を話す。先生が来られて扉を開いていただき「道しるべ」の写真を写す。 この時期の学校訪問はこちらも気を使う。先生に吉野・熊野まで歩く予定だと話すと羨ましい・早く そうなりたい・・と。
1本目には『右.京並大津道、すくも京みち。左.ふなのりみち』、2本目には『東.すく京みち、 西.すく宇治.わうはく、左.大津山しな道』とあり、設置場所から小学校に移設され保存されている。 2本目が立っていた場所から宇治・黄檗への道を進むのだ。

JR踏切から名神を

道しるべ−1

道しるべ−2


「伏見街道」を南へ進む。賑やかな通りに面する法性寺と関係のある「西岸寺」を通り、 七瀬川を渡る「伏水街道第四橋」を確認する。現役の立派な橋が残っているのに驚く。これで 「伏見街道」に架かる4つの橋を全て確認出来満足する。

西岸寺 説明→

伏水街道第四橋

伏水街道第四橋の遠景


「伏見街道」から「大和大路」に戻る途中に「藤森神社」に立ち寄る。一部改修中であったが本殿に 参拝し、横の腰痛にご利益のある「御旗塚」に知人の腰痛治癒を願う。湧き水があり、ご夫人が数人 ペットボトルに水を汲んでいるので柄杓で水を飲む。美味い。この辺りは伏流が多く水が豊富なのだ。 伏見の酒水なのだ。「藤森神社」は紫陽花と競馬で有名な神社で広い境内を抜けて、JRの方向・東に 進む。(13:50)

藤森神社・本殿

御旗塚 説明→

藤森神社・鳥居


JR藤森駅の手前に「西福寺」があり、境内に「道しるべ」がある。閉まっていたので扉を開けて 目に付いた「道しるべ」をパチリ。
JR藤森駅の上を越え、線路沿いを南下すると墨染通りと交差する。この辺りは開発が進み、昔の面影は 残っていないが、「大和大路」はこの墨染通りのようだ。

桃山丘陵の中腹にある「清涼院」にも「道しるべ」があるとのことで、墨染通りを横切り坂道を上る。 途中からの見晴らしも良く、上を見ると「桃山城」がそびえている。
住宅地の中に「清涼院」の銘石を見つけるが、お寺らしき建物がないので更に上る。広い道にぶつかり 地図板で確認すると先程の銘石の所だ。「桃山城」の近くまで行きパチリ。
元の場所に戻りお寺らしくない門を開けようとするが、鍵がかかっていて開かず諦める。尼寺なので 用心されているのか?

西福寺・道しるべ

清涼院

桃山城


墨染通りまで坂道を下り、通りを東に上っていく。宅地開発が進む緩やかな坂道が続く。
この峠を「八科(やしな)峠」と云うらしい。八科峠の「八」は多い、「科」は階段状の意味で急な険しい 山道であることからこう呼ばれたとか。

坂道の途中に常夜灯があり、その間の小道を上ると安産の神様とされる「御香宮神社」がひっそりと 祀られている。元の道に戻るとすぐに「等泉寺」が建ち、門前にはなまぐさものと酒を禁ずると いう意味の「禁葷酒」の字句が刻まれた石標が立っている。
やっと峠の頂上に到達する。旧家の前に「八科峠・道しるべ」と「車石」の碑が立っている。 「道しるべ」には『右.京ミち、左.六じぞう」と彫られている現役の道しるべだ。「車石」は荷車が 通り易いように敷いた石のレールで牛車が往来したようだ。よく見るとこの家の石垣は車石で轍の後が ついている。(14:50)

御香宮神社 説明→

等泉寺.. 禁葷酒碑→

八科峠・道しるべ 拡大→


「八科峠」から六地蔵まで一気に下る。上りよりも急な下り坂を進むと六地蔵の大きなショツピングセンターが 見え、JRの高架をくぐると「大善寺」に至る。境内の地蔵堂にはお地蔵様が祀られている。
「六地蔵」は京都の街道の入口六ケ所(奈良街道・西国・山陰・周山・鞍馬口・東海道)に設けられて いる。
柔和なお顔のお地蔵様に参拝し、一息入れる。(15:10)

大善寺 説明→

地蔵堂

六地蔵 説明→


今日の歩行計画はここまでだったが、次のステップは宇治経由で城陽まで行きたいので、宇治での時間を 考えるともう少し進もうと決心する。
交通量の多い府道を進む。歩道があるので「熊野古道」の国道歩きに比べると安心して歩ける。途中 宇治に近付いたことを示す「茶畑」が広がる。木幡を過ぎ宇治小学校の角を左折すると寺院 通りになる。様々な寺院を眺めながら「黄檗山万福寺」に着く。
夕暮れが近くなった「万福寺」に参拝する。昔一度ここで普茶料理を食べたことを思い出す。境内を 進み、「三門」まで行き礼拝して戻る。(15:50)

茶畑

黄檗山万福寺・総門 説明→

黄檗山万福寺・三門


「五条大橋」から「黄檗山万福寺」までの「吉野道」第一回の紀行をここで終えることにする。 洛南方面は余り行かないので土地感がなく地図を頼りの歩行だったが、大きなトラブルもなく無事終える ことが出来た。
「かばのしっぽ」さんのHP 「ぼちぼちいこか」がなければこのように上手くは行かなかったであろう。感謝・感謝!!

「吉野道No1」達成の乾杯をしようと駅に向かうと数人集まっている。銭湯があり、開店待ちの様子で 何時からと聞くと4時からと。数分なので皆さんと一緒に待つ。リュック姿なので何処から来たかと 尋ねられ、五条大橋から歩いて来たと話すと驚いておられた。寒い中の歩行だったが、Tシャツは 汗ばんでいたので丁度良い。一番風呂に入る。小じんまりした銭湯だが、サウナもあり気持ち良い。 汗を流し、着替えをして駅に向かう。

駅近くの中華料理屋に入り、餃子とビールで乾杯する。美味い!!
ご主人がテレビで競輪中継を見ていて、38万円get。知人の依頼分だそうでご馳走にはならなかった。 五条大橋から歩いて来た人が福を持って来てくれたと感謝される。
JR黄檗駅から乗車する。考えるとこの奈良線に乗るのは初めてだ。これからしばらくお世話に なるだろう。京都で乗り換えて18時30分に帰宅する。近いので往復時間が短く楽チンだ。

予定した六地蔵を越えて黄檗まで行くことが出来た。次は黄檗から宇治を経由して城陽まで行き、 その次は城陽から「山背(やましろ)古道」を歩いて奈良に向かう予定だ。
「吉野道」第一回の歩行が無事出来たことに感謝。今日の歩行は38000歩だった。









    
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