○ 「吉野道 No2」見聞録 

1.黄檗〜城陽
 2005.03.01 8:40〜14:40 曇り

3月になった。昔、祖々父が「1月行く、2月逃げる、3月去る」と新年からの時の過ぎる速さを 例えた言葉を思い出す。
薄曇りで少し寒さを感じる中、出発する。前回の黄檗から城陽まで歩く予定だ。宇治近辺は歴史・ 文学史跡も多いので「吉野道」にこだわらず散策したい。

近場なのでいつも通り朝食を取り、JR京都乗換えで進む。前回歩いたコースを車窓から眺めながら黄檗 到着。(8:40)
「黄檗山万福寺」の道まで戻りスタート。府道から外れるので交通量も少なく気持ち良く歩ける。 しばらく行くと広い道に突き当たり、府道を歩かざるを得なくなるが、歩道が広いので安全だ。 国道歩きは「中辺路」のトラックに帽子を飛ばされたトラウマがあり、出来るだけ避けたい。

宇治は藤原道長を始め平安貴族の別荘や歴史上の史跡が多く、又「源氏物語」に関連する史跡もあるので 効率良く巡るべくルートを考えた。
高校時代、古文(当時は国語乙)が大の苦手だったので、「源氏物語」の内容も少しあらすじを覚えて いる程度でほとんど知らない。『宇治十帖』の言葉も今回の下調べで知ったほどなのだが、折角の機会 なので「源氏物語」に関係する史跡も廻ろうと。

「源氏物語」第四十五帖「橋姫」から最後の第五十四帖「夢浮橋」までの十帖は『宇治十帖』と よばれ、その部分だけでも一つの物語になるくらい独立性のある内容で、 橋に始まり橋に終わる 「橋の文学」ともよばれているそうだ。
物語の順序通りではないが、行程に沿って史跡を尋ねようと考えた。

府道を進み、「三室戸寺」に左折する道の少し先の右道路際の「手習の杜」に『手習(てならひ)』 の古跡が立つ。「中辺路」紀行時の「王子跡」を探しながら歩いたのを思い出す。
府道から「三室戸寺」への参道を進むと古い「道しるべ」が立ち、方向を示してくれる。

JR黄檗駅

宇治十帖・手習 説明→

道しるべ


「三室戸寺」は西国三十三霊場の十番札所でつつじ・アジサイ・ハスで有名だ。アジサイの季節に参拝した ことがあるが、時期外れの早朝の参拝者は誰もいない。
山門をくぐり、境内に入るが庭園はまだ冬化粧で緑も赤も見られない殺風景な景色だ。本堂に参拝し、 納経帳に記帳していただく。釣鐘堂・三重塔を静かに眺め、『浮舟』の古跡を探す。三重塔の近くに ひっそりと立っている。『浮舟』は謡曲でも有名らしく謡曲史跡保存会の説明板も立っている。
庭園には何も見られないが境内を散策する。「宝勝牛」を撫でて幸運を祈り、誰にも会わなかった 「三室戸寺」を後にする。(9:45)

三室戸寺・三門

三室戸寺・本殿 説明→

宇治十帖・浮舟 説明→ 謡曲→


三門

釣鐘堂

三重塔

宝勝牛

十三重石塔


「宇治橋」を目標に細い道を史跡を探して歩む。『蜻蛉(かげろう)』古跡は高校横に立っている。 表面には阿弥陀如来・観音菩薩と十二単を着た女性が彫られている。平安後期の作だそうだ。
細い道を進むと「源氏物語ミュージアム」の立派な建物に行き着く。中には入らず横の整備された小道を 進む。「さわらびの道」を歩むと『総角(あげまき)』の古跡碑があり、すぐ横には「与謝野晶子 の宇治十帖歌碑」が静かに立っている。

宇治十帖・蜻蛉 説明→ 刻印→

宇治十帖・総角 説明→

与謝野晶子歌碑 説明→


「さわらびの道」は人影も無く静かな散策道だ。道なりに進むと世界遺産に登録されている 落着いた「宇治上神社」に至る。三門をくぐり、本殿に参拝する。本殿の中の3つのお社が現存する 最古の神社建築で、拝殿が平安時代の住宅様式が取り入れられたものとか。
落着いた境内には清水が湧き、神殿は趣がある。「平等院」とは離れているため参拝者も少なく ユックリとくつろぐ。(10:15)

さわらびの道

宇治上神社・三門

宇治上神社・本殿


「さわらびの道」の名前の由来となる『早蕨(さわらび)』の古跡が道脇に立ち、すぐ「宇治神社」の 鳥居に迎えられる。本殿に参拝し、進むとそこは宇治川だ。「三室戸寺」から『宇治十帖』の古跡を 巡りながら「宇治橋」の上流に到達したのだ。
朝霧橋の赤い欄干をバックに『宇治十帖モニュメント』が平安貴族(匂宮と浮舟)の姿で立っている。 宇治川の流れは思ったより速くきれいだ。

宇治十帖・早蕨 説明→

宇治神社 説明→

宇治十帖モニュメント 説明→


流れの速い宇治川を上る。朱色の朝霧橋を過ぎ、宇治発電所からの急流を渡る観流橋をから流れを 眺める。中の島を眺めると橋の赤と清流が美しい。寒さを感じず風に吹かれているのが気持ち良い。
川沿いの道を戻り、『宇治十帖』の中で浮舟を助けた「横川の僧都」のモデル恵心僧都が再興した 「恵心院」をのぞく。

朝霧橋

観流橋からの展望

恵心院


「宇治橋」に向かって下流に進む。観光都市として道も整備されており心地良い。「開運不動尊」を 過ぎ「橋寺放生院」に参拝する。府道に出る手前の店先に「道しるべ」が立ち奈良への道を示して いる。少し迂回したが「大和大路・奈良街道」に戻ったようだ。左手には「宇治橋」が架かっている。
府道を渡り『東屋(あずまや)』を探す。「三室戸寺」方向に行った所に仏像が立つ。これが 「東屋観音」の『東屋』古跡で、鎌倉後期の作とか。
少し進んだ所に『椎本(しいがもと)』古跡の「彼方(おちかた)神社」が祀られている。これで 宇治川右岸の『宇治十帖』史跡は全て巡ったことになり、「宇治橋」に戻る。

橋寺放生院 説明→

宇治十帖・東屋 説明→

宇治十帖・椎本 説明→


「宇治橋」のたもとに「通圓茶屋」がある。謡曲が趣味の友人(玉壷庵さん)からこの茶屋に飾られている「初代通圓 木像」の撮影を頼まれていた。由緒ある茶屋で一服する。多分依頼がなければ通り過ぎる茶屋の 川辺の席から「宇治橋」をユックリと眺めながら、抹茶と茶団子をいただく。この茶屋の創業は 1160年で源頼政の家臣でその主従関係を物語とした狂言「通圓」が有名とか。又、一休和尚や 宮本武蔵とも関係あるとか。疲れを十分癒して出発する。(11:10)

通圓茶屋 説明→

初代通圓木像 説明→

一休和尚像



「黄檗」〜「宇治橋」の行程の「紀行スライド」



日本最古の橋と云われる「宇治橋」を渡る。改修されて広くて交通の要としての機能を果たしているが、 昔の風情を残した外観は周囲の景色とマッチして美しい。橋の西側には「三の間」と云われる張り出しが 設けられている。ここから豊臣秀吉が茶会の水を汲ませたとか。
この「三の間」から上流の「中の島」が望まれる。川の流れが結構速く、きれいなので茶会の水を 汲むのも問題ないように感じた。古人もこの橋を渡ったと思いながら歩を進める。

宇治橋・右岸から 説明→

宇治橋・三の間

宇治橋・左岸から


「宇治橋」を渡った所に紫式部の像と並んで『夢浮橋(ゆめのうきはし)』の古跡が立つ。
平等院表参道を通らず、横の「県神社」の大鳥居をくぐって進むと「橋姫神社」の中に『橋姫』の 社が祀られている。車が止まっているので上手く写真を撮ることが出来ない。

宇治十帖・夢浮橋 説明→

橋姫神社 説明→

宇治十帖・橋姫 説明→


平等院表参道に戻り、「平等院」に向かう。さすが有名なお寺で参拝者・観光客が多く入場券を 買うのに並ぶ。静かな庭園を進み、池越しに「鳳凰堂」を眺める。
「平等院」は1052年に宇治関白藤原頼通が父道長の別荘を寺院に改めたもので、「鳳凰堂」は、 その翌年に阿弥陀堂として建て、大屋根には鳳凰が飾られ、内部は絢爛な扉絵で、装飾されて いるとか。「鳳凰堂」の前には、池を配した庭園(史跡・名勝)は宇治川や対岸の山並みを取り入れ 、西方極楽浄土を表現したものとか。
本尊の阿弥陀如来像は修理のためなく、「鳳凰堂」には入れなかったが、「鳳翔館」に宝物が飾られ ユックリと見学し、境内の「源頼政の墓」を参拝する。朱印帳に記帳していただき充実した気分で 次に進む。(11:55)

平等院・表門

平等院・鳳凰堂

観音堂


扇の芝 説明→

鳳凰

鳳凰

鳳凰堂

源頼政墓 説明→


宇治川の中洲になる橘島に「橘橋」で渡る。剣崎からは「宇治橋」が眺められ風が気持ち良い。
元に戻り川沿いの「あじろぎの道」を「鳳凰堂」を外から眺めながら上流に向かう。中洲の塔の島と 結ぶ朱色の「喜撰橋」が映え、塔の島には「十三重石塔」が立つ。
更に上ると府道との合流地点の川沿いに『宿木(やどりぎ)』の古跡が立つ。これで『宇治十帖』の 全てを訪れることが出来た。川べりで一息入れる。(12:15)

橘橋

喜撰橋と十三重石塔

宇治十帖・宿木 説明→



『宇治十帖』の「紀行スライド」



宇治の主要な史跡を訪れることが出来、ここから城陽に向かうが、はっきりと「大和大路・奈良街道」の のルートが分からない。地図上で神社・仏閣がある道を通ろうと考えスタートする。
「平等院」の「鳳翔館」前を通り「県(あがた)神社」に参拝する。少し狭い道には「お茶屋」の 旧家が建ち旧道の趣を感じながら、「御旅所」に至る。名前からして街道沿いと推察できる。

県神社 説明→

お茶屋

御旅所


昼を過ぎたので道筋のお好み焼き屋で昼食とする。焼きうどんの昼食を食べながら地図を確認し 出発する。(13:10)
歩道がある府道沿いに進む。「野神社」を過ぎ、白凰時代に建てられた茅拭屋根の本殿を持つ 「神明神社」に参拝する。歴史を感じる古い神社で旧街道に間違いないと確信する。
府道を淡々と進む。JRの踏切を越え、府道の広い道に出る手前の細い道を進むことにする。旧道は JR沿いにあると考えて車に注意しながら南下する。
天照大神を祀る「皇大神宮社」を過ぎ、宇治市から城陽市に入った所に「御拝茶屋八幡宮」の社が 立つ。由来書によると石清水八幡宮を拝む場所として鎮座し「奈良街道」の名前も記されている。 この道が「奈良街道」だ。

神明神社 説明→

皇大神宮社 説明→

御拝茶屋八幡宮 説明→


旧道を進むと「久津川車塚古墳」があり、紅梅が満開に咲き誇っている。「平川廃寺跡」の標識が 立ち、この辺りの史跡の多さが旧街道としての雰囲気を倍増する。
鳥居がありくぐって進むとJRを越えて参道が続き「久世神社」の本殿が鎮座している。旧道に戻り JR城陽駅に向かい、本日の紀行を終える。

久津川車塚古墳 説明→

平川廃寺跡 説明→

久世神社


京都から宇治を経由して城陽までの「大和大路・奈良街道」を推測しながら歩むことが出来た。 今回は『宇治十帖』の史跡を全て巡ることが出来、源氏物語の一端を味わえたので、一度現代訳の 源氏物語にトライしたいと思うようになったのは有り難いことだ。

吉野までの行程はまだまだだが、2回の紀行で新しいことを色々と学ぶことが出来た。他の 「熊野古道・街道」と違ってルートを考えながら、推測しながらの歩行も楽しい。
次は城陽から「山背(やましろ)古道」を歩いて奈良に向かう予定だ。 「吉野道」第2回の歩行が無事出来たことに感謝。今日の歩行は28000歩だった。









    
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