○ 「吉野道 No4」見聞録 

1.城陽〜木津
 2005.06.27 10:00〜17:00 晴れ

3月に「吉野道」の城陽からの紀行を飛ばして、飛鳥好きの方の案内で奈良から「中つ道」を通り、 飛鳥まで歩いた。4月に「伊勢路・本宮道」を志古まで進み、後は山を上り「小雲取越え」と 合流して「本宮大社」に到達するまでになった。

4月の中に高野山からの「小辺路」を進む計画をしていたが、予定の日が雨になったり、急用が 入ったりで実行出来なかった。そのままスイス・ドイツ旅行に行ったりで、紀行が延び延びになってしまった。
空梅雨模様で暑い日が続く中、少し曇っている日を狙って、前回飛ばした城陽から木津近くまで歩くことにした。

「吉野道」の行程を検討する過程で、城陽からのルートが分からずサイト検索で調べると 「山背(やましろ)古道」 にヒットした。山背古道推進協議会が主催するサイトで、城陽市・井手町・山城町・木津町が企画し、 南山城の散策道として普及させている。
本来の「山背道」とは異なっているとのことだが、歴史的な道も含まれ、周辺の市町村の観光地も 踏破出来る優れものと考え、協議会にメールし地図の送付を依頼した。
直ぐに立派な「山背古道・探検ゲームブック」を送っていただき、この地図を頼りに進むことにする。

早朝の方が歩き易いので、「伊勢路」と同じ5時24分発の電車で京都へ。奈良線に乗り換えて城陽に 着いたのは通勤ラッシュ前の6時28分だ。
まだ人影も少ない駅前の案内板には「山背古道」も紹介されており、行政と一体になったルートである ことが分かる。
まだ店の閉まった商店街を抜け、「水度(みと)神社」の参道を上って行く。朝の陽射しはまだ弱く 犬の散歩をする人達と挨拶を交わしながら、鳥居をくぐり木々に囲まれた長い石段を上り、本殿に 参拝する。

JR城陽駅 案内図→

水度神社・鳥居 説明→

水度神社・本殿


社務所の横から「鴻ノ巣山」への散策道となる。スタートを示す分かり易い「道しるべ」が立ち、静かな 遊歩道を上って行く。市街地の近くにこの様な山道があるのに驚く。鳥の声を楽しみながら、木立を 進むと人声が聞こえ、「鴻ノ巣山展望台」の東屋で10数人のシニアグループが談笑しておられる。朝の散歩 の休憩のようだ。挨拶し展望台から景色を見る。早朝の城陽市内が展望出来る。

道しるべ

静かな遊歩道

鴻ノ巣山からの展望


展望台から道しるべに従って、アップダウンに汗を流しながら「城陽市総合運動公園」に向かう。公園の 展望広場にもシニアグループがお茶をされており、横で汗を拭い一服する。(7:10)
そよ風が気持ち良く、芝生の丘を下って「城陽市総合運動公園」の正門から道路に出る。まだ車も 少なく歩道を進むと二人の銅像が立つ「西光院」の前に来るが、銅像の説明は見当たらない。芭蕉と 誰かか??
道しるべに沿って進み竹林の緩い坂を上ると青少年野外活動センターの「友愛の丘」に至るが人影は 見えず、グランドを横切り竹林の緩やかな坂を下る。

城陽市総合運動公園

西光院の銅像

友愛の丘


ルートの所々に「山背古道」のシンボルマークと思われる山型が描かれた丸い標識が道路に埋まっていて 「道しるべ」と してガイドしてくれるのは嬉しい。住宅地に入ると公園に縄文時代の「森山遺跡」が立ち、埋め込み サインを目印に進むとJRの踏切で、JR長池駅が見える。迂回しながら一駅歩いたのだ。
道から少し外れた所の「大蓮寺」にはサツマイモの移植の元祖は青木昆陽とされているが、それ以前に 移植した島利兵衛の甘藷芋型の墓が祀られている。

埋め込みの道しるべ

森山遺跡 説明→

大蓮寺の墓 説明→


道端に小さな「地蔵堂」が見られる小道を進むと「茶畑」「梅林」が現れ、緑が美しく涼しさを 感じさせてくれる。陽射しは段々きつくなり汗が滲む。再びJRを渡ると「桃林」となり、白い紙で 桃の実を覆っている。
常夜灯の様な「二本松の碑」を右折し、「青谷梅林」の中を進む。梅の実はほとんど取られており 作業していた方に聞くともう最後の収穫とか。今年は雨が少なかったので出来は今一と。「紀伊路」 を歩いた時、梅を干していたのはもう少し時期が遅かったと思い出しながら歩を進める。
梅林を抜けた所に「中天満神社」が梅とマッチするかのように建っている。(8:20)

二本松の碑

青谷梅林

中天満神社


少し進んだ所に「龍福寺」があり、石段を上ると祠の中に頬に手を当てている「石仏」が祀られている。 珍しい石仏だ。
進む道端に「地蔵堂」が点在している。ここは古道だろうと想像出来る。字が読めない石碑が建って いたり、梅の 木の下に熟した実が落ちているのを見たり、竹林・梅林を抜けると「市辺(いちべ)天満神社」が 建ち、石段を上り本殿に参拝し、石段に座りお茶を飲み一息入れる。Tシャツは汗で色が変わって来た。(8:40)

龍福寺の石仏

梅の木と落梅

市辺天満神社 説明→


畑の間の道を通り、小さな集落を縫うように行くと「青谷川」に出て、ほとんど流れがない草一杯の 土手の道を進む。城陽市から井手町に入った。
少し府道を進み、集落の中に入ると「地蔵堂」が祀られ、古い時代を偲ばせる「土塀」や蔵が続く 落着いた古道を楽しむ。広い道との角に「タイル貼りの道しるべ」が立ち、的確に方向を知らせてくれる。

青谷川の堤

土塀

タイル貼りの道しるべ



南谷川を渡った所に鳥居と長い階段があり、上ると立派な「高神社」の本殿が建つ。木々が茂り なかなかの雰囲気だ。下って階段で一休み。この辺りは「谷川ホタル公園」として有名で夜は蛍の乱舞が 見られるとか。
川沿いの土手を進み、橋を渡って左折すると梅林で梅を収穫している。この辺りから「多賀の果樹園」 の中に入り、タケノコ・イモ・柿・みかん畑が続く。やはり木立の中を歩くのは気持ち良い。
古道の脇道に「小野小町塚」がひっそりと立っている。説明板はきれいでさすが小町か。

高神社・本殿

梅の収穫

小野小町塚 説明→


陽射しが強く蒸し暑くなって来た。水分の補給に努めながら進む。苗が育ってきている棚田を見て いると集会所があり、休憩が出来そうなので入る。トイレで顔を洗い冷たい茶をいただく。(10:30)
この辺りは「椿坂」と云うらしい。玉川の橋本橋を渡ると用水路から水が勢い良く流れ出している。 「宮本水車跡」で横には碑が建っている。のどかな道脇には三体のお地蔵さんを祀る「地蔵堂」が あり、田んぼ道を進むと井手町と山城町の境界となる渋川の土手を歩く。 「竹の型の道しるべ」を目印に堤から下りる。

椿坂の集会所

宮本水車跡 碑→

竹の型の道しるべ


堤を下った所に「出世地蔵」が祀られ、野中の道を淡々と進む。 天井川になっている天神川の天神橋を渡り、堤を下ると「綺原(かんばら)神社」が鎮座する。
その前に「蟹の恩返し伝説」の「蟹満寺」が建っている。心優しい娘が捕らえた蟹を助けたことから 幸せになる・・・・伝説は、後で行く不動川堤に説明文がある。お寺のお堂には「蟹の額」が掲げ られている。

出世地蔵

綺原神社

蟹満寺 額→


「山背古道」のルートを示す「埋め込み道しるべ」はポイント毎に埋められていて間違いなく進める優れ ものだ。3種類あり、30cmの大きな「道しるべ」は山型のシンボルマークに「山背古道」と書かれている。
少し小さい17cmの黄緑色は山型が描かれ、道角で方向を示してくれている。
もう一つの17cmの茶色の「道しるべ」が凄い。これは近隣の子供達の手作りで、山型と自分の名前が 印されている。「山背古道」の存在を自ら「道しるべ」を作ることにより知り、それを埋めることで 古道の場所を認識し、自分が作ったものを保持しようとする気持ちが生まれると思う。
単に行政が設置する以上の効果が生まれるだろう。「熊野古道」でも集落の子供達の手作り 「道しるべ」を見て来たが、ここまで統一された中に個性のある「道しるべ」は初めてだ。(ただ 茶色は道の色と同化して少し見難く見落とすことがある・・・)

大きい道しるべ

小型の道しるべ

子供達手作りの道しるべ


「埋め込み道しるべ」に沿って集落の細い道を進み、JRの踏切を渡り天井川の不動川の堤を上ると 「蟹の恩返し伝説」の解説板が立つ。 不動中橋を渡り、再びJR踏切を越えてJR棚倉駅に向かう。この辺りで昼食をしなければ・・・と 考え、食堂を探すと駅前に喫茶店があるので一安心。
食事の前に駅前にある「涌出宮(わきでのみや)」に参拝する。並木道の参道を進むと鳥居と ひっついた珍しい神殿に驚く。後には立派な本殿が建っている。

駅前の喫茶店で定食を食べ、水も一杯飲む。(11:40-12:10)
暑い陽射しを浴びながらコンクリートの歩道を進む。JRの高架下をくぐり、地図に従って歩く。道脇に「春日 神社」の赤い土塀に出会い、府道を通り旧道に入ると前方後円墳の「椿井(つばい)大塚山古墳跡」の 広場に至る。

涌出宮

春日神社

椿井大塚山古墳跡 説明→


椿井の集落の細い道を南下する。「阿弥陀寺」を過ぎ、「お茶問屋」が連なる道筋を進む。 中国から伝来したお茶は室町時代にここ山城で栽培され、全国に広がったので、ここに「お茶問屋」が たくさん集まっているとか。
木津川の堤の下に「円成寺」が建ち、その横に「泉橋寺」の大きな「地蔵石仏」が鎮座している。 こんなに大きなお地蔵さんを見たことはない。お堂が応仁の乱の戦火で焼けたそうだが立派な地蔵だ。

阿弥陀寺

お茶問屋 説明→

泉橋寺の地蔵石仏 説明→


木津川の堤防に上る。風が気持ち良く帽子を飛ばされないように脱ぎ、汗まみれの頭にも涼風を 当てる。「泉大橋」に向かって堤防を進むと「三川合流25km碑」を見つける。山崎の合流地点から 25kmも上流なのだ。木津川は空梅雨の影響か流れは少なく細い。橋の上でしばし涼む。川を渡ると 木津町だ。

泉大橋を望む

三川合流25km碑

木津川を望む


堤防を下りると「大智寺」が建ち、進むとJRの踏切がある。この線はJR学研都市線で木津駅で奈良線と 合流する位置になるのだ。踏切を渡り西に進むと「常夜灯」がポストと並んで立っている。地図上では ここで南に進むのだが、旧泉橋の跡地を見に行こうと木津川に向かう。堤防の下には「常夜灯」や 「昔の船宿」が残っており、堤防を上って川を見るが中洲で橋脚跡は見られないので元に戻る。 「高野道」で紀ノ川の渡しには見上げるような常夜灯が建っていたが、ここのは小さいものだ。

大智寺 説明→

常夜灯

昔の船宿


元の道を進むと「正覚寺」「地蔵堂と常夜灯」が建ち、広い道角に「天王神社」の森が茂っている。
「山背古道」はまだ奈良の方向に進むが、今日の行程は木津駅までとし、駅の方に進む。駅前に食堂 があったので生ビールで乾杯する。Tシャツの色も変る位の汗で店の人も何処から歩いて来たのか・・・と 不信顔だった。(14:00)
一息入れて木津駅のベンチでTシャツを着替えて京都に向かう。

地蔵堂と常夜灯

天王神社 説明→

木津駅


久し振りの古道歩きだった。城陽から木津までの予定のコースを「山背古道ガイド」に沿って迷うことなく 完歩出来た。「山背古道」ルートを企画し・試行し・実現し・検証された推進協議会のメンバーの方々の ご努力に敬意を表したい。特に「埋め込み道しるべ」は初めての者にも分かり易く、子供達の作った 道しるべは楽しかった。今日の歩行は42000歩だった。

次は前回の「中つ道」までの行程を歩いて空白行程をなくしたい。そして、飛鳥から吉野までの行程を 1-2回で踏破し、蔵王堂に向かおう。


お世話になった「山背古道推進協議会」のHPは ◎「山背古道」◎です。








    
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