○ 「吉野道 No5」見聞録 

1.木津〜新大宮
 2005.10.20 10:00〜15:20 晴れ

暑かった夏が終わっても、なかなか秋が来なかった。暑さと秋雨で次の紀行に行けなかった。「小辺路」の 残りを歩こうと考えていたが、都合の良い日は雨が降り、やっと秋晴れが続きそうになったので、民宿を予約すると 工事関係者で当分満杯とのこと。

「小辺路」を断念し、「吉野道」の歩いていない隙間を埋めることにする。前回、「山背古道」を城陽から木津まで 楽しく精密なガイドブックで歩くことが出来た。この地図には木津から奈良県の境まで記述されているが、それ以降は 推測するしかない。
京都から奈良までの平安時代の道は識者の間でも明確でないらしい。今の奈良坂近辺ではなく、「歌姫街道」から 平城京跡付近に通じていた説を取り入れ、その辺りの史跡・神社を辿り、春に歩いた「中つ道」スタートの新大宮駅に 進むことにする。

通常通り朝の散歩をし、朝食を食べて7:30出発する。まだ通勤時間帯なので京都までは立ち、京都発9:19のみやこ路快速で 木津に向かう。座ったが満席で立っている方もいる。「吉野道」を歩いた車窓を思い出しながら眺めていると、宇治で 観光客らしい方々がたくさん降りられる。宇治観光の方も多いのだ。10時前に木津に到着。

前回ここに到着したのは暑い日だったことを思い出しながら、ガイドブック通りに前回の最終地点「天王神社」まで戻る。 10/22-23が秋祭のようでたくさんのノボリが立っている。
「天王神社」の横から奈良へのスタート。井関川を渡ると昔懐かしい「火の見櫓」が立ち、雰囲気が街から街道モードに入る。 古い家並みが旧街道の面影を残している。

天王神社

火の見櫓

古い街並み


道端にたくさんの「お地蔵さん」と地蔵堂が祀られ、快晴の旧街道を進む。広場の中に集会場の「いずみホール」が建ち、 ガイドブックによると中に珍しい神輿が飾られているとのことで見学に入る。神輿の上にふとんが載せられた珍しいものだ。
曲がりくねってR24の下をくぐると「岡田国神社」の大きな鳥居が迎えてくれる。大谷交差点を少しR24に沿って歩くと 小さな井関川に当り、川沿いを進むと懐かしい子供が作った「山背古道・道しるべ」が道に埋まってる。方向が決まったので 安心して進む。「道しるべ」はありがたい。

お地蔵様

岡田国神社・鳥居

道しるべ


井関川沿いに進み、JR大和路線の踏切を渡ると左手に大きな「文廻池」が秋の陽に輝いている。池畔では釣人が静かに 竿を下ろしているのどかな風景だ。
池からR24に下り、国道沿いに市坂バス停に向かう。バス停の手前で国道を渡り、旧道に進む。常夜灯や地蔵堂が道角に建ち 「土塀の旧街道」が気分を落着かせる。近くの畑には柿が見事に稔っており、秋本番だ。

視界が開け宅地造成地のような所に出て来た。階段に鳥居があるので上ると「宇賀魂神社」の小さな祠が祀られており、 下には広々と田畑と遠く学研都市が望まれる。これから先は行止りなので、坂を下りJRの踏切に至る。

文廻池

土塀の旧街道

宇賀魂神社 祠→


ここで「山背古道・ガイドブック」のサポートは終わる。城陽から「吉野道」の指針としてガイドしてもらった。感謝・感謝!!

お世話になった「山背古道推進協議会」のHPは ◎「山背古道」◎です。

踏切の手前で座り込み一息入れる。(11:00)
奈良市の地図を取り出し、ルートを確認する。歌姫街道に向かうが、その間の史跡のある所を縫って進むことにする。 踏切を渡り、JR沿いの農道を奈良方面に向かう。木津ICが段々と近くなり平行するR24の車の量が増える感じだ。池があり JR沿いに進めなくなったので、R24に出て国道を進むと京都府と奈良県の境界の標識を見て奈良県に入る。

JR沿いの道

木津IC

京都府・奈良県境


JR平城山駅を下に見ながらR24を南下し、ならやま大通りとR24の高架下をくぐると「奈良・西ノ京・斑鳩自転車道」に 出る。普通の道だが、斑鳩まで続くサイクリングロードなのだ。古くなった舗装道路を進むとこんもりとした森に当る。
これが「仁徳天皇皇后・磐之媛命陵」の古墳で、磐姫は古事記では嫉妬深いとされる女性であるが、万葉集では愛情深い、 けなげな女性と思われる歌があるそうだ。
「歴史の道」の道しるべに導かれ、御陵に沿って右に進むと「円筒埴輪」が飾られ、説明板がある。この御陵は 「ヒシアゲ古墳」と呼ばれ、南に「コナベ古墳」「ウワナベ古墳」がある。この辺りは古墳墳丘だとか。 ここで一息入れ静けさを味わう。(12:00)

奈良・西ノ京・斑鳩自転車道

仁徳天皇皇后・磐之媛命陵

円筒埴輪 説明図→


御陵に沿って静かな遊歩道「歴史の道」を北西に進む。御陵の外れに「石仏の祠」が祀られ、穏やかな奈良盆地の畑に出る。 前方には生駒山が望まれのんびりとした道を西に進む。途中の墓地には「お地蔵様」が並んで祀られている。
しばらく歩くと細い舗装道路に出会う。これが現在の「歌姫街道」で平城京跡から木津に向かっている。奈良・平安時代の 「歌姫街道」はもう少し西あるいは東との説があるそうだ。

歴史の道

石仏の祠

のどかな畑道


狭い「歌姫街道」を北に向かうと左手に森が現われる。「添御縣坐(そうのみあがたにいます)神社」だ。 ここからもう少し坂を登り、振り返ると奈良の都が見下ろすことが出来る。ここから袖を振れば、遠くからでも 見えて、別れを惜しむことが出来るのであろう。
長屋王の「佐保すぎて、寧楽(なら)の手向(たむけ)に置く幣(きぬ)は、妹も目離(めか)れず、相見しめとそ」の 歌が有名だとか。境内に歌碑が建つ。
鳥居をくぐり、静かな境内に入り本殿に向かう。お百度を踏む女性が裸足で参拝しておられる。手を合わせて休憩する。 長屋王の歌碑に加え菅原道真の歌碑も建っている。(12:15)

歌姫街道

添御縣坐神社・鳥居 説明図→

添御縣坐神社・本殿 歌碑→


「歌姫街道」を元に戻り、右折すると細い田舎道になり、田畑が広がる。この辺りは平城京の松林苑と云う庭園があり、 3/3,5/5の節句の日に宴会をしたとか。この松林宮に歌舞をする妓女が住んでいたので歌姫と云う美しい名前が生まれた のだそうだ。
正面の小さな丘が「塩塚古墳」だ。松林宮の発掘調査によると墳丘を築山に濠を池として利用した可能性があるとか。
次に進むべき「瓢箪山古墳」に向けて、地図を頼りにくねくねと道を縫いながら進む。小高い丘が古墳と目星を付けて。 「瓢箪山古墳」は陽の光で輝いている。この辺りの古墳は前方後円墳が多いようだ。
古墳を廻るように進むと「上吉常池」に出る。池には水鳥が羽根を休めている。池の周囲で少し道を間違えるが、修正して 次の御陵に進む。

塩塚古墳 説明図→

瓢箪山古墳 説明図→

上吉常池


「成務天皇陵」と「垂仁天皇皇后陵」の間の遊歩道は気持ちの良い小道だ。両方の御陵の濠の間に松並木が続く。まず 右側の「成務天皇陵」に参拝する。成務天皇は13代天皇(131-190年)で崩御は107才とか。
反対側には11代垂仁天皇(BC29-AC70)の皇后で日葉酢媛(ひばすひめ)の御陵が掘りに囲まれている。正面には行けず 横から参拝する。
この辺りは本当に静かで落着いた空間だ。すぐ右前方に「称徳(孝謙)天皇陵」があるのだが、民家が密集していて 分からず、通りがかりの方に聞くと正面は路地を廻った所と教えていただく。進むと大きなショッピング・センターの 広い駐車場に出た。先程までの静かな空間と賑やかな空間のアンバランスに奈良の街の深さを感じる。
「称徳(孝謙)天皇陵」に参拝する。46代孝謙天皇(749-758)は聖武天皇の娘の女帝で一旦退位するが、藤原仲麻呂の乱 で、孝謙上皇の寵臣・弓削道鏡を除こうとする謀叛が発覚し、再び48代称徳天皇(764-770)として即位した。このように 再度即位することを重祚と云うそうだ。和氣清麻呂と弓削道鏡の争いは歴史で習った記憶があるが・・・。(13:15)

成務天皇陵

垂仁天皇皇后・日葉酢媛陵

称徳(孝謙)天皇陵


近鉄百貨店とジャスコが並んで建つショッピングセンターで昼食にすることにする。食堂は一杯で適当なものがないので、弁当を 買って元来た道を戻り、「八幡神社」に参拝し、境内だ昼食にする。(14:00)
のどかな田舎道を進むと御前池畔に「釣殿神社」があり、直ぐ横に「佐紀神社」の鳥居が迎えてくれる。本殿に参拝し、 「歌姫街道」を無事歩き通せたことに感謝する。
佐紀池の横を南下すると「平城京跡」が見えて来る。広い通りを右に進み、二条町の交差点に祀られている「地蔵堂」に 行く。道の真ん中に祀られ、道路が地蔵堂を避けて分かれている由緒あるものだ。

八幡神社・鳥居 本殿→

佐紀神社・本殿

二条町・地蔵堂


「平城京跡」に入る。広々とした空間が広がり、当時の壮大な都の一端がうかがえる。小学生の頃、遠足で来た記憶が あるが、何もなかった記憶しか残っていない。
東側を見ると芝生の空間の向こうに「三笠山・若草山」が青空の下に望まれる。南には「朱雀門」が小さく見えている。 芝生に座り・寝転んでしばし静けさと青空を楽しむ。「朱雀門」の方に進むと「大極殿」再興の工事中の建物が囲まれて いる。空気を味わい楽しみながら「朱雀門」に近付いて行く。立派な建物だ。
近鉄電車の踏切を渡り、「朱雀門」の真下に行き見上げる。古さがないので少し残念だが、当時の姿を再現したものだ そうだ。門の下でボランティアの方が観光客に説明している。正面に廻ると朱雀通りの広い道が設けられ、横に「世界遺産」の 碑が建てられている。

平城京跡・三笠山を望む

平城京跡・朱雀門 説明図→

平城京跡・朱雀門


大極殿の再興現場

朱雀門の正面

世界遺産の碑


木津から「平城京跡」までの行程を「山背街道」と「歌姫街道」を中心に歩いた。藤原道長が歩いた道とは云えないが、 ほぼ近辺を歩いたと自己満足する。
これで「吉野道」の途切れていた区間を埋めることが出来たので、近鉄・新大宮駅に向かう。春にはここから飛鳥まで 歩いたのだ。後は飛鳥から吉野までを歩けば「大峯奥駈け道」の前段階を達成することになる。今年中に行けるか、 日程的に少し難しいが、早く到達したいものだ。

秋晴れの気持ちの良い日に歩いた。奈良の街は京都と違って広々としている。古墳と神社が続くと思えば、近代的な ショッピングセンターが現われたりして変化に富んだ街だ。
「吉野道」もこれで70%は進んだ。次は吉野だ!!









    
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