○ 「吉野道 No7」見聞録 

1.芋峠麓〜吉野・柳の渡し
 2006.06.13 9:15〜15:00 晴れ

前回、「飛鳥〜芋峠麓」を同行していただいた風人さんから「芋峠越え」のお誘いをいただいたが、 先約があり残念ながら参加出来ず、後程紀行記を参考にさせていただくとお断りした。
紀行記が出来るまでに、先行して「大峯奥駈道」の第一歩を進むことにし、5/1に実行した。

風人さんの立派な紀行記が完成し、詳細な地図も掲載されているので、そのmapをガイドに「吉野道」の 最終行程を踏破することにする。

◎「風人さん」のHP「飛鳥三昧」

雨が良く降ったり、予定があったりと延び延びになっていた「吉野道」最終行程を天気予報が晴れ とのことで実施する。
前夜はW-CUPのオーストラリア戦が22時からあり、1点先行も後半に逆転され1-3で敗れた。先行していただけに 用兵、戦術面でどうにかならなかったのか・・・残念でなかなか寝付けなかった。

前回訪れた芋峠の麓までバスで行こうと時刻を調べ、連絡バスの始発に乗ろうと6時過ぎに出発する。 大阪で乗り換え天王寺に。前回の経験から近鉄阿部野橋駅で弁当を買い、ウトウトしながら飛鳥へ向かう。 途中、女子高校生がたくさん乗って来てうるさくて目覚め、今日の計画を思いながら飛鳥駅に到着する。

飛鳥駅

金かめバス

バスの発車時間まで時間があるので、近くを散策したりして時間を潰す。8:39発のバスで高松塚を経由して 健康福祉センターで下車する。ここからは明日香村循環バス(金かめバス)に乗り換えて栢森(かやのもり) まで向かうのだ。

8:50発の栢森行は小生一人で出発する。運転手と話しながら石舞台を通り、前回歩いた方向に進むが 途中から道が違うようで、前方を見つめていると上集落でUターンして、石舞台近くまで戻り、前回歩いた 道を進むので一安心。各集落の老人を乗せるために巡回しているそうだ。
稲渕の棚田には水が張られ、田植えが済んでいる美しい風景を写生をしている人影も見られる。 飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社や女綱を見ながら、終点の栢森に到着する。バス停には数人の老人が バスの到着を待っておられた。貴重な交通機関なのだ。(9:10)

風人さんのHPのガイドMAPを取り出して、これからのルートを確認して進む。

(風人さん提供のガイドMAP)

栢森は3ケ月前の奥飛鳥散策時、帰りのバスに乗った所だ。少し蒸し暑いが周りの景色は清々しい。 飛鳥川に沿って上り、細谷川と飛鳥川が合流地点から細谷川の方向に進み、前回昼食を食べた 「加夜奈留美命(かやなるみのみこと)神社」に参拝する。
さあいよいよ小峠を経由して芋峠に向かう。この辺りは道しるべもなく、地元の方以外は道に迷う だろうが、風人さんの地図と紀行記に導かれ田圃道を進む。棚田で老人が水を引き耕しておられる ので挨拶し山沿いの道を登って行く。段々、棚田が水田ではなく荒畑になっているのは労力が 足りなくなっているのでは・・と考えながら。

細谷川と飛鳥川が合流

加夜奈留美命神社

水田と荒畑の棚田


段々と暑くなって来る。ウグイスの上手くなった鳴き声を聞きながら、木陰を選んで舗装された農道を 進むと祠が祀られ、あざみの花が咲き、やがて「芋峠・道しるべ」が立つ。説明板にはこの道は戦前 までは生活道路であり、万葉時代には天武・持統天皇が吉野に通った道と記されている。(9:30)
農道から林道に入り、舗装された道に積もる杉の葉の上を選んで急坂を登る。芋峠への道しるべを 確認して、やがて舗装道路から地道になる道を汗をかきながら進む。段々、シダが多くなり下草も 茂り、快適な古道となる。

芋峠・道しるべ.. 説明→

杉木立の林道

シダ・下草の道


湿気が感じられる地道を登る。道端に小さなお地蔵さんが祀られ、旧街道の趣が残っている。急坂を 登り切ると「小峠」の頂上に到着する。木製のベンチが置かれているので、汗を拭いお茶を飲み一息 入れる。(9:50)
頂上の案内板には高取山が望まれるようで、木立の間に見える山がそのようだ。少し休んで下り坂を 快調に下って行く。シダや下草が深い道で気持良く歩が進む。
やがて、木立の間から舗装された新道が見られるようになり、小峠を越えて新道に到着する。

道端のお地蔵様

小峠の頂上.. 説明→

木立の間に新道


新道に降りると犬養孝先生の「古道芋峠道」の説明板が迎えてくれる。学生時代、先生の授業を受講 していたが、5時限目でクラブ活動に行かねばならず、2-3度朗々とした犬養節で万葉集を詠んだことが あった。今思うと真面目に授業を受けておけば・・・と。
新道のカーブの角に祠があり「役行者(えんのぎょうじゃ)像」が祀られている。
先日歩いた「大峯奥駈道」は役行者の修験道として熊野まで続くことを教えられていたので、 新たな感覚で手を合わせる。像には紅い布がかけられ、花も飾られている。熱心な信者が居られるの であろう。像の後ろには「右、よしの山上、左、ざいみち」と刻まれているそうで覗いて見るが、 はっきりと分からなかった。
ここは小峠・芋峠を越えて吉野に向かう参詣道なのだ。新道を少し進んだ所から再び旧道の道しるべ があり、地道を登る。(10:10)

古道芋峠道の説明板.. 説明→

役行者像.. 拡大→

旧道の道しるべ 説明→


雑用も入りHPの作成が進まない中、昨夜はW-CUPのクロアチア戦を応援したが、0-0の引き分け。GK川口の ファインセーブもあったが、得点が取れないのではどうしようもない。
ブラジルvsオーストラリア戦(2-0)も観戦し、首の皮一枚つながっている状態で、ブラジル戦を待つだけだ。奇跡が 起こることを・・・・。


新道から階段のある旧道を登るとウグイスや名も知らない山鳥の鳴き声が励ましてくれる。シダの葉が 道を隠すほど大きく茂っている。しばらく登ると「三軒茶屋跡」の石垣と水汲み場の井戸が残っている。 この辺りに三軒の茶店が旅人を慰めていたようだ。
シダの道を進むと大きな崖崩れで地肌が出ている。先達が歩かれた細い道があるので、滑り落ちないよう 注意しながら渡り切る。

シダの道

三軒茶屋跡.. 井戸→

崖崩れの道


さらに登ると「芋峠神社跡」の道しるべがあり、旧道から離れて登ると石垣と灯篭の壊れた跡のような 廃墟が散乱している。昔、ここに神社があったようだが、今は寂しい限りだ。
再び旧道に戻り、薄暗い杉木立の道を登ると右下に新道が望まれ「芋峠頂上・竜在峠」の道しるべが 現れる。
芋峠頂上に向かって急な坂を息を切らせて登って行くと「ヤマユリ」がひっそりと咲いているのに目を 奪われる。ユリの可憐な姿に一息入れ登る。
登り切って小さな空間があるが、頂上の表示がないので小首を傾げながら反対側を下る。尾根を通り 2つ程ピークを越えるが表示が見当たらず、次のピークで戻ろうと決め進むと小さなハイキング用の道しるべが 木に掛かっていて「芋峠15分・竜在峠1.15」と印されている。やはり先程の空間が頂上だったのだと 反省し、尾根伝いの道で休憩する。風が気持良く汗が引いてくる。お茶を飲み15分位風を楽しむ。 ここから竜在峠への道は杉木立が続く気持良さそうな道だ。(10:50-11:05)

芋峠神社跡.. 道標→

芋峠頂上・竜在峠道しるべ.. ヤマユリ→

芋峠頂上?


元の道を引き返す。先程の頂上と思われる小広場を過ぎ、急坂を下り、道しるべまで戻る。今まで 道しるべが設置されていたのに、芋峠頂上の標識がないのは・・・と思いながら、新道に降りる。
旧道から新道に降りた所に道しるべと犬養先生の説明板が立っている。旧道はここまでで、新道に吸収 されているのであろう。(11:20)
新道の芋峠頂上は切通しとなっていて見通しはきかない。舗装された道を下り始めると金網の張った 祠(?)にお地蔵様が四体祀られている。何か奇妙な祀り方だ。
ここから千股川沿いに吉野川まで曲がりくねりながらの坂道が続く。

道しるべと説明板.. 説明→

新道の芋峠頂上

お地蔵様の祠


舗装道路の下り坂は日照りと足元の硬さでなかなか厳しい。日陰を選び、松葉等の落ち葉が落ちている 所を選びながら進む。青空と新緑の山を望みながら単調な道を下っていると昨日のサッカー応援による 睡眠不足で歩きながら眠くなる。車はほとんど通らない。

単調な下り坂

新緑の道

青空と緑の山々


途中、防災用のヘリコブター基地があり、谷間の土砂災害発生時への対応が図られている。道路脇のガードレールの 外に「アザミ」が咲き、黒アゲハが蜜を吸う姿が時々見られ、単調な歩行にアクセントを与えてくれる。
千股川は道路から随分下に流れていたが、段々と近くになり、せせらぎに降りられる場所を見つけ 冷たい水で顔を洗い、タオルで体を拭い一息入れる。
道筋が開け、「千股川せせらぎ公園」が現れる。ここも防災用にも活用出来るようになっており、 広場の中に東屋があるので昼食にする。1時間下ったので少し疲れた。涼風が気持良く、弁当をパクパク と。(12:25-12:45)
広場の横には立派な「千股持経塚観音堂」の祠が祀られている。

アザミと黒アゲハ

千股川せせらぎ公園.. 説明→

千股持経塚観音堂


千股の集落の中を下る。視界が開け随分下って来たことが分かる。所々にお地蔵様が祀られ、道しるべも 適当に設置されている。
今回の終着点は先日歩いた「大峯奥駈道」のスタート地点であった「柳の渡し」としているので、大和上市 から吉野川沿いに進もうと考えていた。道しるべで上市駅を目指すことにする。
道しるべに従って進むとどうも新しく出来た道のようで史跡はなく坂を登り、下って大和上市駅で 一息入れる。吉野山の方を見ると霞んだ中に「蔵王堂」の堂々とした姿が望まれ、改めてその大きさを 実感する。(カメラでは分からない)川沿いの国道を避けて、一つ山沿いの道を進むと旧道で古い建物が 続いている。

道しるべ

蔵王堂を望む

旧家


吉野川沿いに出て国道を進む。先日渡った美吉野橋の上から鯉のぼりが泳ぐ吉野川を眺め、対岸の 「役行者像」に参拝し、前回間違った道を辿る。民家に通じると思っていた道は先に届いている ようであるであるが、疲れていたので確認までは出来なかった。
橋を渡り、六田駅に向かう途中「柳の渡し」の碑を見て、駅前の酒屋でビールを買い、ホームで汗を拭き 「吉野道」踏破完了を祝って乾杯する。(14:30)

鯉のぼりが泳ぐ吉野川

役行者像

柳の渡しの碑


電車でウトウトしながら阿部野橋に到着する。まだ日が高いが居酒屋に立ち寄り、改めて完歩祝いの乾杯を する。天王寺から大阪経由で無事帰宅する。今日の歩行は30000歩だった。

昨年2月に京都五条大橋をスタートして、7回・1年半で「吉野道」を踏破することが出来た。「大峯奥駈道」 紀行の前段階として京都から吉野までの道を「吉野道」と名付けて歩き出した。
始めは藤原道長が歩いた道を狙って検討した。明確なガイドブックはないので、本やサイト情報を頼りに 検討し、問合せてルートを確認した。
京都から宇治まで、そして城陽までは「伏見街道」「奈良街道」を。城陽からは「山背古道」を通って 奈良まで進んだ。奈良からは飛鳥好きの風人さんに導かれ「中つ道」「明日香村」「芋峠越え」と 詳細なガイドで進むことが出来た。
今回はサイトの先達の皆さんのご協力の賜物と感謝・感謝!!

「吉野道」踏破で京都からの「熊野古道」を「大峯奥駈道」以外を全て踏破出来た。加えて「伊勢路」も。
次は最後の「大峯奥駈道」紀行をやり遂げたいが、第一回を歩き、その難しさを実感した。無理をせず まずは「女人禁制の「山上ケ岳」までを目標に進みたい。慌てずに一歩一歩と!!







    
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