○ 「伊勢路 No1」見聞録 

1.伊勢神宮〜田丸
 2003.12.16 10:00〜15:00 晴れ時々曇り所により雪

いよいよ第2ステップのスタート。 「伊勢路」のスタート「伊勢神宮」からの行程について、ガイドブックを探したが 見つからず、サイトを色々と調べ、 「頑張れ! 熊野古道!!」に問い合わすと、 「三重県のダイビングと熊野古道など」 を紹介されると共に、情報提供を呼びかけていただいた。その結果、ご親切に「東紀州地域活性化事業推進協議会」から たくさんのパンフレットを送っていただいた。

「伊勢路」全体の行程を表わしたパンフレットは 有り難く、今後の紀行のガイドとしたい。「三重県のダイビングと熊野古道など」の「フミキさん」は 「伊勢路」を完全歩行されており、パンフレットと併用して活用して行きたい。ありがとうございました。

パンフレット・表紙

パンフレット・内容


冬休みになり「青春18きっぷ」が販売されたので、これを有効に活用して紀行を進めようと 計画した。伊勢までは結構遠いのでルートを検討した結果、草津からの草津線で行くこととする。

まだ真っ暗な中、5時前に家を出発。寒いが星が少し見える。高槻 5:24発に乗るが、各停で停まる度に ドアが開き寒風が吹き込み暖かくならない。草津着 6:13。小雨が降り、琵琶湖越えの風に震える。 乗り換え 6:15発で初めて草津線に乗る。ドアは手動で開ける寒冷地仕様で車内は暖かく、乗客は小生 一人でノンビリと薄暗い車外を見ているとみぞれ模様になり柘植着 7:04。
接続が順調で 7:12発の列車は通学の学生で満員のため立ったままで亀山着 7:38。雪が積もっているのに驚く。 ここの接続も順調で 7:44発で津・松坂辺りでは空も晴れ、学生も下車してユックリとするが、単線で待機が多く 、少し遅れて伊勢市着 9:30。乗り換えは3回あるが接続が上手く行き、約4時間で到着した。

伊勢市は現役時代、お客様の会社にご挨拶やお詫びに伺ったことを思い出しながら、この様な紀行で訪れる ことの不思議さ・・・・人生とは面白い。朝食は軽くしか食べていないので、駅前で探すが何処も開いていない。 「内宮」行きのバスに乗り、何十年ぶりの参拝へ。

寒空で参拝者もまばらな「宇治橋」を渡ると「内宮」の境内に入る。何時来たのか思い出せない位だ。 「五十鈴川の手洗い場」は思い出せる。手入れの行き届いた境内を行くと、団体客が多いので驚く。 「正宮」の石段下からしか撮影が出来ないので写し、参拝。落ち着いた雰囲気の中で、「伊勢路」の無事・ 安全をお願いする。朱印帳に記帳してもらい「内宮」を後に「伊勢路」のスタート!!(10:35)

内宮・宇治橋

内宮・正宮

内宮・外宮、朱印帳


「おはらい町」のお土産屋さんの中を通り、「おかげ横丁」で伊勢うどんの朝食。太いうどんで・・・・・ 腹ごしらえも出来、「赤福」本店でお土産を買い、出発!!
県道沿いの「猿田彦神社」の横を右折し「牛谷坂」のゆるやかな坂を上る。 「道しるべ」や寺の中に鳥居のある「寂照寺」「長峰神社」を通り、近鉄の高架を越えると「古市」に入る。

「古市」は江戸時代の最盛期には半年で458万人「伊勢参り」の参拝者を迎える江戸の吉原、京都の島原と 並ぶ三大遊郭で妓楼70軒・遊女1000人を数えたと云う繁華街で「油屋」「芝居小屋」「備前屋」跡の 石碑が昔の面影を残す。少し行くと勢田川を渡る「小田の橋」脇にも当時の風情が絵図に示され歴史を感じる。

長峰神社・・ 説明→

油屋跡・・ 説明→

小田の橋跡・・ 絵図→



道なりに歩くと「外宮」の森に 導かれ、鳥居に至る。境内に入ると何となく警備が厳しく、何事か・・・と。「正宮」の警備の方に聞くと 「月次祭(つきなみさい)」とのこと。6月・12月の行事で神官が祭事を行っていたが、最後のところで はっきりとは分からず、もう少し早く来ればと。参拝・記帳し次に進む(12:25)。

「外宮」から県道沿いに寒風が強い中進む。後のことを考えると昼食を取る方が良いが、適当な場所が 見つからず宮川に向けて進む。やがて「参宮道」との分岐点である橋けたの残る「筋向橋」の説明板を見て 当時の盛況さを再認識する。

外宮・正面

筋向橋跡・・ 絵図→

宮川・柳の渡し跡付近



宮川の堤防に突き当たり、この辺りが「柳の渡し跡」だが、特に何もなく桜並木の堤を帽子が風に飛ばされ ない様抑えながら進む。「度会橋」を渡り、堤防脇の「尾崎咢堂記念館」付近に「柳の渡し跡」の説明が あるはずたが、改装工事中で分からず、作業員に尋ねるも???(探していたので写真撮ること失念)

ここからは単調な街並みと畑の中を行くようなので、バスの時刻を調べるが、1時間以上後なので歩を進める。 歩いていると顔は寒風で冷たいが体は少し汗ばむ位で気持ち良い。夏の「中辺路」紀行とは雲泥の差だ。
上地の集落を過ぎ、玉城町に入り、田丸の街並みの中に「左よしのくまの道、右さんぐう道」の「道しるべ」と 説明を見つける。ここが大和からの「初瀬街道」と「熊野街道」の合流点でここから「伊勢本街道」として 「伊勢神宮」へ向かう交通の要所とのこと。本来の「道しるべ」は田丸城址にある玉城中学に保存されている。 田丸城址は小振りながら落ち着いた城で、環境の良い中学校の中に古い「道しるべ」が保存されていた(14:30)。

熊野古道分岐点・・ 説明→

田丸城址・・ 説明→

熊野古道・道しるべ



田丸から栃原までは交通機関もなく歩くしかないので、時間的には無理。今日はここまでとして、列車の時刻 まで近くの「豊富地蔵」と国道沿いの「道しるべ」を確認し、田丸駅へ。食べる所を探すが何もなく、たこ焼き屋 さんを発見し急ぐ。ビールはなく、自転車を借りて近くの酒屋でゲット。駅の待合でたこ焼きとビールで遅い 昼食にありつく。田丸発 15:24で帰路に着く。

列車の暖かさにホッとし、「伊勢路」のスタートを思い出しながらウトウト。亀山・柘植と乗り換え、草津線は 京都行きなので京都まで各停で行く。19:30 帰宅。本日の紀行はガイドブックによると13.1km、32000歩。

西日本に寒波が襲来し、方々で初雪情報、尾鷲でも風花が舞った日に「伊勢路」をスタートした。冬の間は南が 良いと目算していたのだが、伊勢は紀州より寒かった。まず第一歩を踏み出し、継続だ!!
次からどの様に攻略するか・・・計画も楽しもう。








    
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