○「傘寿祝い・奈良のんびり旅」 (2023.04.24-04.25.) 4月中旬、無事「傘寿」を迎えた。その少し前に息子から「傘寿祝い」の奈良旅行を予約したとの嬉しい連絡があったが、当日は東京からの友人来阪で、仲間が 集まることになっていたので、日程を調整してもらい、一週間延ばし、喜んで旅行を楽しむことにする。 7/24-25の一泊旅行は、予約してくれた近場で泊まることは少ない奈良のホテルに行き、のんびりと新緑の奈良の史跡を探訪し、素敵そうなホテルで非日常の 生活を楽しむことにする。 奈良へは何時も近鉄を使っているので、今回は往路は京都経由、復路は大阪経由のJR路線で進むことにする。往路は京都から「みやこ路快速」で 進むことにし、昼前に奈良到着とゆっくりとした行程にする。 9時半頃に家を出て、京都に向かうと京都駅は外国人観光客が多く、さすが京都と思っていたが、奈良行の「みやこ路快速」も外国人観光客の乗客が多く、 奈良駅で降りた観光客はほぼ全員外国人だ。奈良観光も外国人には知れ渡っているのに驚いた。 この三条通りは12年前、小学校以来の友人O君と「伊勢本街道」紀行時に大阪から暗峠を上り、 生駒山を下ってきた旧街道で懐かしい道だ。 当時より整備され、見違えるようになっている。 行き交う観光客は全て外国人で、欧米系の方が多いのは意外だ。 三条通りを進むと猿沢池の手前に「高札場」があり、横には「奈良県里程元標」の木碑が 立っている。 「伊勢本街道」紀行時にチェックした場所で、ここから猿沢池横の「上ツ道」を桜井方面に進んだことを想い出す。 猿沢池の畔を廻ってホテル「セトレならまち」に向かい、チェックインをし、荷物を預けて奈良散策に出掛ける。 ひがしむき商店街に向かう角に高速「餅つき」で有名な餅屋の前には、その姿を観ようと観光客がいっぱいで奈良の風物詩だ。商店街を近鉄奈良駅に向かう途中 、昼食のため中華料理屋に入り「担々麺」と「あんかけ焼きそば」を美味しくいただく。 近鉄奈良駅付近からも外国人観光客が多く、奈良の人気に驚く次第だ。 広い道を県庁方向に歩き「奈良公園」から「東大寺」に進む。公園内の鹿の群れに大声をあげて驚いたり逃げ回る外人の姿に苦笑したりするが、 彼らは真剣に「鹿せんべい」をやり、初めての鹿との交友を楽しんでいるのだと微笑む。 広い通りには団体の外国人観光客も添乗員の旗の下、順序良く行動する姿に、自分たちが海外旅行の姿を想像しながら「東大寺」手前の土産物売場に 向かう。以前、孫たちと「東大寺」を訪れ、土産物として「大仏プリン」を買った店で送付できるかと尋ねると本店でないとダメだと。また、卵不足で 量的にも少なくなっているとのことだ。鳥インフルエンザの影響はこんな所まで来ているのだと実感する。 観光客が多い中を「東大寺・南大門」まで行き、そこで参拝し「大仏殿」参拝はパスして「奈良公園」の中を「春日大社」方向に進むと 藤棚がありきれいな「藤の花」が咲いている。鹿の群れもたくさんいて、その中の小鹿をパチリと。毛の生え代わりの季節なのか、毛艶がないのは 少し残念だ。 「奈良公園」の中を横切るように進むと大きな木が生い茂っている。その一つの案内板には「春日大社境内のイチイガシ巨樹群」と記されている。 「春日大社」が創起された8世紀頃からこの辺りに群生していたと。春日大社の境内は広いのだと再認識する。 「春日大社」の参道に入り、静かな参道を本殿の方に向かう途中には、石灯籠が隙間なく設置され、全国の「春日神社」を含め信者の多いことが分かる。 その石灯籠の間から、可愛い信者である鹿が顔出している。 石灯籠が並ぶ静かな参道を進むと「春日大社・二乃鳥居」が立ち、周辺には観光客がたくさんいる。鳥居をくぐり「春日大社・本殿」に向かい参拝する。 本殿横の木々にはフジの花が咲き乱れ、本殿の朱色とフジ紫色の対比が美しい。 外国人観光客も柏手を打ち、儀礼通りの参拝をしているのには驚く。本殿の周りには鉄製の行灯が立ち並び、夜になると美しいだろうと想像し、横の 出口から退場する。 出口付近には「鹿の像」が祀られていて、「天満宮」に祀られている「牛の像」と同じように、身体の悪い患部を撫でるので、 光っているのを確認し、頭と腰を撫で、良くなるようにと・・・・。 「春日大社」の参拝を終え、参道に戻ると「下の禰宜道」通称「ささやきの小径」の標識が立っている。以前、友人たちと通ったことを想い出し、 静かな小径に入って行く。 参道の人通りから別世界に踏み入れたような静寂の中、森林に囲まれた小径を森林浴を味わいながら進む。 小径を抜けて舗装道路に出ると「志賀直哉旧居」の簡素であるが立派なお屋敷が建っている。文豪がここで執筆されたのであろうと。今は奈良学園大学が 管理されているようだ。 緩やかな坂を下り、広い道を渡ると鷺池が見え「水琴窟」が迎えてくれる。水を穴に注ぐが、音が聞こえない。埋まってしまったのかと残念だ。 池の真ん中に建つ「浮見堂」に向かう。静かな池面にその美しい影が映り、お堂の中のベンチに座り、落ち着いたひと時を過ごす。名も知らない鳥の さえずりを聞きながら涼風を感じながら至福の時間だ。 一息入れた後、池の周りを歩き、荒池を観ながら下ると広い道に出とその先には「春日神社・一乃鳥居」が立っている。春日大社の参道はここまで続いていた ことを確認して「興福寺」に向かう。 「興福寺」の境内に入ると外国人観光客に加えて修学旅行生も多く、さすが世界遺産の寺院だと実感する。 まずは有名な国宝「五重塔」の雄姿を眺める。730年(天平2)に藤原不比等の娘光明皇后により建立された後、5回の焼失・再建を経て現在の塔は1426年 の室町時代に再建された高さ50.1m、初層:方三間8.7mの日本で二番目に高い塔だと。 外国人も感動して方々の角度から撮影している。さすが世界遺産の塔だ。 「五重塔」の前には、2018年に再建された真新しい「中金堂」が建っている。正面37.0m、側面23.0mの大きな建物だ。朱色が美しく「五重塔」の古色と 対比するとその歴史を感じる。 その奥には「西国三十三所」の題九番札所の「南円堂」が建ち、参拝者が多いのが分かる。一面6.4mの八角円堂で現在の堂は江戸時代に再建されたと。 「東金堂」の建物を眺めたりと奈良時代の空気に触れながら、境内の散策を満喫する。 ホテルの夕食が17時からなので「興福寺」の散策を明日に回し、急な階段を降りて猿沢池畔の「セトレならまち」に向かう。 チェックインはしていたので、直ぐに部屋に向かう。3階の猿沢池に面した広い部屋で、窓からは猿沢池が眺められ、快適だ。 ホテルのコンセプトは「奈良のタカラモノをおもてなしに変え、旅の刻に彩りを添えます」とあり、吉野杉を使った内外装と落ち着いた雰囲気の中、 中庭にはウッドパウダーと米ぬかを使用した発酵沐浴の足湯や鶏の放し飼いをしており、地産地消の料理等、非日常を 味わえる素敵なホテルだ。 部屋に荷物を置き、ラウンジに向かい、生ビールを自分で注ぎ、つまみを選んで奈良散策の疲れを癒すべく乾杯する。中庭を眺め、鶏の動きを楽しみ ゆったりとした時間を過ごす。 17時になり、食事処で夕食となる。メニューが示され、次々と地産地消の料理が運ばれ、それに合ったお酒のオールインクルーシブなので、お任せで 料理とお酒を満喫する。8種類の料理が順番に運ばれ、それに合ったスパーリングワイン(スペイン)・日本酒(春鹿)・白ワイン(オーストリア、フランス) ・赤ワイン(スペイン) を堪能する。 料理の盛り付けも素敵で、視覚・味覚でも味わえる美味しさは奈良県産の誇りを誇示している。「奈良に旨いものなし」は死語だと思う程だ。 メニューに奈良県産の芋焼酎があったので注文すると香りも良く奈良でも芋焼酎ができるのだと。 息子夫婦が依頼してくれたのであろうデザートの吉野葛と果物の皿の上に「傘寿おめでとう」記してくれているのは嬉しい限りだった。感謝・感謝 ! ! 料理に満足し、お酒に気持ち良く酔い、ホテルのおもてなしを満喫して部屋に戻る。 曇り空なので、屋上からの星を見る楽しみはできなかったが、バスに浸り、広々としたベッドでゆっくりと眠る。 4/26、ぐっすりと眠り5時過ぎに目覚める。天気予報では雨模様なので心配だが、外を見ると雨は降っていないようで一安心だ。 7時からホテルのサービスでボランティアガイドとの奈良散策があるが、よく知った所なので一人で散策することにする。 6時前に身支度を整え散策に出掛ける。外に出ると冷たい空気に包まれ、さすが奈良盆地の影響かと。猿沢池の周りは誰も居らず、古都の息吹を独り占め する気持ち良さだ。ホテルの前には「九重石塔」が立ち、何か歴史の重みを感じさせる。その傍には、帝の寵愛を受けられなくなった采女が悲しみのあまり 池に身を投げたという「采女伝説」の碑が建っていたりと。 池周辺の散策道を進むと鹿が散歩をしている。高台の「五重塔」「猿沢池」をバックに立つ鹿の姿は奈良そのものだ。 池周辺を冷たい空気を感じながら歩いていると「ならまち」に進む橋の下に石船があり、お地蔵さまが祀られている。 その先には朱色の「采女神社」が鎮座する。奈良時代に天皇の寵愛が薄れたことを嘆き、猿沢池に身を投じた采女の霊を慰めるために創建され< 毎年中秋の名月には、采女の霊を鎮め同時に人々の幸せを祈る例祭「采女祭」が執り行われると。 池の周辺を廻り「南円堂」に向かう石段を上って行く。両側には奉納の旗が立ち並び、曇り空の朝の空気を明るくしてくれる。この階段を上るのは 初めてで、ゆっくり上って行くと新しい発見があった。 階段の途中から左の小径に入ると国宝「三重塔」が建っているのだ。「五重塔」は知っていたが「三重塔」があるのは知らなかったので、新たな 発見に心躍る。鎌倉時代創建で高さ19.1m、初層:方三間4.8m の落ち着いた塔をしばし魅入る。「三重塔」も美しい。 階段を上り、誰もいない「南円堂」に参拝し、その奥にある「北円堂」に向かう。この「北円堂」も国宝で一面4.9mの八角円堂で現在の堂は鎌倉時代に 再建されたと。 まだ観光客も訪れていない無人の「興福寺」境内を散策する。昨日は人が多くて写せなかった「中金堂」と「五重塔」をバッチリと写すことができた。 やはり、早朝の散歩は気分的にも気持ち良いものだ。 「五重塔」方向に歩いているとここでも無人の境内を楽しんでいる鹿の行列に出会う。昼間は隊列で歩くのは難しいが、早朝なのだ親子や縁者が 堂々と歩いているのは嬉しい光景だ。 無人の「五重塔」をゆっくりと堪能して、急な石段を「猿沢池」方向に戻り、木製の外壁に飾られた「セトレさるさわ」に戻る。石段から観る ホテルの外観は美しい。 部屋に戻り、妻に散策の様子を話すと朝食後、一緒に人の少ない「興福寺」を歩きたいと。滅多にない経験なので、実行することにする。 7時30分からの朝食も素晴らしかった。席に通され、サラダ類と味噌汁をカウンターから取って戻ると事前に選択した「おにぎり」が運ばれてくる。 6種類ある「おむすび」から2種類選ぶので、それぞれ別の「おにぎり」を選び、残りの2種類は後で追加することにする。選んだ4種類の「おむすび」 @おかか明太子 A奈良漬けクリームチーズ B大和牛しぐれ煮 C大和太葱葱味噌 が美しく並べられている。 次に美しく並べられた食材のお盆が運ばれてくる。左上から@白鳳卵出汁巻き A本日のお魚幽庵焼き B大和肉鶏味噌そぼろ C大和牛しゃぶしゃぷ D白鳳卵茶碗蒸し E本日のお惣菜 F梅干しと浅漬け G大和ポーク網焼き H大和大鉄砲豆腐冷奴 と地産地消の美味しい料理だ。 お味噌汁とおかず・おにぎりを美味しくいただき、残りのおむすび(D白鳳卵焼き鮭いくらのせ E焼きおむすび) を追加で頼み、 満腹至極の朝食だった。大満足だ。 品数も多く、美味しいおかずとおにぎりで満足し、中庭を見ながらコーヒーで至福の時間を過ごす。 中庭には放し飼いになった鶏が餌をついばみ、その生んだ卵を運が良ければ貰えるのだと。 少し雨が降っている中、傘を借りて妻を案内して、先程散策した「猿沢池」⇒「三重塔」⇒「南円堂」⇒「北円堂」⇒「中金堂」⇒「五重塔」を まだ観光客がいない「興福寺」境内をゆっくりと楽しむ。この時間の散策は素晴らしい。 チェックアウトを済ませ、荷物を預けて「ならまち」散策に出掛ける。何度も歩いているので「ならまち」の雰囲気を味わおうと「猿沢池」から 「ならまち」に入って行く。 まだ人通りのない静かな街並みには、うだつのある旧家が建ち、落ち着いた雰囲気だ。その先に「猿田彦神社」が鎮座し、「上ツ道・伊勢街道」の 看板が立っている。「伊勢本街道」を歩いた時のことを想い出す。格子・白壁の街並みを楽しみながら進む。 人通りがないのを少し寂しく感じながら「ならまち」を巡る。通りの町家の格子に「庚申堂」で祀られている「身代わり申」が各家に吊り下げられ、 独特の雰囲気が残っている。街角の漢方の薬屋の看板も風情がある。 狭い通りを曲がりくねって進むと「旧元興寺跡」の「奈良町資料館」を確認し、少し道に迷いながら「ならまち格子の家」を見学する。分かっているつもりが 道に迷いながら世界遺産「元興寺」を見付け、参拝する。さすが世界遺産なので、修学旅行生の参拝が多く賑わっている。 早足だったが「ならまち」散策を終え、ホテルに戻り荷物を受け取ると鶏の卵を1個いただけた。今朝、庭で生みたての卵だ。帰宅して翌朝 目玉焼きにして美味しくいただいた次第だ。 快適だったホテルの雰囲気・食事に満足し、スタッフの見送りで退出する。良きホテルだったと息子夫婦に感謝しながら。 往路は京都経由できたが、帰路は大阪経由で戻ることにする。 その理由の一つに、3月に大阪駅に地下の「うめきた駅」ができ、新大阪から直結することになり、関西空港・紀州方面の電車が利用が便利になった。 この機会に「おおさか東線」の久宝寺〜大阪までの全区間を踏破したいと思った次第だ。 JR奈良駅は昨日同様、外国人観光客が多いのには驚き、関西線の「大和路快速」で久宝寺まで進む。 久宝寺で「おおさか東線」に乗ると新大阪経由大阪駅まで一本で進める便利さだ。 車窓を楽しみながら、新大阪へ。そのまま乗っていると淀川を渡り、やがて地下に潜って行き、新しい「うめきた駅」に到着する。 まだ新品の地下駅は新しい設備となり、ホームドアが車両に対応出来たり、人認証の改札口があったりと新しい取り組みが見られる。 地下が深いので、従来の大阪駅に向かうエスカレーターは長い。複雑な経路で大阪駅に到着し、新快速で高槻に向かう。 高槻のデパートで買い物をし、16時過ぎに帰宅する。楽しく嬉しい二日間の奈良散策だった。 傘寿=80歳となった記念旅行を十二分に満喫することができた。息子夫婦に大感謝だ。何時までも健康で、好奇心を持って楽しい人生を 全うしたいものだ。二日間の歩行歩数は、30600歩だった。
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