○ 「中山道No11」見聞録(野尻宿〜須原宿)・(距離 7.2km(今回)/ 237.9km(累計)/ 296.1km(残距離)

前回まで
今回
残距離


11−1.(40)野尻宿〜(39)須原宿・(7.2km) 2009.08.07 10:45〜13:45 曇り後雨


中山道全行程.Map
「野尻宿〜須原宿・行程MAP」

地図の左下の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

前回で「美濃路」を終え、「木曽路」に突入した。その整理も出来ていないが、次の行程に進もうと考えた。
天気予報ではしばらく晴れることがないため、まだ雨でない予報の日を選んで決行した。出発直前の予報でも曇りで雨の マークはないので。

今回からは中津川で乗換えて行かねばならない。始発で行っても接続待ち時間が長いので、2番列車で行くことにする。 高槻発5:20の2番列車に乗るべく、5時前に自転車で出発する。前回よりは日の出も遅くなっているが、明るくなった道を急ぐ。
高槻駅には「18キッパー」の姿がたくさん見られ、小学生のグループもいる。息子が初めて友達達と「青春18きっぷ」を使って、 山陰本線の浜坂まで行った時のことを思い出す。小さな時から、冒険旅行することは良いものだ。

近江平野の稲

頂上が見えない伊吹山

京都で乗り換え、米原までウトウトしたりして進む。 車窓からは近江平野の稲が前回より大きくなり、早生には穂が付いているのも発見し、夏真っ盛りの感が深い。
米原乗換も問題なく、車窓から、頂上が雲に隠れた伊吹山を見て進むと岐阜辺りから激しい雨になり、天気予報との違いに木曽付近が 心配になる。
名古屋も雨で中央本線・中津川行快速に乗り、快適な車両でのんびりとガイドブックや地図を見ながら行程を確認する。
雨は降り続いていて 雨の中の紀行と覚悟を決める。しかし恵那トンネルを抜けると雨は止み、少し青空も見えるので、ラッキーと喜ぶ。
9時44分に中津川駅に到着する。4時間余りの乗車時間だ。前回と同じく駅の立食いソバ屋で、天婦羅ソバを注文し、真黒な出汁のソバを 味わう。

野尻駅

はずれ 説明

10時10分発の松本行も結構混んでいるが、ボックス席に座り、前回歩いた行程を思い出しながら、線路沿いの旧街道は確認しうなずく。 野尻駅に10時38分に到着し、身支度を整え出発する。

前回、列車の時刻に追われて、駆け足で進んだので、「野尻宿」の西の入口付近まで戻ることにする。
「はずれ」と命名された建屋を見て、「七曲り」の街道を駅の方向に戻る。ここで雨が降り出して来たので、傘を取り出してさす。
宿場の建屋は2階部分に特徴があるようだ。建築様式は分からないが、部屋の外に出窓か廊下があるようだ。
古い街道筋の趣きがある建物だ。

七曲りの街道

野尻宿の建屋

珍しい2階


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

雨が激しくなったり、止んだりとする中、「七曲り」を進むと古風な民宿「庭田屋」や料理屋「おくや」が建っている。
又、雨が降り出し、地図を見るのも難しい状況で歩いていると、早くも東のはずれに近い「常夜灯」に至った。説明の木(?)も 読めず、何の説明板も見つけることが出来ずに「本陣跡」「脇本陣跡」を過ぎてしまったことが分かった。本当に不親切な宿場だと。
戻る気にもならず、東に進むと枡形の角に「高札場跡といぼ石」が立つ。しかし、「高札場跡」の説明板は分からない。「いぼ石」の 上に碑が立ち、この石を触るといぼが治るとのこと。
この大桑村の文化遺跡に対する熱意が全く感じられないのは残念だ。今まで歩いた行政区分では最悪ではないかと思った次第だ。 「木曽路」では「奈良井宿」に続いて長い宿場だそうだが・・・・・・

民宿・庭田屋

常夜灯

高札場跡といぼ石


枡形を上り、国道を右上に見た道を左に下り、右側の坂を下る。ここでも道標はなく、地図を回しながら方向を確認して進む。
JRの踏切を渡り、JR沿いの道からは木曽川が望まれ、対岸には水力発電所が山肌に張り付いて建っている。丁度、特急列車が横を 通る。線路際を歩いていて、初めての経験だ。
再び、踏切を渡り、坂を上ると国道19号線と合流する。雨が激しくなり、ズボンの膝辺りまで濡れてくる。国道筋に「道の駅・大桑」が あるので、国道を渡り、雨宿りに訪れる。土砂降りになったので、ラッキーだった。
まだお腹が空かないので、店内を見回し、雨の止むのを待つ。名物と書いてある「アップルパイ」を土産として買い求め待つ。(11:20-45)

水力発電所

特急列車が横を通る

道の駅・大桑


雨は止みそうになく、仕方がないので少し小降りになった時に出発する。国道を渡り、歩道を進む。歩道があるのは幸いだ。 水しぶきをあげて走る車に傘で防御しながら坂を上ると「関山橋跡」だが、標識もなく、切り通しの道を下る。JRはこの下をトンネルで 通過していて、下った所の踏切を渡り、国道から離れホッとする。

山と田畑


雨も止み、旧街道の細い道を上って行く。ここで道を間違え、20分程タイムロスをする。「天長院」と云うお寺を目指すのだが、一度標識が あったが、気持ち良い道を上るがそれらしき寺院がない。
下を見ると田畑が広がり、山には霧雲がかかり、幻想的な画像が広がっている。間違ったのも良しとする。
誰もいないし、家があっても訪ねるのには気が引ける。車が下って来たので、尋ねると遥か下の大きな屋根を示して、あれが「天長院」 だと教えていただく。山沿い道を進めば良かったのだ。
間違った道を戻り、山に沿った小道を進むと右側に「天長院」の立派な屋根が見え、参拝する。門前にはたくさんの石仏が祀られ その中には「マリア観音」があるらしいが、分からなかった。後で確認すると門前の子供を抱いた石仏だと。
少し進んだ曲がり角に大きな「水害の碑」が立つ。
国道から細い旧街道に上り、山沿いの道を進んだ所にこの碑が立っているのは、木曽川が当時蛇行していて、この辺りを流れ、 それが氾濫して水害となったのであろうと想像する。そうでないと、不自然に細い道を上ることはないだろうと!?

旧街道の細い道

天長院 説明... 石仏

水害の碑


坂を下ると丸い石碑が祀られているが、字が読めない。やはり旧街道だと思いながら濡れた道を進む。

伊奈川橋と岩出観音堂

道標のない道脇に 檜の丸太を刳り抜いた「水舟」が水を一杯蓄えている。
湿度が高く、汗まみれになった顔を洗い、タオルを濡らして鉢巻・首巻きの スタイルにする。
次の「須原宿」は「水舟の里」と呼ばれるそうだから、そろそろ宿場が近いと気分新たに坂を下る。

下り坂から橋が見え、その向こうに「木曽の清水寺」と云われる「岩出観音堂」が望まれる。
これは英泉画の「野尻宿」の浮世絵に描かれている「伊奈川橋」で、現在でも橋杭のないアーチ橋になっているのだ。
坂を下り切って「伊奈川橋」を渡る。川の水は雨で激流となって流れているを眺めて、「岩出観音堂」方面に向かう。
「岩出観音堂」には参拝せず、元の道に戻ろうとすると道標があり、「岩出観音堂」の前を通って行く方向を示しているが、 ガイドブックのルートを進むことにする。(違うルートで「須原宿」へ行けるのかも知れないが?)
坂を下って進むとJRの線路沿いに進むことになり、その向こうには木曽川が流れ、対岸には水力発電所が建つ風景が広がる。

水舟

岩出観音堂

JRの線路と木曽川と水力発電所



「野尻宿〜須原宿@」の「紀行スライドショー」


第9仲仙道踏切を渡り、線路に沿って進む。道が分かれる所を左に進むと木製の「水舟の里・須原宿」と書かれた灯篭が立ち、 「須原宿」に近付いたと気付かせてくれる。雨がまた激しくなって来た。
道脇には丸い石の「水神」様が祀られている。洪水の恐れもあるのだろうが、水豊かな宿場の水を守って欲しい願いなのだろう。 「水神」の碑は「太田宿」の木曽川河原に祀られていたのを思い出す。それ以降は見なかったと。
少し進むと製材所があり、立派な檜の丸太が並べられている。1本1本、高価なものだろうが、無造作に。

水舟の里・須原宿の灯篭

水神の碑

檜の丸太


枡形を曲がって「須原宿」の中心部に入る。ガイトブックによれば、少し西に「定勝寺」があるので、傘をさしながら逆方向に進む。
定勝寺は室町時代初期に建てられた臨済宗の寺院で本堂・庫裏・山門は重要文化財となっている古刹で、落ち着いた雰囲気がある。 雨の中では、より趣きがある。
門前には大きな「水舟」が置かれ、気持ち良く水を送り出している。階段を上り、境内に入ると静から庭園の中に白壁の庫裏が建ち 気持ち良い。目礼して後にする。

定勝寺の水舟

定勝寺・山門

定勝寺・庫裏


須原宿の水舟 説明


雨がますます激しくなって来た。傘をさしていても、ズボンの膝まで濡れ始める位の降りだ。

旅籠・かしわや

雨と旧家

元の道に戻りながら、急いで街道筋の史跡を見ようとするが、なかなか雨でガイドブックも広げられず、目に付く史跡を探す。
当時の旅籠「かしわや」や古い建屋の2階は珍しい造りだ。雨が激しいのが写真でも分かる。
「水舟」が街道筋にたくさん置かれている のは「水舟の里」の由来だと認識する。
屋根の付いた「水舟」も設置されている。
次の「水舟」には西瓜が冷やされているのは、地元の方の生活の一部として脈々と 活用されている様が感じられる。こんな光景は嬉しくなる。


屋根の付いた水舟

西瓜を冷やす水舟

雨の中を急ぐ。傘を上げて、道幅の広い街並みを眺めたり、大きな常夜灯の横を小走り進んだりと駅の方向に急ぐ。
古い家の前に「須原宿・本陣跡」の立札が立ち、立派な酒屋の横のお屋敷には「須原宿・脇本陣跡」の説明板が立っている。
「須原宿」は史跡も残り、なかなか趣き深い宿場だと思うが、激しい雨のため、 じっくりと見る間もないのは残念だ。
駅の近くに「高札場跡」の立札が立ち、やっとのことで須原駅に到着する。(13:35)

須原宿・本陣跡

須原宿・脇本陣跡

須原宿の街並み


この激しい雨の中を進むのは可能だが、「中山道・紀行」本来の楽しみは実現出来ないと考え、今日はここで中止することにする。
古人はこんな雨にも負けずに進んだのであろうが、止むをえないと納得させる。次回訪れる時には、駆足で進んだ「須原宿」を もう一度ゆっくり見ようと、雨と汗に濡れた体を拭いて列車を待つ。
今日の歩行歩数は21000歩と少ないが、ズボンの腿の辺りまで雨に濡れる厳しい雨だった。

「野尻宿〜須原宿A」の「紀行スライドショー」


13時50分発の列車は混んでいたが、ボックス席に座れ、今日歩いた行程を眺め、思い出しながら中津川へ。中津川からは追加料金 300円を払い、セントラルライナーで金山まで行き、いつもの居酒屋で御苦労さん会をやって、大垣・米原乗換で帰宅する。
名古屋付近は雨も止んでおり、少し残念だったが、良き判断だったと。
次回は、もう一度「須原宿」を巡って、次の「上松宿」へ向かおうと。






    
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