○ 「中山道No12」見聞録(須原宿〜寝覚ノ床)・(距離 10.8km/ 248.7km/ 285.91km)
12−1.(39)須原宿〜寝覚ノ床・(10.8km) 2009.08.22 10:50〜16:00 晴れ
甲子園も開幕し、夏本番になって来たが、前半は不順な天候が続き、甲子園も2日間順延となった。世界陸上もベルリンで 始まり、ボルトが驚異的な世界新記録を100m、200mで樹立した。 前回の紀行記も出来ていない間に次を進もうと計画していた。日程調整をしていた日に急用が入り、一日順延するが、 天気予報は雨後曇りとなっている。サイトで雨雲の動きを予想すると大丈夫だと確信し、実行に移す。 2時頃目覚めて、そのまま世界陸上を観戦し、5時前に自転車で出発する。 前回と同じく、中津川乗換えになるので、2番列車で良いが、土曜日なので、休日ダイヤを確認すると、米原から名古屋直行は なく、大垣で乗換えねばならないが、中津川の乗換え列車に間に合うので一安心だ。 前回より2週間遅くなると日の出も遅くなり、まだ薄暗い。高槻駅には休日なので「18キッパー」の姿がたくさん見られ、平日との 違いを感じる。
米原乗換は大垣行になり、平日よりも車両が短いので、久し振りに米原ダッシュをして、席を確保する。いつもは伊吹山側に座るが、 満員で反対側だ。 毎回写す伊吹山も写すことが出来なく、雲に隠れて姿が見られないのは残念だ。 いつもは写真を写して、ぐっすりと名古屋まで眠るのだが、大垣で乗換えねばならず眠れない。大垣で乗換え、眠らないまま名古屋に。 名古屋は曇っていて、木曽方面は大丈夫だろうと安堵する。中央本線・中津川行快速に乗り、車内放送を聞くと、この列車は 中津川までは快速で、それ以降は休日の臨時列車「ナイスホリデー木曽路」号になり、で塩尻まで行くのだと分かる。 中津川以降へもこの列車で行けるが、南木曽の次は上松まで停まらない。南木曽は前回通ったが、木曽川に架かる「桃介橋」を 渡れなかったのでトライしたい。しかし、上松の手前の須原に行くには、中津川からの予定の列車に乗ることになるので可能だ。 いつものコースなので、時刻表を持って来なかった。上松まで進み、反対の列車で須原に早く戻ることが出来れば・・・と。 「18キッパー」が時々利用する奥の手だ。 反対側の座席に座っている男性が、時刻表を見ながら楽しんでおられる。席が空いたので、彼の前に行き、時刻表を見せて欲しいと 頼み、快く見せていただく。
男性に時刻表を返して、色々と話す。単身赴任をしておられ、茨城県の下妻まで帰られると。のんびりと諏訪で温泉に入り、東京経由で 戻られるのだ。お互いの「青春18きっぷ」旅行の経験談を話しながら。 話題が変わって、お酒の話になると、何と彼がよく訪れる居酒屋が、小生の帰宅途中にあることが分かり、偶然の出会いを 期待しましょうと楽しく話す。 10時04分に南木曽駅に到着し、親しくなった男性にお礼を云って、いつか居酒屋でお会いしましょうとお別れする。 接続列車は10時28分発と、約20分しか余裕がないので「桃介橋」に急いで進む。 桃介橋(ももすけばし)は別名「桃の橋」と呼ばれ、大正11年9月に完成しました。
その後、昭和53年頃から老朽化も進み、本格的な修理もできなかったため廃橋寸前となっていましたが、付近一帯の天白公園整備に 併せて近代化遺産(南木曽町有形文化財)として復元し、大正時代の長大吊橋の本格的な保存と活用をめざしたものです。 桃介橋は全長247m、幅2.7mで、この付近では最大川幅のところにあり、美しく雄大な景観を誇っています。(南木曽町公式HP抜粋より) 駅から橋の方向に進む。木曽川に架かる長い木製の吊橋を渡る。揺れもなく頑丈な作りで、川幅の広い上に架かる橋から木曽川の 流れを眺める。本当はゆっくりと流れを眺めていたいが、時間がないので、早足で渡らざるを得ない。 対岸の公園を通り、下流の橋を渡って駅に戻る。この辺りの道路標識は「三留野宿」に由来したのであろう「三留野」となっている。 後で先達の方から、南木曽駅は昔は三留野駅だったと教わる。昔の名前を残す方が良いのか、南木曽と分かり易い名前が良いのか 難しい問題だ。 いつもは中津川駅で蕎麦を食べているが、ここ南木曽駅には立ち食い蕎麦はないので、近くのスーパーで「おにぎり弁当」を買い、 駅のベンチで列車が到着する間際に急いで食べる。腹ごしらえはOKだ。
南木曽駅から須原駅まで、前回雨の中を歩いた行程を思い出しながら進む。天気も段々と晴れて来て青空が広がる絶好の 紀行日和だ。 10時50分、須原駅に到着し、身支度を整えて出発する。前回は激しい雨で、十分見られなかった「須原宿」の旧街道を見学 しようと、少し戻ることにする。 駅前には、前回気付かなかった「幸田露伴の文学碑」が「水舟」の後ろに立っている。「水舟」に出会えて嬉しくなる。 明治22年、木曽路を旅した幸田露伴は「須原宿」に泊まり、その縁で出世作『風流仏』を著したのだと。有名文人の多くが 「中山道」を歩いているのを改めて認識する。 駅前に建つ「大和屋」は「桜の花漬」を売る店として、当時から江戸で有名だったそうだ。
前回歩いた「須原宿」を西に戻る。雨の中の宿場と違って、晴天の下の「須原宿」は輝いて見える。暑さの中に「水舟」が オアシスのように思え、置かれているコップで美味しく水をいただく。 「定勝寺」の手前まで戻り、前回見落とした街道の中央に宿場用水が残る「鍵屋の坂」を見る。
「本陣跡」を通り、「脇本陣跡」の造酒屋の前には大きなこも樽が置かれている。清酒「木曽のかけはし」は先日歩いた 伊奈川橋と岩出観音堂付近を表した浮世絵の絵柄なのだ。 ゆっくりと晴天の下、「須原宿」を堪能する。
前回は雨の中、須原駅に急いだが、旧街道は駅の手前から細い道に降りて行き、大きなお屋敷の前を通って国道19号線に出る。 国道を進み、須原駅への道角に立派な「須原宿」の看板が立つが、大分行き過ぎて気付く。 「近江路」「美濃路」は西からの旅人に対して宿場の看板が立っていが、やはりこの辺りは、東から来る旅人への表示が目立つのは 止むを得ないのかと納得する。さあ、「上松宿」へ出発だ。(11:25)
「須原宿〜寝覚ノ床@」の「紀行スライドショー」 前回の紀行時、道に迷ったのでサイトで何か良い地図がないかと調べていた。 その中で「木曽を歩く」を見つけ、手作りの地図をプリントアウトして 持参した。このmapを活用して、以降の行程を進めようと。 国道19号線を東に歩を進める。直ぐに、国道の横に歩道が現れ、この歩道が国道の山側に国道を見下ろす形で通っている。これが 旧街道だそうで、車の心配もなく進めるのは嬉しい。舗装された細い道は所々に木陰もあり、気持ち良く進む。 しばらく小道を進んだ後、再び国道に合流し、細い歩道を進む。国道沿いの歩行は大嫌いだが、まだ歩道があるだけましだと考え、 横断歩道があるので反対側に渡り、旧街道の小道に入る。 小道に古い建屋が建っているのは旧街道の趣きが残っている。木陰の道を少し進むと再び国道に合流する。 木曽川沿いの狭い空間を通る旧街道は国道の拡幅で寸断され、このように少しだけ残っているのだ。
国道に合流し、国道を進むのだが、入手した地図には旧街道は中央本線を渡って迂回し、再び国道に戻ると示している。 ここで大きな過ちを犯す。地図では国道に省略記号(‖)があるので、もっと先だと思って進むが、はっきりと分からないまま 進んでしまい、行き過ぎたことに気付いた時は・・・・・。暑い陽射しの国道をトボトボ戻ることにする。約30分はロスしただろう。 凍らせたお茶を持参しているが、途中、コンビニがあったので、冷たいスポーツドリンクを買って飲む。やっと、それらしき場所に戻り 確認すると、先程国道と合流したは所に近い「七笑」の清酒の看板を過ぎた所だった。 ガードレールの間から国道と踏切もない線路を注意して渡り、一軒家を目標に、余り踏まれていない草の道を進むと舗装道路に 至り、元馬屋だった家の前を進む。 木陰の道を上りながら進むと視界が広がり、遠く木曽川が眺められる。2つの池がある所から、草の道を中央本線に下り、再び 線路を渡って国道に出る。 このルートを辿るために、炎天下大きなミスをしたのだ。(他のガイドブックでは、この道を通らず、国道をそのまま進んでいたが)
再び国道を東に進むと上松町に入る。直ぐに営業していないレストラン(ていしゃば)が廃墟のように建っている。 その建物の横の細道を進むと草の道で、昨夜の雨で足元が濡れる位だ。国道と木曽川の間を進むと舗装道路になり、落ち着いた 建屋の中を進む。やはり、国道から離れた旧街道を歩くのは嬉しい。 再び国道に合流する所の角に、「美濃路」ではよく見ていた懐かしい「中山道」の小さな道標が立っている。
再び国道を進む。少し行くと、パーキングエリアがあり、その道脇に「倉本一里塚跡」の碑がひっそりと立っている。国道の拡幅で、片隅に 追いやられたようだ。(12:50) 国道を進むと「ドライブイン木曽」が建ち、小さな川を渡った所から、国道を反対側に渡り、小道に入って行く。小さな滝があったので、 顔を洗い、タオルを濡らして鉢巻・首巻きの儀式を行う。本当に暑い。 一息入れて、中央本線の下を抜けて進むと、左側に草草の小道が通じているので、この坂道を上って行く。旧街道が草の道として 残っているのは、往時の雰囲気があり気持ちが良い。
旧街道の草道はやがて舗装道路と合流し、坂を上って行くと常夜灯と「倉本の庚申塔」が立っている。旧街道の風情が残る道を上って 行くと竹林が続き、当時は茶屋と云われる古い民家が数軒立ち並んでいる。坂の上からは、中央本線の倉本駅が眼下に見え、 坂を下って行く。 本来の旧街道はそのまま中央本線を越えて国道に通じているようだが、道がないので、舗装道路をヘアピンカーブして、倉本駅の裏側から JRの高架下を抜けて国道に出る。 陽射しを遮る木々がないので、暑さが倍増するため、水分補給が欠かせない。
再び国道歩きとなる。車はそんなに多くはなく、歩道もあるので安全だが、陽射しと照り返しが「木曽路」でも強く、足取りが 段々と遅くなる。 国道から旧街道に入り、静かな立町の集落の民家が点在している舗装道路を進む。国道と木曽川の間の道を進むと木曽川に 木製の吊り橋が架かっている。橋の中ほどまで行くと涼風が気持ち良く、木陰でリュックを降ろし一息入れる。(13:20) この立町も水が豊富で、方々に木舟ではないが、水槽が設けられ、きれいな水が流れ、貯められている。いつもの儀式で 体を冷やすが、バテが激しいようだ。 再び国道に合流して、国道を渡り反対側の小道に入って行く。旧街道は蛇行しながら通じていたのを、国道が分断しているのが 良く分かる。 旧街道には「神明神社」の鳥居が立っているが、神社は奥の方なので見えない。又、国道に戻る。
「須原宿〜寝覚ノ床A」の「紀行スライドショー」 国道に出て、直ぐに小道に入り、中央本線のガードをくぐると草の道がJR沿いの坂を上って行く。
「木曽古道」の道標があり、この旧街道は「木曽古道」の一部でもあるようだ。「木曽古道」の名前は初めて出て来たので、興味は あるが、今回は先を急ぐことにする。 草道を抜けると舗装道路になり、古い民家が建つ。 格子があり、1階の軒を持ち上げると2階を隠すような構造になっている。「妻籠宿」で見られた構造の建屋が木曽の民家なのだろうか。 旧街道の風情が残る風景を見ると疲れた体にも元気がもらえる気がするのは不思議だ。 道脇に木舟があり、水が勢い良く流れている。 ここでも、顔を洗って、頭を冷やし、鉢巻・首巻きと一連の儀式を行うが、スキッとしない。 疲れが厳しいようだ。少し情けなく思う。世界陸上観戦での睡眠不足と大阪に比べると爽やかなはずの「木曽路」の陽射しに参ったのだろう。 気を取り直して、JR・国道・木曽川を眺めながら坂道を下っていると道脇に明治23年の銘のある丸い「馬頭観音碑」を見つけ、 JRのガードをくぐって国道に戻る。
再び国道歩行となる。暑さにバテ気味で歩を進める。 荻原の信号から再び旧街道に入り、小道を進む。道端に「廿三夜碑」が立つ。「廿三夜碑」には初めて出会ったが、調べてみると 廿三夜に講中が集まり、勤行・飲食をともにし、月の出を待つ行事で、古くから行われいわば月待供養の一つで、「廿三夜碑」は 全国各地に存在していると。 萩原集落の中にも水場があり、良く管理されている。ここでも一連の行事で、体力回復を図るが・・・・。 国道との合流地点の手前に「荻原一里塚跡」が立つ。上松町になってからは説明板もあり、分かり易いのは有難い。ここから、又、 国道歩きになるので、一里塚跡の木陰の道に腰を下ろして一息入れる。熱中症の症状は知らないが、心臓がバクバクとし、息苦しくなる のには参ってしまう。(14:00)
又々、国道歩きになる。舗装道路の照り返しが不快に感じるのは初めてだ。
滝の前の小広場には常夜灯や石碑が祀られているが、内容は分からない。 石に座り、たっぷりと休息を取る。(14:10-30) 体調も戻って来たので、重い腰を上げて次の行程に進む。 国道を少し進んだ所から右に曲がり、JRの高架下を抜けて坂を上って行く。陽射しが厳しく、再び心拍数が上昇する。 ゆっくりとしたペースで坂を上り、老人ホームの前の木陰で小休止とスローペースで上り、きれいな滑川に架かる滑川橋を渡ると下り坂になる。 地図上では古い家の横の道を右に曲がると石畳があり、それが旧街道と示しているが、その時の精神状態では、道なりに進んで 右への道には気付かなかった。 体力の衰えが、集中力を失わせていたのだろう。 しばらく進んで気付いたが、坂道を上って分岐点まで行く気力がなく、この先で旧街道に合流することを確認して、そのまま 進むことにする。 寝覚簡易郵便局前で、旧街道に合流する。東からだと分岐点が明確なのに・・・・と。
雪を抱いていればもっと美しいだろうと思いながら、青空と山々を眺める。 しばらく進むと大きな桂の木が青空にそびえている。その下には石碑が数基立ち、街道筋の要所だったことが偲ばれる。 青空の下、中央アルプスを眺めながら進むと古い民家が並んで建っている。寿命蕎麦で有名な「越前屋」と「寝覚立場」の茶屋本陣で 最近まで民宿を営んでいた「たせや」だ。 計画時から「越前屋」で蕎麦を食べようと考えていたが、店は開いていないので、諦めて、旧街道から離れて「越前屋」と「たせや」 の間の道を「寝覚ノ床」に向かって下る。 坂を降りて国道と交叉する所に蕎麦の「越前屋」が新たな店を開いているので、休憩を兼ねて食べることにする。山菜蕎麦を注文し、 食べ始めるが、味が分からないどころか飲み込めない位だ。食欲はなく、食が進まないが、食べなけれは・・・とボツボツ食べる。
やっと蕎麦を食べ終えて、国道の向いにある「寝覚ノ床」に向かう。
入場料を 払い、「臨川(りんせん)禅寺」の境内に入り、境内をの端まで行くと眼下に木曽川が流れ、その浸食による奇岩が望まれる。 社内旅行時は下まで降りて、奇岩と木曽川を楽しんだが、とても河底まで降りて行く気がしない。 今回はここで終え、次回のスタート地点にしょうと決断する。 境内には芭蕉・子規等の句碑があるが、次回に廻すことにし、 受付でタクシー会社の電話番号を聞き、残念だが中断する。(15:45)
駅に着いて、水道で体を拭き、シャツを着替えるが、まだ体調は戻らす、いつもなら酒屋でビールを買って乾杯する気にもならず、 駅前の観光案内所に行き、これからの行程の地図がないかと尋ねる。 「信州木曽路・中山道を歩く」の小型の地図をいただく。 木曽観光連盟作成で、今回サイトで印刷した地図と同じ(間違った所は現在の道だけだったが)ものだが、コンパクトで使い易い。 地図を見ながら列車を待つ。 「須原宿〜寝覚ノ床B」の「紀行スライドショー」 16時16分発の「ナイスホリデー木曽路」はほぼ満席だったが、座ることが出来、冷房の効いた車内で少し落ち着く。 本来なら、もう1本後の列車に乗る予定だったのが、臨時列車に乗れ、名古屋まで直通で行けるのは有難い。ウトウトしながら列車の 揺れに身を任すが、金山乗換でも、乾杯する気力が沸かず、そのまま米原行(休日は有難い)で米原まで行くと、やっと気分が 良くなり、空腹感も戻って来た。 米原から高槻まで行き、乾杯もしたいし、お腹も空いたので、今朝出会った方が行かれている居酒屋に立ち寄ることにする。 初めての店だが、理由を話して親父さんと話しながら乾杯する。美味い!! 親父さんや常連客と懇談しながら、楽しい時間を過ごす。多分、あの人だと親父が話し、よろしく伝えてくださいと伝言する。 今回は睡眠不足が原因と思うが、信州の爽やかな気候の中を歩きながら、みじめな紀行となった。体力は年々衰えていることを 改めて自覚し、体調管理に努めて紀行を続けなければならないと痛感した。 「青春18きっぷ」の期間はまだあるが、予定が詰まっているので、夏の「中山道」紀行は今回で終わる。雨に合ったり、熱中症で 中断したりと、「中山道」の中間地点まで到達したいと考えていたのに残念だった。 冬の「青春18きっぷ」で以降の行程を楽しみたい。雪にも出会いながら・・・・・ HP作成に手間取っている間に、9月も半ばになった。衆議院議員選挙では民主党の圧勝で政権交代となった。不況を脱し、新たな 時代創造に努力してもらいたいと期待しよう。
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