○ 「中山道No14」見聞録(福島宿〜宮ノ越宿)・(距離 7.0km(今回)/ 267.2km(累計)/ 265.8km(残距離)

前回まで
今回
残距離


14−1.(37)福島宿〜(36)宮ノ越宿・(7.0km) 2010.01.10 11:20〜15:00 晴れ時々曇り


中山道全行程.Map
「福島宿〜宮ノ越宿・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

12月中にもう一度歩いて、「中山道」の中間地点まで行きたいと思っていたが、タイミングが合わず、実施することが出来なかった。 年が明けて寒波が来襲し、北陸・信州は大雪に見舞われた。タイミングと天候の回復を見極めて、1/10日曜日に実施することにする。
休日ダイヤなので、2番電車で出発することにし、4時50分に家を出る。まだ真っ暗で外気は冷たい。
5時22分発の列車は休日でもあり「18キッパー」の姿が数人見られたが、ガラガラの状態で京都へ向かう。米原行に乗換え、ウトウトしていると 彦根辺りになり、車窓から雪景色が眺められる。琵琶湖周辺の積雪は凄かったのだと改めて感じる所だ。
米原から乗換えて「伊吹山」を眺めるが、雲の間に隠れて見えず、雪景色が続くだけだ。関ヶ原駅のホームには雪除けした雪が1m以上も 積み重なっている。やはり、関ヶ原付近は降雪量が多いのだ。

雪に煙る伊吹山

中津川の初市

雪が全く無くなっている大垣で乗換え、名古屋に向かう。ホームの蕎麦屋に入り、前回と同じく「月見きしめん」を注文して、お腹を満たす。
中央本線の8時17分発中津川行快速も空いていて、車窓からの景色を眺めながら進む。段々と雪景色が多くなるが、先程の関ヶ原付近とは 違って薄っすらと積もっているだけだ。
9時31分に中津川に到着し、乗換え待ちの時間に外に出るとメイン道路では初市の屋台がたくさん 出店され、賑やかな状態だ。
少し驚いたのは、大阪では「十日戎」で商売繁盛を願うが、東の方ではその習慣がないと聞いていたのが、「十日戎」を祀っている。 「うどんと蕎麦」「あほとバカ」等と同じように「十日戎」の分岐点は何処であろうと?
駅に戻り、10時10分発の松本行に乗り、車窓から前回歩いた国道筋の難所や「木曽の桟」の光景を思い出しながら眺める。 積雪量は少ないと云っても、山には霧がかかり、家の屋根は白くなっている。果たして歩く道は大丈夫だろうかと思いながら進むと 駅の待避線には活躍したであろうラッセル車が出番を待っている雪国だ。 途中、対向列車の遅れがあったが、11時10分過ぎに木曽福島駅に到着する。

雪の景色

ラッセル車

木曽福島駅


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

今回も出発から6時間経って目的地に到着した。駅前は雪もなく、薄っすらと薄日が射しているのは有難い。

上の段・用水 説明

駅前の「観光案内所」で 地図をもらって、前回下った坂を降りて行く。 前回は「中山道」の史跡を離れて「崖屋造りの家」を眺め、関所跡まで進んだ。
今回は忠実に「中山道」を歩もうと「中八沢橋」を渡り、 古い街並みが残る「上の段」に向かう。この辺りは「福島宿」より一段高くなっており、昭和2年の大火を免れたと。
橋を渡ると今までとは違った雰囲気が漂う古い街並みが続く。白壁・卯建のある建屋・木の灯篭と久し振りに街並みを楽しみながら 歩む。
江戸時代に掘られた「古い井戸」も残され、枡型の小道を曲がって進むと「古い用水」からきれいな水が流れ出している。
流れ出る水の周りは氷に覆われて冷たさが増す用水の水にてを入れると、びっくりする位の冷たさだ。横には「寺門前小路」が 通っている。ここには「なまこ壁の土蔵」が並んでいるのだが、気付かずに進んだのは予習不足と反省する。

中八沢橋

古い井戸 説明

上の段の街並み


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

古い街並みを楽しみながら宿場町を歩く。観光文化会館の新しい建物を通った突き当たりに「置石屋根の家」が建つ。先達の旅行記では 朽ちて落ちそうと表現されていたが、家の部分が補強されたようで、昔の面影を残しながら新しくなっている。その前にも用水が 設置され、冷たそうな水を流している。枡形は坂になり下っている所に「高札跡」が復元されている。

古い街並み

置石屋根の家

高札跡


「上の段」には小さな小道が通じており、坂を下る途中にも、道脇に雪が積もる「権現小路」が迷路のように導いている。木曽の銘酒 「七笑」酒造の酒蔵や「うえんだパーク」の新しい施設を見て、前回歩いた県道に出る。
「福島宿」は大火に見舞われて余り史跡が残っていないと云われるが、この「上の段」一帯は行政・地元が一体となって復元した 様子が明らかで、旅人には嬉しい一角だった。
道路脇には「七笑」の店が大きな杉玉を吊るして売っているが、今回はパスする。少し進んだ右手に奥に木曽福島支所が建ち、 そこが「福島宿本陣跡」とのことで訪れると、支所の玄関に石碑が立っている。

権現小路

うえんだパーク

福島宿本陣跡 説明


県道を横切って進むと「大手橋」が架かっている。木曽川の対岸に、代々の木曽代官であり、関所守でもあった山村氏の屋敷跡がある そうなので寄り道する。この「大手橋」もユニークな形で下を流れる木曽川を渡り、進むと真新しい「山村代官屋敷」が建つ。
立派な屋敷の見学は出来るのだが、今回は時間的にも厳しいので周辺を見学する。横の小学校の校庭のはずれに「山村代官屋敷東門跡」の 井戸があり、この一帯広い屋敷があったことが理解できる。大きな勢力だったのだろう。

大手橋 説明

山村代官屋敷 説明

山村代官屋敷東門跡 説明


「大手橋」を戻り、前回短時間だが立ち寄った「福島関所」に向かう。

福島関所

福島宿には江戸幕府が江戸防衛のために、東海道の箱根関所や新居関所、中山道の碓井関所などと並ぶ日本四大関所の一つで、 木曽川を真近かに見下ろす高台にあり、創設以来約270年間、中山道の要衝として入鉄砲、出女等を厳しく取り締まった所です。
現在は資料館として復元され、往時の姿を物語る用具類などが展示されています。(木曽観光協会HPより)


県道から高台に建つ「福島関所」に向かう坂道は雪が残っていて滑り易くヨチヨチ歩きで上って行く。
途中に島崎藤村の姉が嫁いだ ところで、小説「家」のモデルとなった「高瀬家資料館」があるが、先を急ぐ。
つるつると滑る坂道の向こうに「福島関所の門」が見えるが、凍っていない新雪を探しながら、新雪を踏みしめて進む。関所まで 上り、横を見ると素敵な小道がある。「高瀬家資料館」からの道らしいが、この小道から関所を眺めるのも良さそうなので、少し 戻ってパチリ。石垣と板塀と関所の門を眺め、下を流れる木曽川を望む。

福島関所への小道

高瀬家資料館

福島関所への雪道

「福島関所」は高台の上に設けられ、下には狭くなった木曽川が流れる。
当時はここから木曽川までは崖になっており、反対側は 山の急斜面なので、この関所を通らずには進めなかったのであろうと想像しながら「福島関所」の門をくぐる。
関所の資料館には入場しなかったが、垣根の間から幕が張られた「関所資料館」を写しておく。関所の広場は雪に覆われている。雪の下は 砂利なのか芝生なのかは分からないが、雪の広場も風情がある。
西の門から入り、東の門に進むのだが、もう一つ寄り道したい所があるので、広場の真ん中にある雪が積もっている階段から下に降りる。 その途中に水は流れていないが、「関所の水」が湧き出す用水が設けられている。水が豊富な所なのだ。

関所資料館

関所の広場

関所の水 説明



「福島宿〜宮ノ越宿@」の「紀行スライドショー」


県道を渡り、木曽川に架かる「関所橋」を渡って「木曽義仲」の墓を祀る「興禅寺」に寄り道をする。

木曽義仲の墓

「関所橋」の欄干には、昔、福島祭の御輿がこの付近を渡った時の絵が飾られている。橋の上からは木曽川の急流、川に迫った「崖屋造り の家」も見られる。
橋を渡った突き当たりには「権現水の用水」が設けられている。水が豊富な宿場だと改めて認識する。
静かで落ち着いた「興禅寺」の門前に着き、枯山水の庭園がある境内に進む。
ここ「福島宿」や次の「宮ノ越宿」は「木曽義仲」の旗揚げの地として、義仲の遺跡が多い。
2歳の頃に木曽に逃れてきた駒王丸は、中原兼遠の養育を受け、後に元服し木曽次郎源義仲と名乗りました。
1180年に後白河法皇より平家追討の命を受け、木曽の地で旗挙げを行い、その後北陸に進撃、入京を果たした後、 征夷大将軍に任ぜられました。
しかし、後白河法皇の策略によって鎌倉軍に敗れ、粟津ヶ原(あわつがはら)で討死。31歳の短い生涯でした。 (木曽観光協会HPより)

「中山道」紀行の初めの頃、「大津宿」の「義仲寺」にもお墓があったが、育ったこの地にも祀られているのだ。広い境内を 「木曽義仲の墓」を探す。奥まった所に立派なお墓が祀られており、静かに頭を下げる。
青空が見られるようになり、歩いていると暖かくなったので、ジャンパーを脱いでセーター姿で歩むことにする。

関所橋の欄干 説明

権現水の用水 説明

興禅寺


「木曽義仲」の墓に参拝して、本来の「中山道」に戻る。県道を進むと大きな「福島関所」の門を形取ったモニュメントを抜けて東に向かう。
歩道のある県道の水溜りは凍っていて、気を付けて進まないと滑ってしまう。木曽川の対岸の「崖屋造りの家」も見られ、青空の下を 気持ち良く進む。道の反対側には雪が積もった「厳島神社」の鳥居が立ち、少し進むとトンネルを抜けて来た国道19号線と久し振りに 合流する。
少し進んだ所から左に下る旧道に入り、国道を避けることが出来る。視線を上げると青空と薄雲と雪に覆われた山々が木曽川越しに 望まれる。気持ちの良い光景だ。県道の木曽大橋の高架下を抜けて再び国道に合流する。

福島関所のモニュメント

国道から旧道へ

雪の山々


当初の予定では、この合流地点に蕎麦屋があるとガイドブックに記されていたので、ここで昼食を食べようと考えていた。合流地点に 到達して、探すが蕎麦屋は見当たらない。国道少し戻って探すが見つからず、前に進みながらキョロキョロと。 国道の反対側に「芭蕉句碑」があることも忘れて進むとコンビニがある。ガイドでは左の脇道に入って下って行くように示されているが、 もう少し蕎麦屋を探そうと国道を進む。
国道の下を通る脇道に保育園と思われる建物があり、蕎麦屋はないと諦めて、途中にある階段から下の脇道に下りる。この辺りは国道の 建設により、旧道が分断されているようで、ガイドブックもルートが色々とあるようだ。
脇道を進むと旧街道にふさわしい「石仏群」が立っている。その横に懐かしい「中山道・道標」が国道へ上るように示している。 間違いなくこのルートで正解だったと一安心し、道標に従って、国道への細道を上り、国道に戻る。車の途切れた時に急いで国道を横切り、 JR中央本線の高架下の狭いトンネルを抜ける。
トンネルを抜け、向こうの国道を見ながら畑の畦道を線路に沿って進むと住宅地に入り、不安を抱きながら進むと国道との合流地点・ 上田口交叉点に至った。正解だったようだ。

石仏群 道標

中央本線の狭いトンネル

畑の畦道


上田口交叉点の信号を渡り、国道から離れる。JRの高架橋を渡る手前の道を右に折れ、静かな道を進む。

気持ち良い光景

前方には薄っすらと雪を 頂く山々を眺めながら、道端に雪が残る旧道を東に向かう。天気も良く気持ち良い歩行だ。
足取りも軽く進むと「手習天神」の赤い鳥居が迎えてくれる。この辺りから「木曽義仲」の史跡がたくさん残るようで、この天神は 木曽義仲を養育した中原兼遠が北野天満宮を勧進したと。
神社の横には石碑がたくさん立ち、「薬師堂」の横には大きな「廿三夜」碑が祀られている。旧街道の雰囲気が感じられる一帯だ。
上田の集落には大きな旧家が残り、2階の廊下がせり出した雪国の独特の建屋だと。
集落を抜けると視界が開け、信州の冬の自然の光景が気持ち良い。
カーブミラーと「屋敷跡への案内板」の所を脇道に入るとのガイドブックの注意に気を付けながら、気持ち良く進む。カーブミラーは確認したが、 案内板がないので、先に進むと国道と合流する栗本の交叉点に出てしまう。
間違ったことに気付いて元に戻ると、先程のカーブミラーの 下に「中山道・道標」が下への道を示している。「屋敷跡への案内板」はないが、この道に間違いないと。

手習天神 説明

薬師堂と廿三夜の碑

分岐点のミラーと道標


坂道はまだ雪が残り、凍っていて歩き難いが、如何にも旧道の趣きがある。坂の下には川が流れており、その手前の雪の中に 鳥がとまっているように見える。静かに進むと手作りのベンチの横に鳥の彫刻が置かれていた。遠くから見ると本物に見える 力作だ。
小さな川は正沢川と云い、昔は刎掛橋が架かっていたそうだが、今は鉄製の橋が地元の方のために架けられている。橋を渡り、 川に沿って草むらの道を進み、きつい坂を上ると東から歩く人のために、大きな「中山道」の道標が立っている。西からの 目印が小さくて見落としたので、複雑な気持ちだ。
坂の上の道を進むと道角に「道祖神」が祀られている。そろそろ「中山道中間点」が近い。

旧道の坂道

正沢川の鉄製の橋 鳥の置物

草むらの道 東の道標



「福島宿〜宮ノ越宿A」の「紀行スライドショー」


旧道を中間点はもう直ぐだと軽やかに進むとビニールハウスの前に立看板が立つ。これが「中山道中間点」なのだ。
もう少し趣きのある碑が立っているのかと思っていたのに・・・・。記念撮影をしょう思っても誰もいない。残念。
説明文を読むと少し納得出来ない。中間点として、「江戸・京都まで67里38町」とある。確か、1里=36町のはず。38町なんて・・・・と 思いながら、先達の旅行記で読んだ、近くの「道の駅」に碑が立っているとの情報を頼りに、国道に出て「道の駅・日義木曽駒高原」に 向かう。
「道の駅」の奥に「中山道東西中間之地」と刻まれた立派な碑が立っている。何故、国道の「道の駅」に立つのか?
石碑には「江戸へ67里28町」と刻まれている。38町と書かれた立看板の記述ミスだろう。(帰宅して、木曽町観光協会に間違いではとメールしたが、 回答はまだない。修正されているだろうか?)
何はともあれ「中間地点」に到達したのだ。一昨年の春に、三条大橋を出発し、14回目の紀行で、やっと半分の 距離を歩いたのだ。江戸・日本橋まで「まだ半分もある」と考えるか、「後半分だ」と考えるか。後者で行こうと改めて決意するが、 いつの時点に到達するか、慌てずにゆっくり進もうと。

中山道中間地点 説明

中山道中間地点碑


蕎麦屋が見つからず、昼食抜きだったので「道の駅」の食堂で山菜蕎麦を食べ一息入れる。(12:50-13:10)
本来は中間地点到達の乾杯をしたい所だが、何時もの様に途中での乾杯はせず、帰路で楽しもうと蕎麦を食べ、売店で栃餅と干柿を 土産に買って、元の旧道に戻る。
山の中腹に大きな岩が見える。「明星岩」と云うらしいと。青空がきれいだ。旧道の「中山道中間点」の看板横には「水神」碑が 祀られている。改めて、「中山道中間点」と一緒に記念撮影をしたいと人を待つが誰も通らず諦めて進む。

道の駅・日義木曽駒高原

明星岩

水神碑


「中山道中間点」に到達した喜びで、自然と足取りも軽く進むと「明星岩公園」があり、2階の出窓が突き出し、軒先になっている旧家を 点在する原野集落を抜ける。近くに原野駅があるが、旧道からは見えない。
JRの踏切を渡ると気持ち良い光景が広がる。集落と集落の間には冬景色の自然が広がり疲れを癒してくれる。JRに沿った舗装道路は 雪もなく、陽射しも暖かく、車も通らないので気持ち良く歩ける。
反対側に「一里塚跡の標柱」が立っているとのことで、注意して歩くが見落としてしまう。道脇に「馬頭観音」や「道祖神」が祀られ、 少し進むと「廿三夜」の碑も立つ。街道筋は信仰厚いことを改めて認識する。

原野集落の家

冬景色

廿三夜の碑


「中山道中間点」を過ぎての初めての宿場である「宮ノ越宿」に入る。

御膳水 説明

静かな集落を進むと「御膳水」と書かれた井戸が迎えてくれる。幕末に掘られ、明治天皇行幸時に献上されたために「御膳水」と 命名されたと。
少し進んだ所の旧家は「宮ノ越宿・民家田中家」として保存されるこの地方独特の建屋だ。
その前には「脇本陣・問屋跡」の木碑が立ち、少し進んだ所には「本陣跡」として「中山道宮ノ越宿」の大きな木碑が立っている。

宮ノ越宿の町並み

この宿場も火災で建物が残っていないが、遺跡として表示されているのは有難い。
本陣は立派なものだったようで、その遺構が残っているとのことだ。横には「明治天皇御小休之跡」の石碑も立ち、宿場の中心地で あることを示している。

宮ノ越宿・民家田中家 説明

脇本陣・問屋跡

本陣跡 説明


人通りもない「宮ノ越宿」を過ぎ、JR宮ノ越駅方面に向かう。駅からの筋が木曽川を渡る道が旧街道となっていて、駅と反対に 義仲橋を渡る。
義仲橋を渡った所に武家屋敷風の「義仲館」がどっしりと建っている。門を入ると「木曽義仲と巴御前像」が堂々と建ち、迎えてくれる。

義仲館

木曽義仲と巴御前像


巴御前の乗馬姿

受付で料金を支払って入ろうとすると、管理人の方が「木曽義仲」についてのお話を延々と続けてくださる。「宮ノ越宿」の逸話も 身振り手振りで面白くお聞きする。
館内には「木曽義仲」の生涯図・人形等が展示され、貴族・公家社会から武家社会に移行する時代の光景を表している。 ゆっくりと鑑賞して「義仲館」をあとにする。
すぐ先に「徳音寺」が建つ。この寺は「木曽義仲」が母の「小枝御前」を弔った寺で、以後一族の菩提寺としたそうだ。
立派な山門を抜けると「巴御前」が馬に乗る雄々しい石像が建っている。女傑と云われる風貌が十分感じられる。
寺の境内は桜の名所だそうで、落ち着いた境内には桜の木がたくさん植わっている。龍の形の水場があったりと静かな雰囲気を ゆっくりと楽しむ。
ただ、この寺に「木曽義仲」の墓があることに気付かず、退出したので、次の紀行時に確認することにしよう。

義仲館の展示物

徳音寺・山門 説明

龍の水場


宮ノ越駅

時刻を確認すると15時10分だ。ここから次の「藪原(やぶはら)宿」まで7.5kmあり、帰りの時間を考えると少し厳しいので、 今日はここまでとする。
義仲橋を渡って宮ノ越駅に向かうが、店も人も全くいない。駅は無人駅で自動販売機もない寂しい駅だ。
誰もいない寒々しい待合室で一息入れ、ペットボトルに入れて来た芋焼酎で「中山道中間点」到達の乾杯をする。お腹に沁み入る焼酎は 一段と美味しい。時間が来たのでホームに向かう。ホームの方が日が当たり暖かいのは助かる。歩いている時は寒さを感じなかったが、 立ち止まっているとやはり冷えて来る。

「福島宿〜宮ノ越宿B」の「紀行スライドショー」


15時32分発の中津川行は行楽客でほぼ満席だが、座ることが出来る。今日歩いたコースは列車から余り見ることが出来ないが、所々確認して ニヤニヤと楽しむ。その中に暖かい車内の空気に睡魔が襲ってくる。中津川での乗換え時に売店でビールとつまみを買って、改めて乾杯!!
休日は列車の連絡が良く、金山乗換えで米原までの直通列車があり平日よりスムースに帰れる。ウトウトとしたり、本を読んだりと「青春18きっぷ」 の車内の楽しみを満喫しながら21時過ぎに高槻到着し、夕食を食べていないので、たこ焼きを買って家に帰る。
往復12時間、歩行4時間の「中山道」紀行は「中山道中間点」到達の結果を得て大満足だ。今回の歩行歩数は23000歩と少なかった。

冬の「青春18きっぷ」の紀行はこれで終了し、次は春の「青春18きっぷ」で「宮ノ越宿」から歩き始めよう。次の「藪原宿」を通り、 「鳥居峠」を越えて、雰囲気を残すと云われている「奈良井宿」で宿泊し、進みたいと思っているが・・・・!?
前半戦は終わった。さあ、遠くなる後半戦に備えて、交通機関、宿泊場所を楽しみながら検討しよう。


(工事中)




    
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送