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○ 「中山道No15」見聞録(宮ノ越宿〜洗馬宿)・(距離 38.3km(今回)/ 305.5km(累計)/ 227.5km(残距離)

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今回
残距離


15−1.(36)宮ノ越宿〜(35)藪原宿・(7.5km) 2010.07.28 11:20〜13:35 晴れ時々曇り


中山道全行程.Map
「宮ノ越宿〜藪原宿・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

1月に「中山道・中間地点」を通過し、前半を踏破した。後半の第一歩は春の「青春18きっぷ」発売と共に、「宮ノ越宿」から 「鳥居峠」を越え、「奈良井宿」で宿泊し、「塩尻宿」に向かおうと計画していた。
今年は雪が深く、地元の観光案内所に 問い合すと「鳥居峠」は 積雪が深く、道に迷う可能性と熊が出る恐れもあるので無理をしない方が良いとのアドバイスがあり、残念ながら断念した。

夏の「青春18きっぷ」発売に合わせて日程を調整し、「奈良井宿」の民宿の空きを確認して実施が決定した。
2番電車で出発しても良いが、5時の始発に乗るべく、4時30分に家を出る。薄明るくなり、散歩している人もいる。 5時発の列車には「18キッパー」の姿が数人見られたが、ガラガラの状態で京都へ向かう。米原行に乗換え、いつものようにウトウトしていると 車窓からは近江平野の緑の絨毯が眺められる。今年の収穫は如何!?
米原から乗換えて「伊吹山」を眺めるが、頂上は雲に隠れている。

伊吹山

冷やしきしめん

ぐっすりと眠り、目覚めると通勤客で満員になっている。名古屋に着き、乗換えに急ぐが、人が多く間に合わなかった。 何時もの駅そば屋に入り、冷やしきしめんを食べる。この時期、冷たい方が良い。
中央本線の8時31分発中津川行快速も空いていて、車窓からの景色を眺めながら進む。男性的な梅雨は各地に被害を与え、「中山道」周辺も 被害が出ていたのを思い出す。梅雨明けと共に酷暑到来で、多治見市は40℃近い日本最高気温を記録している。
中津川駅で、10時10分発の松本行に乗り、半年振りの「木曽路」の光景を車窓から思い出しながら眺める。前回歩いた木曽福島から宮ノ越 までの行程を回想し、改めて「中山道中間地点」を通過した意義を感じる。半分踏破したのだと。
11時19分、出発して6時間経過して、宮ノ越駅に到着する。
宮ノ越駅で数人降り、駅舎から真っ直ぐに前回訪れた「義仲館」の前を通り、「徳音寺」から右に折れ、古道風の田舎道を進む。所々に 古びた民家が残り、街道の面影を残す。しかし、陽射しを遮る木もなく、真上からの日光は厳しい。熱中症に気を付けて進まねばならない。

義仲館

旧街道

古びた民家


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

木曽川沿いの木陰の道になり、涼風を感じながら進む。道横には「道祖神」が建ち、旧街道の雰囲気が感じられ、横に流れる 木曽川は川幅も狭く、下流の趣とは違った清流になっている。

巴渕 説明

木曽川を渡る橋の手前に「南宮神社・手洗水」の看板が掲げられた湧水が貯められている。早速、何時ものように、タオルを浸して 鉢巻きをし、濡れタオルを首に掛け、暑さ対策をする。
橋の上から、木曽川が蛇行する渕が青く澄んでいる。これが巴御前伝説の「巴渕」だ。この辺りは「木曽義仲」の遺跡や伝説がたくさん あるのに驚く。
山吹山のふもと、木曽川が巴状に渦を巻く淵。木曽義仲に尽くしたといわれる「巴御前」にちなんで名付けられており、 ここに住む竜神が化身して巴御前になったという伝承もあります。秋には静かな水面に色づいた木々が映り込み、 美しい紅葉を楽しむことができます。(長野県観光協会HPより)
橋を渡った所に東屋があり、そこで一息入れる。広場には「巴渕」の碑と歌碑も建てられてる。
JRの高架下を進み、R19と合流する。今回もこの国道19号線と並行して進むことになる。山吹橋を渡り、山吹山に向かって進む。
ガイドブックによれば、山吹トンネルを通らず、山吹山を迂回するルートを示すものもあるが、そこは通行止めのガードが設けられているので、 トンネルを進むことにする。トンネルの手前に標高883mの標識があった。その割には暑いので、大阪は大変だろう。

巴渕の碑 歌碑

山吹山

山吹トンネル


トンネルの中は歩道があり、安心して歩めるのは嬉しいが、トンネル内独特のひんやり感がなく、少し急ぎ足で抜ける。トンネルを抜けた所から 迂回している旧街道になり、木曽川沿いの道を進む。やはり国道歩きよりは舗装されていても嬉しい。 再びR19に合流して、吉田橋を渡り、左側の歩道を進む。
反対側の山裾に小さな看板が建っている。良く見ると「これより南・旧中山道入口」 と書かれている。この辺りから、先程の木曽川沿いに旧街道が通っていたのだろう。
少し進んだ所に焼肉・権兵衛の看板があるので、昼時なので食事休憩とする。冷麺を頼み、冷たい水をグイと。美味しい冷麺で スタミナを蓄える。(12:20-40)

木曽川沿いの旧道

旧街道の表示

焼肉・権兵衛


昼食休憩で暑さを解消し、R19を進む。少し進むと「西国三十三所観世音菩薩」の石塔群が祀られ、更に進むと「吉田洞門」のトンネルが見える。 トンネルは車だけ通り、歩行者は洞門外側の歩道を木曽川を見下ろしながら進むことになる。トンネルの閉鎖感がなく、気持ち良く進めるのは 有難い。
しばらくR19を進むと、道の反対側に旧国道らしき道が見えたので、国道を渡り、ガードレールの間から旧国道に入る。舗装されているが、 草木が方々に茂り、歩き難い所もあるが、避けながら進むと再び国道に合流する。

西国三十三所観世音菩薩の石塔

吉田洞門

右側の旧国道へ


国道を進むと藪原交叉点に至り、上高地の表示に沿って左側に曲がり、JRのガードをくぐってJR沿いに進むと、突然、機関車が現れる。 機関車の前に小さな「薮原一里塚」の碑が建つ。

D51と薮原一里塚

薮原宿は北に鳥居峠、西には野麦峠が控え、飛騨から野麦峠を越えてやってくる女工たちが休息する場でもあった。 火災のためその面影を見ることはできないが、中山道の難所であった鳥居峠越えのために栄えた宿場である。
当時は「お六櫛(おろくぐし)」の産地として栄えたが、現在では需要の減少とともに職人も少なくなった。(木曽観光協会HPより)

薮原一里塚 説明

一里塚を過ぎると宿場の雰囲気があるが、火災で残っている建物は少ないようだ。「藪原流水・源流の里」の水瓶があり、冷たそうな 水が流れ込んでいる。
早速、顔を洗い、何時もの儀式で涼をとる。水を飲むと美味しい。「木曽路」は水が豊富なので、旅人には 助かる街道だ。
懐かしい赤いポストの横に「高札場跡」の碑が建ち、宿場の入口であることが分かる。少し残る藪原宿の街並みを眺めながら 進むと有名な「お六櫛」の看板や櫛の看板の旧家が並ぶ。漆器も造っているようで、店先には櫛や漆器が陳列されている。

藪原流水・源流の里

高札場跡の碑 説明

お六櫛の商家 漆器・櫛


宿場の中の水場でタオルを濡らし、進むと山から流れる水路の横に「防火高塀跡」の碑が建つ。度重なる火災の教訓から防火壁を造った 跡だと。 JRの線路越しに山の上を見上げると「藪原神社」の赤い鳥居が見られ、道角には「鳥居峠」への道標が示されている。
「藪原宿」の本陣跡等の史跡は分からなかったが、次の「奈良井宿」に向け、鳥居峠方向に進む。(13:35)

帰宅してトレースした所、「鳥居峠」の道標があったので、それに従って進んでしまったが、「中山道は」は真っ直ぐに進むと、 「藪原宿・本陣跡」の碑があったそうだ。早とちりに後悔。

「宮ノ越宿〜藪原宿」の「紀行スライドショー」


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