[五番関〜山上ケ岳」[山上ケ岳〜和佐又]


○ 「大峯奥駈道No3」見聞録 

3-2.山上ケ岳〜和佐又
 2006.08.24 7:00〜14:30 晴れ

何もすることがないので早く寝た。毛布を布団の上に掛けていたが、寒くなって来たので布団の中に 被って眠る。やはり山上は寒いのだ。
3時30分頃目覚める。まだ真っ暗で電気を点け、今日の行程をトレースする。和佐又口発のバスが15時27分 なので、逆算してそれぞれのポイントでの最終到達時刻を設定しておく。
その内にウトウトと眠ってしまう。目覚めると薄っすら明るくなっている。夜明けだ。

あわてて窓際に行くが、日の出の方向ではないので静かに表に出る。空気が冷たく身が引き締まる。
宿坊の前の広場から雲海が広がり、少し空が明るくなっているのが見える。絶好の日の出遥拝ポイントだ。 カメラを用意して日の出を待つ。雲海がきれいで、白い雲海の上に黒々とした山並みが連なり、夜明けが 近い。
日が昇って来た。一条の光の筋が雲海を照らす。それが2条・3条・・・と。少し昇ると眩しくて、明るい 柔らかい陽射しを全身に浴びる。
刻一刻と日が昇るのを眺める。きれいだ。雲海も少しづつ赤くなり、霧が流れて来る。
上を見上げると近頃見たこともない雲一つない真っ青な青空だ。今日の紀行は最高だ。

山上ケ岳の日の出


雲海

日の出

真っ青な青空



昨夜、6時からお勤めがあるが同席しませんか、とお坊さんからお誘いがあったので参加することにする。 食堂横の祭壇にお坊さん・お手伝いの方・工事関係の方と4人でお勤めをする。
経本の読経する箇所にしおりを挟んでいただき、正座して待つ。読経が始まり、経本を追いながら小声で 真似て行く。段々と読経の場所が分かり、声も大きくなり気持良い。
読経の内容は日本全国の神様・寺院の祈祷も含まれ範囲の広いものだった。最後は般若心経で太鼓を 叩きながらのリズムで日頃詠んでいるのとは少し違った。

これで終わりと思っているとお坊さんが16分間、沈思黙考するようにと。
姿勢は楽にとのことで、あぐらを組んでスタートする。16分の沈思黙考は良い機会だから「熊野古道」 紀行のスタートから今までを思い返すことにした。
天満橋・八軒家浜から「紀伊路・中辺路」を経て、熊野三山に参拝した後、「伊勢路・大辺路」の 紀伊半島海岸線を踏破した。京都から高野山までの「高野街道」から本宮大社への「小辺路」を 楽しく歩いた。最後は残っている「大峯奥駈道」への京都から吉野まで「吉野道」を踏破した後、 ここ山上ケ岳に至った。
それぞれのポイントでの出来事、自然・人との触れ合い等々ゆっくりと反復した。しかし、まだ16分経って いない。雑念を巡らせている中に16分経過した。16分とは長い時間だ。
お坊さんに16分の意味を尋ねると『気』は人体を一回りするのに4分かかると。4つの『気』があるので 16分かかると。詳細は理解できないが、16分沈思黙考するのは大変なことが理解できた。
精進料理・朝のお勤めと宿坊に泊らなければ分からないことが経験でき感謝・感謝。

朝食の準備の間に外に出る。太陽は上に昇り、雲海が美しく映える。気持良い天気だ。
朝食は質素なものだ。もろみ味噌・漬物・味付海苔・お茶漬け海苔・味噌汁で精進料理そのものだ。 お茶漬けでごはんを流し込む。腹ごしらえはOKだ。
一泊二食の宿泊料(7000円)と弁当代(600円)、電話代(200円)を支払い、今日の行程でまだ発見されて いない遭難者と出会うかも知れないと話し、気を付けての言葉に送られて出発する。(7時05分)

宿坊の祭壇

雲海

質素な朝食


大峯山寺


昨日、頂上まで行っているので真っ直ぐ「大峯山寺」に向かう。
6時から開いているそうで、参拝し朱印帳に記帳していただくと「ようお参り」と丁寧に挨拶される。

海抜1720mの所にこのような大建造物が建つことに驚く。重要文化財に指定されているそうで、 大峯信仰の深さの表れだろう。静かな本堂で礼拝する。

山上ケ岳の頂上は朝日で輝き、雲海が美しい。カメラマンの方が本堂を撮影しておられる。挨拶して同じ 場所から写す。ベストポジションなのだろう。
今回の紀行の目的のひとつである「山上ケ岳・大峯山寺」に参拝出来、充実した気持で歩を進める。 (7:15)
昨日、確認した柏木方面への道を下って行く。東斜面の道は朝日を浴びて緑が気持良い。軽快に歩を 進めていると後ろから追いついて来る方がいる。急いでいるようで、道を譲って話す。昨日の遭難者の 捜査に向かう、奈良県の中学校の先生で、まだ発見されていないと。早く見つかると良いですね・・と 先に行ってもらう。

青空と展望を楽しみながら、歩き易い下り坂を進むと「投げ地蔵」の標識が草むらにあり、大きな 木の下に祈願札がたくさん祀られている。一息入れる。(7:40)

緑の下り坂

青空と展望

投げ地蔵


阿古滝との分岐点を過ぎ、朝日の木漏れ日が気持良い尾根道を進んでいると先程の先生に追いつく。 話しながら進むと水音が聞こえ「No66靡.小篠宿」に到着する。(7:50)
赤いお堂があり、不動明王が祀られ護摩場がある。護摩場で頭を下げ礼拝する。先生は横に立つ 避難小屋を覗いて遭難者を探しておられる。
ここは「大峯奥駈道」の中でも枯れない水場で有名だそうだ。ここでテントを張って宿泊する人もいる とか。

沢に下りてペットボトルに水を入れていると男性が近付いて来て、「ここは何処ですか?」と。「小篠の 宿」と応えていると同行した先生が来られ、「○○先生ですか」と問うとそうだと。
遭難した先生と遭遇したのだ。疲れた様子もなく元気そうなので安心した。先生同士が色々と話して おられ、結論として山上ケ岳に戻り、電話連絡を取ることにされた。
東南院の方も心配しておられたの連絡を取るよう依頼し、お別れする。見つかって本当に良かった。
一安心したので心新たに出発する。(8:10)

緑の尾根道

No66靡.小篠宿

小篠宿・避難小屋


少し登り坂になる。全体に荒涼とした平地で道が分かりづらい箇所もあり、先達の踏み後を探して 進まないと迷いそうな所もある。下が岩盤で土が薄く覆っている所に木々が生えているので、風が 強いと倒れるのか、根っ子共に倒れている木が多く見られる。
木の間から小高い山が見える。あれがこれから進む大普賢岳かな・・・と思いながら山深い・緑の森の 中を進む。苔むした岩に「柏木道」の道しるべがあり、安心して進むことが出来る。

まだ先だと思っていた木の門が現れた。「No65靡。阿弥陀ケ森・女人結界門」だ。
今回、北の「五番関・女人結界門」から「女人禁制」エリアに入り、南の「阿弥陀ケ森・女人結界門」まで の聖地を歩いた。北には「五番関」の他、「大峯大橋」「レンゲ辻」の結界門があり、南はこの 「阿弥陀ケ森」だけだ。
横には「道しるべ」も設置されており、柏木との分岐点になる。ここで「小篠宿」の水を飲み、 一息入れる。(8:25-35)

あるサイトを引用させてもらう。
「女人結界」について先達の話では、修行で険しい岩山を登り、狭い岩場を巡るとちょうど苦しい 陣痛を経て生まれることを経験するのに似ている。母が自分を産んでくれるまでの苦痛や、妻が自分の 子供を産むまでの大変さを実感して、自然に感謝の気持ちに溢れ、大の男でも泣いてしまうとか。
西の覗きでは身も縮むような恐怖を味わうが、その時、身近に女性がいると素直になれない、 見栄を張って強がるから本来の素直な心になれないのでは、とのこと。

また別の方は、「女人禁制」は女性差別ではなく、女性をいたわった結果だと。山で生きる ことは危険と背中合わせで、深い山に入れば、収穫もあるが山犬と呼ばれる狼に襲われること もある。月々の生理がある女性がひとつの集団の中にいると血の匂いで襲われやすいのだ。 その危険を廃し、女性を休めるために麓へ留めておくということから女人禁制がはじまった のではないか、とのこと。


No65靡。阿弥陀ケ森・女人結界門


木漏れ日の道

根っ子からの倒木

山深い道



「女人禁制」の聖地から抜け、次の「靡き」に向かう。
緑深い森を進むとすぐに「No64靡.脇宿」と思われる大木の下に祈願札がたくさん置かれている。(8:42)
頭を垂れ、次に進む。この辺りの道は森の中を進むようで大変気持が良い。木々の間の道や笹の道を 時々木立の間の展望を楽しむ。
やがて小普賢岳への登り道となり、岩がゴロゴロと歩き難くなる。道端に錫杖が立ち、「経函石」の修行 場への分岐を示している。横の木には祈願札が祀られている。往復10分と表示があったが、先を急ぐ ので寄り道は止め小休止する。(9:20)

No64靡.脇宿

笹の道

経函石の分岐


森の中の小道を進むとゴツゴツした岩の道に変わる。周りには石楠花がたくさん植えられているが、 この時期は花はなく緑の木が茂るだけだ。
岩道を登り切ると小さな岩があり、これが小普賢岳の頂上だ。岩の脇には祈願札が祀られ、ここも勤行の 場と思われる。
石の上に登ると正面に大普賢岳が青空を背景に堂々と勇姿を見せている。次はあの大普賢岳に登る のだと気合を入れ、水を飲み一息入れる。(9:30-35)

石楠花の道

小普賢岳の頂上

大普賢岳


小普賢岳からの急な岩の道を下ると笹の尾根道になり軽快に進む。しばらく行くと「道しるべ」が 立っている。ここが「大峯奥駈道」と和佐又への下り道の分岐点だ。(9:45)

先達の紀行記ではここから大普賢岳まで15分で往復出来るとあった。リュックを「道しるべ」の脇に置き、 カメラだけを持って「大峯奥駈道」の方向に進む。岩のゴツゴツした道を昇り降りして、木の橋を渡ったり するが、下りの方が多く少しおかしい。
間違っているのか・・・と思いながらもう少し進むと笹の道になり、「大峯奥駈道」から分岐して、 上に向かう笹の道があるので登り始める。やがて、岩の道になり 急な坂道を両手で木や岩を持ちながら登り切ると大普賢岳の頂上(1780m)にようやく到達した。(10:00)
片道で15分かかってしまった。ここは「No63靡.大普賢岳」だが、勤行の場所は確認できなかった。
360度の展望を心置きなく楽しむ。山の名前が分からないが、今まで通ってきた山々から反対側まで。 水が飲みたいと思ってもリュックを置いて来たのでダメ。

和佐又の分岐点

No63靡.大普賢岳の頂上

大普賢岳からの展望



十分展望を満喫して下り始める。先程、笹の道から分岐して登り始めた所まで来たのだが、結果的には 先入観と錯覚で、分岐点までもっと笹の道があったと思い、分岐点を探しながら「大峯奥駈道」を進むこ とになる。
おかしいと気付き、元の場所まで戻るが納得出来ず、下る笹の道を再度探すために進む。
地図もリュックに置いていたので、記憶に頼るしかなく、冷静になって考える。この道を戻れば良いと確信 して、岩のゴツゴツした道を戻ると来た道と確認出来、ホッとする。やっとのことでリュックの置いてある 分岐点に戻った。一瞬、遭難した高校の先生を思い出し、苦笑いする。(10:40)

反省点として
@リュック・地図・水は常に身に着けておく。
A先入観・錯覚が起こるので、分岐点には確証を残すか目印を確認する。
B間違った地点に戻り、冷静に考える
と山登りの基本的なことを再確認した貴重な経験となった。

少し休憩し、リュックを背負いスタートする。(10:40)
30分程ロスしたが、初めに計画した最終予定時刻、11時30分には余裕があるので一安心だ。
和佐又への分岐点に入ってすぐ、「大普賢岳」への「道しるべ」が立っている。先にこちらを確認して おれば、回り道をしたり、道に迷ったりしなかったのにと歯軋りする。この道だと往復15分なのだろう。

ここからの下り坂は急だ。ゴツゴツした岩の道や鉄の階段や鎖を掴んでの崖の道が続く。
登って来られる登山姿の方と出会う。お互い小休止して話す。この下り坂を登るのは大変のようで 汗が一杯で息使いも荒い。下の和佐又ヒュッテでは高校生のテントが一杯張ってあり、大変な賑わいとか。
再び、鉄の階段を下り、今度は別の小普賢岳への上りになる。アップダウンにそろそろ足の疲れが倍増する。 ふくろはぎは基より太ももにも身が入る。
小普賢岳らしい所を越え、滑落注意の看板を見ながら下る。谷を渡す鉄の橋から下を見下ろすと深い 谷だ。
又々登りになり木の根っ子が張る道、鉄の階段をアップダウンする。始めのうちは鉄の階段をバランス良く 下りていたが、疲れるに連れバランスを崩し、あわてて腰を落とすことも。
岩の間を通り抜けると「石の鼻」と云われる大きな岩が現れ、その上に上ると見晴らしがきく。 ここで一息入れる。(11:20)

分岐点からの道

鉄の階段

梯子と崖の道


木の根っ子の道

石の鼻

石の鼻からの展望


展望を楽しんだ後、再び下り坂に進む。下り、平坦な道、長い鉄の階段を降りるのを 繰り返すと「日本岳」の標識に出会う。(11:38)
半ズホン姿の登山者と出会う。下りでも大変なので登りはきついですねと話すと山上ケ岳に向かう 「レンゲ辻」の方がきついと。この辺りの山々をよく歩いておられるそうだ。もう少しで「笙の窟」 教えられ別れる。
笹の道を進み、崖の細道を慎重に渡ると大きな岩盤がそびえている。岩盤を廻ると「No62靡.笙の窟」が 現れる。(11:50)

岩盤に大きな洞窟が口を開け、入口に錫杖が立ち、中には「役行者」が祀られ、天井から 水滴がポタポタと落ちている。
ここは修験者が晦日山伏という年越しの修行や一冬を過ごす場所としても知られる所で、こんな 山深い洞窟で一人籠もる行とはなんと厳しいことかと考える。
礼拝して、水滴を溜めている水槽から杓で水を汲み飲み干す。冷たくて美味い。
杓で汲んで顔を洗い、頭から水をかぶる。タオルを濡らして体を拭くと疲れが取れる感じがする。
ここで昼食にする。洞窟の中の石に座り、お弁当を広げるとご飯の上に梅干・昆布・漬物が載っている シンプルなものだ。ご飯はパサパサでなかなか喉に通らず、半分だけ食べる。

No62靡.笙の窟 ...説明→


笙の窟の祠 ...拡大→

役行者像

洞窟の錫杖



神聖な場所で涼しく昼食を取った。さあ、最後の行程に向かおう。(12:15)
「笙の窟」の岩盤を廻るように進む。少し小振りな「朝日窟」があり、岩の道を廻ると「シタンの窟」が 迎えてくれる。この辺り一体は洞窟がたくさんあるのだ。
更に九十九折れの道を下ると木の根の道が現れる。足が疲れた頃にこの道は注意しないと滑るので 慎重に下る。前回、この木の根っ子で何度滑ったことか。岩の道、緑溢れる道を下る。
広場に到着し、確認すると「和佐又の分岐」だ。ここから和佐又山、七曜岳、和佐又ヒュッテに分岐する 地点だ。ベンチが置いてあるので一息入れる。(12:50-55)

朝日窟

緑豊かな道

和佐又の分岐


最終行程に進む。足は結構疲れている。山道を抜けると視界が開けススキの穂が開きかける広場に 出る。この辺りは和佐又スキー場があるらしい。奈良県にスキー場があるのを知り驚く。
高校総体はもう閉会したようで、テントは張られているが人は居ない。和佐又ヒュッテに向かう。ヒュッテに入ると 4-5人の方が話しておられ、挨拶をして売店に向かう。ビールの表示があったので生ビールを注文し、 2日間の紀行の無事を祝って乾杯する。(13:15)
昨夜は宿坊で泊ったので禁酒した。久し振り(?)のビールの味を噛み締め、2日間の行程を思い出しながら 味わう。
和佐又口のバス停までは林道を1時間10分下らなければならない。15時27分に合わすには時間があるので ゆっくりすることにする。

談話しておられる方達は高校総体の関係者のようで、反省会のようだ。遭難者の話が出たので、話題に 入って行く。ご存知と思うが、「小篠宿」で遭遇したこと、元気であったこと、山上ケ岳に向かわれた ことを話すと大変感謝され、色々と話した。
登山競技とはどんなことをするのかと聞くとテント張り、食事、地図・天気図の読み方、団体行動等々 登山の基本的なことを競技するとか。終わってホッとしておられるのがよく分かる。
「熊野古道」の話をしていると、奈良では「大峯奥駈道」は「東熊野古道」、と「小辺路」は 「西熊野古道」と奈良を中心に考えて呼んでいると面白い話を聞く。

14時になったので出発する。林道を下る。足元に注意しなくても良いのは楽だが、単調な道を展望を 楽しみながら、ひたすら下る。

ススキ原

和佐又ヒュッテ

林道



30分程林道を下っていると後ろから来た乗用車が停まってくれた。広島ナンバーで年配の方が運転して おられ、乗って行ってはと。感謝して乗せていただく。今から広島に帰られるそうで、途中何処でも 良いと親切にしていただく。
計画ではバスの乗換え場所に温泉があるので、汗を流そうと思っていた。トンネルを何度もくぐり、杉の湯 に来たので、お礼を云って降ろしていただく。疲れた時の車は本当にありがたい。
温泉に向かうと日帰り湯は14時までと断られる。交渉するがダメ。仕方がないのでトイレで体を拭き、 シャツを着替え、道の駅にあるうどん屋で山菜うどんでお腹を満たす。アルコールは何処にも売っていない。 木陰で時間を潰し、予定したバスで上市まで前々回の乗車駅・西河を通り、ウトウトしながら進む。近鉄で 阿倍野に行き、地下の居酒屋で改めて2日間の完歩を祝って乾杯。
階段の昇り降りは身が入ってきつい。21時前に無事帰宅する。今日の歩行は32000歩だった。

「大峯奥駈道」紀行の前半の聖地でもある「山上ケ岳・大峯山寺」への歩行は修験道の道を歩くので 厳しいものと理解し、計画を綿密に立てて実施した。
無理な行程を避け、登山家は一日で行く(往復の林道は車利用)行程を2日間で踏破する計画とした。 1日目は「女人禁制」の聖地を進み、修験者の厳しい修行場を経験したり、横から眺め、息吹に触れる ことが出来た。宿坊での精進料理、読経は山上での貴重な経験だった。ご褒美のような見事な日の出。
2日目は「靡」を辿る尾根道の歩行だった。岩場・森の道をアップダウンし、大普賢岳も踏破出来た。 鉄の階段で下った「笙の窟」の神秘的な場は行場として本当に厳しそうな所だ。

「熊野古道」も色々なルートがあるが、やはり「大峯奥駈道」は修験道としての道で、他のルートとは一味も 二味も違った道だ。生半可な気持では遭難もするだろう。
大普賢岳以降の道は交通の便も少なくなり、乗用車で行っても余り進めず、2台の車で行く方法か、 ツアーを利用するしか小生の登山経験では実現できない。
これからじっくりと検討して行きたい。無事に帰宅できたことに感謝・感謝!!


[五番関〜山上ケ岳」[山上ケ岳〜和佐又]




(工事中)




    
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