[神辺〜松永][松永〜糸崎]


○ 「山陽道No11」見聞録(神辺〜糸崎)・(距離 36.9km(今回)/ 354.3km(累計))

  1.神辺〜松永・(16.6km) 2012.10.07. 10:40〜15:30 晴れ


西国・山陽道全行程.Map

「神辺〜松永・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

前回の「山陽道」紀行は、福山で宿泊し次の行程に進む予定だったのを「鞆の浦散策」に 変更して、中断した。
紀行の続きを実施する予定を検討していると、O君が「しまなみ海道ウォーキング」に参加するので、尾道まで行っている帰途に合流出来ればとの 提案があり、問題ないので具体化することにする。N君は予定があり、今回は不参加となったが、快く了解してくれた。
福山まで、安く行く方法を色々と検討していると、JR西日本が「鉄道記念きっぷ」が発売されることを知り、日程が丁度良いので、早速 「青春18きっぷ」と同じような「記念きっぷ」(1日・3000円)を活用することにする。

須磨浦の朝日

神辺駅

しかしながら、「しまなみ海道ウオーキング」の翌日に「山陽道」紀行をやろうと云うO君のスタミナに驚き、彼とは福山駅で待ち合わせることにし、 何時もと同じ始発の列車で出発する。 休日ダイヤで乗換え、踏切事故等で遅れたが、須磨浦からは朝日の輝くのを見て、好天に喜ぶ。姫路では列車が待ってくれていて、福山には 定刻通り到着し、O君と合流する。彼は前日20kmウォーキングしたそうだが、足は問題ないと。タフさには脱帽だ。 塩福線に乗り、前回の終了地点神辺駅に向かう。
10時40分、暑くなりそうなので長袖シャッを脱ぎ、Tシャッ姿で出発する。

夜泣き地蔵尊

前回の終了地点まで戻り、交叉点を右に進む。左に「夜泣き地蔵尊」が祀られている。説明文によれば、
お寺の松が夜中に赤ん坊の泣き声で泣くので、村人が寺の和尚さんに相談したら、お腹がすいて乳をほしがっているという。
村人が女の人から乳を集めてお祈りをしながら松の根に流したら夜泣きはぴたりとおさまった。村人は不思議がったが、 寺男だけがそのわけを知っていた。昔九州の殿様がここを通るとき、奥方が突然産気づいて子供を生んだが、双子だったので、 争いのもとになると、殿様の命令で、一人をさらって埋めた家来がその寺男で、ここに住みついて墓守をしていたという。寺男は、 「村の人たちがおがんでくださるのでもう安心して死ねる」と静かに息を引き取ったという。

県道は右に曲がっていくが、旧街道はここを直進し、進むと前方左に池があり、三叉路になっているので、真ん中の道を進む。下り坂は 先程の県道に合流し、左上のある池を見ながらそのまま進むが、本来の旧街道は、その池の横を通り、国道に合流することを 後で知る。
県道はJR福塩線を右に見ながら並行に進み、鶴ヶ橋で右折するが、踏切の左に「出雲大社道」道標が新旧二基立っている。この辺りまで 出雲大社の影響が及んでいたのだろう。
鶴ヶ橋を渡って新茶屋」信号を左折し、真っ直ぐな道を進むと右に「正善寺」と幼稚園があり、その次の細い道を右折して芦田川に向かう。 当時はここから川を渡ったらしいが、渡し跡の史跡等は分からず、芦田川の堤防を歩き、大渡橋に向かう。堤防は車も走り、歩き難いが風が 気持ち良い。

出雲大社道の道標

芦田川への曲がり道

芦田川の堤防


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

芦田川を大渡橋で渡り、渡し場所まで戻ろうとも考えたが、左折して、堤防の下の道を下流に向かって進む。
堤防の下の田圃は黄金色に輝き、今年は豊作だろうと話しながら歩いていると山陽自動車道の高架があり、丁度、昼時なので、芦田川の 岸まで降りて、福山駅で買ってもらっていた「鶏弁当」を楽しむ。川の水は澄んでいて、ボラと思われる大きな魚が泳いでいる。気持ち良い 天気の下、しっかりと食べる。(11:55-12:20)

大渡橋からの芦田川

黄金色の田圃

鶏弁当


河原を歩きたいが、道がないので、堤防の反対側の下の道を歩く。

二本松の碑

見守地蔵

堤防下の道を脇に「二本松の碑」が立ち、その横に二代目の小さな松が 植えられている。一代目は大きかったのだろうと話しながら、堤防から右に折れる道に進む。
曲がり角から少しの区間、薔薇が植えられているが、この時期は目立たない。
小川を渡った右に「見守地蔵」が祀られ、少し進んだ 山手町江良の信号左に立派な榎木がそびえ、「山陽道一里塚跡」の碑が立っている。

山手町江良一里塚跡

この辺りの碑には地名が入っていないが、 「山手町江良一里塚跡」だ。立派な榎木が一方だけなのは残念だが、久し振りの一里塚に満足する。「山陽道」では榎木の植わっている 一里塚を余り見ることもないので、木陰に座って一息入れる。(13:00)
少し進んだ左の高台に「湯傳稲荷神社」が鎮座するが、稲荷神社なのに赤い鳥居ではなく、石の鳥居が立っているので不思議に思い ながら進む。
道の右に「地蔵堂」が祀られ、旧街道の趣きを感じながら進むと天井川に当たり、下って行くとまたも「地蔵堂」が祀られ、 その横に「旧一本松跡」と書かれた新しい石碑が立っている。先程「二本松の碑」があったので、この辺りは立派な松が育っていたの だろうと。
少し進むとまた「地蔵堂」が祀られ「二十二番」と書かれている。
道なりに進んだ橋の手前右に大きな「地神」や「石塔群」が祀られている。旧街道の雰囲気満点だ。

湯傳稲荷神社

地蔵堂と二本松の碑

地神と石塔群


旧街道は新幹線高架下をくぐって西に向かう。少し進むと小川があり、橋の手前に「昭湖墓」と書かれた大きな石碑と「地主大神」、 「地蔵堂」が祀られている。
細い旧街道は山陽本線に接近するが再び右方向に離れて行く。近くにJR備後赤坂駅があり、緩やかな坂を上り、備後赤坂の集落に入って 行く。立派な家もあるが、古い家はなく、建て替えられている。食料品店の前に「生ビール無料」の看板があり、店に入りアイスクリームを買う。 看板に釣られて入ったが、生ビールのサーバーを無料で貸す話で、ご主人と笑いながら一息入れる。
坂を上り切ると「地蔵堂」が祀られ、緩やかな坂を下って行く。

石碑と地蔵堂

備後赤坂の集落

地蔵堂


右に「スベリ石1号古墳」の標識を確認して進むと可愛い赤い衣を着た「お地蔵様」が祀られている。

金比羅神社常夜燈

赤坂の集落には地蔵堂や地神が数多く 祀られている旧街道だ。少し進んだ集会所の前にも注連縄で飾られた「地神」が祀られている。

二体のお地蔵様

左に「常夜燈」が立ち、その先には「二体のお地蔵様」が祀られている。
更に進んだ右に巨大な「金比羅神社常夜燈」が立っている。 金比羅さんの常夜燈は今までもあったが、一番立派なのではと話ながら歩くと小さな「地蔵堂」が祀られ「十九番」と書かれている。 四国八十八寺に倣ったものだろう。
少し先の「神村二区クラブ」の前には秋祭りの幟と立派な「常夜燈」と「地神」が祀られている。
緩やかな坂の右側には黄金色の田圃が広がり、秋の彩りを表すコスモスが咲き誇っている。道端の草むらの中に「地蔵堂」が祀られ、 坂を下ると国道2号線(赤坂バイパス)の高架下を抜けて行く。

秋祭りの幟と常夜燈

田圃とコスモス

地蔵堂


旧街道は山陽本線と並行に進むが、踏切の向こうに「今伊勢宮」の石段が見えるがパスして先に進む。

今伊勢宮

道標

やがて、国道2号線と合流して進み、神村小学校入口の標識で右斜めの道に入って行く。しばらくの間、旧街道を楽しむが、直ぐに再び 国道と合流する。
合流した国道の向こうのJR踏切の脇に「道標」が立ち「東 西尾道市」等を示している。しばらく国道を歩き、福山西署入口で 右斜めの旧街道に進む。国道で分断されているが、旧街道が適度に残っているのは嬉しい。「地蔵堂」を見て進むと赤壁で、再び国道と 合流する。
少し進んだ所に松永駅入口の交叉点があり、進もうか否か検討の結果、昨日の「しまなみ海道ウオーキング」の疲れもあるので、JR松永駅に向かい、 時間が早いが、今日の紀行はここまでとする。(15:30)

「山陽道No14@」の「紀行スライドショー」

今日の歩行歩数は29500歩と少ないが、秋の息吹が感じられる旧街道を楽しむことが出来た。
今夜の宿泊場所は昨夜O君が宿泊した東尾道駅近くだが、食事場所がないので、尾道まで出ることにする。列車で尾道に行き、「山陽道」 でもある商店街を歩きながら食事処を探すが、大阪とは違って開店している店がない。情報番組で見た「尾道の手羽先」を探すが、 売り切れの店もあり、やっと見つけてgetする。(帰宅して食べると甘辛くて美味しい)
ブラブラと商店街の端まで行き、戻る。彼が昨夜、仲間と訪れたお好み焼き屋さんを探し、入店する。
楽しい女将さんや旦那さんと話しながら、ビールで乾杯し、広島焼きを味わう。美味しい!!
尾道駅に戻り、東尾道まで列車で行き、静かな街中を抜け、ホテルに向かう。部屋のバスで体をほぐして、買ってきたつまみと持参した芋焼酎で 翌日とその次の行程の作戦会議をして21時過ぎに眠る。

[神辺〜松永][松永〜糸崎]







    
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