[神辺〜松永][松永〜糸崎]


○ 「山陽道No11」見聞録(神辺〜糸崎)・(距離 36.9km(今回)/ 354.3km(累計))

  2.松永〜糸崎・(20.3km) 2012.10.08. 7:35〜16:00 晴れ


西国・山陽道全行程.Map

「松永〜糸崎・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

ぐっすりと眠り、5時過ぎに目覚め、6時過ぎにホテル「河野民宿・尾道」周辺の散策に出掛ける。

河野民宿・尾道

松永駅

地図上では直ぐ近くに「山陽道」が 通っているので、確認に行くと国道を越えた所に通じている。今日、通る旧街道を確認した次第だ。
7時前から朝食を食べ、チェックアウトをし、東尾道駅から1駅西の松永駅に戻る。今日は三原まで進むことを目標に、足の調子によっては 手前の糸崎で中断しても良いと柔軟に対処することにする。
前日、歩いている時に松永の「日本はきもの博物館」の見学をしようと話していたが、疲れと尾道での乾杯で忘れてしまった。 この時間はまだ開館していないので、諦めて進むことにする。
7時35分、松永駅からスタートする。国道に戻って、少し先のバスセンター前から右斜め前の旧街道に入って行く。先達の話では、この先に 「一里塚」跡があるとのことだが、分からず、その付近の景観をパチリと。
旧街道は休日なので人通りもなく静かな道を進むと本郷川を渡ると少し先の右の坂の上に立派な山門がある「薬師寺」が建っている。 少し中国風の趣きのあるお寺だ。
近くにに石碑が立っている。「平櫛田中の旧宅跡」だと。井原で見学した田中は明治15年に今津町平櫛家の養子となり、 ここ今津町で暮らして居たそうだ。備後には平櫛田中氏の史跡が多い。 

一里塚跡(?)付近

薬師寺

平櫛田中の旧宅跡


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

「今津宿」の静かな街並みを楽しみながら歩む。旧街道は左右に枡形になっているようだ。

今津宿・本陣跡 説明

中心部右の坂の上に立派な「今津宿・本陣跡」が建っている。(8:00)
今津宿に設けられた本陣は、備後領内としては神辺と共にただ2ヶ所の本陣跡である。設置時期は今津宿が設けられた慶長7年(1602)頃と いわれ、代々庄屋職をつとめた河本家によって世襲された。幕末には、戸数300戸以上、商家軒を連ねて一筋町をなし、駅馬5頭を備えて、 本陣を中心に大へんにぎわった。
明治4年(1871)、百姓一揆の際焼き討ちにあい主要建造物は焼失したが、表門、塀などは旧規をとどめ、当時の面影を残している。 (福山市HPより)

立派な屋敷の横からのぞくと住人と思われる方が庭の菜園の手入れをしておられたので、「立派なお屋敷ですね」と挨拶して次に 進む。
「今津宿」の枡形を曲がりながら進むと左に入った所に「諸(たかもろ)神社」が鎮座する。新羅(しらぎ)王子伝説の地で、須佐之男命と 劔比古神(つるぎひこのみこと)を祀り、劔大明神とも云われている本殿他に参拝して、旧街道に戻る。
少し進んだ右の坂の上に「今津宿・脇本陣跡」の「蓮華寺」が建っている。境内には立派な本堂があり、「今津宿」の立派なことが 良く理解出来た。

今津宿の枡形

諸神社

今津宿・脇本陣跡の蓮華寺


休日に歩くことが少ないが、平日に比べて人に出会うことはほとんどない。「体育の日」なので、国旗を立てている家もあり、 静かな旧街道に射し込む眩しい陽射しを避けながら、陰を探しながら進む。
少し進んだ右に「陰陽石宮」が鎮座している。境内に入るが、名前の由来となっている石は見つけられない。本殿の中に納められているの だろうか。
藤井川を渡り、道なりに下って行くと国道2号線に合流する手前から国道方面を見ると宿泊した「河野民宿・尾道」が見える。 国道に合流し、しばらく国道を進むと、左の丘の上に「高須八幡神社」が鎮座しているが、国道越しに礼拝して、右前方の旧街道に入って 行く。(8:40)

陰陽石宮

静かな旧街道

高須八幡神社


国道から外れ、民家も少なくなった旧街道を進むと右に「恋の水」の碑が立ち、祠が祀られている。伊勢音頭が刻まれているが、名前の 由来は分からない。
右に山裾が迫って来る道脇に「掘出地蔵」が祀られ、更に左右に曲がりながら進むと右に「讃大松」の漢詩が刻まれた石碑が立っているが、 読めなくて意味が分からない。不可解な史跡が連なっている旧街道だ。
少し進むと二股があり、曲がり角には「右ちかみち」の道標が立っているので、右の坂道を上って行くと崖の上に「関の地蔵尊」が 祀られているが見える。お参りするのも大変だと話しながら進むと左のガードレールの下に石碑が見え「高須一里塚跡」の標識が立っている。 山裾の旧街道にはたくさんの史跡が点在していて、探し出すのも楽しい道だ。

恋の水の碑 掘出地蔵

関の地蔵尊 讃大松

高須一里塚跡


旧街道は左に緩やかに曲がりながら、国道2号線に合流する。
ここからの道を間違ってしまい、大汗をかくことになった。少し国道を進んで左に入り、廻るようにして国道に戻るのが、廻る地点を 間違って直進してしまったのだ。
川沿いに進むが、おかしいので、川の中で「いちじく畑」に水を遣っていたホースの整理をしておられる方に尋ねながら、大阪から歩いていると 話すと大阪の情報で話が弾み、しばし休憩する。(9:15-20)
もう少し直進すれば良いとのアドバイスで直進するが、国道に当たらず、なお進むとやっと国道と合流する。しかし、方向的におかしいので、 戻ることにし、途中、軽トラに乗った老人や民家の奥さんに尋ねるとこの道を上って行くと高須インターに出ると。
本来の旧街道でない道を 昇って行くと高速道路のトンネルに出て、くぐって高速沿いに進むが、インターチェンジの複雑な道路網になると何処に居るのか分からなくなる。 下の方のインターチェンジの空間(?)で、作業しておられる方に尋ねると今下って来た方向に上り、トラックセンターの横を進むと2つ池があり、その間を 抜けると坊地峠に通じていると。お礼を云って戻ると道路標識にトラックステーションが示されている。下っていたので気付かなかったのだ。 この間のロスタイムは約30分で精神的に疲れたが、地元の方との会話を楽しんだことに満足しなければと慰める。
茶色いトラックステーションの建物を右に見て進むと右にコンビニがあるので、トイレ休憩をし、アイスクリームで一息入れる。(10:20)
その先の2つの池の間には、徳本上人の「南無阿弥陀仏」の名号石と左右に二つの石仏が祀られている。高速道路のガード下をくぐると 防地峠の急な坂道になり、ゆっくりと上って行く。鳥の声も聞こえ、舗装道路でなく地道だったらどんなに嬉しいかと話しながら歩を 進める。

茶色いトラックステーション

徳本上人の名号石

防地峠の坂道


勾配が緩くなり、防地峠の頂上に到達する。ここは昔の広島藩と福山藩の藩境で、交叉点の向こう側右には大きな「従是西 藝州領」 と刻まれた「広島藩の境界石」が 立てられ、交叉点の手前右の木の陰に少し小振りな「従是東 福山領」と刻まれた「福山藩の境界石」が立っている。
高台の上に「福山藩の番所跡」が残っているそうだが、良く分からず、案内板のみ見つけることが出来た。ここで一息入れる。(10:40)

広島藩の境界石

福山藩の境界石 番所跡説明


防地峠の下り坂を下る。九十九折れの道を生活道路としてショートカツトで結ぶ小道も通じており、車の通る坂道を避けて小道を下る。途中、 軽トラを運転して居られる男性が、車を止め、話しかけて来られた。昔は牛市があり、この峠を越えて来たと話し、大阪から歩いていると 話すと驚いておられ、直ぐに尾道だから頑張れと激励される。

題目石

坂を下ると、尾道バイパスのガードの手前に「題目石」が祀られ、ガードを抜けて街中に下って行く。
尾道は神戸の様に海と山に挟まれた町で お寺や神社が点在し、それらの史跡を見学するだけでも一日かかる程だ。以前、二度尾道見物をし、「千光寺」から瀬戸内海を望み、 「文学のこみち」を散策しながら下った思い出がある。O君も数回、尾道を訪れているし、前日に「山陽道」である商店街を往復したので、 行程を尾道の知らない寺社巡りをすることにする。
JR山陽本線を抜け、「山陽道」の商店街の入口を確認して、再び山の方向に戻り、「久保八幡神社」に参拝し、細い石畳の小道を山沿いに 進む。
山の上を見上げると「西国寺」の「三重塔」が青空に気持ち良い小道には観光客がマップ片手に散策している。次に「大山寺」を 訪れ、その隣の「御袖天満宮」にも参拝する。学業の 神様を祀っているだけあって、合格祈願の絵馬が掛かっている。そこからの見晴らしは良く、O君が好きな場所だと。急な階段を下り、 商店街に戻る。

久保八幡神社 大山寺

西国寺の三重塔

石畳の小道 御袖天満宮


商店街の入口横に、長い行列がある。良く見ると尾道ラーメンを食べる人の行列だ。多分、ガイドブックに掲載されている店なのだろうと話しながら 「山陽道」である商店街を進む。昨日は夕方で閑散としていたが、休日の昼間はそれなりの人通りだ。
途中から海岸に出て、瀬戸内海を間近に見て、暑い陽射しを浴びる。2005年、「青春18きっぷ」を使って、今治から 「しまなみ海道・サイクリング紀行」を「紀行スライドショー」 した向島が直ぐそこに見える。あの時は暑かったと話しながら商店街に戻り、尾道駅方向に進む。
商店街を出た所に「林芙美子像」が飾られている。尾道=林芙美子のイメージは大きい。
昼食時になったので、商店街入口近くの洋食屋の新メニューであるカキフライ定食を食べ、午後への英気を養う。(12:00-12:30)

山陽道の商店街

瀬戸内海

林芙美子像 カキフライ定食



「山陽道No14A」の「紀行スライドショー」

腹ごしらえを終え、午後の歩行に入る。「林芙美子像」の所からJRの踏切を渡って、北側に出て左折すると、右に「薬師堂」が 祀られている。尾道駅北口前から右の細い道に入りると旧街道らしい趣きのある道が続く。
右に昔の雰囲気を残す酒屋「吉源」が建ち、扉が閉まっているので隙間からのぞくとご主人が出て来られあり、お話する。

薬師堂

酒屋・吉源

清酒「寿齢」を 造っておられるが、尾道の造酒屋はここ1軒になってしまったと。記念に2合瓶を買い、これから西条に向かうと云うと、昨日が「酒祭り」 だったのに残念と。O君は知っていたが、タイミングが合わなかったのだ。前の道が「山陽道」だと聞き、歩きだすと本当に歩いて行くのかと 驚かれる。
道なりに進むと旧街道は緩やかに左に曲がり、ジャスコの横を通って行く。その先に「しまなみ海道・サイクリング」の帰途、立ち寄った銭湯 「大栄湯」がそのまま残っているのを見て、その時の様子を話しながら進む。 広い道と川があり、それを渡って進むと、坂道となり、日比崎小学校が建っているが、道はなくなり、横に階段が通じているだけだ。
午前中、迷った ので、慎重に考えることにする。坂の下に佐川急便の配達車が泊まっているので、運転手に旧山陽道の道を尋ねると、階段を上り、学校の 校庭の反対側に抜けると良いと教えてもらう。
その教えに従って階段を上るが、学校にはフェンスで仕切られている。大丈夫かと上まで行くとフェンスはなくなり、校庭の中に入ることが出来た。 校庭を横切り、隅の方に進むと人家があり、道が通じている。半信半疑で、坂道を下って行くと車の手入れをしておられる男性に会い、 確認する。この道が「山陽道」で下って行くと「お大師様」があり、突き当たりを右進めば良いと。
道なりに下って行くと「大窪寺」と書かれた祠があり、「四国八十八ケ所」を巡礼したO君が「大窪寺」は最後の霊場だと。それで 「お大師様」と云われたのだと納得し進むと小川を渡り、少し広い道に突き当たる。
(HP作成時、先達の行程を確認していると、坂の上の 民家の辺りから、西へと小道を下り、もう少し先で、この少し広い道に合流するようだ)

日比崎小学校横の階段

人家の中の道

大窪寺


少し広い道を西に向かう。左の民家の裏には山陽本線が走り、線路に並行して進むのだ。
真っすくな道には古い家も建っていて、右に「地蔵堂」が祀られ、その先にも「地蔵堂」祀られている。更に進んだ右の崖には崖を掘って 造られた祠に「地蔵尊」が祀られている。旧街道の風情が残る道だ。
旧街道は緩やかに右に曲がって行く。広いを陸橋を渡り、道なりに進むと吉和小学校の横にでて、校庭の陰で一息入れる。 (13:40-13:45)

真っすくな旧街道

地蔵堂

崖に造られた地蔵堂


緩やかな上り坂になり、少し先には「茶堂大師」が祀られ、川を渡って進むと右に鳥居があるがバスして進む。緩やかな坂道は「大人峠」と 云うらしいが、緩やかで問題なく進める。
尾道バイパスの陸橋を渡って左折すると右に「大人峠一里塚跡」の碑が立っている。碑には「三原市内の一里塚四ヶ所の最東端」と書かれて いるので、三原市に入ったようだ。左にバイパス、右に小高い山と景観の美しい所に立つ一里塚だ。
「大人峠」を下って行くと、右に「祠と常夜燈」が立っている。更に下ると左に素朴な「石仏」が祀られている。峠道の 特徴のようだ。下り坂は山陽本線に突き当たり、列車通過の間に一息入れる。疲れからか、休憩のサイクルが短くなって来ている。(14:10)

茶堂大師 大人峠

大人峠一里塚跡

祠と常夜燈 石仏


踏切を渡ると国道2号線に合流する。目の前に瀬戸内海が広がり、島々が間近に望まれる。海際まで入り、堤防に足をブラブラさせながら、 再び休憩する。海を見ながら、潮風に当たりながら、ゆつくりと時間の経過を楽しむ。(14:15-14:25)
国道に戻り、少し進んだ所から左の旧街道に入り、ぐるっと廻って再び国道に合流する。車の往来も激しく、歩道があるのは助かるが、 国道歩きは面白くない。国道の反対側に「厳島神社の常夜燈」が見えるのでパチリと。
再び、左の旧街道を少しの間進み、国道に戻る。道路標識には「広島 80km、三原市街 7km」と示されている。広島まではまだ遠いのだと 実感しながら国道を進む。しばらくの間は左に瀬戸内海、右に山陽本線の単調な国道歩きだ。歩道が反対にあれば、海を楽しみながら 歩けるのにと話しながら進む。

瀬戸内海の眺め

厳島神社の常夜燈

瀬戸内海と単調な国道


観音寺下の信号から右前のの細い旧街道に入って行く。山陽線のガード下に、文字がはっきり読めない半分傾いた道標が立っている。 道なりに進むと再び国道と合流する。少し進むと「延命地蔵」が祀られている。
再び単調な国道歩きが続く。まだ歩道が確保されているから助かるが、車の風で帽子が飛びそうになる。
山陽本線が地が付いて来る辺りで、右斜め前の旧街道に入ると右に「六本松一里塚跡」碑が立っている。

半分傾いた道標

延命地蔵

六本松一里塚跡


道なりに進むと右にこんもりとした森があり、「糸崎神社」が鎮座する。

糸崎神社 説明

神功皇后が西征の帰途、船を寄せられた際に水を献じたという故事によって、この地を井戸崎(後に糸崎)といい、郡を水調(後に御調)と 称した縁により天平元年(729年)創建されました。
境内には、神功皇后が軍船をつないだという「船つぎの松」の記念碑と、樹齢約500年といわれる市天然記念物のクスノキがあります。
糸碕神社は、美しい景色と多くの文化財に恵まれた古い歴史をもつ神社で、正月の初詣などでなじみ深い神社です。 (三原市HPより)

糸崎神社の神門は、三原城内の侍屋敷門の一つが移設された立派なもので、 境内には「御調井(みつぎい)」があり、神功皇后との関連゛案内されている。天平時代からの歴史ある神社の境内で一息入れる。 時間はまだ早いが、昨日(O君は一昨日)からの疲労を考え、三原まで進むのを止めて、糸崎駅で終えることにする。(15:25-15:30)
国道に合流し、高架になっている国道の横の道を進むと右に「神功皇后船繋之松御旧蹟」の祠が祀られている。

御調井 説明

糸崎神社の神門

神功皇后船繋之松御旧蹟


少し進んだ所で、国道の下を抜けて反対側を進む。汗をかいたので、銭湯に入りたいが、事前に調べた所では、見当たらなかったので、 道路沿いにある食料店でアイスキャンディーを買い尋ねるが、糸崎には無いとのこと。
糸崎駅の方向に進むと線路沿いに「地蔵堂」が祀られ、やがて、JRの上を高架橋で渡る。車道しかなく、注意深く渡ると国道に合流する。 国道の標識に「260.3」を見つける。国道2号線の梅田新道からの距離を示しているのだろう。実際に歩いた距離はもっと多いが、国道だけでも 260km進んだのだと。
国道から左に入って糸崎駅に向かい、本日の紀行を終了する。本日の歩行歩数は42600歩だった。(16:00)

地蔵堂

梅田新道から260km

糸崎駅



「山陽道No14B」の「紀行スライドショー」

汗を流すために、尾道の銭湯に行くことにし、1駅戻り、駅前で近くの銭湯を聞くと午後に歩いた「山陽道」の脇道を入った所にあると教わり 行くが、月曜日は休日でNG。仕方なく、「しまなみ海道・サイクリング」時に入浴した「大栄湯」に行き、汗を流す。
前のジャスコで寿司とビール等を買い、帰りの列車の中で乾杯をし、2日間の紀行を振り返る。適当に(?)道を間違うたが、旧街道を楽しみ、 国道歩きに苦労した。福山藩から広島藩への国境も通過し、広島県の中心部まで進んだことに満足する。
岡山・姫路で乗換え、O君と大阪駅で別れて、高槻駅からバスもないので23時頃帰宅した。歩行歩数は49700歩だった。

[神辺〜松永][松永〜糸崎]







    
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