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「行程MAP」

○ グラナダ・ミハス (6/13)

夜中に結婚式かサッカーのスペイン勝利の歓声か騒々しかったが、雨も夜の間に止み快適な朝を迎える。 治安の心配が少ないので、朝の散歩に出る。どこの町でも路上駐車が多いのは同じだ。近くに 公園もなくホテルに戻り朝食。今回のホテルの朝食は内容も良く、特にパンはどこも美味しくオレンジジュース はgood。

8時出発でグラナダ市内観光に向かう。現地ガイドの日本語ペラペラのアンナさんの案内で楽しく進む。
一路高台にある「アルハンブラ宮殿」に上って行くと眼下に美しいグラナダの街が広がって来る。アンナの 大好きなグラナダ・・・と何度も話す。

世界遺産の「アルハンブラ宮殿」は7世紀から約800年栄えたイスラム文化がプンプンと漂う見事な宮殿と庭園だ。 シェラネバダ山脈麓の丘に建つ宮殿は9世紀末から発展し、14世紀には最盛期を迎える。15世紀にキリスト教 軍団の攻めに無血開場したとか。今のイスラム・キリストの紛争に教えてやりたい位だ。

城壁の門をくぐると大砲が備わっているのを見ると宮殿は丘の上の要塞であった歴史が偲ばれる。 イスラム文化が一杯の宮殿の中を歩く。モザイク模様の寄木細工のタイルが壁面一杯に貼られ、天井にも見事な 細工が施されている。
王座の間とも云われる一角の中庭には水がたたえられ、鏡のように映る様はうっとりとする。 宮殿からのグラナダ市街の展望は白い家々が建ち並び南欧の趣き一杯で目を見張る位だ。
アルハンブラ宮殿
大砲
窓からの白い家

王座の間の中庭
天井の寄木細工
グラナダの白い家

言葉では云い表わせられない感動を持ったまま外に出て、「ヘネラリーフェ庭園」に向かう。緑の中に 宮殿の塔が見られ、長方形の池に迎えられる。シェラネバダ山脈からの冷たい水を引き込んだ避暑地と して貴族が静養した雰囲気が感じられる優雅な空間だ。(この辺りの写真ないのは残念)

日曜日なので観光客も多くなって来た「アルハンブラ宮殿」を後に市街地に戻り、土産屋に立ち寄る。 寄木細工の壁飾りが多くあり、この技法が箱根の寄木細工作りに伝わったとか。
アンナと別れ、すごいボリュームのチキン料理の昼食を食べ、一路170kmドライブして地中海沿岸のリゾート地ミハスに 向かう。

車中では老婦人3人組が一番前の席に座られたので、添乗員との掛け合い漫才で車内は大爆笑。しかし お元気なのと好奇心旺盛なのに驚く。20年先にこの様に旅行出来るか!?お手本にしなければ。いつも カバンを3個提げておられるので、持ちましょうと話すと「荷物がもてない様では旅行に行く資格はない」 と自分で持ち、いつもマイペースで歩かれる81才だ。

高速を快調に走るとやがて地中海が見えて来た。白い家と海岸線、大きなリゾートホテルのある太陽の海岸 と呼ばれるヨーロッパ有数の避寒地だ。対岸はアフリカ大陸と考えるとすごい。

この一角にあるミハスは海岸線から少し山に上った見晴らしの良い小さな村だ。村全体に白い家々が 建ち並ぶ南欧の風情が一杯だ。1時間の予定を2時間に伸ばして自由散策となる。白い家の小道は 輝く太陽に映えてまぶしい位だ。暑いが乾燥していて木陰では気持ち良い。日本人が経営する土産店 をのぞいたり、地中海を眺めたりと南欧のリゾート地の雰囲気を味わう。
全員の記念写真を写し、その付録にアフリカ大陸を合成した風景写真を購入。土産物店の壁に飾られ ている原色の花瓶は白い壁によくマッチしている。南欧だ。
ミハスの小道
地中海を望む
土産屋の壁

バスにのり、スペイン最後の宿泊地となるセビリアに200km走る。途中、乗りたかったスペインの鉄道とも出会い、 「ひまわり」の畑を楽しみながら、車内の掛け合い漫才に笑いながら・・・。ミハスで時間を取りすぎた ので、夕食の「フラメンコ・ディナーショー」会場に直接行く。踊りが始まっており、食事を摂りながらの鑑賞と なる。魚料理で白ワインがついており、ビールで乾杯の後いつもの4人でフラメンコを見ながら楽しむ。

ギターとカスタネットの激しいリズムで舞台の上の情熱的なフラメンコを見る。地元での鑑賞は熱が入るようだ。 館内の観客はほとんど日本人でこんなにたくさん来ているのかと驚く。
列車
フラメンコ
フラメンコ

ホテルにチェックインして最後のスペインの夜を迎える。EURO2004は連日熱戦の様で今日はフランス対イングランドの TVを生で観戦する。イングランドが1点リードし、PKを得るがベッカムが失敗。ロスタイムでフランスのジダンが FK,PKを決めて2-1でフランスの勝利。ベッカムのPK失敗のVTRが何回も映され明暗くっきりだ。


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○ セビリア・エヴォラ(ポルトガル) (6/14)

6時モーニングコール、8時出発でアンダルシア州都のセビリア市内観光に向かう。1929年のセルビア万博の跡地を車窓 から巡る。当時のパビリオンが残されて領事館等に有効活用されているのは大阪万博と違うところか。
セビリアから川を下り大西洋に出る航路がセビリアを貿易港として発展させたそうだ。1492年コロンブスが新大陸 発見したのもここから出帆した歴史ある街だ。

バスを下車して、工事中のスペイン広場や狭い街並みを見学しながら「カテドラル」に向かう。バチカンのサン・ピエトロ寺院、ロンドンの セント・ポール大聖堂についで世界で3番目に大きい教会だ。丁度10時で鐘の音とお祈りを間近に経験出来、 厳粛な雰囲気を味わうことが出来た。
車中から
カテドラル
三大大聖堂

いよいよ7日間のスペイン周遊を終え、ポルトガルに進む。約250km先のポルトガル・エヴォラに向かう地道は 段々と高度を上げて行く。小高い高原地帯はスペインの赤茶けた土地から段々と草原になり、 松林が多くなる。スペインの高速道路脇に立っていた牛の看板ともさらば。
いよいよ国境だ。添乗員の話ではほとんどの場合、フリーパスとのことだったが、EURO2004のサッカーが開催 されているため警備員がバスに乗り込み、一人一人パスポートをチェックされたが、簡単なものだ。EUの 国境越えはあっけなく終わる。

ポルトガルに入国。牧草地帯が多くなり、スペインでは見られなかった牛の放牧が多くなる。松林が茂り、 池が点在する日本的な風景が何となく落着く。
牛の看板
国境越え
牧草地と牛の放牧

●ポルトガルの概要
・国土  日本の1/4
・人口  約1000万人 内190万人はリスボン在住
・時差  9時間。サマータイム時、8時間
・歴史  1143年の統一まで、イスラム教徒に征服されていたのでイスラム文化の影響大きい。
      統一後、歴代王室は航海事業に注力し、大航海時代を迎える。
      しかし、1580年に王朝が滅び、スペイン、ナポレオン、イギリスの占領が続いたが、
      1910年共和国となる。 

バスの車窓から特産物であるコルクをたくさん積んだトラックと出会いながらエヴォラへ。お祭りに出会い 通行止めで仕方なく手前で下車し、30数度の陽射しが厳しい道をレストランに向かう。石造りのレストランは 涼しくスープ・ポーク料理をいただく。ポルトガルのビールも飲み易くgood。

エヴォラの街は大西洋岸のリスボンから陸路でスペインに行く街道筋になり、日本からの天正遣欧使節の少年 達も訪れた世界遺産の街だ。陽射しが強い中、自由時間で土産物屋をのぞいたりしながら、 歴史地区を見学する。 「カテドラル」やギリシャを見るような遺跡が残る歴史ある市街地だ。土産物屋ではコルク製品も多く売られて いる。
レストランの入口
カテドラル
ギリシャ風遺跡?

バスは一路リスボンまで120kmを走る。スペインに比べると木々の緑が濃い。ポルトガルも高速道路が整備されて おり、快調に進む。リスボンのホテルは出発直前まで決まらなかったが、5つ星ホテルのシェラトンだ。サッカーの影響で ホテルの確保が難しくなっているのでラッキーだったのかも。

やがて、1974年4月25日の独裁体制をクーデターで倒した記念日を命名した「4月25日橋」で広いテージョ川を 渡り、初めて大西洋を眺めながらリスボン市内に入る。市内の街路樹には鮮やかな紫色のジャカランダの木が たくさん植わっている。落着いた街だ。

ホテルにチェックインしする。チェックインを待っているロビーにはたくさんのEURO・2004応援のサポーターがTVを見ている。 かわいい女の子がバイキング風の帽子を被っているので写真を撮らしてもらう。スウェーデンのサポーターだ そうだ。5-0でブルガリアに勝っていたのでご機嫌だ。次々とお願いする人が現れたが快くモデルになって いてくれた。

部屋は3階だが広い、さすがだ。夕食はオプショナルで「哀愁のファドディナーショー」を 申し込んでいたため、出発までホテルの周辺を散策する。温度は33度を表示しており、少し蒸し暑さを 感じるのは海に近いためか。

「ファド」はポルトガルの哀調を帯びた運命・宿命を意味する音楽で、演奏者や歌手はファディストと呼ばれ 黒い衣装で歌う。有名な歌手としてマリア・ドロリゲスの名前は聞いた事がある。
正装された方も居られ、バスで会場のレストランに向かう。港の近くの小さな雰囲気のあるレストランで地元の 人や観光客も居る。日本人グループは我々だけだ。

一番前の席でYさんご夫婦と魚料理を食べながら、テーブルに付いている白ワインを楽しむ。 老ギタリストが二人、哀愁を帯びた音色を奏で女性歌手が歌い出す。意味は分からないが落着いた歌だ。 男性歌手、少し年を取った男女のコーラスや明るい歌もあり、全員の合唱で拍手の中、楽しい一時を終える。

帰って余韻を楽しみながら、明日のロカ岬を楽しみにしながら眠る。
テージョ川河口から大西洋を
スウェーデンのサポーター
ファドの舞台



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○ ロカ岬・シントラ・リスボン (6/15)

6時モーニングコール、朝食内容はさすが良く、パン・フルーツは美味い。食後ホテル周辺に出るが風が強くて早々に 戻る。9時出発でロカ岬に向かう。市内に入る高速は渋滞でノロノロ運転だ。岬への道中は大西洋が見られ 快適なドライブだ。「ロカ岬」はヨーロッパ大陸最西端に位置し、北緯38°47"、西経9°30"、海抜140mとのこと。

風が強いので帽子や転落に注意するように云われ下車する。風はなく大西洋が眼下に広がる。岬の 先に行くと240度海海海・・・と視界には海しか見えない。崖の下の海の色は真っ青。小船が穏やかな 大西洋の波に揺られている。
灯台、記念碑があり周辺を散策しながら大西洋の空気を吸い込む。水平線が丸く見えるあの向こうに アメリカがあるのだ。コロンブスが航海に乗り出した気持ちがこの海を見ていると分かる気がする。 ツアーの記念として「最西端到達証明書」を観光協会からもらい、名残惜しいがロカ岬を後にする。
ロカ岬灯台
大西洋と小船
最西端到達証明書

「シントラ王宮」の見学に向かう。王宮は王家の夏の離宮となっており2本の円錐の台所の煙突が印象的だ。 山の上には「ムーアの城跡」が望まれる小さいが落着いた街並みだ。
シントラ王宮
ムーアの城壁

バスはリスボンに戻り昼食をする。海に恵まれたリスボンは日本と同じ様に魚文化が根付いていて、鰯の 塩焼きがメインの昼食だ。ナイフとフォークで鰯を食べるのは初めてだが、日本と同じで大変美味い。お代わりを して食べる。

昼食後、市内観光に向かう。大航海時代の繁栄を象徴する「ジエロニモス修道院」は礼拝堂跡に100年を かけて建設されたポルトガル独特のゴシック様式とルネッサンス様式を融合させたマヌエル様式だとか。やしの木のような 天井、中庭の回廊、ステンドグラスが印象的だった。

すぐ前の1515年に建設された船の監視塔「ベレンの塔」やエンリケ航海王子の記念碑「発見のモニュメント」も 海岸に立ち、ポルトガルの繁栄を表わしている。街の中心の繁華街で自由時間となり、金細工が ポルトガルの名産とのことでショッピングや散策をする。なかなか賑やかで活気溢れている。
昨日まで鰯祭りとのことで港付近は鰯の臭いが残っている。
ジエロニモス修道院
ベレンの塔
発見のモニュメント

夕食のレストランは地下の一室を貸し切り、リゾットで今回の旅行のお別れ会をする。6人のグループの方々は コーラス仲間で滝廉太郎の「花」を歌われ、男性4人で合唱もされた。なかなかのものだ!!最後に 全員で「上を向いて歩こう」を合唱して38名のツアー仲間が楽しく旅出来たこと、添乗員H田さんへの 感謝を表わす。本当に楽しい仲間だった。
ホテルに帰り帰国の準備をする。


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○ 帰国 (6/16-17)

いよいよ帰国だ。長いようで後半はあっと云う間に済んでしまった。飛行機の出発が早いので、 4時30分モーニングコール、5時荷物搬出、5時30分出発の厳しい設定だったが、誰一人遅れる人もなく 予定通り、パンとリンゴとジュースの弁当朝食をロビーでいただき出発。
まだ闇の中をリスボン空港へ進む。道もガラガラで到着後チェックイン。ここで一人の方の航空券が見つからず バタバタするが、見つかり個人で手荷物検査を受け搭乗口へ。

7時40分発のAF-2125は予定通り離陸し、イベリア半島を大西洋沿いに進みパリに向かう。途中ピレネー山脈は 雪を戴いていた。時差1時間を合わせる。パリ着11時10分。
シャルル・ドゴール空港は広いので乗り換え場所までは大分歩かねばならず、列は長くなり老婦人3人組は 遅れがちになるので、荷物を持ってあげようとするが、自分で持つとのことだったが、仲間の方が 甘えたら・・・と云われやっと1つの荷物を持ってあげ、遅れないように急ぐ。

パリから出国となるがスタンプもなしで頼りない限りだ。時間まで免税店をのぞいたりして時間を潰す。 13時35分発のAF-292もほぼ定刻に出発するが離陸場所まで行くのに時間がかかる。
離陸後、昼食でビール・ワインを飲んで一眠り。11時間強の飛行だ。時差7時間を日本時間に合わせる。
 
リスボン空港
ドゴール空港
ドゴール空港ロビー
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座席の前のTVを見たり、居眠りをしたり、夕食を食べたりと機内の時間を楽しむ。時々歩いたり、 後部のセルフサービスコーナーでアイスクリームやうどんを食べたりと。北欧から北極海沿岸を飛んで行く。往路と 比べると北側を飛んでいるようだ。北極海からシベリアを通り南下してハバロフクスを通り、日本海に出た後、 能登半島付近から鳥取付近まで日本海沿岸を進み、岡山・瀬戸内海・徳島を通って関空へ。

9650kmの飛行を終え、定刻の13時35分到着。むっーとする大阪独特の蒸し暑さに襲われる。
10日間に渡るスペイン・ポルトガルの旅を無事終えることが出来た。荷物も問題なし。仲間の方々、添乗員 さんに挨拶し、マイレージ登録に出発ロビーに行く。10日前この時間に集合していたのだ。
JALの窓口で問い合わせるとここでは出来ず郵送して欲しいとのこと。

今回のツアーに期待していた「ひまわり」は堪能出来た。丘全体が「ひまわり」一杯の風景はちょっと 日本では見られない。「ドン・キホーテの風車」「地中海と白い家並み」「ロカ岬と大西洋」と期待していた 風景は天候にも恵まれ、全て満足出来る結果だった。

歴史的なことは高校の世界史レベルの知識しかなく、スペイン・ポルトガルのことはほとんど知らないのが 実態だ。「トレド」の街を見た時、頭をぶん殴られる衝撃だった。イスラムの文化が浸透し保存されている。 それがキリスト教文化と融合した度量の大きさには参った。

イタリアの時も歴史を感じたが、ある程度知っていたし期待もしていた。今回は事前勉強も少しはしたが、 ほとんど白紙の状態での訪問でイベリア半島の歴史と奥の深さを感じた。
EURO・2004のサッカー大会がリスボンで行われている真っ最中の訪問で生の楽しさを味わえラッキーだった。

旅慣れた楽しい方々と共に、南欧の自然と歴史を十分味わうことが出来た楽しい10日間の旅だった!!







    
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