[三条大橋〜大津宿][大津宿〜草津宿]


○ 「中山道No1」見聞録(三条大橋〜草津宿)・(距離 26.2km(今回)/ 26.2km(累計)/ 506.8km(残距離)

今回
残距離


  1−1.三条大橋〜大津宿・(11.8km) 2008.04.25 7:15〜11:30 薄曇り


中山道全行程.Map
「三条大橋〜大津宿・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

「熊野古道」完全踏破は「大峯奥駆道」の後半部分を残しているが、山岳・修験道で小生の経験や体力からは危険が伴い、 中断せざるを得なかった。

早朝の先斗町

「熊野古道」を歩き・記録して来た経験から、単発的な歩行ではなく継続して歩行するルートを色々と検討した結果、 「東海道」より自然が多いと予想して「中山道69次」を歩くことにした。
本来は65才の誕生日を期して出発しようと考えていたが、当日は大雨だったので、晴れ間を狙って出発する。

早目の朝食を食べ、6時過ぎに出発する。
阪急電車で四条河原町まで行き、まだ人通りのない四条通りを鴨川方面に進む。先斗町の細い道を三条へ。
早朝の先斗町は人影はなく、夜の風情とは全く違った静かな路地だ。
「鴨川踊り」の提灯が軒並みに吊られ華やいだ 雰囲気が先斗町と思わせるだけで、誰とも出会わず三条大橋に到着する。
この三条大橋から「大津宿」を経て「草津宿」までは「東海道」であるが、「中山道」の宿場でもあるそうだ。

三条大橋手前の「弥次喜多像」を「中山道・69次」のスタート地点とする。午前7時15分、江戸に向かって出発!!
交通量の少ない三条大橋を渡るとすぐに「高山彦九郎像」が江戸への門出を見送ってくれる。「花みずき」が満開の 三条通りを東に進むと「白川橋」からの新緑の柳並木が美しい。
橋を渡って川沿いに右に進むと「明智光秀の首塚」がひっそりと祀られている。今回の歩行では街道近くの史跡も 可能な限り立ち寄って行きたいと思っている。

三条大橋 弥次喜多の説明

高山彦九郎像 説明

明智光秀首塚 説明


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

三条通りに戻り、蹴上方面に進むといつも「平安神宮」から東山周辺を散策する時に通る神宮道を通過する。
左手に大きな鳥居が見られ、鳥居を眺めながら気持ちも新たに前に進む。

平安神宮の鳥居

ねじりマンポ

少し行くと昨年秋「京都一周トレイル」で東山から降りて来た「粟田神社」の鳥居と出会い、懐かしい「京都一周トレイル」の道標が 立っている。蹴上までは「京都一周トレイル」で歩いた道を違った感覚で歩を進める。
ウエスティン・ホテルの交差点を2度渡り蹴上のインクラインにある「ねじりマンポ」のトンネルに進む。(7:50')

通りの反対側にある「蹴上浄水場」の名物の「つつじ」はまだ咲いていないが、5月1日から観覧出来るとの看板がある。 ここの「つつじ」は見事だ。
ここからの「日ノ岡峠」への道は初めて歩く道で、新鮮な気持ちになる。坂道を学生が自転車で勢いよく下って来る。
三条通りから「旧東海道」への分岐点になる細い道を見つけ、信号を渡り一方通行の道を進む。
しばらく進み、ガイドブックを確認すると、先程の信号の所に「日ノ岡峠の車石」があるとのことで、戻るが分らない。
(後日、機会があり「日ノ岡峠の車石」を探索し、発見したので、最後に記述する。)

そのまま三条通りを下ると「国道改良碑の車石」があるとのことで、廻り道することにする。
「車石」については、後程説明するとして、峠の悪路を牛車・馬車が通り易いように石畳に車輪に合わせた溝を設けた 敷石が記念碑の下に積まれている。昔の人の知恵なのだ。

元の道に戻り、細い「旧東海道」の坂を登って行く。やはり、国道筋の歩行より、例え住宅街であっても旧街道を進む方が 嬉しいのは当然だ。
峠の道に「亀の水不動尊」が祀られ、亀の口から清水が流れだしている。
木食上人が元文三年(1738)峠道の改修工事と共に木食寺梅香庵を営み、道路管理と休憩所を設けた所、井戸水を亀の口より落として 石水鉢に受け、人馬の喉を潤した。今も亀の水不動尊を祀り、街道を行き交う人々を潤している。(案内抜粋)

旧東海道への道

国道改良碑の車石

亀の水不動尊 説明


坂を下って行くと再び三条通りに出る。信号を渡るとJR東海道本線の高架橋が間近に見え、その手前にある 「天智天皇・山科陵」に到着する。

日時計

天智天皇・山科陵 参道

入口の左手に「日時計」が設置されている。
「天智天皇」が時刻制度を制定されたことから、日時計が設置されている のであろうが、飛鳥には「飛鳥水落遺跡」で日本最初の時計は水時計だと記憶していた。どちらでも良いが・・・?

お陵までは大分距離がありそうだが、新緑が美しい木々の間の玉砂利を踏みしめて「天智天皇・山科陵」に参拝する。
かって歴史で教わった「大化の改新」を推進した「中大兄皇子」が「天智天皇」としてこの地で祀られている のを初めて知り、新緑のお陵で一息入れる。(8:40')

東海道本線の下を進み、直ぐの道を左折して三条通りから別れる。少し旧街道の趣もあるが、山科の街中だ。近くに ある大学への通学する学生が多く、道角の「五条別れ道標」を写していると怪訝な視線で見られている。
「五条別れ道標」は「右は三条通・左は五条橋」と記されている。東海道と脇道の五条への分岐点だそうだ。

JR山科駅前には大きなビルが建っている。その植え込みの中に東海道の茶店「奴茶屋」跡があり、今はビルの中で 営業していると。
木の格子のある古い家並みも残っており、東海道の風情が所々感じることが出来る。東海道の道標と「車石」が 置かれている古い家もあり、旧街道筋を守ろうとする姿勢は嬉しい。
京都の六地蔵の一つである「山科六地蔵」の社があるので休憩する。ベンチもあり、街並みを眺めながら、これからの ルートを確認する。地蔵堂の後にはお地蔵さんが祀られていて落ち着いた雰囲気だ。
再び東に向かうと常夜燈と「小関越道標」の大きな道標が建っている。大津への逢坂越の大関に対して脇道の小関と の分岐点とか。

五条別れ道標

山科六地蔵 説明 地蔵

小関越道標


東海道を東に進む。広い道が前に現れ、地図で確認すると名神高速・京都東ICとR1・R161とを結ぶ道で、歩道橋を渡るべく 進むと歩道橋の前に小さな看板があり、「東海道を歩く人は前のトンネルをくぐれ」との表示がある。
標識に従って進むと国道の下にトンネルがあり、抜けると反対側の静かな街道に出る。車の通行量も少なく、街道らしい 雰囲気が嬉しい。比叡山系の山々は新緑が美しく、山がまだら模様に見える春真っ只中の感じだ。

左手の「閑栖寺(かんせいじ)」の前には「車石」が置かれ、その説明が記されている。
大津の「札の辻」から京の「三条大橋」までの約3里(12km)の間、物資輸送する牛馬車の通行を楽にするため、 花崗岩に溝を刻んで、切石を敷き詰めた。
文化2年(1802)、心学者・脇坂義堂が発案し、近江商人・中井源左衛門が財を投じたとも伝えられている。
車道と人道が分かれていて、京に向かって右側に車石を敷き、左側は人や馬の通る道であった。(案内抜粋)

当時の土の道は雨が降るとぬかるんで、牛車が立ち往生することも多くあり、峠道の運航をスムースにした 素晴らしい知恵なのだ。
境内には保存された車石も展示されている。これを大津から京都まで敷き詰めた作業は当時としては凄い土木作業 だっただろう。

しばらく進むと東海道と伏見に向かう伏見街道の分岐点になる「山科追分道標」が「みぎハ京、ひだりふしみ」と 示している。大阪から江戸に行く時、京都を経由せず、京街道・伏見街道を通ってここに至ったようだ。

国道の歩道橋

閑栖寺の車石 説明 車石

山科追分道標


静かな街道を進むと車の騒音が感じるようになり、国道1号線と合流する。ここからは国道筋を進むことになるが、 歩道があるので安心だ。上り坂で渋滞している車列を横目に快調に進む。

国道1号線と合流

走り井の泉 説明

「逢坂山」の上り坂を進むと途中に「月心寺」が国道脇に静かに建つ。
門からのぞくと打ち水がされ、その中に 石組の「走り井の泉」の井戸からは水が湧き出している。
歌川広重が描いた東海道五十三次にある大津の錦絵には、溢れ出る走井の水のそばの茶店で旅人が休息している姿が見られますが、 この茶店が現在の月心寺です。
日本の名水として広く知られたこの走井の水は、多くの詩歌や文学作品に登場し、古くから有名でした。
茶店のあと住む人もなく荒廃していたのを、大正時代の初めに日本画家の橋本関雪が朽ちるのを惜しんで自分の別邸にし、 その後月心寺となったのです。(滋賀県観光案内HPより)


本来は少し進んだ所にある歩道橋を渡らなければならないのを、見落として「逢坂山」の頂上まで行き、信号を渡ると そこに「逢坂山関址」の石碑と常夜燈が国道沿いに立っている。

逢坂山関址の石碑

蝉丸神社上社 本殿

間違ってパスした東海道を少し戻ると「蝉丸神社上社」の長い石段があり、登って参拝する。静かだ。
蝉丸神社は市内に3社あり、逢坂の国道1号沿いに上社、国道161号沿いに下社(関蝉丸神社)、大谷町に分社(蝉丸神社)が 立っています。

蝉丸は平安時代の琵琶の名手で、今昔物語や謡曲「蝉丸」によると、目が不自由であったにもかかわらず、音曲の神として 崇められました。
彼が詠んだ「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」という和歌はあまりにも有名です。 (滋賀県観光案内HPより)

階段の下には逢坂峠に設置されていた「車石」が並べられている。これを12kmも設置したのだ。

元に戻る途中に鰻料理で有名な「かねよ」と云う料亭がある。その庭に珍しい史跡があると読んでいたので、訪れるが 休日で閉まっている。頼んで中に入れてもらい見学する。
「逢坂」に設置されていた「車石」の上に荷車が置かれている。実際の姿を見て実感出来た。「東海道の道標」や 「逢坂山関」に設けられていた「閂石(かんぬきいし)」も置かれている。
穴の開いた対になった「閂石」の間に柵棒を通していたのだ。珍しいものを見ることが出来、お礼を云って進む。

並べられた車石

車石と荷車

閂石


国道1号線を下って行くと「関蝉丸神社」があり、参拝するが少し寂れている。

関蝉丸神社

蝉丸神社下社 説明

名神高速の下を抜け、R1から別れてR161に進む。京阪電車石山線と並行する道で、踏切の向こうに鳥居が見える。
これが「蝉丸神社下社」で、「謡曲・蝉丸」の標識が掲げられている。これで、3つの「蝉丸神社」を訪れことになり、 新緑の境内に参拝し、「大津宿」に向かう。

R161は真っ直ぐに琵琶湖に向かっているが、現在は建物が多く、湖水は見られないが、当時はこの辺りから琵琶湖を望む 様子が「大津宿」の版画に描かれている。
「大津宿本陣跡」の標識を発見し、「大津宿」に到着したことを確認する。もう少し歴史的な標識の方が趣があるのに・・・・・ と思ったが。
当時はこの辺り一帯は旅館が立ち並び賑やかだったのだろう。

警笛を鳴らしながら、4両編成の京阪電車が道路に進んで来た。路面電車でなく長い電車が通る姿は珍しい。
電車と並行に、当時は幕府の政令を掲示していた「札の辻」まで進む。
ここから右折して東海道(中山道)は「草津宿」へ進むのだ。
11時30分、「大津宿」に到着とする。4時間余りで11.8km歩いたことになる。(間違ったり、寄り道をしたが)

大津宿本陣跡の標識 説明

4両編成の京阪電車

札の辻 説明




「三条大橋〜大津宿」の「紀行スライドショー」


<追記>

日ノ岡峠の車石

荷車と車石

5/4に蹴上を訪れる機会があったので、前回の紀行時に見落とした「日ノ岡峠の車石」を探すために再び訪れた。
ガイドブックは三条通りの北側に記されていたので見つけられなかったが、旧東海道との分かれ道の手前(南側)に小さな 公園として車石や荷車に米俵を載せた現物が展示されていた。





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