○ 「伊勢本街道No7」見聞録(奥津〜外城田)・(距離 40.1km/ 149.2km/ 20.8km)
2−1.横野〜外城田・(22.5km) 2011.06.09 8:10-15:00 曇り時々晴れ
初めての宿泊での「伊勢本街道」紀行は快適な目覚めで2日目を迎える。 昨日の疲れもなく、酔いも残らず、6時前に目覚めて、ロビーで新聞を読んでいるとジャージ姿のシニアの方々が降りて来られ、7時からの朝食が 早目に始まっている。O君と7時から食事と約束していたが、少し早目からバイキングの朝食をしっかりと食べる。 愛知・高知からのシニアの団体のようで、皆さん元気に食べておられる。シニアパワーを貰って、出発する。途中のホテルからも同じような格好の 方が出て来られ挨拶する。大きな大会なのだと。 今日の予定は、まずバスで昨日道を間違えた柿野まで戻り、次回は日帰りで「伊勢神宮」に参拝し、今回の紀行のゴールにするため、 JR多気駅まで進むことにする。昨日に比べると高低差がなく、平坦な道なので、疲労度を考慮して短くするか、長くするか検討する ことにする。
途中からは今日歩く道をバスが通過するので、景色を見て予習(?)する。8時2分に 柿野バス停に着き、スタート地点の「柿野神社」に向かう。 昨日間違って国道を下ってしまった。本来の旧街道沿いに建つ「柿野神社」は「和歌山街道」と「伊勢本街道」が合流する横野にある 立派な神社で、今日の紀行の安全を祈願する。 南天が有名だそうで、境内の片隅に立派な「常夜燈」が移設されている。 神社の前から坂の上を見ると、旧街道らしい街並みが連なっている。昨日、この道を歩かなければならなかったと反省しながら、バス停の 方向に戻る。 国道166号線との角に、本来ここに泊まろうとした「待月旅館」の立派な建屋が建っている。しかし、廃業されたため、泊まることが出来ず、 周辺の民宿等を検討したが、休日・臨時休業で泊まれず、松阪に泊まった次第だ。往時は街道の合流点で繁栄されたことだろうと想像 出来る程の立派な旅館だが、廃業は残念だ。旧街道筋の旅館が次々と廃業している姿は時代の趨勢だろうが。
国道歩きが始まる。今日は地道の歩行はほとんどなく、舗装道路ばかりのようなので、、足は疲れるだろうと覚悟してスタートする。 車の往来は少ないが、歩道がないので注意しなければならない。 「宝積寺」の石碑を眺めて進み、古い格子のある家の玄関には注連飾りが飾ってある。段々と「伊勢神宮」に近付き、1年中注連飾りを している家が多くなるようだ。国道沿いから脇道に入っていくと古い街並みが続き、「庚申堂」とその石垣に「大石の道標」が 組み込まれれている。「大石宿、これより宮川へ七里、はせへ十五里半」と刻まれている。
旧道を進むと再び大石町で国道と交わり、渡って再び旧街道を進む。 街道筋には「連子格子の家」が数軒立ち並び、静かな道を進むと再び国道に合流し、櫛田川沿いの国道を進む。川には巨岩・怪岩が顔を出し 風光明媚な川筋だ。 しばらく進んだ道脇に少し形がユニークな「常夜燈」が迎えてくれる。国道筋に史跡があるのは嬉しい。
少し進むと滝の水音が聞こえて来る。「不動滝」だ。
石勝山金常寺不動院は、弘法大師空海上人が開創と伝え、今から約1,200年前の弘仁3年(812年)に建立された真言宗のお寺です。 ご本尊の不動明王像は、弘法大師が当地を訪れた時、当地の青石を刻んで安置したと伝えられています。霊験あらたかな古刹です。 現在の本堂は、今から 400年以上前の慶長 7年(1602年)当時の住職政音和尚(しょういんおしょう)の時、松阪城主古田重勝公が再建し たものです。 (大石不動院HPより) O君は先日「四国八十八寺」を結願し、一番にお礼詣りをした所だ。そして再来週には「高野山」にお礼詣りをして、お遍路の全行程を 終える予定なので、弘法大師にはご縁がある。 滝の音を聞きながら、境内の「常夜燈」の傍の石に座って、一息入れる。(9:05-15)
滝の音に癒され、一息入れた後、国道を進むと直ぐに池があり、「天然記念物むかでらん群生地」の石碑が立っている。「ムカデラン」の 名前は初めて聞いたが、ランの一種だそうで、池の中や周辺を探すが、どれか分からない。 その上に「炮烙岩」がと呼ばれる大きな岩があり、その表面に「ムカデラン」が群生しているとか。見上げても判別できなかった。 その横には「地蔵二体」の祠があり、「馬頭観音」と「大日如来」が祀られている。 「中山道」では良く見かける「馬頭観音」を今まで見かけなかったので、何か懐かしい感じがした。
国道の横を流れる櫛田川流域は「香肌峡(こうはだきょう)」と呼ばれる景観で、自然公園となっているそうだ。対岸の民家のベランダで 川を見ておられる方に手を振ると手を振ってくださった。のどかな川筋の国道から、旧街道に入る所に喫茶店があり、駐車場には 車が多く停まり、賑わっている様子なので、景観を眺めようと休憩する。 窓際の席からの眺めも良く、アイスコーヒーを頼む。近隣の方々の憩いの場のようで、年配の方が多く集まっている。マスターから「香肌峡」の 観光地としてのPRを聞きながら一息入れる。(9:25-45) 国道から分岐した旧街道の静かな街並みを進む。このなだらかな坂道を根尽坂(乞食坂)と呼ぶらしい。再び国道と交叉点・小片野東を 渡って進むと道角の金網のフェンスの中に「石地蔵」が祀られている。
この辺りから、昔の「和歌山街道」と「伊勢本街道」が分岐するが、新しい道が入り組んでいて道に迷う。川沿いに行こうとするが、 少しおかしいので、四辻まで戻り、家の前に居られた奥さんに尋ねると反対の道だった。判断が早く出来良かった。 県道の広い道は峠になっているようで、緩やかな坂を上る。途中から旧街道に分岐し、田舎道を気持ち良く進む。三重県のマップによると 下茅原公民館上の道角に、「庚申塔」「愛宕常夜燈」「浅間常夜燈」が3つ立っていると記されている。「庚申塔」は見つけたが、 2つの「常夜燈」が見当たらないので、近くの小父さんに尋ねる。「常夜燈」は倒れたので、別の所に移設したと一緒に畑の真ん中の 小高い丘に連れて行ってもらう。1つは立っているが、もう一つは分からないと。型から見ると「愛宕常夜燈」か?。 畑の中の道を進むと「つるの渡し」に行けると教えてもらい、お礼を云って別れる。少し離れた所には「大神宮」と刻まれた碑が立って いる。この辺りが、「伊勢本街道」の難所の一つに数えられる「つるの渡し」の「参宮接待所跡」なのだろうと想像する。
田舎道を櫛田川まで進む。上には「つるの渡し」に架かる津留橋が望まれる。川は淀んで深緑の落ち着いた色で、鯉or鮒が泳いでいる。 川の土手に腰を降ろして、静けさを楽しみながら一息入れる。(10:50-11:00)
その「つるの渡し」は、江戸時代は舟渡しで、明治には橋ができた。橋といっても板をロープでつないだ浮き橋のようなものだったらしく、 舟は怖くないが浮き橋は揺れて怖い。冒頭に出た歌は、明治以降に作られたものではないか、とこれは私の勝手な想像である。 本格的な橋が渡しの上流にかけられたのは昭和五年。「はかり石」は、昭和三十四年の伊勢湾台風で流失してしまった。 (新旧街道図会・伊勢本街道HPより)
川原から土手に上ると「南無阿弥陀仏」と刻まれた「六字名号碑」や「右さんぐう、左まつさか道」と刻まれた 「道標」が立っている。 川の中には「はかり岩」呼ばれる、川の水量を計った岩が顔を出している。科学的に渡し船の運航を考えていたのには驚く。 土手に沿って、国道に戻り、津留橋を渡るとそこは多気町となる。 「横野〜つるの渡し」の「紀行スライドショー」 「つるの渡し」を渡って、多気町に進む。静かな街道筋の道角に小さな「道標」が立っている。「左いせみち」と刻まれているが、見難い 場所だった。昨日から気付いていたが、この辺りの畑には麦畑が多く、黄色くなり刈り入れ時期に来ている。野良仕事をしている方が 散見される。 右側に石造りの「用水池」があり、県道から離れて脇道に入る。石垣に挟まれた細い道の角に「廻国供養碑」「行き倒れ地蔵」「道別れ地蔵」が 並んで立っている。旧街道の雰囲気がある小道に立つ石碑・石仏だ。
県道を横切って畑が広がる野道を進む。麦刈が終わった畑で、老婆が麦藁をまとめておられる。立ち止まって少し話す。麦藁の利用価値は 高いので、きれいにまとめているのだと。麦藁を数本貰って先に進む。昔はストローや帽子も麦藁だったなぁとO君と話しながら、素朴な 老婆の話振りを反芻する。これも街道歩きの楽しい所だ。 田舎道の四辻に「道別れ地蔵」が立ち、「右いせみち、左まさかみち」と刻まれた江戸中期の道標だと。 田舎道から県道に出て、進むと「伊勢自動車道」の高架があり、その下をくぐって進む。
車も少ない県道は、櫛田川沿いに進む。櫛田川との間に竹藪があり、川の姿は望めないのは残念だ。
地元の方が「足神さん」と呼ばれる「佛足石」の碑が立つ。花も供えられ信心の深さが分かる。近くには石室の中に「お地蔵様」が祀ら れており、信仰深い地域なのだ。 この辺りからガードレール越しに見える櫛田川の景観は広々として美しい。 「自然石の道標」を過ぎて進むと「津田村道路元標」が立つ。 大正12年製だそうだが、今回の「伊勢本街道」紀行のスタート地点が、大阪・高麗橋の「里程元標跡」だったことを考えると、この「元標」 なるものは面白い存在だと思った次第だ。「伊勢神宮」近辺にも「元標」があるのだろうかと。 少し進むと「南無阿弥陀仏」と刻まれた石碑が立っている。短い距離の間に、様々な史跡が残っているので、単調な道も楽しいものに なるのは嬉しい。しかし、食堂は見つからない。
県道から脇道に分岐した所に、一里塚のようにこんもりと盛られた盛り土の上に松が植えられている。 「伊勢三郎物見の松」だそうで、その横には「いぼ地蔵」が祀られ、「廻国供養塔」が立っている。
この松は「伊勢三郎物見の松」と呼ばれていて、源平の昔源義経の臣、伊勢三内義盛が、頼朝の軍勢の攻めてくるのをこの松に登って 主君を守ったという伝説の松。(但し今の松は4代目) その松の下に地蔵がまつられ、イボができたとき祈願すると治るという「イボ落し」にご利益があると伝えられています。 (かんこうみえHPより) 「伊勢三郎物見の松」を眺めて進む舗装された田舎道の両側には、大きくなった稲がスクスクと育っている。その田圃に囲まれて、 畑の一角に小さな木が植わっている。多気町に入ってから所々で見られた光景だが、何が植えられているのか分からない。 苗木に藁を敷いておられる老婆にこれは何ですかと尋ねる。 「作っている私が云うのはおかしいが、一番美味しい伊勢芋だ」と。この地方で良く植えられている山芋の一種で、すごく粘りがあり 美味しいのだと自信満々におっしゃる。 この辺りに食堂はないですかと尋ねると「あちらで○○さんがやっていたが、亡くなって、その息子が場所を変えて、向こうに移ったが、 止めて、知り合いの△△さんが継いだが、止めてしまった。この辺りにはないなぁ〜」と。もっと話は長く、何処にあるのか期待していた のが、何度か裏切られ、結局近くには食堂がないと分かった次第だ。 お婆さんにお礼を云って、田舎道を県道の方に進む。 県道を少し進んだ所に店屋があったので、パン・竹輪・トマトを買って、店の前に座って昼食代わりとする。(12:15-30)
素朴なお婆さんとの会話や美味しいトマトの昼食と野趣溢れる紀行は続く。
相可に向かって県道を進むと道横に立派な「四疋田常夜燈」が立つ。
県道から脇道に入り、再び県道を進むと相可高校の校庭・校舎が見えて来る。 県道を覆うようなムクの大木があり、その根元に「賽の神」の祠が祀られ、「燈籠」が立っている。 櫛田川は見えないが、この付近一帯を西行法師が詠んだ歌から「千鳥ケ淵」と呼ばれていると。 余談だが、相可高校のことをテレビで見たような気がしたので調べてみると、相可高校には食物調理科があり、近くの農産物直営施設の食材を 利用してレストランを開設し、評判が良いとのニュースを見たのを思い出した。ユニークな学校は史跡に囲まれているのだと実感した。
相可高校から少し進むとお菓子屋さんの前に人だかりがある。名物「まつかさ餅」を販売する「長新本舗」で、中に入り、「まつかさ餅」を 2個買って、表の椅子で賞味する。表面に米粒が出ていて、松ポックリの様になっていて、黒砂糖味と珍しい風味だ。お土産用に買い求める。 直ぐ横の広場は「札の辻」となっており、昔は盆踊り等楽しんだ場所だと。2基の「道標」が立っている。「くまのみち」の文字も現れ、 ここからも「熊野古道」に向かったのだと懐かしく回想する。 朝の出発時、疲労度合によっては、ここ相可からバスで松阪に戻ることも考えていたが、時間も13時過ぎと早く、疲れもないので、JR多気駅 まで行くことにする。
「つるの渡し〜相可」の「紀行スライドショー」 松阪への県道を横断して進むと正面に旅籠だった「鹿水亭(ろくすいてい)」が立ち、道なりに進むと「おんばさん」の祠が祀られ、箱田川 への降り口になっている。川原に降りるのは諦め、そのまま旧街道を真っ直ぐに。 落ち着いた家並みを進み、国道のバイパスの下をくぐると田園風景が広がる。稲の緑と麦の黄色がまだらに広がり、初夏の趣きを感じながら JR紀勢線の線路に当たり、並行して進み、踏切を渡る。
踏切を渡り、JRの線路沿いに進む。
丘を廻り、池上橋を渡ってのどかな田園地帯を進むと、やがて、立派な家が立ち並ぶ西池上の集落に入る。その中に立派な「金粒丸の縦看板」 が古き時代を表すように立っている。高さ197cm、幅59cmの看板で、当時の薬屋さんのようだ。 少し進むと白壁・荒格子の「商家・大好庵」の建物が迎えてくれる。 屋根の付いた「地蔵様」が祀られた木の角には「西池上常夜燈」が凛と立っている。高さ2.8m、天保15年(1844)製だと。古い街並みで あることが分かる。 木陰で作戦会議をする。当初予定の終了地点・JR多気駅はここから旧街道を離れて、駅に向かうことになる。現在時刻が14時なので、 計画通りにJR多気駅に行くか、JRの次の駅・外城田(ときだ)に進むかと。 次回のことを考えると少しでも距離を稼ぎ、日帰りで 「伊勢神宮」参拝まで行きたいと考え、JR外城田駅の列車時刻がはっきり分かっていないが、JR外城田駅まで進むことにする。
旧街道はJR参宮線の線路を渡り、丘を上って行く。
工場の外れから、道標に従って林の中の道を進む。ここからの道は、今まで舗装道路や田舎道・街並みの道だったが、自然豊かな林・森の中 の道で、途中から地道にもなり、気持ち良く歩む。 JRから離れているので、外城田駅が何処にあるか分からず、何処で右に降りて行くか思案しながら進むと切り通しの道になっている。 「伏拝坂・石燈籠」の説明板があり、道の上を見ると「両宮遥拝所献燈」の石碑が見えるが、急坂なので上るのは諦める。 切り通しの道を抜けると視界が広がり、右に下る道があるので、外城田駅の手前に降りると想像していたが、どうも駅を通り越して いたようで、線路に出て、駅の位置を確かめて向かう。伊勢方面行の列車が行き、駅にようやく到着した。(15:00) 時刻表を見ると15時14分発なので、ベンチもない駅で、涼風を楽しみながらゆっくりと列車を待つ。
予定が多気駅だったが、1つ伊勢よりの外城田駅まで到達することが出来た。
列車に乗り、昨日停まった松阪まで戻る。汗でびしょびしょなので、駅前の観光案内所で駅に近い銭湯を尋ね、調べてもらうと もう開店しているとのことで、「ひょうたん湯」の場所を教えてもらう。 銭湯はハイキング帰りの方もおられ、駅に近い銭湯の利点なのだろう。汗を流し、湯船で足腰をマッサージし、疲れを癒す。 駅に戻りながら、松阪の繁華街を巡り、居酒屋を探すと17時前だが開いていた店があり、O君と2日間の頑張りと次回の満願を願って乾杯する。 美味い!! 昼食抜きだったので、ヤキソバも食べたりと生ビール・焼酎としっかりと疲労回復に努める。駅に戻り、17時52分の近鉄・快速急行に乗り、 今日の反省と次回の計画を相談する。 1日で行けそうなので、交通費節約の観点から「青春18きっぷ」で行くことにし、詳細は別途検討することにする。鶴橋で乗換え、京橋で O君とお別れして、21時過ぎに帰宅する。 「伊勢本街道」紀行で初めての宿泊行程だったが、天候にも恵まれ、自然・史跡・地元の方との会話を満喫した旅だった。 今日の行程は起伏も少なく、舗装道路の連続で少し単調だったが、色々と楽しむことが出来、充実した一日だった。さあ、次は「伊勢神宮」に 参拝して、「伊勢本街道」170kmの完全踏破を目指したい。 今日の歩行は22.5km、41000歩だった。さあ、次の計画を楽しもう!! 「相可〜JR外城田駅」の「紀行スライドショー」
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