[備前片上〜上道][上道〜吉備津]


○ 「山陽道No8」見聞録(備前片上〜吉備津)・(距離 41.2km(今回)/ 263.6km(累計))

  2.上道〜吉備津・(21.3km) 2012.06.27 8:10〜15:40 曇り


西国・山陽道全行程.Map

「上道〜吉備津・行程MAP」

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見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

ユニバーサルホテル

昨日の疲れと美味しいお酒でぐっすりと眠り、4時30分頃目覚める。外を見ると曇り空で、雨の心配はなさそうだ。昨日のように太陽が 照り輝く様子もなく、気持ち良い歩行日和だと安心する。
朝食は6時30分からなので、6時前にロビーで新聞を読み、道路に出て、外気の冷たさを味わう。涼しいので気持ち良い。6時30分、全員が 揃ってバイキングの朝食を食べる。品数も多く、無料にしては豪華なものだ。コーヒーも飲み、体調を整える。
宿泊客も多く、食事付きなので長期間滞在している作業関係者も多いようだ。
7時過ぎにホテルを出て、バスで岡山駅に行き、列車で昨日の上道駅まで戻る。通学生が多く、電車は満員だ。
8時10分、上道駅から昨日終えた「山陽道」まで戻り、本日の行程をスタートする。
田園風景が残る集落にはぶどう畑が点在し、大きな房を付けている。山裾にもぶどう畑が広がる岡山県らしい光景を眺めながら進む。 昨日のように暑くはなく、涼しい空気が気持ち良い。
古い家が残る旧街道の右に「常夜燈」が立ち、その先の十字路には「経塔」「安国寺経塔の由来」の石碑が立っている。

旧街道

常夜燈

安国寺経塔の由来の石碑


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

旧街道は立派な家が立ち並ぶ、静かな「藤井宿」に入って行く。
少し進むと右に「総社八幡宮」が鎮座する。参道入口には「藤井」と書かれた案内板があり、「藤井宿」について説明されている。 山陽道の経路は宇喜多秀家の付け替えにより、藤井が宿駅となったと。
宿場を進むと左に東本陣であった「西崎家」の立派な建屋が建っている。一段と立派なお屋敷に宿場の繁栄が分かる。更に進むと 西本陣であった「安井家」の立派な門構えの大きな屋敷と雰囲気のある土塀が建っている。2つの本陣を持つ宿場だったのだと認識する。

静かな藤井宿の街並み

総社八幡宮 説明

東本陣・西崎家 安井家


西本陣の先に「素戔鳴神社」が鎮座し、鳥居の前に「新往来→」の道標と説明板がある。幕末、幕府は元治元年(1864)長州征伐を断行した際、 備前藩では諸藩の藩士が岡山城下を通過することを回避するため、一時的に山陽道の岡山城下の通過をやめ、その北方を迂回させたと。

素戔鳴神社 新往来

古都役場跡の碑

以前、神戸付近で「徳川道」と称して、外国人との接触を避けるための迂回路があったことを思い出す。危機管理の一つかと。
「藤井宿」を過ぎ、田園地帯の旧街道を進むと「古都宿」の集落に入る。古都コミュニティハウスの前の広場に「古都役場跡」の碑が立つ。
山裾を通っていた旧街道は坂を下り、新幹線の高架を抜けて、山陽本線の踏切を渡って東岡山方面に向かう。
西への真っ直ぐな道を進んで いると漫画みたいな事態が発生した。O君、N君の名誉のために詳細は省くが、大笑いの一席があり、足元を整えながら一息入れる。 (9:00-9:05)
ここから真っ直ぐな道を西に向かう。長岡郵便局前の横に古い道標が立つ。「長岡駅 西大寺観音道」「岡山玉島 神戸大坂京道」と 刻まれている。神戸・大坂は遠くなったものだと思いながら西に進む。
淡々と車の往来が激しい道を進むと左に「天鴨神社」が鎮座し、境内には五角柱の「田の神様社日塔」が祀られている。五角柱の碑が 点在するのは初めてだ。真っ直ぐな道を進むと幡多小学校が建ち、校庭には二宮金次郎の像が立っているのを見て、我々の小学校には あったが、最近は見ないなぁと話しながら進む。
コンビニがあったのでアイスキャンディーを買って、前に見える百間川の堤防で食べようと進む。堤防の手前に左に向かう道が、旧街道だろうと 堤防に進むと「石塔」が数個祀られている。堤防の階段でアイスを食べながら一息入れる。(10:05-10:15)

古い道標

天鴨神社 田の神様社日塔

百間川の石塔


風が気持ち良い百間川の堤防を歩き、橋を渡って、先程休憩した地点の対岸付近まで戻る。この辺りに渡しがあったのだろう。しかし、ここで 道を間違ってしまう。少し進んだ所に常夜燈が立っているので、旧街道と思い進むが、様子が違う。掃除をしておられるシニアグループの方に 聞くともっと手前だと。
元の場所まで戻り、進むと左に「龍翔寺」が建ち、その前に「北向のお地蔵さま」が祀られている。その先に「名号石」立ち、「小さな祠が 祀られていたりと旧街道を進む。広い県道402号を横断すると森下町で、一つ先の右に入る路地の所に「惣門跡」の案内板が立っている。 宇喜多直家が岡山城下町の入口として惣門番所を設けた跡だと。

百間川

北向のお地蔵さま 龍翔寺

惣門跡


森下町の旧街道には旧家が残り、それなりの雰囲気がある。その先に作家・内田百間の生家や史跡の案内図が掲げられ、町中で盛り上が ろうとしているようだ。
岡山城へ向かう道を横切り、真っ直ぐな道を進むと市電が走る広い道の角に名物・吉備団子屋が二軒並んで建っている。さすが岡山だと 思いながらパチリと。

森下町の旧家

内田百間の案内図

吉備団子屋


ここで、再び道を間違える。本来は市電に沿って右に行かねばならないのを、左に進み、新京橋を渡る方向に進んでしまった。大きな 禅宗の「大龍寺」を参拝して、新京橋を渡ることにする。
橋の上から、本来の旧街道が旭川の中洲に架かる小橋、中橋、京橋を眺めながら進む。

迷子しるべの碑 陶板

新京橋を渡って、旧街道の京橋に戻る。遊歩道が整備されなかなか美しく整備されている。
京橋の手前に「岡山縣里程元標」の高い碑が 立っている。里程標としては巨大なものなので驚きながら、京橋に向かうと橋の袂に、小さな「道路元標」の碑が埋まるように立っている。 この辺りが、岡山市の中心なのだと認識する。
市電の線路を渡って向こう側に行くと「迷子しるべ」と刻まれた碑が立っている。
京橋界わいは大勢の人で賑わい、迷子が多く、 明治25年11月に市役所がこの石碑を建てました。石には「たづぬる方」「しらする方」と彫られ、その上には穴が開けられており、 市民が書き物を入れて情報交換が出きるようになっています。 現在の迷子しるべは、明治25年に建てられたものを、昭和57年7月に復元し、設置したものです。 (おかやま京橋散策HPより)
碑の下に「京橋渡り初めの図」と書かれたの木版画の陶板がある。その近くに迷子しるべがある。 「たつぬる方」「志らする方」と太い字でくっきりと刻まれている。
迷子ではないが、道を間違えたので、「迷子しるべ」の碑の前で一息入れる。(11:40-11:45)

京橋

岡山縣里程元標

道路元標


「岡山宿」の中心街に向かう。京橋から正面の表町3丁目商店街に入って行く。2つ目の筋を右折し、賑やかな商店街を進む。人通りも多く、 ステンドグラスも飾られ、岡山の商店街の強さを間近に見ながら進むと「旧下之町」の案内板が旧街道の史跡として残っている。
昼時になったので、食事処を探していると商店街の横の筋に「ぶたかば重発祥の店」の幟が立ち、豚のかば焼きが名物だと。鰻が高く なったので、面白いと入店し、ぶたかま重とスタミナ重を注文する。出て来た重箱を見ると鰻に似て、味もなかなかのものだ。面白い。 しっかりと食べ、水分も補給する。(12:05-12:35)
後日談だが、O君の話ではB級グルメとして有名な店なのだと。商店街を進むと「旧上之町」案内板があり、宇喜多氏が城下町建設のために 備前福岡より商人を呼び寄せたと。

表町3丁目商店街

旧下之町の案内板

ぶたかば重



「山陽道No8C」の「紀行スライドショー」

商店街は桃太郎大通りに突き当たり左折し、柳川筋を横切った一つ目の筋を北へ進む。少し進むと右に「金刀比羅神社」が鎮座する。 真っ直ぐ進み、後楽園通りを左折して進むと昨夜川沿いを歩いた西川に当たり、川沿いの緑地を眺める。川の上は涼風が吹き気持ち良い。
後楽園通りは高架橋でJRを渡るが、旧街道はJRの地下道を進むとのことなので、地下道を探しながら岡山駅方向に進むと地下道を発見し JRの下を抜けて行く。

金刀比羅神社

西川の緑地

地下道


智明権現と地蔵尊

奉還町商店街

地下道をくぐってJRの西側に出た所に「智明権現と地蔵尊」「地神」が祀られている。
東横ホテルの前を進み、西口筋を横切ると「奉還町商店街」に入り、商店街の中を進む。岡山市は商店街が発達しているのに驚きながら 話していると経済産業省が選んだ「がんばる商店街77選」と垂れ幕が掲げられている。たいしたものだ。
賑わっている商店街も進むに連れ、人通りも少なくなって来る。和菓子屋があり、「わらびもち」を売っているので買うことにする。 冷凍しているので30分経ってから食べてくださいと。冷たい「わらびもち」を持って進む。
商店街は、奉還町西口交差点で国道180号線を斜めに横切って、進むとと四つ角左に「京橋江ちか道」と書いた道標が立っている。 少し進んだ所には「大乗山妙林寺参道」と刻まれた道標と題目石が立っている旧街道の雰囲気が出て来る。 狭くなった旧街道には趣きのある旧家が残っているのは嬉しい。

道標

大乗山妙林寺参道

趣きのある旧家


少し進んだ右側に「国神社」が鎮座する。急な長い階段の上に本殿があるようだが、上る気力がなくパスすることにする。ここの「狛犬」は 石造りだが、躍動感溢れる姿に微笑む。「わらびもち」を食べようかとチェックするが、まだ凍っているのでもう少し後にしようと歩を進める。
旧街道は三門(みかど)公園の所で右に曲がり、北西のに進む。緩やかな坂道になり、途中には寺院が点在する道を進むと国道180号線と 合流し、しばらく国道を進む。
厳井富山の信号を左斜め前方に急な坂道を上って行く。暑さが増して来る感じで、歩幅が小さくなり、周りの見晴らしを望みながら 進むと高台があり、急な階段を上ると大きな題目石がたくさん祀られている。
ここで、休憩することにし、「わらびもち」を 食べることにする。冷凍が解けて冷たくて美味しい。高台なので風が通り、気持ち良い。(14:10-14:25)

国神社

国神社の狛犬

高台の大きな題目石


冷たい「わらびもち」を食べ、元気を貰い、下り坂を快調に下って行く。電柱に地名が描かれているが、「万成」を「まんなり」と 読むのだそうだ。
下り坂の途中に右に「笑塚」の碑が立っている。横に芭蕉の句碑が立っていて、その上に笠が載っている。何故?と思いながら反対側を 見ると「北向八幡宮」の石碑の門が建っているが奥にありそうなので、パスする。
緩やかな坂道を進むと左の家の前に「矢坂宿本陣」の碑が立っている。宿場ではなさそうなので、「間(あい)の宿」だったのか。

笑塚 芭蕉の句碑

北向八幡宮

矢坂宿本陣の碑


少し下ると「地蔵堂」が祀られ、趣きのある旧家も残っている。道横には桃畑も広がり、のんびりとした旧街道だ。
旧街道は笹瀬川を渡り、国道180号線と合流する。歩道は狭く、交通量も多くて歩くのが苦痛となる。歩道のある右側を進んでいると 左に「吉備津彦神社参道道標」があり、望遠でパチリと。時間的にも厳しいので「吉備津彦神社」参拝はパスして進むと、 その先に「一宮村道路元標」を確認する。
小松橋を渡ってすぐ右に「大覚大僧正道」の道標が立ち、少し進んだ交差点の左手角に「指さし道標」が 「←岡山へ二里→高梁十里」と刻まれている。国道の脇にも旧街道の息吹が残っているのだ。

吉備津彦神社参道道標

大覚大僧正道の道標

指さし道標


国道180号線の狭い歩道を進む。途中のコンビニでアイスキャンディーを買い、歩きながら冷を味わう。蒸し暑さで少しバテ気味だ。
境目(さかいめ)集落に入ると国道が左に曲がり、旧街道はそのまま直進する。その分岐点左に国境石が歩道に立っている。思考能力が 減退していたので、見落とす所だった。「従是東備前國」と刻まれた碑が備前の国から備中の国に突入したのだ。
前回「船坂峠」で「播備国境の標石」を確認し、播磨から備前に入ったのが、早くも備中に進んだのだと認識する。昔の藩を覚えていると 行程の進み具合が理解出来るのだ。
国道から離れて旧街道を進むと、すぐに「真金一里塚」か゜残っている。左の塚は大きく、太い木が植わり、右の塚は 小さく若松が植わっている。両側に残る一里塚を見るのは久し振りだ。いや、「山陽道」では初めてだったか?

従是東備前國の碑

真金一里塚・左 説明

真金一里塚・右


静かな旧街道

吉備津神社の鳥居

国道から離れた静かな旧街道を進むと左に「吉備津神社」の鳥居が立ち、見事な松並木の参道が続いている。 時間的にも本日の紀行はここで終了することにし、踏切を渡り、JR吉備津駅に向かう。今回の歩行歩数は36600歩だった。(15:40)
「吉備津神社」参拝は次回にすることに駅に急ぐと、丁度、岡山行が来て、乗車する。岡山からJR沿いを進んでいたのを振り返りながら 岡山に到着し、調べていた銭湯に行こうとするが、小生のミスで休みだったのは申し訳なかった。

「山陽道No8D」の「紀行スライドショー」

何処かで、乾杯しようとするが、まだ開店している店が見つからず、岡山駅構内の讃岐うどん店にビールの暖簾があるのを発見し、 冷たい生ビールで乾杯する。今日の行程を反省を込めて話しながら、次回は山陽本線から離れるので、日程としては2泊3日か1泊2日かも 含めて検討しようと。
N君は新幹線で帰るので別れ、トイレで体を拭き、シャッを着替えて帰路に向かう。岡山発は込むので、一つに西の駅まで行き、そこから 姫路行きに乗車し、ウトウトしながら姫路へ。姫路で飲物を買い、大阪駅でO君と別れ、20時30分頃帰宅する。

[備前片上〜上道][上道〜吉備津]







    
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