[吉備津〜川辺宿][井原〜備中呉妹][川辺宿〜備中呉妹]


○ 「山陽道No9」見聞録(吉備津〜井原<途中未踏破>)・(距離 42.5km(今回)/ 306.1km(累計))

  1.吉備津〜川辺宿・(16.0km) 2012.07:24 11:55〜15:15 晴れ・猛暑


西国・山陽道全行程.Map

「吉備津〜川辺宿・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

今回の「山陽道」紀行は「青春18きっぷ」を使っての1泊2日の行程をO君が計画してくれる。暑さが半端でないので、疲労度合を考慮して 柔軟に対応することにしようと。N君は吉備津で合流することにする。
始発の列車に乗るため、4時30分に家を出て、岡山行の座席確保のため、O君と姫路で待ち合わせることにする。加古川まで鈍行で行き、 姫路に着き、岡山行の座席を確保できる。「青春18きっぷ」のシーズンはなかなか座れないことが多いが、接続の1つ前の列でに到着して いると大丈夫だ。

吉備津神社参道

立派な松並木

O君の行程に不都合が起こり、岡山まで先行することになる。10人余りのご婦人のグループが「18きっぷ」を使って、金毘羅さんに行く とのことで、車内は満員だ。最近はシニアの利用者が多いのが特徴だ。
次の列車で到着したO君と落ち合い、吉備線に乗り、前回終了駅の吉備津に向かう。予定では備中高松城の見学を予定していたが、パスして 「吉備津神社」に参拝することにする。
10時34分、吉備津駅に到着し、「吉備津神社」の参道に向かう。陽射しがきつくて、参道の松林の陰を狙って歩んで行く。立派な松並木なので 陰はあるが、とにかく暑いのには閉口する。
暑い中、参拝客も居られ、小学生の団体も来ている。3回目の参拝だが、「山陽道」紀行の無事を願って、急な階段を上って参拝する。

吉備津神社本殿

吉備津神社の御祭神・大吉備津彦大神は四道将軍として山陽道に派遣され、温羅という悪者を平定し、吉備国に平和と秩序を築きました。 吉備国の総鎮守で、県内では最も古く大きな神社です。
現在の吉備津神社の本殿及び拝殿は1425年(応永32年)に室町幕府三代将軍・足利義満が、天皇の命により再建されたものです。 室町時代初期の代表的建造物で『比翼入母屋造り』と言いますが、全国唯一の造りとして 『吉備津造り』と呼ばれ、国宝に指定されています。
御本殿から南の本宮社をつなぐ約400m続く廻廊や随神をお祀りする南・北随神門や御釜殿、木造獅子・狛犬は 国の重要文化財に指定されています。
御釜殿には、御祭神により退治された鬼の首が埋められているという伝説があり、現在でも鳴釜神事が執り行われています。御釜の 鳴り具合によって吉凶禍福を占うという神事であり、その霊験は少なくとも室町時代には天下に有名であり、江戸期の 怪奇小説『雨月物語』にも登場します。(岡山市観光協会HPより)

本殿は美しい建築美を誇っている。日陰のベンチに座り、ゆっくりと観賞する。優美だ。
本殿から長い回廊に向かい、緩やかな坂になっている回廊を下って行く。神々の祠が祀られ、蝉の声を聞きながら廻る。一番下まで進み、 神事を行っている御釜殿の前で拝礼し、参拝を終える。

吉備津神社の階段 本殿

廻廊

御釜殿


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

神社の前でN君と出会い、昼食のため茶店に入り、牛丼を食べる。暑いので、水分を十分に補給し、松並木を抜け、JRの踏切を渡り、 前回の「山陽道」終了地点に向かう。
11時55分、今回の「山陽道」紀行をスタートする。西に向かうので、太陽は眩しくないが、後ろから陽が射して来るので、陰を探しながら 進んで行く。右の「常夜燈」と「観音堂」を確認し、JR吉備線の踏切を渡って西に向かう。
この辺りから「板倉宿」になるようで、小川を渡った所に「板倉宿」の標識と「常夜燈」が立っている。宿場の雰囲気を味わいながら進むと 鯉山コミュニティーハウスが板倉宿本陣跡で、「江戸時代の板倉宿場図」が掲示されている。その先、右に見事な蔵造り、なまこ壁、うだつ、 千本格子のある「平松家」が建っている。立派な建物が、「板倉宿」を象徴しているようだ。

板倉宿の標識

板倉宿の街並み 宿場図

平松家


「板倉宿」のはずれの交叉点の角には「地蔵堂」が祀られ、右側の草むらに「真金十字路道標」が立っている。
交叉点から真っ直ぐな道を日陰を探しながら進むと「日蓮上人五百五十遠忌の題目石」が立ちのどかな田舎道を進むが、陽射しがきつくて 参ってしまう。暑さに苦労しながら進むと「御埜立所」の石碑が立つ。とにかく暑い。
N君が「影を慕いて」の歌のように陰を追って歩む。リュックの横に入れている寒暖計は36℃を示している。路面は40℃近いだろうと。

真金十字路道標

のどかな田舎道 題目石

御埜立所の石碑


やがて、足守川に当たり、下流の橋を渡り、元の旧街道の対岸に戻り、堤防を下って進む。川の水を見ると泳ぎたくなる程、体は熱い。 水があれば、頭から被りたい位だ。
旧街道の左に扇子で方向を示す大きな「道標」が立っている。「金毘羅・・・」「吉備津岡山大坂」等太く刻まれている。 直ぐ進んだ右に「鯉喰神社」が鎮座する。鳥居の前にここにも備前焼の狛犬が立ち、奇妙な名前の由来が案内板でに記されている。 血が鯉になったとは面白白い。
神社の門の陰で、リュックを放り出し一息入れる。水分の補給をしっかりし、大休止となる。(12:40-12:50)。

足守川

扇子の道標

鯉喰神社 説明


旧街道は緩やかな上り坂になり、右に「宝泉寺」を確認して進む。道なりに進むと山陽自動車道の高架下を抜けて進むと大松工業の 前に自販機があるので、冷たい飲み物を求めて小休止。熱中症予防にも水分補給は大切だ。(13:00-13:05)
広い道を下って行くと県道との交叉点に「従是毘沙門天十三(丁)」と刻まれた「道標」が立ち、その向かいにセブン&イレブンがあるので、 アイスキャンディーを買って体を冷やす。本当に暑い。
右の墓地の奥に「造山古墳」が望まれる。考古学に詳しいN君の解説を聞きながら進む。5世紀前半頃築造された前方後円墳で、 全長360mの大きさは全国4位とだと。この辺りは古墳がたくさんあり、古墳群となっているのだ。 少し進むと右に「村の境石」があり、県道と合流した所に「左いなり道」と記された「道標」が立っている。

沙門天の道標

造山古墳

左いなり道の道標


県道は緩やかな上り坂になり、総社市に入る。少し進んだ所から右の旧街道に入って行く。

国分寺五重塔 平山郁夫画伯の碑

県道と並行して進み、再び県道に戻る。所々に旧街道が残っているのだ。
少し進むと「距岡山元標四里」と書かれた「道標」立つ。岡山の京橋から四里・16km進んだことなのだろうと話しながら進む。
再び、県道と合流する辺りで、右に「国分寺五重塔」が現れて来る。遠くだが、その美しさは見事だ。カメラで写していると横に碑が 立っている。

宿の集落の酒屋

平山郁夫画伯が取材した場所だと。さすが、素晴らしい場所だと画伯の気持ちになり、しばし眺める。春の菜の花、秋の柿の木を背景に 近くで眺めるのも良いが、遠景の五重塔もなかなかのものだと。
旧街道は県道から左に入って行く。右に「をかやまへ」と書かれた「矢印道標」が立っている。この辺りは「宿」の集落で、立派な 家も建っているが、道路からの照り返しの暑さに参りながら黙々と進む。
集落の中には立派な酒屋が商売をしており、昔の雰囲気を残している。

距岡山元標四里の道標

暑い旧街道

宿の集落



「山陽道No9@」の「紀行スライドショー」

集落を進むと右に大きな「国分寺参詣口」の碑が立ち、国分寺への道を案内しているが、この暑さなので省略して前に進む。 右に「国分寺五重塔」を望みながら進むと小さな川があり、渡った所に「守安馬太之碑」が立っている。 その横の木陰でリュックを放り出し一息入れる。(14:00-14:15)
一息入れて元気になり歩き始めると左に「山陽道」の道標を発見。この辺りになると「西国街道」の言葉は皆無で、全て「山陽道」に なっているとと話しながら進む。
左に「角力取山(すもうとりやま)古墳」が望まれるが、パスして西に向かう。左に「地蔵堂」が祀られ、立派な石燈籠が立っている。燈籠に 「金」と刻まれているのは、金毘羅さんを表していると。この辺りは金毘羅信仰も多いようだ。

守安馬太之碑

角力取山古墳

立派な石燈籠


少し進むと右に「地蔵堂」が祀られ、その先には旧家「山手村郷土館」が建っている。明治初期に建てられた入母屋造りの民家が保存 されているようだが、閉まっていて入ることは出来なかった。
道角に「くらしき・・」の「道標」が立っている。倉敷の文字が出て来たのは初めてだろうと、暑さを凌ぎながら進んで来ていることを 確認する。少し進んだ左に「吉備好古館」の石碑が立っていたが、先を急ぐことにしてパスする。
旧街道の雰囲気を残す暑くてたまらない道を進むと山手郵便局の先の左に「旧山陽道一里塚」の石碑が立つ。案内板があるが、一里塚の 名前などは記されていない。「山陽道」の一里塚の史跡は少なく、名称もないのが多いようだ。

山手村郷土館

くらしき・・の道標

旧山陽道一里塚 旧街道


淡々と熱くなっている舗装道路を進む。左にため池らしい堤防があるので、上ると「山田池の地蔵」が祀られている。池からの風が気持ち 良いので、日陰ではないが一息入れて水分補給に励む。(14:10-14:20)
一息入れて、リフレッシュし、酢少し進むと県道と合流し、「持坂」と呼ばれる上り坂となり、歩道のない坂を上り切った所から左の旧街道に 入る。大きな池も ある「清音ふるさとふれあい広場」の石碑もある保養施設が広がっている。少し進んだ三叉路の角に古い「道標」を確認して進むと 再び県道に合流する。

山田池の地蔵 山田池

持坂

三叉路の道標


単調な県道を西日に向かって進む。眩しくて暑さが余計に感じられる。

川辺橋の歩道専用橋

高梁川

今日の予定は、井原電鉄の三谷駅まで向かう予定だが、疲労度も 厳しく、無理をしないことにしようと、高梁川を渡って、川辺宿駅まで行くことに変更する。
JR伯備線の線路を越えて、高梁川の堤防上の道を進むが、歩道もなく車の量が多くて疲労感が増す。川辺橋の下の陰に入って一息入れる。 休憩間隔が短かくなり、時間が長くなる。(16:10-16:25)
川辺橋の下流に広い歩道専用の橋が架かっていて高梁川を渡る。岡山県は広い川がたくさん瀬戸内海に流れ込んでいるのが良く分かる。 温暖で水が多くて果物の産地に適した土地なのだと。
橋を渡り、左下に堤防を下って行くと、「史蹟山陽街道一里塚 江戸より百八十里」と刻んだ「一里塚碑」がある。先日到達した「中山道」と 合わせると、日本橋から180里(720km)歩いたことになるのだ。この辺りから「川辺宿」に入り、旧街道の面影を残す蔵造りの立派な旧家が 立ち並ぶ。
少し進むと歯科医の前に「川辺本陣跡」と刻む大きな新しい石碑が立つ。字体が珍しいと話しながら進むと左に「川辺脇本陣跡」と刻む 同じ字体の碑が立ち、「川辺宿」の中心地に来ていることを確認する。

史蹟山陽街道一里塚

川辺宿の街並み

川辺本陣跡 川辺脇本陣跡


そろそろ川辺宿駅に近いので、気を付けながら進むと右に「艮御崎神社」が鎮座する。しばらく進むと県道と合流し、県道沿いには 大型店が立ち並び賑やかだ。

艮御崎神社

井原鉄道・川辺宿駅

川辺宿駅口の信号を左折すると井原鉄道の川辺宿駅なので、本日の「山陽道」紀行はここて終えることにする。 今日の歩行歩数は33000歩だった。(17:00)
川辺宿駅に向かう。井原鉄道は高架橋の上を走っているようで、前方に駅が見え、無人駅のホームで待つと17時13分発の列車に乗る。通学の 学生も多く、結構混んでいる。この地域の交通手段としては貴重なのだろう。井原駅まで720円と結構高い。列車に乗っている間は冷房が 涼しく、ホッと一息付く。

「山陽道No9A」の「紀行スライドショー」

計画では川辺宿の3つ先の三谷駅まで行く予定で、O君が井原駅近くのホテルを予約してくれていた。
駅を降りると7-8人の外国人が一緒に降りて来て、 話しかけて来る。インドネシアからの作業者で、近くの工場で働いていると。大阪から歩いて来たと話すと「なんでやねん」と云ってきたので、 その時はポンと肩を軽く叩いて「なんでやねん」と云うのが大阪風だと教えたりと楽しく話しながら進む。
彼らと別れて本日のホテルである「歴城荘」にチェックインし、直ぐ大浴場で汗を流す。湯船には入らず、冷水を何度も体に掛けて体温を冷やして 行く。以前、「しまなみ街道サイクリング」実施時、湯あたり してひどい状態になった経験から注意している事項だ。
暑さで疲れた体をリフレッシュし、近くの居酒屋を探し、生ビールで乾杯する。本当に美味しい!!
芋焼酎を「クロジョカ」で飲むことも出来、呑み・食べなから明日の計画を話し合う。本来なら、列車で最終地点まで戻って、ここ井原辺り まで歩くのだが、ロスも多いので、 逆に歩くのはどうかとN君から提案があり、この暑さが続くので全員賛成する。O君は「四国八十八ケ所」を参拝しているので、これは 「逆打ち」だと。
21時30分、ホテルに戻り、ベットに転がり込むとそのままぐっすりと眠ってしまった。今日の全体の歩行歩数は38000歩だった。

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