[吉備津〜川辺宿][井原〜備中呉妹][川辺宿〜備中呉妹]


○ 「山陽道No9」見聞録(吉備津〜井原<途中未踏破>)・(距離 42.5km(今回)/ 306.1km(累計))

  2.井原〜備中呉妹・(20.4km) 2012.07:25 7:10〜14:45 晴れ・猛暑


西国・山陽道全行程.Map

「井原〜備中呉妹・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

5時30分頃目覚めて、天気予報を見ると今日も猛暑日とのこと、熱中症に注意して進まねばと。

ホテル歴城荘

朝日

朝食前に、井原の街を散策しながら、「山陽道」のスタート地点を確認する。今日は西から東に向かうので、従来のように前日の終了地点が スタート地点ではない。
井原の街並みは広い道と花を飾ったりとなかなか美しい。井原駅の方向に進み、郵便局の先の角を左に曲がった所に「地蔵堂」の祠が 祀られているので、ここから東に進めば良いと確認する。
朝日が昇り始める光景は気持ち良いが、この太陽に今日も苦しめるのだと思いながらホテルに戻る。
6時30分、全員疲れも酔いもなく元気に集つまり、朝食をしっかりと食べ、飲み水も確保してく出発する。N君がホテルの老主人に名前の 由来を聞いた所、戦後、中国の山東省・済南市・歴城から帰国したそうで、その名前を付けたと。
7時10分、「山陽道」紀行の「逆打ち」をスタートする。まだ朝の清々しさが残っているが、いつまで続くかが問題だ。
先程確認した「地蔵堂」から東に向かうが、高く昇った朝日が眩しく、暑くなりそうだ。少し進んだ左に「武速神社」が鎮座している。 この辺りから「七日市宿」のようで、道角に小さな「七日市停車○」の碑が埋まっている。下の文字が確認出来ない。この辺りに 「本陣跡碑」があるはずなのが、探すが分からず、小田川まで来ると「石仏」が祀られている。

地蔵堂

武速神社 七日市停車○の碑

石仏の祠


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

小田川を渡り堤を右に行き、直ぐに左の道を下って進むと先程渡った「日芳橋碑」が立っている。少し進んだ左には「十一面観世音菩薩」を 祀る祠が建ち、旧街道の風情を残している。立派な旧家が残っている旧街道を碑が市に進むが、朝日がまともに当たり眩しい。
少し進んだ十字路の左に「揖取延命地蔵堂」が祀られ、前には常夜燈が立っている。

日芳橋碑

十一面観世音菩薩 旧街道の風情

揖取延命地蔵堂


眩しいが静かな旧街道を進むと左に小さな神社が鎮座し、その先右に「平櫛田中生誕之地」と刻まれた立派な石碑が立っている。 平櫛田中とは何者だろうと話しながら進む。後で分かったが、井原出身の有名な彫刻家だそうだ。井原市内に美術館もあるようなので、 機会があれば立ち寄りたい。
少し進んだ右に「中堀城跡」の標柱を見つけ、左は入って行くと「甲山八幡宮」が鎮座する。この神社の鳥居に掲げられている 注連縄は龍の形をしているのは面白い。本殿へは階段を上って行かねばならないので、パスして、境内の陰で水分補給の休憩とする。 熱くなりそうなので、小まめな給水が必要だ。(7:50-8:00)

平櫛田中生誕之地の石碑

中堀城跡の標柱

甲山八幡宮 龍の注連縄


リフレッシュして進むと小さな川があり、渡った所には立派な旧家が建っている。少し進むと右に「史蹟今市駅本陣跡」の標柱が 立っている。今市は、正式の宿場ではなく、間(あい)の宿だと。
静かな旧街道を日陰を見つけながら進む。旧街道の趣きが残っているのは嬉しい。「山陽道」と書かれた道標もあり、行政が 史跡を残している姿勢が感じられる。左に「足次神社」の鳥居があり、この鳥居にも龍の注連縄が掛かっている。この地方の特徴だろうと 話しながら進むと国道486号に合流する。

史蹟今市駅本陣跡の標柱

静かな旧街道

足次神社


国道を少し進んで左の旧街道に入って行く。陽射しが厳しくなり、汗が滲んで来る。東に向かうので日陰がないのは厳しく、少し 進んだ所で井原電鉄の高架橋の下を抜ける。その橋の下の陰も嬉しい位だ。
高架橋を抜けると炎天下の道になり、黙々と進むと右の民家の垣根の間に「旧山陽街道一里塚」の碑が立っている。 一里塚の史跡が残っているのは嬉しい。
国道486号線に出会い、すぐ左の旧街道に入って行く。国道歩きでないのは救われる。しかし、直ぐに再び国道に合流して、国道歩きが 始まる。陽射しがきつくなり、冷たいものが欲しくなった時、国道沿いに無人の野菜売場を発見し、トマトを1盛=100円で買う。何処かで 食べようと。近くにコンビニがあり、アイスキャンディーを買って、少し冷を注入するが暑い。
国道を進むと左に「越城址 寶蔵院」の石標が立っている。左奥のこんもりした山は、「越城址」で、北条早雲の出陳地だと云われている。 井原鉄道の駅名にも「早雲の里荏原」と伝えられている。
少し進むと道路脇に牛の背に仏像が刻まれている「亡牛供養塔」が祀られている。「中山道むで良く見られた「馬頭観音」と同じ主旨の 碑なのか。馬と牛の違いが地域の特徴なのかと考える。

旧山陽街道一里塚

越城址・寶蔵院の石標

亡牛供養塔


歴史に詳しいN君が、近くに女性の刀工師の碑があるので見学しようと、国道から離れて左の小道に入って行く。井原鉄道の高架橋を 抜けると「越城址」の山が望まれ、東平井公民館前に「刀工女國重宅趾」の碑が立っている。 女国重は荏原国重派の家系に生まれたが、早くに父母と死別し、21歳の時に育ての親である伯父伴十郎も病に倒れたため、 「家系を絶やさないでくれ」と頼む伯父の懇願で、女人禁制であった刀工の世界に入ったと。
碑の下には「亡牛供養塔」も祀られている。街道に戻る小川で、O君が川に泳ぐ大きな鰻を発見するが、美味しそうだと思うだけに終わる。
国道に戻り、再び国道歩きとなる。しばらく進んだ所から、左の旧街道に入り、井原鉄道の高架下を抜けて進むと山沿いの道になり、 「石仏群」が祀られている。その先には「押延の里程標」が横たわって路地の片隅に横たわっている。
旧街道は井原鉄道と国道を見下ろしながら進み、鉄道がトンネルに入る手前で、国道に戻る。

刀工女國重宅趾の碑 越城址の山

押延の里程標 石仏群

山沿いの旧街道


しばらく国道歩きが続く。小田西の交叉点から右に入り、直ぐ左の小道に入って行く。

掘越間の宿の街並み 説明

木陰があり、そこで一息入れていると、近くの 男性が話に来られ、大阪から歩いていると話すと驚き、この辺りの「山陽道」について聞く。この辺りは「掘越間の宿」で昔の雰囲気が 残っていると。
丁度、話していると牛乳配達が来たので、牛乳を買い、一気に飲み干す。美味しい。体が水分を欲しているのが良く分かる暑さだ。 (9:35-9:50)
男性にお礼を云って、落ち着いた「掘越間の宿」の街並みを進むと小川の手前に「地蔵堂」が祀られている。
少し進んだ所の国道との間に スーパーがあるので、冷えた桃を売っていないか探すが、冷えたのはないので、カットされた西瓜を買い、無料の氷をたくさん貰い、先程買った トマトも冷やす。
右道脇に新しい「史蹟旧山陽道備中國浅海村官蛇下座所跡」の碑が立っている。更に進むと川を渡る手前の広場に「史蹟旧山陽道一里塚跡」 の碑が立っている。一里塚は残っていないが、その跡地に碑が立っているのだ。史跡を保存しようとする姿勢は嬉しい。

地蔵堂

備中國浅海村官蛇下座所跡の碑

一里塚跡


再び、国道486号線に合流し、暑い国道歩きを強いられる。右に緑の藻で埋まった毎戸池があり、その脇に二基の「光明真言供養塔」が 祀られている。ため池も多いが、藻で埋まっているのは珍しい。

冷たい西瓜

田園風景が広がり、稲の緑が涼しげだが、ムッとする空気は暑い。「地蔵堂」が祀られており、その先の道横の柵の陰に 「史蹟旧山陽道備中國浅海村才の前下座所跡」の碑が立ち、その先には「史蹟旧山陽道備中國本掘村庭下下座所跡」の碑が立っている。
そこから左への旧街道らしい道がある。N君が「古代山陽道」だとのことで、国道歩きから逃れるように左の小道に入る。 直ぐ井原鉄道の高架があったので、その下の陰でリュックを放り出して休憩とする。先程買った西瓜を食べる。氷で良く冷えていてgoodだ。 トマトも冷えていて美味しい。スーパーの氷の有難さに感謝する。(10:30-10:40)
「古代山陽道」を山に向かって進む。神社や地蔵堂・常夜燈と旧街道の雰囲気が残る中の集落まで行くが、道に迷ったようなので、 井原鉄道と並行に進み、ガードを抜けて国道に戻るとスーパーがあったので、飲物を仕入れ、氷をビニール袋に入れて首筋を冷やす。

光明真言供養塔

備中國本掘村庭下下座所跡の碑

中の集落


右の消防出張所の前に「距 岡山元標 京橋十里」の碑が立つ。旭川横の里程元標から40kmなのだと改めて感慨深く思う。「逆打ち」なので 少し感覚が違うが。
暑さが増して来る感じなので、リュックにぶら下げている寒暖計を確認すると38℃を示している。道路は50℃位になっているだろうと思いながら、 少し進むと道角に古い「貴布祢宮道」の道標が立っているのを見て、行くとまたまた「旧山陽道備中國江良村下原下座所跡」の碑が立って いる。「下座所跡」が多い所だと話しながら進む。本来、何処かで左折して、再び国道に合流するのだったが、間違ってそのまま進んで しまった。国道を進むと左下に高岡製材所があり、その構内に大きな「先祖供養塔」が祀られている。

岡山元標・京橋十里の碑

貴布祢宮道の道標

先祖供養塔



「山陽道No9B」の「紀行スライドショー」

国道下の細い道を進むと美山川に当たり、堤防に「高通川徒渡し跡」の碑が立ち、横の橋を渡り、「矢掛宿」に入って行く。

本陣・石井家

「矢掛宿」の旧街道は両側に石畳の歩道があり、趣きのある旧家が立ち並ぶ落ち着いた街並みだ。
江戸時代の山陽道は大坂から西に51の宿駅が置かれていた。矢掛の宿は、江戸初期に創設され山陽道18番目の宿場町として繁栄した。 本陣、脇本陣を含む約750mに渡って当時の景観が残っている。
江戸初期から矢掛宿の本陣職を務めた石井家住宅。間口17間余り、敷地は3960u。本陣関係として御成門、湯殿、雪隠、中門、番所などが ある。母屋は入母屋造り、本瓦葺き。規模、建物の質、ともに主要街道の本陣として類例の少ない価値ある建築群だと評価される。 また、天璋院篤姫が徳川家定に嫁ぐ際にお泊りになった史実がある。(おかやま歴史の旅百選HPより)

街並みを楽しみながら歩いていると和菓子屋「佐藤玉雲堂」を見つけ、土産を買おうと入店する。冷たい柚子のジュースをいただき、 何が良いかと尋ねると篤姫も好んだ「柚べし」と「柚子羊羹?」を買う。暑い中、持ち歩いても良いかと聞くと日持ちするので大丈夫だと。 昼食を食べねばならないので、紹介してもらうと本陣の前の「宝来寿司」が良いと薦められたので、見学の前に昼食とする。 立派な造りの店に入り、寿司定食を注文し、暑さのためにビール2本で乾杯する。寿司定食は700円なのに、カツオのたたき、小鉢、うどんも 付いていてgoodだ。冷房で今までの熱い体も少し元に戻り生き返る。(12:05-12:50)

高通川徒渡し跡

矢掛宿の街並み

寿司定食


立派に残っている「本陣・石井家」を眺める。当時の重々しい雰囲気を残している。篤姫もここに宿泊したので、その部屋を見ようかとも 話したが、暑さを克服しながら進まねばならないので、パスする。
本陣の前には観光案内所も設置されていて、前を確認して次に進む。「矢掛宿」の旧街道はなかなかのもので、雰囲気が残る家が立ち並び、 新しい家も同じような造りで改装されているのは、街造りに賭ける人々の熱意が感じられる。丁度、夏祭りの提灯が飾られた雰囲気を 楽しみながら進むと左に立派な「脇本陣」が建つ。「本陣」と同じように国指定重要文化財の見事なものだ。
少し進むと「地蔵堂」が祀られている。その先に「矢掛一里塚跡」の碑があったのだが、見落としてしまい、川を渡って「矢掛宿」を 後にする。山沿いには「矢掛神社」が鎮座する。

矢掛宿の街並み

矢掛宿・脇本陣

矢掛神社


神社の前を右折して、山沿いに進むと立て看板があり、左の山上には備中高松城の水攻めの後、ここに造った中山城跡があるそうだ。 その先には旗がたくさん立てられた「清水地蔵」の立派祠が祀られている。
国道に合流して、歩道ない道を進む。国道を少し進むと左への小道の角に「左大坂道」の道標が立ち、それに従って旧街道に進んで行く。 田圃が広がる農道の様な道を進むが、とにかく暑い。暑さの中を進むと井原鉄道の高架下の陰に到達し、水分補給を取り休息する。 (13:50-14:00)

清水地蔵

左大坂道の道標

井原鉄道の高架


旧街道は緩やかな坂道を上って行く。山沿いの道には「石仏」が数基祀られている。その先には立派な 「常夜燈」と「吉備公累代墓域碑」が立っている。「吉備真備」の史跡がそろそろ現れて来たと思いながら進む。
少し木陰もある山沿いの道には三基の「石仏」が祀られ、小さな「道標」も点在し、旧街道の雰囲気を楽しむが、暑さは厳しい。井原鉄道と並行に 進み、高架下を抜け、道なりに進むと国道に合流する。その角には立派な「常夜燈」が立ち、「石仏」が祀られている。

吉備公累代墓域碑 石仏

三基の石仏 小さな道標

常夜燈と石仏


再び、国道歩きが始まる。暑さがボディブローのように体力を奪って行くのが分かる。
しばらく進むと左に大きな「筆塚」の碑が立っている。ここを左は入れば「吉備真備公園」があるので、少し入って行くが、体力的に 苦しくて途中で止めて陰で休息する。これからの行程をどうするか相談するが、体力消耗が激しく、熱中症になってもいけないので、 残念だが、次の井原鉄道・呉妹(くれせ)駅まで進むことにする。
国道歩きを続けるが暑い。右に「矢掛町一里塚跡」を見つけ、矢掛町から真備(まび)町に入る。右に流れる小田川の堤に道がありそうなので、 堤防沿いの道を歩く。横の川に飛び込みたい衝動にかられる位体は熱くなっている。国道に戻り、しばらく進んだ所から左の小道に 入って行く。田圃の中を進むが、熱気は変わらず大変だ。
小川に突き当たり、再び国道を歩くと井原鉄道の高架下の自動販売機を見つけて冷たい飲み物を買い求め、一気に飲み干す。自販機で 冷たい飲み物を買っていたので、朝リュックの横に入れていた水は飲んでいなかった。その水を出して見るとお湯になっているのには驚いた。 歩いている間に水がお湯になったのだ。高架の先に呉妹駅に向かう。

筆塚

矢掛町一里塚跡

堤防沿いの道


15時15分、呉妹駅に到着し、待合室の水で体を拭いて一息付く。朝からの歩行歩数は41300歩だった。

「山陽道No9C」の「紀行スライドショー」

呉妹駅

暑さで、昨日の終了地点まで行けなかったが、後日、穴を埋め、この行程を達成したい。
15時37分発の列車に乗ると冷房が本当にありがたく感じられた。井原鉄道の清音駅でJRに乗換え、倉敷に向かう。N君は岡山から新幹線で 帰るので、次回は残っている行程を踏破しようと別れ、O君と倉敷駅近くの銭湯に向かう。 美観地区近くの銭湯で、まずは冷水をしっかりと浴び、湯船で足腰の疲労を取る。足腰の疲労よりも暑さによる疲労の方がきつい一日だったが、 汗を流してすっきりする。
駅前のビル街で居酒屋を探す。たまたまO君が大阪で行く居酒屋と同じ名前「天友」の店を発見するが、5時30分開店と開いていないので、 別の居酒屋で何時ものように乾杯する。紀行後、風呂上がりで五臓六腑に沁み渡る。
次回は少し涼しくなってから、岡山県から広島県に向かおうと話し、駅に向かう。今回はこれ以降、単独行動で「青春18きっぷ」の 旅に出掛けるので、O君を見送って、伯備線で米子に向かい、翌日は木次線のトロッコ列車「奥出雲おろち号」乗車を楽しむ予定だ。

今回の1泊2日の紀行は、暑さとの戦いで苦しい行程だった。何度コンビニ・スーパー・自販機の世話になったことだろう。「中山道」と違って 地道はなく陽射しを遮る木々も少ない。計画を慎重にしなくてはと。
HPを作成している間に、オリンピックが始まり、終わってしまった。暑さと応援でHP作成も遅々として進まなかった。メタル数は過去最高、チームワーク・ 家族愛等々、メダリストには色々なエピソードがあり、興味深いものだった。これからは昼夜逆の生活も改めなければ。お疲れ様でした!!

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