○ 「山陽道No13」見聞録(本郷〜西条)・(距離 27.9km/ 382.2km) 2.湯坂温泉〜西条・(15.1km) 2012.11.13. 7:55〜14:30 曇り時々雨
昨夜の宴会でしっかりと呑み、語りと充実した時間を過ごし、5時過ぎ目覚め、温泉なので朝風呂に出掛けるとO君も来て、ゆっくりと 体を癒す。湯坂温泉の泉質は気持ち良い。
7時55分に宿を出発し、コンビニで昼食用の弁当と味噌汁を買って「山陽道」に戻る。 8時20分、本日の紀行をスタートする。山沿いの旧街道から、昨夜泊まった賀茂川荘が見え、少し肌寒い中、西に向かう。 緩やかな道を下ると国道2号線に当たり、横切り、その先の田万里川を渡り、右に川沿いの静かな道を進む。牧歌的で旧街道の面影が残って いるのは嬉しい。川沿いの道脇に「田万里往還」の木の道標が立っている。旧街道そのものだ。 道の左に「地蔵尊」が祀られており、その先にも小さな祠に「地蔵尊」が祀られている。お地蔵さんが多い「田万里往還」の道を進むと 左に「旧山陽道 茗荷ノ清水」と書かれた案内標が立ち、きれいな清水が湧き出している。当時も旅人の喉を潤していたのだろうと。
道なりに進むと「これより田万里市」の標識が立ち、田万里の集落に入る。
旧街道沿いには立派な家があり、江戸時代の旅籠跡とのことで、集落を進むと「えびす神社」が鎮座し、横の案内板には 「田万里間の宿」の説明がされている。
赤色の屋根瓦の立派な家や蔵が建つ田万里の集落を抜けると猪の檻も見られる田畑が広がる。気持ちの良い旧街道だが、天気の様子が少し おかしくなって来る。雨が心配だ。 左に「滝荒神社」の標識を見て道なりに進むと視界が開け、右前方に立派な屋根をもつ「西立寺」が見える。山側の雑草の中に「黄幡坂の お地蔵さん」の標識があったので、雑草の中を探すと「お地蔵様」らしき石仏が見えたのでこれだと。
曇って来た道を進むと「掘坂道」の標識をみて進むと国道2号線に合流する。道路工事で少し戸惑うが、銀山橋バス停があるので、 ベンチで休憩する。(9:30-9:35)
趣きのある神社だ。国道方面を 眺めると棚田があり、赤色の屋根瓦の家が建ち、街道筋には「風呂ケ迫縄文遺跡」の標識が立つ。あの棚田付近が遺跡だと。昨日の古墳や遺跡 と、この辺りは古くから栄えていたのだろうと。 雨が激しくなって来たので、レインウエアを着たりと対応し進むと「赤瓦薬原料油土の製造所跡(文政年間・西条赤瓦のルーツ)」の標識が立っている。 本郷から歩き始め、赤瓦の立派な家が多い謎が解けたようだ。ここから出土した土で、赤瓦を造っていたのだ。(その後の西条付近でも赤瓦の 家が多く見られた。) しばらく進むと左に「旧山陽道茗荷清水跡」の碑が立ち、先程の「茗荷清水跡」よりは小さい水溜りがある。ここが本家なのだろう。 これから進む「松子山峠」の難所を越えてきた旅人にとってはオアシスだったのだろう。
雨が止んだので雨具を終い「松子山峠」の前の難所である国道2号線バイパスの横断に向かう。 国道が上り、下りが分かれており、旧街道より山側にあるので、道なき急坂を2度上らねばならないそうだ。右に2軒の家が並んでいる手前を 上るらしいが、すぐ道らしい道はなくなるが、上には車の音が聞こえるので、藪を掻き分け、木に捕まりながら上り切ると国道2号線バイパスの 下り線に到達した。 上った所から「車間確認100m先」の標識が見え、車の往来が途切れた車道を急いで渡る。そこは車の退避所となっていて、もう一つ藪を越え なければならないが、道らしい所はない。 エイヤーと少し道の跡と思われる所を無理やり上って行く。先程より藪や竹林が密集していて、枝を折りながら進むと左からの道らしい道と 合流して上り切る。どうにか、バイパスの上り線に到達した。結果論だが、退避所の左側に入口があるよう。 バイパスを渡った所に、舗装された道路があるので、あの道を進めば良いと考え、一息付く。(10:20)
趣きのある木製の鳥居が立っているが、奥の本殿までは行かず参拝はパスし、前に進む。 前に大きな池が現れ、雨も止み、見晴らしが良いので、池畔に座り、「松子山峠」越えに備えて英気を養う。峠越えの前に雨が止んで、 本当に良かったと語り合う。 先達の話のように、道がなくなっているのか、藪こぎで苦労するのか、諦めて戻って迂回するのかと。(10:25-10:35) 「山陽道・湯坂温泉〜西条@」の「紀行スライドショー」 もう直ぐ「松子山峠」の入口だと気分新たに池沿いの道を進む。
少し進んだ道脇に手製の「西国街道(旧山陽道)田万里⇔西条」の道標が傾いて掲げられている。地元の方が作って下さった有難い道標だ。 快調に進むと「東広島呉自動車道」の高架が現れ、そのトンネルをくぐって進む。 トンネルを抜けた道の真ん中に何か落ちているので、観察すると動物の骨だ。動物が何かは分からないが、山深く来たことを象徴するようだ。 少し進んだ、高速沿いに階段があり、その丘の上に「日向の一里塚」が復元されている。一里塚らしく、2つの塚に松が植えられているが、 まだ若木だ。何時の日が、立派な一里塚になるだろう。 元の一里塚が何処にあったのか分からないが、自動車道建設時に撤去するのではなく、移設したのは有難い。 一里塚の上から「松子山峠」への道を確認して、水分を補給する。(11:00)
先達が難所として迂回もされた「松子山峠」への舗装道路を入って行くが、早くも草が生い茂っている。直ぐに地道となり、藪が深く なって来る。しかし、道らしい形跡が残っているので心配ない。 その中に、道がぬかるんでドロドロとなって来たので、N君が用意してくれたビニール袋を靴の上から被せて、水が入らないようにして進む。
しばらく上るが、どうも間違ったようだ。もう少し上ると、右下に池が見えた。
少し下ると先頭のN君が左下の小川(溝)の対岸に道を発見し、倒木がはしの様なっているので、倒木を渡って対岸の道に戻る。 小川を左に見ながら、しばらく上ると「田万里⇔西条」の道標があり、間違いないことに安心して上ると池の右側に到達する。 「松子山峠」越えルートの目安としては、小川(溝)の右側に沿って上って行けば良いと。 軍手をはめているが、イバラのトゲで突き刺されながら、緩やかな坂道を上って行くと目の前にコンクリートの壁が現れる。 先達の紀行記にもあったので、壁をよじ登り上に立つと左横には池が水を湛えている。 この辺りが頂上かと思ったが、少し広くなった道をしばらく進むと「松子山峠」の碑が立っていて、峠のてっぺんに到着したのだ。(11:45)
「山陽道」の中でも、もっとも難所と云われる「松子山峠」を踏破することが出来た。途中、少し道に迷い、ロスタイムがあったが、45分で入口 から頂上まで進むことが出来たのだ。 底が破れたビニール袋を取り、一息付いた後、枯れ葉が積もる気持ち良い道を下る。上り道に比べると雲泥の差だ。 もっと厳しく、藪こぎがあると思っていたのが、以外に簡単だったなと話しながら下って行く。 左に池ががあり、静かな水面を眺めて 進むと下から犬を連れた人が上って来る。狩猟かと少しビクビクしながら下ると、犬の散歩をしている人で一安心。 足取りも軽く下ると舗装道路の県道に出て、「松子山峠」越えを終える。(12:07) 県道の緩やかな舗装道路を下って行く。そろそろ昼食だと場所を探していると、道横に広場あるので、そこを昼食場所とする。O君がお湯を わかし、カップ味噌汁を作り、コンビニ弁当で峠越えの感想を話しながら昼食を食べているとポツポツと雨が降り出す。(12:15-12:45)
雨足が激しくなって来たので、雨具を身に付け、峠越えの時でなくて良かったと。峠越えの前後が雨だったことを考えると日頃の行いの 良さだろうと地が持参しながら進む。 すぐ左に「駕籠松の碑」が柵の中に立てられている。かって、大きな松があり、松の木陰で駕籠を停めるために駕籠松と云われるように なったそうだ。 雨の舗装道路歩きは地道に比べると足の負担はきつい。右に「松子山浄水場」を見て進むと左に「今宮神社」が鎮座する。素朴な神社だ。
雨が一段と激しくなる中、旧街道を進んでいると、道路の拡幅工事をしていて、少し迂回したりとややこしい。やがて、市街地が近付き、 原比川の堤を歩いていると左側に「旧山陽道歌謡坂一里塚跡」の石碑が立つ。あの「松子山峠」入口にあった「日向の一里塚」から 1里歩いたのだ。 工事中の道路を迂回して進む道沿いの立派な家々は全て赤瓦造りで、あの土を使っているのだと話しながら、広い国道375号に出ると その街路樹が見事に紅葉していて美しい。プラタナスの種類のようだが、大阪近辺では見られない紅葉だ。ハッして疲れを癒してくれる。
雨が止んだ。雨具を片づけて西条の街に入って行く。西条は「四日市宿」と呼ばれる宿場だが、酒造りの街として有名だ。今回の紀行でも 酒造巡りが楽しみで期待していた宿場なのだ。 遠目から造酒屋のレンガ造りの煙突が眺められ、日本酒の街の趣きが感じられる。賀茂泉・福美人・賀茂鶴等の煙突を目指して酒造通りを 進むと賀茂泉の酒造があり、店の中を見学する。試飲もあり、次々と新酒を試飲する。美味しい。 その中でも一番気に行った生酒の4合瓶を買い求め、お酒のアイスクリームを食べ、疲れを癒す。
試飲のお酒で気持ち良くなり、酒造通りを散策する。露地奥の酒泉館は工事中なのか、シートで覆われていたのでパスし、近くに観光案内所 でマップを手に入れる。
造酒屋の散策を始める。賀茂鶴・福美人の落ち着いた白壁の建物を巡るが、試飲をしていなかったので、細い路地を歩きを楽しむ。青空に レンガ造りの煙突がそびえてるのは美しい。 ぐるっと廻って「四日市宿」の本陣跡である立派な「御茶屋本陣跡」に至り、立派な御屋敷に、当時の宿場の規模を感じる。 江戸時代に西国街道の宿場町として栄えた西条四日市(現在のJR西条駅周辺)には、御茶屋と呼ばれる広島藩の本陣がおかれました。 その後、明治になると賀茂郡役所、続いて賀茂地方事務所として使われてきました。現在の門は当時の表御門を復元したものです。 (東広島市HPより) 「御茶屋本陣跡」から少し進んだ所に、賀茂鶴酒造の仕込み水である「福神井戸」があり、伏流水を汲んでいる夫人が居られる。西条の街では このような仕込み水の井戸が点在しているようだ。
「山陽道・湯坂温泉〜西条A」の「紀行スライドショー」 「四日市宿」は西条駅の西側にも広がっているが、本日はここまでとして、飲み屋街である酒蔵横丁を通って駅に到着する。 今日の歩行歩数は25500歩だった。(14:30) 予定より早く着いたので、駅で「こだま割引きっぷ」の時間変更が出来ないかと尋ねるがダメだと。駅前の観光案内所で銭湯を尋ねると 車で5分程度にスーパー温泉があるとのことで、温泉に行き、冷えた体を温め、疲れを癒す。広い温泉で、ゆっくりと過ごし、西条駅に戻るが 時間が早いので、飲み屋も開いていず、周辺をブラブラ。 17時に居酒屋に飛び込み、ワイワイ話しながらの反省会。マラソンランナーのSさんも初めての街道歩きを楽しんだとの感想で一安心する。18時47分の 列車で三原に進む。N君は翌日歩いていない倉敷〜本郷までを逆打ちで踏破するとのことで、本郷でお別れする。 19時49分発のこだまで三原から新大阪に話したり、ウトウトしたりと過ごし、新大阪駅でO君、Sさんとお別れする。 今回の紀行は「山陽道」最大の難所とのことで、余裕のある日程で計画したが、藪こぎも少なく、道も残っていて、順調に進むことが出来、 時間の余裕があり過ぎた。初めての難所越えなので、仕方がないと。 次回は西条から広島まで行く予定で、検討したい。
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