[玖波〜新岩国][新岩国〜米川][米川〜周防花岡]


○「山陽道No19」見聞録(玖波〜周防花岡)・(距離 52.7km(今回)/ 502.0km(累計))

  2.新岩国〜米川・(21.0km) 2014.02.13. 7:45〜15:50 曇り


西国・山陽道全行程.Map

「新岩国〜米川・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

ぐっすり眠れたが、夜中に目覚めた時、ソチ・オリンピックのカーリングの応援をしたりと、眠ったり、目覚めたりとしていた。
5時30分頃、起きて本日の行程のトレースをする。「欽明路峠」越えを間違わなければ、問題ないようなので、安心だ。

岩国駅

錦帯橋

昨日のバスで、新岩国に 向かうために、朝食は、出発出来るように用意して集合とする。さすが、基地の街で制服姿の自衛官や関係する外国人がたくさん 泊まっている。
6時30分からの朝食はをしっかりと食べ、岩国駅前のバス停に向かい、7時18分発の徳山行の防長バスに乗車する。
ガラガラのバスは、岩国市街から錦川に向かい、「錦帯橋」の雄姿が望まれ、石山城も眺められ、紀行の前のプチ観光を車窓から楽しむ。
昨日、見落としてパスした、岩国セメント前のコンクリートの割れ目も確認する。あの割れ目から入って行くと、道に迷った道標の所にでるのだと 想像する。新岩国駅に到着し、身支度を整える。
7時45分、2日目の「山陽道」紀行をスタートする。
昨日の最終地点の旧街道に戻り、静かな「御庄宿」の街並みを西に向かう。「地蔵尊」が祀られているのは、旧街道らしいと思いながら、 錦川鉄道の高架下を抜け、御庄小学校に沿って左に曲がる。その先、新幹線と再び錦川鉄道の高架下を抜けて進むと、県道と合流し、前には 御庄川が望まれてくる。
県道歩きとなるが、歩道が広いので助かる。まだ冷たい空気を感じながら進むと「地蔵尊」が祀られ、またまた錦川鉄道の高架下を抜け、 御庄川を渡る鉄橋と 並行に「思案橋」が架かっている。旅人が下流の「錦帯橋」に立ち寄るかを思案した所から、この名前になったのだと。

御庄宿の街並み

地蔵尊

思案橋 地蔵尊


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

県道の歩道がなくなり、狭い白線の中を進む。県道には「地蔵尊」が点在して祀られており、左の川向こうにJR岩徳線・柱野駅が見える。 昨日、ここまで歩くか悩んだ駅だ。スタートから45分かかっているので、微妙な距離だ。(8:30)
その先、左に曲がって行くと岩徳線の列車が鉄橋を渡っているのに遭遇する。1時間に1本しかない列車に出会うとは幸運だと。岩徳線の 高架下を抜け、右にJR、左に御庄川に挟まれた県道を進むと旧街道らしく「地蔵尊」が所々で祀られている。また、御庄川に沈下橋と 思われる橋桁が残っているのも珍しい。
やがて、左の下市橋で御庄川をり、直ぐ右折して、柱野市集落に入ると、ここにも静かな街並みが続いている。きれいな金魚を 飾っている家もあり、公民館を確認して、快調に進む。少し先の上市橋で、再び御庄川を渡るのだが、左の県道のコンビニに立ち寄り、 一息入れる。(8:55-9:05)

県道歩き 地蔵尊

柱野市集落の街並み

上市橋


昼食の弁当を買うかと検討したが、O君が広島の友人と会った時、欽明路近くに「山賊」と云うドライブインが良いと勧められたので、レジの方に 尋ねると、歩くと1時間以上かかると。大阪から歩いていると話すと、頑張って下さいと激励される。
上市橋で御庄川を渡って、左折して川沿いに緩やかな坂道を上って行く。静かな旧街道には、ここにも「地蔵尊」が点在している。その先 右奥に「千体仏」のお堂が建っているが、鍵が掛っていて覗けない。連絡先が書いてあるが、何処の家か分からず、諦める。案内板によると 千体仏の中から亡き人の顔に似た仏像を選び、位牌と仏壇に祀って読経を行うのだと。
少し上り、県道の交叉点を直進し、その先の岩徳線のガードをくぐり、左に岩徳線・川、右に県道に挟まれた細くなった旧街道を上って行くと 雪が残る所も多くなり、岩徳線がトンネルに入るのが見られる。

地蔵尊

千体仏のお堂

旧街道 JRトンネル入口


緩やかな坂道を、残雪を見ながら上って行くと右の県道に接するが、直ぐ左の細道に入り進む。

欽明路峠の頂上付近

段々と残雪の範囲が広くなり、外気は冷たくなってくる。
緩やかな坂道は、緩やかに右に曲がる所から、勾配がきつくなり、少し息が切れてくる。道路の周辺は雪が深くなり、 峠道の車の通る所だけ除雪されている。
県道が高架となり、その高架下に到着し、ここで一息入れる。止まると身体が冷えるのはやむを得ない。(10:00-10:05)

欽明路峠への坂道















今日の紀行の難関である「欽明路峠」の頂上を目指すが、勾配がきついので、スピードはゆっくりになる。
上って行くと、 先程、高架下を抜けた県道が左横に迫り、その先はトンネルで「欽明路トンネル長さ1136m」と記されている。県道は旧街道の頂上の下を トンネルでくぐっているのだ。
車も通らない旧街道は、やがて、頂上と思われる平坦な道になり、その先は下り坂となる。下って行くと、右から広い道が 合流しその右角に「山陽道」の道標が立ち、指示に従い左方向に進む。
その先右には「地蔵尊」が祀られているのを見て、左からの広い道と合流して進む。視界が広がり、二股になっている右側は通行止めの 標識が出ている。車は行けないが、人は進めると判断して、右の道を下って行く。

県道の高架下 県道トンネル入口

道標 地蔵尊

通行止めの道・Go!!


舗装道路を下って行くと山陽自動車道を高架橋で渡り、「地蔵尊」が祀られているのを見て進むと、ヘアピンカーブのように、大きく右に 曲がって行く。路肩には雪が積もり、所々にスリップ跡も残っていて、車での通行は安全ではない。通行止めなのに、何故新しいタイヤ跡が あるのだろうかと?
右に曲がって下ると大きく道路が陥没している。通行止めの原因はこれだと思いながら、陥没の横の人が歩ける細い道を抜けると、今度は 左に大きく曲がって行くその先右に「歴史の道 旧山陽道」の案内板が立っている。 案内板には、古代の山陽道が日本の最も古い道として歴史に出てくるのは日本書紀で、その後、時の都大和から全国七道の中で唯一の大路 として筑前大宰府を往来する要路として整備され、野口には駅屋も置かれ、参勤交代の道として玖珂の宿駅と共に大いに利用されたと。
その先にも「旧山陽道」の道標も立ち、平坦な道となり「欽明路峠」越えを終える。

山陽自動車道を高架橋 陥没地点

カーブと案内板 説明

旧山陽道の道標


平坦な旧街道の田園風景を楽しみながら進むと右の高台に「欽明寺」が建っている。階段を昇り、立ち話をしている方と話すと、お寺の改修の 打ち合わせをしていると。その方は、「錦帯橋」の改修の棟梁だった方だった。偉ぶることのない方だ。
畑にフキノトウかと思ったが、違っていた所で、杖代わりの支柱を手に入れ、のどかな道を進むと、右に「周防源氏武田家屋敷跡」の 案内碑があり、右に入ると案内板とその先に屋敷跡が望まれる。説明板が、小川に近く、読んだり、写せなかったが、武田氏はこの地を 長年治めていたと。
少し進むと右に木造のお洒落な建屋があり、かっての那珂小学校分校が今は東部コミュニティーセンターとして、活用されていると。なかなか趣のある 建物が再活用しているのは嬉しいことだ。その先も、気持ちの良い旧街道を進むと左にJR岩徳線の欽明路駅が見える。 昼食場所の「山賊」は国道2号線沿いにあるとのことなので、犬を散歩されている方に尋ねると親切に教えていただき、進んで行くと、坂を上って国道に 向かう。

欽明寺

周防源氏武田家屋敷跡

旧那珂小学校分校 旧街道


国道2号線に向かって坂道を上って行くと、山に幟が立ち並び、山城を思わせる立派な屋敷が迎えてくれる。鯉のぼりがはためき、観光バス・ 乗用車がいっぱい停まっている「山賊」に到着する。屋敷の前には大きな「お雛様」が飾られ、別世界のようだ。
店内には囲炉裏があり、ヤマメが串に刺して焼かれている。Oくんが、広島の友人から「山賊焼き」と「山賊おむすび」がお奨めとのことで、 それぞれ「山賊うどん」等を注文する。ワイルドな串焼きの鶏モモや大きいおにぎりに驚き、ヤマメの背ごしも食べ、その雰囲気も楽しむ。
「欽明路峠」越えの疲れを癒すべく、ゆっくりと昼食を楽しむ。(11:40-12:20)

ドライブイン・山賊

大きなお雛様

山賊焼き&山賊うどん 山賊おにぎり


「山陽道・新岩国〜米川@」の「紀行スライドショー」

野趣溢れる「山賊」での昼食で、体調も回復し、再び旧街道に戻る。踏切を渡り、JR岩徳線を左に見ながら、並行に行き丈六第5踏切 で渡り、線路の右側を進む。国道437号線の広い道を横切り。細くなった道を直進すると右の国道2号線の向こうに石段が続く 「岩隈八幡宮」の参道が見え、「石柱と常夜燈」が立っている。遠そうなのでパスする。
すぐ先を左折して、岩徳線のガードをくぐり、直進する。少し先の二股を右に進むと右に「義民田坂市良右衛門碑」が立っている。 玖珂の悪代官に対し、旧家田坂家の田坂市良右衛門が、悪政を改めるように進言して幽閉されたが、屈せず、村民有志の訴えにより最後は 無罪となり、積年の弊害も取り除かれたと。

旧街道

岩隈八幡宮の参道

義民田坂市良右衛門碑


少し先で右折すると、静かな「玖珂宿」の街並みが続く。「地蔵尊」が祀られる旧街道を進むと右に「祥雲寺」が建ち、その先右の JR玖珂駅に通じる道を横切り、「玖珂宿」の雰囲気を味わいながら寺院が多い道を進む。
右に立派な小楼門と本堂の大屋根がある「明覚寺」に感心し、その横には「恵比須神社」が鎮座する。
その先右の岩国市玖珂総合支所付近が、当時の「代官所跡・御茶屋跡」と云われるが、その面影は残っていない。この辺りに本陣もあった らしいが、それも見当たらない。

玖珂宿の街並み 地蔵尊

明覚寺と恵比須神社 祥雲寺

代官所跡・御茶屋跡


この辺りから寺院が多く点在する。右に「大福寺」を見て進むと立派な「浄光寺」が建ち、その先右に造り酒屋が建っている。 酒屋に入り、O君が探している山口の銘酒「獺祭(だっさい)」がないかと尋ねるが、置いていないと。酒蔵はずっと離れた所だと聞き、 諦める。
すぐ先の名前通り水が全くない水瀬川を渡り、その先にも寺院「萬久寺」が建つ、お寺の多い「玖珂宿」だと思いながら進むと「菅原神社」 が鎮座する。境内には「共同井戸」が残っているのを確認して、風の強くなった境内で、一息入れる。(13:25-13:45)

浄光寺

造り酒屋 萬久寺

菅原神社 共同井戸


風が冷たく感じる旧街道を淡々と進むと大きな「三戸熊太翁の遺徳碑」が立っている。明治時代、村長として地元の発展に寄与されたと。 やがて、旧街道は岩徳線に接近し、並行して進むと、ショッピングセンターや量販電気店等が集まっている。この辺りでも、市街地に量販店が 集まっているのだ。
少し進むと山の中腹に鎮座する「椙杜八幡宮」の鳥居が立ち、参道が続くがパスし、そろそろ「高森宿」に入って行く。静かな街並みを 楽しみながら進むと右に「受光寺」建っている。この寺は、本陣、脇本陣と共に諸大名の宿所に当てられた大寺だと。
すぐ先には、なまこ壁の酒屋が建ち、その先には、立派な門構の「高森宿本陣跡」が建っている。「山陽道」紀行では、史跡が少なく、 「本陣跡」も少ないので、久々の「本陣跡」だった。

椙杜八幡宮

静かな街並み 受光寺

高森本陣跡 なまこ壁の酒屋


少し進むと右の「報明寺」に隣接する駐車場の先を入って行くと「宇野千代文学碑」が立っている。ここ高森の造り酒屋だったお父さんの 実家で育てられたそうだ。横には、根尾の淡墨桜が植えられている。その奥に、崩れかかった長屋が建っている。一部には人が住んでいる ようだが、ほとんどは空き家のようだ。草抜きをしている方に尋ねると昔は酒蔵だったと。
旧街道に戻ると、左に「吉田松陰先生宿泊之地」の石碑が立っている。松陰が元気な時に訪れたのか、江戸に護送される時に宿泊したのかは 分からないが、吉田松陰の史跡はよく残っている。
静かで落ち着いた「高森宿」の街並みを味わいながら進と島田川の堤防に突き当たる。

宇野千代文学碑 崩れかかった長屋

吉田松陰先生宿泊之地の碑

高森宿の街並み


高森天満宮・本殿

島田川の堤防に上ると視界が広がり、山々と川の流れが望まれ、街歩きとは違った光景になる。
堤防から右に曲がる下には「高森天満宮」が鎮座する。
「高森天満宮」 は、遠石八幡宮、防府天満宮と並ぶ周防ノ国三大天神のひとつで、学問の神様・菅原道真公が祀られています。
社殿は1961年(昭和36年)の改築、鳥居は1982年(昭和57年)に建立されました。毎年11月下旬に行われる秋の大祭は大勢の参詣者でに ぎわいます。(岩国の観光HPより)

島田川には、「高森天満宮」の参道となる朱色の橋が架けられ、対岸の信者の参拝を助けているようだ。冬化粧の自然の中に、朱色の 橋は映えている。
堤防を降り、立派な鳥居をくぐって、本殿に参拝する。
案内板には、菅原道真が大宰府に左遷される途中、島田川に面した岸辺に湧き出る泉で喉を潤したという伝説があると。 また、芭蕉句碑や宇野千代が好んでここに参拝したとも記されている。
季節によっては、周防の国の三大天神を巡るツァーもあるそうで、その募集もしている。狭い地域に「天神さん」があるのは、これからも 楽しみだ。
参拝者がいない境内で、一息入れる。(14:45)

島田川

高森天満宮の朱色の橋

高森天満宮・大鳥居


本来の旧街道は、堤防の下の道だと思うが、交通量が多いので、堤防の上の道を進むことにする。
曇り空で、少し冷たいが、桜並木が続く堤防歩きは快適だ。まだ蕾は固いが、満開時はこの辺りの名所だろうと思いながら進む。 昔はこの辺りから、瀬戸内海の光に下る船の発着する、船着場があったそうだが、はっきりとは分からない。川底が浅いので、平底舟だと 思いながら進む。
川が蛇行する辺りから、下の旧街道に降りて進むと「孝行塚」の碑が立っている。案内板には、差川村の旧家三右衛門につかえ、 主家の恩に報いるため一意専心働いて主家の没落を救った六松の顕彰碑だと記されている。
島田川の対岸の徳王山は、江戸時代のろし場があったそうだ。立ち話をしているご婦人2人と出会い、何処へ行くのかと尋ねられ、旧山陽道を 大阪から歩いていると話すと、驚いて、この先に温泉があるから、そこに泊まるのが良いとアドバイスをいただく。地元の方との触れ合いも 楽しい。
島田川に架かる蛍橋の先にある小さい広場から、旧街道は左の草の道に入る。舗装道路から草の道になり、足に優しく感じる。右下に JR米川駅を見て、再び、舗装道路と合流する。

桜並木の島田川堤防

孝行塚 徳王山

草の道


米川駅

岩徳線は1時間に1本しかなく、次の駅まで行くにも時間的に厳しいので、今日はここまでとして、米川駅に戻ることにする。草道から見た 駅まで戻り、今日の紀行はここまでとする。(15:50)
無人駅の米川駅で、40分程待つことになる。片隅でコンロで、お湯を沸かし、温かいお茶を一杯。歩いている時は寒くはないが、止まると寒さが 感じられるが、一息つく。。明日は寒そうだ。
16時38分発の徳山行の列車に乗り、終着駅の徳山まで進む。徳山は工業地帯で、駅に近付くとプラント工場が、海岸線に立ち並んでいる。

「山陽道・新岩国〜米川A」の「紀行スライドショー」

徳山に着き、ホテル・ルートイン徳山駅前にチェックインし、直ぐに大浴場で、疲れを癒す。外気が冷たかったので、風呂は最高だ。
近くの居酒屋で、今日の紀行の反省会を乾杯から始まり、料理を楽しみながら楽しく過ごす。
天気予報では、明日は寒くなり、雪が降るかも知れないので、無理しないで進もうと話し合い、部屋に戻る。 夜中に男子フィギュアが始まるので、それを見るために、目覚ましを設定し、ぐっすりと眠る。今日の歩行歩数は41000歩だった。


[玖波〜新岩国][新岩国〜米川][米川〜周防花岡]







    
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送