[玖波〜新岩国][新岩国〜米川][米川〜周防花岡]


○「山陽道No19」見聞録(玖波〜周防花岡)・(距離 52.7km(今回)/ 502.0km(累計))

  3.米川〜周防花岡・(16.4km) 2014.02.14. 8:40〜15:10 曇り時々晴れ


西国・山陽道全行程.Map

「米川〜周防花岡・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

夜中に目覚め、ソチ・オリンピックの男子フィギュアを観戦する。羽生君が見事な演技で、100点越えでショートプグラムのトップとなる。ミスもなく、 大したものだ。フリーも頑張って、金メダルを期待したい。(フリーはミスがあったが、日本勢唯一の金メダルを獲得したのは、見事だ。生で観戦した ことは嬉しい。)
ウトウトと眠り、5時30分頃に目覚める。天気予報では、寒波襲来で、雪が降ることも考えられ、東京・大阪はもっと降る予想だと。今日の行程を トレースする。米川から先の丸子坂辺りが、迷いそうなので慎重に進まねばと。
朝食が6時45分からなので、7時10分発の列車に乗車するのは無理で、次の7時50分発の列車に乗ることにする。

米川駅

雪景色の山

6時45分から朝食を食べ、ロッカーに預ける荷物を分け、徳山駅に向かう。
外気は冷たく、夜中には時雨があったのか、濡れていて寒い。 昼食用のおにぎり・カップ麺等を購入した後、ロッカーに不要な荷物を預け、身軽な装備で、列車を待つ。
7時50分発の1両の列車で、昨日の米川駅まで進む。途中から、遠くの山々は雪化粧をしている。この辺りを歩くのだと、ルートを見ながら米川駅 に進む。
8時40分、身支度を整え、紀行をスタートする。風が強く、雪は待っていないが寒い。昨日眺めた「徳王山」は、うっすらと雪景色で、昨夜の 寒波の強さを感じる。
駅の前の舗装道路を進み、昨日歩いた草道と合流し、そのまま県道を進む。冷たい風が吹く中、県道を進むと緩やかに左に曲がる差川十字路 となり、県道から離れて真っ直ぐに進む。
細い道を進むと二股になり、右の道上に四体の「観音石仏」が祀られている。道脇の高台に祀られ、「三十番」等の番号が刻まれている。 「西国三十三ケ所」のような観音参りがあるのだろう。四体の「観音石仏」の上に小さな「祠」も祀られている。

差川十字路からの旧街道

四体の観音石仏

観音様の祠


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

この辺りから「丸子坂」になるようで、先達の方も道に迷ったとのことなので、慎重に進むことにする。

丸子坂

二股の右の道に祀られている「観音石仏」とは反対の左の道を下って行く。
畑が広がり、細い舗装道路が続くが、「丸子坂」の入口は分からず、もう一度「観音石仏」まで戻り、冷静に考える。
左の坂を下ると直ぐ小さな川があり、その先右に民家が建っている。
右に入って行く地道があることを発見し、進むと右に「旧山陽道・丸子坂」と記された白い木碑が立っているので、ここだと確信する。
しかし、少し上ると左の地道には、金網が張ってあり、行けないようなので、右の 草の道を進むが、少し先で行き止まりとなり、戻らざるを得なくなる。
元に戻り、金網が張ってある地道に向かうと、金網がジグザグに抜けられるようになっていて、これだと確信して緩やかな地道を上って行く。
地元の方が、旧街道確保のため、木を切り倒したり、地道を整備していただいたのであろう快適な坂道が続き、ずんずんと上って行く。
気持ち良く上ると、やがて、先程の「観音石仏」が祀られていた舗装道路に合流する手前にも「旧山陽道」の道標が立ち、 無事「丸子坂」を踏破する。

丸子坂入口 丸子坂道標

金網のある入口 丸子坂

旧山陽道の道標


難関と云われていた「丸子坂」を上り切り、ホッとして、緩やかな舗装道路の旧街道を上って行く。
左の高台に「さいの神」が祀られている。祠の横には「賽神社」と記されている。この旧街道は「中山峠」への上り道で、緩やかな坂道が 続く。
右に「中山峠御駕籠建場跡」の碑と説明板が立ち、駕籠を止めて休憩した場所だと記されている。
坂道の勾配がきつくなった頂上付近に「周南市」の標識が立ち、岩国市から周南市に入る。その先に「従是東玖珂郡」「従是西熊毛郡」と 刻まれた「郡境碑」が立ち、「中山峠」は下り坂となる。

賽神社 中山峠の上り道

中山峠御駕籠建場跡

郡境碑 周南市の標識


上り坂に比べると勾配がきついように思える下り坂を下って行く。

中山道踏切

宮川米水先生顕彰碑 観音堂

やがて、岩徳線の「中山道踏切」を渡る。中山道の名前は中山峠から 来ているのだろう。踏切を渡って、左折し、JR沿いに進む。
道なりに進むと、右に「宮川米水先生顕彰碑」が立っている。文字が読めないが、教育者だったようだ。その上の高台に「観音堂」が祀ら れている。
小さな川に突き当たる所に「高水村塾之址」等の碑が立っている。
川沿いに進むと右の高台に「正覚寺」が建ち、入口には「芭蕉句碑」も立ち、石段を上ると見事な鐘楼門が迎えてくれる。
境内からは真っ直ぐに続く「今市宿」の街並みが望め、清々しい気分で一息入れる。風が冷たい。(9:50-10:00)

高水村塾之址の碑

正覚寺の鐘楼門 芭蕉句碑

今市宿を望む


「正覚寺」の前の川を渡り、静かな「今市宿」の街並みを味わいながら進む。素敵な街並みが残っているのは嬉しい。旧街道を進むと右に 「道標」が立っている。「北 米川川越桑根村約四丁上り西八代中須村道」と刻まれている。
緩やかな上り坂になり、左の酒屋さんの店先に見事な花が咲いているので、立ち寄って聞くと「金のなる木」だと。銘酒「獺祭」があるかと 聞くが置いていないと。
その先に「第八十八ケ所・観音像」が祀られているのを見て、跨線橋で岩徳線を越える

今市宿の街並み

道標

第八十八ケ所・観音像 跨線橋


JR高水駅に通じる道路を横切り、緩やかな坂道を下る街並みは、落ち着いて趣がある。その先、右に「橿原神社」が鎮座する。 この辺りから「呼坂宿」となっているようだ。
少し進むと左に立派な屋敷が建ち、「本陣跡」の案内板が立っている。案内板には、南北朝時代の旅日記には現在の呼坂の地名が 「海老坂」と記されており、この呼坂本陣の河内家は、江戸時代に代々庄屋を勤め、天明年間(1781)七左衛門が本陣を引き受け、参勤交代の 大名等が宿泊していたと。
小さな川を渡った右に「寺嶋忠三郎松蔭訣別地」の碑が立っている。吉田松陰が江戸に護送される時の別れの場所だと。

呼坂宿の街並み 橿原神社

呼坂宿本陣跡

寺嶋忠三郎松蔭訣別地の碑


道なりに進むと右に「西善寺」の参道と鐘楼門が見え、その先の三叉路は真ん中の細い道を進む。
緩やかな上り坂は「古市坂」と云われ、坂の途中には「地蔵堂」「地蔵尊」が祀られている。坂道は、直角に右に曲がると勾配がきつくなり、難所だった ようだ。やがて、「古市坂」は下りになり、国道2号線に突き当たる。その手前に左に通じる細い道が、旧街道だ。

西善寺

古市坂 地蔵尊

国道の手前を左へ



「山陽道・米川〜周防花岡@」の「紀行スライドショー」

国道沿いの細い道を上って行く。先程の「古市坂」とこの坂道を上る丘の下をJR岩徳線が走っているのだ。やがて、下り坂になり、右に トンネル抜けた岩徳線を下に見ながら進む。旧街道を感じる道だ。
坂を下り、道なりに進むと広い道が通じており、その下のトンネルを抜け、広い道を右折すると岩徳線の「大江踏切」を渡り、線路に沿って 左折して進むと国道2号線に合流する。
少しの間、国道歩きとなり、勝間歩道橋から左に入って行く。しばらく進んだ交叉点の右奥に「熊毛神社」の参道が見えるが、パスして 左側の高台を走るJR勝間駅でトイレ休憩とし、一息入れる。(11:00-11:10)

国道沿いの細い道

県道のトンネル

国道歩き


JR勝間駅から旧街道に戻り、道なりに進むとやがて国道2号線に合流し、再び国道歩きとなる。

遠見交叉点から右へ

地道の旧街道 竹藪で行けず

歩道が広いので、安心だが、トラックが通ると冷たい風が直撃し寒い。国道は、跨線橋で岩徳線を越え、JRを右に見ながら進む。
遠見交叉点の先から右に入る細い道が旧街道だ。
少しの間舗装道路があるが、直ぐに地道の気持ち良い木立の道となる。しかし、その道は 竹藪に続くが、竹が折れて道を塞ぎ、通行出来そうにないので、左の畦道を通って国道2号線に合流する。
国道は直ぐに岩徳線の高架下を抜け、再び、国道歩きとなる。旧街道が消滅しているので、単調な国道歩きが長く続く。空気も冷たく 疲れが増してくるのは、止むを得ないか。
山陽自動車道の高架下を抜けた所に西国三十三番の「観音像」を祀る祠が建ち、更に進む。
「峠」のバス停のベンチで一息入れ、その横の道路標識を見ると「峠」ではなく「垰(TAWA)」とローマ字表記されている。峠と思い込んでしまって いるのに、苦笑する。(11:50-11:55)
少し先の交叉点の左に「郡境碑」が立っている。「東周防國熊毛郡、西周防國都濃郡」と刻まれている。「中山峠」以来の「郡境碑」だ。
国道から左の道に入って、道なりに進むと「恵比寿社」が祀られている。冷たい風に悩まされながら、更に進むとJR周防久保駅が見え、 食事処もないので、駅の待合室で昼食にする。 建物の陰で湯を沸かし、カップ麺の温かいスープで、身体を温めながら、昼食を食べ、一息二息入れる。(12:20-13:00)

西国三十三番観音像

郡境碑

恵比寿社


JR久保駅から旧街道に戻り、道なりに県道を進むと、岩徳線のガードわくぐり、切山交叉点の先から、左の細い道に入って行く。 小さな川を渡ると静かな街並みが続く「久保市宿」となる。
宿場の街並みを進むと久保市橋の手前左に社が祀られている。立ち寄ると「由加社」が鎮座し、案内板には、倉敷市の「由加本社」から 熊毛郡呼坂に勧請していたのを、久保市に大火があった時にここに勧請して防火の神としたと。
かわを渡り、立派な家が立ち並ぶ「久保市宿」の街並みを進む。二股になった角に「恵比寿社」が鎮座するのを確認して、右の緩やかな 坂を上って行く。

切山交叉点の先、左へ 静かな街並み

由加社

久保市宿の街並み 恵比寿社


緩やかな坂道の途中には「大師堂」が祀られ、その先左には「西蓮寺」が建っている。その先の立派なお屋敷も建つ坂道を上る。
自然が感じられる坂道に「高良社」の鳥居が見えるが、本殿までは遠そうなのでパスして進む。その先には、またも「大師堂」が 祀られている。坂道を上り切ると右に大きな「石の燈籠と恵比寿社」が祀られている。

西蓮寺 緩やかな坂道

立派なお屋敷

高良社の鳥居 石の燈籠と恵比寿社


県道を下に見て、自然豊かな旧街道を進む。左に山肌を感じる峠道は「塩売峠(しおりがたお)」と云われるらしい。名前から見て、 昔は海がこの辺りまで来ていたのだろうと。
峠道には、小さな「地蔵尊」も祀られ、旧街道の趣を感じながら進むと、少しの間、国道2号線に合流する。道路標識に421.6kmと 記されている。大阪・梅田新道から420kmの距離だ。良く歩いて来たものだ。
国道から左の細い道に入り、左の山際の道を進む。木立も茂り、気持ち良い道だが、外気は冷たい。右にラブホテルが立ち並ぶ所を過ぎると 下り坂になり、国道に近付く所に「石燈籠」が立っている。
生野屋の交叉点で、国道2号線を渡り、新幹線の高架を抜ける。3日間の歩行で、疲れが蓄積してきたので、岩徳線の生野屋駅で一息入れる。 (14:10-14:20)

地蔵尊

塩売峠の道

石燈籠 生野屋駅


岩徳線の踏切を渡って左折して進む。道なりに進むと、右に立派な鐘楼門の「教應寺」が建っている。

教應寺

花岡宿の街並み

花岡上市に入ると「花岡宿」の街並みが続き、「祠」が祀られ、蔵造りの旧家も建ち、趣きがある。
なかなか風情がある街並みだ。
更に進むと右に「花岡ふるさと花だん」の広場があり、中に入って行くと「花岡勘場跡碑」の大きな自然石の碑が立っている。案内板には、 「勘場」とは、萩藩代官の役所だと。また、隣接して「花岡宿本陣」も建っていたそうだ。この辺りが、「花岡宿」の中心であったの だろう。
また、「春雨桜」の石碑が立ち、案内板には、幕末の藩主毛利敬親公が萩を出発して江戸に向かう途中、花岡で病気静養した時、 この桜が心を慰めたと。敬親公の雅号・春雨から「春雨桜」と呼ばれたと。
横には、「大砲二門」が置かれている。長州戦争時に使用されたものだろうか。

花岡ふるさと花だんの広場

花岡勘場跡碑 案内板

春雨桜と大砲二門


街並みを楽しみながら進むと右に「法静寺」が建ち、境内の奥に行くと左に鎮座する「花岡福徳稲荷大明神」に続いている。 11月3日には狐の嫁入り行列で賑わうのだと。住職が白狐夫婦の死をねんごろに葬ったのを感謝して、火難、盗難を避け、出世の功徳を授ける とのことで、信者が多いそうだ。
少し先右に「金分銅醸造元」の立派な看板を掛けた酒屋が建ち、その横奥に「花岡八幡宮」が鎮座するが、疲れもピークになって来たので、 パスして、JR周防花岡駅に向かう。

花岡福徳稲荷大明神 法静寺

金分銅醸造元 街並み

花岡八幡宮


今回の計画では、徳山まで進む予定であったが、3日間の歩行で疲れも激しいので、本日の歩行はJR周防花岡駅までとして、駅に向かい、 一息入れる。(15:05)

JR周防花岡駅

この時間帯では、2時間に1本の列車しかないので、約50分待たねばならず、バス会社に電話し、近くのバス停と時刻を尋ねるとその方が 早そうなので、7-8分歩いて、国道2号線の花岡バス停に向かう。
バスに乗り、徳山駅に向かう。駅で預けていた荷物を取り出し、開店している居酒屋を探し、3日間の「山陽道」紀行のご苦労さんと 反省会をする。
ビールで乾杯し、寒い中を歩いた厳しさと思ったより旧街道が残っていたこと、大きく道を間違えなかったこと等、楽しく話しながら 夕食も食べる。

「山陽道・米川〜周防花岡A」の「紀行スライドショー」

O君とSさんは新幹線で帰るので、徳山駅で別れ、各駅停車で広島に向かう。岩国で乗り換え、疲れと酔いでぐっすりと眠り、広島に 到着する。
その後、深夜バスの出発時刻まで、時間を潰し、22時発のバスで大阪に向かう。
深夜バスは順調に進み、5時過ぎに大阪駅に到着し、店が開いていないので、そのまま帰宅する。まだ始発バスもないので、高槻駅から歩いて 6時30分頃帰宅し、風呂で身体を温める。
3日目の歩行歩数は33900歩だった。

「山陽道」紀行、初めての2泊3日の歩行だった。寒波襲来で、東京・大阪は雪も積もったそうだが、山陽路は小雪がちらつく程度だったが、 空気は冷たく、疲労度は増した。
広島県から山口県に入り、ゴールも間近になって来た感がする。峠越えも多く、道に迷う恐れが多かったが、大きなミスもなく、徳山の手前 まで進むことが出来たのは、大成功だ。今年中には、ゴール下関まで進みたいものだ。

3/7、今回参加出来なかったN君が、その後、単独で歩行したとのことで、大阪城の観梅を兼ね、反省会を行った。
天満の居酒屋で、行程の間違った場所の検証と今後の進め方を検討し、今年中には踏破しようと!!


[玖波〜新岩国][新岩国〜米川])、[米川〜周防花岡]


(工事中)




    
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