[嘉川〜厚狭(逢坂)][厚狭(逢坂)〜小月(清末)][小月(清末)〜下関]


○「山陽道No21」見聞録(嘉川〜下関)・(距離 59.0km(今回)/ 621.9km(累計))

  2.厚狭(逢坂)〜小月(清末)・(21.9km) 2014.11.24. 8:25〜16:15 晴れ後曇り後小雨


西国・山陽道全行程.Map

「厚狭(逢坂)〜小月(清末)・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

ぐっすり眠り、6時過ぎ目覚める。天気も良さそうで、歩行には問題ない。7時からの朝食の前に、ホテル周辺を散策し、厚狭駅前のバス停で、出発 時刻を確認する。

寝太郎像

駅前には、郷土の偉人として敬われる「寝太郎像」が立っている。寝太郎は、大内氏の時代に大きな堰を造り、厚狭川の流れを引いて田園を 開拓したそうだ。また、寝ながら考え、新しい草鞋を佐渡金山に持って行き、古い草鞋と交換し、古い草鞋に付いた砂金を持ち帰ったとのことから 寝太郎と云われたとか。

厚狭ステーションホテル

厚狭駅

7時から朝食をしっかりと食べ、今日の歩行に備える。
荷物をまとめ、駅前のバス停に向かい、親戚宅に泊まったN君と落ち合い、 8時15分発のバスで、昨日の終了地点・逢坂バス停に向かう。乗客は我々だけで、これから歩く行程を確認しながら進む。
8時25分、本日の歩行をスタートする。昨日、間違った道から戻る途中に、正しい旧街道を見付けていたので、早速、正規ルートに向かう。ラーメン屋の手前 から入ったのが間違いで、ラーメン屋の先から旧街道が続いているのだ。
旧街道の入口には、案内板が立ち「千林尼の石畳路・山陽街道」と記されている。緩やかな坂道を上って行くと舗装道路の一部に 石畳が残っている。これが「千林尼の石畳路」なのだろうと思い、坂道を上ると右の丘に「逢坂観音堂」が祀られている。中をのぞくが、観音像を 見ることはできなかった。観音堂の前には「お地蔵様」や石碑が祀られている。

旧街道の入口

千林尼の石畳路

逢坂観音堂 お地蔵様


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

「逢坂観音堂」の先に進むと山林が広がっているが、道が整備されており、朝露に濡れた地道を進む。以前は、通じていなかったようだが、 地元の方が開拓されたのだろう。有難いことだ。
草の茂った道を進み、朝日に輝く紅葉を眺めながら、坂道を下ると県道225号線に当たる。R225は、以前は国道2号線で厚狭に通じていたが、少し 手前の逢坂信号からバスパスができ、県道の交通量は激減したそうだ。県道を上って行くと「西見峠・標高57m」の標識があり、西見峠を越えた ことを確認する。交通量が少ないのは有難い。

開拓された旧街道

紅葉も

西見峠


「西見峠」の県道を少し下った左に、小さな「左旧山陽道」と記された道標が立っている。小さな道標なので、見落とす所だったが、 県道を左に入って行くと静かな旧街道続いている。
木立の坂道では、小鳥のさえずりも聞こえ、気持ち良く下ると右に池があり、渡り鳥が群れをなしている。
PDK株式会社に当たり、右に下って行くと「庚申塚」が祀られている。この辺りは、石に深く「庚申」と刻んだ塚が多く見られる。その先、右に 「鴨神社」の鳥居が立ち、参道が続いている。

左に入る旧街道

静かな坂道

庚申塚 鴨神社の鳥居


県道を渡り進むと右に立派な「祐念寺」が建っているが、本堂が改修中だ。厚狭に奥さんの実家があるN君は、この辺りに詳しく、「祐念寺」との 逸話を聞いたりしながら一息入れる。(9:05)
「厚狭宿」の古い街並みを楽しみながら、厚狭川を仮橋で渡る。N君の話では、何年か前、厚狭川が氾濫して洪水になったそうで、その改修中 だと。
鴨橋を渡った辺りに「道標」があるそうなので、探すが、周辺の家が立ち退きになっており分からない。地元の方が、何を探しているのかと 尋ねられ、理由を話すと近くの「厚狭天満宮」の境内にあるはずだと一緒に探していただくが分からない。お礼を云って別れる。
厚狭川沿いに進むと前に山陽新幹線・山陽本線の高架が見える。N君が、新幹線が通る前は、線路の向こう側に渡る踏切があったとのことで、 小道を右に入り、踏切後に行く。太陽光発電の広場があり、踏切が無くなっている。元の川沿いの道に戻り、高架下を抜け、道なりに進み右折 すると先程の踏切後に出る。そこからは一直線の道が続き、右には厚狭駅が見られる。歩き始めてから約1時間で、厚狭駅に戻ったのだ。 (9:30)

祐念寺

厚狭宿の古い街並み

厚狭天満宮 厚狭駅


土地区画整理事業で拡幅された一直線の道を進む。N君の話では、この辺りは炭坑があったそうで、その跡地が広々と広がっている。とても 旧街道とは云えない道を進む。
桜川を渡ると旧街道は細くなり、更に大正川を渡ると静かな里の道となり、やがて緩やかに上って行く。その先の二股は左に進むと木立のみちと なり、民家の庭に植わった柿の木には、柿色の実が鈴なりになっている。のどかな旧街道を楽しみながら進む。
左の高台に祠が祀られているのを見て歩むと左に「地蔵堂」が祀られている。

一直線の道

静かな里の道 柿の木

地蔵堂


道なりに進むと二股の角に「道標」が立っている。「右吉田道・左はぶ道」と刻まれている。右の吉田道の方に進むと広い道と交わり、右の広場に 「幸神」と刻まれた碑が祀られている。「庚申」と違って「幸神」なのは何故か分からない。
前方に里山があるので、その方向に進むと石段があり、里山に沿って左に廻って行くと「山野井八幡宮」の正面の鳥居に出て、長い石段を上り、 本殿に参拝し、境内で一息入れる。(10:25-10:30)

右吉田道・左はぶ道の道標

幸神の碑

山野井八幡宮


「山陽道・厚狭(逢坂)〜小月(清末)@」の「紀行スライドショー」

一息入れて、「山野井八幡宮」の石段を降り、右に田中商店が建つ所から、県道225号線を横切り、坂道を上って行く。
小さな集落を抜けると林の中の気持ち良い道になり、左に小さな祠が祀られている。この辺りに、駕籠立場があったそうだ。なかなか雰囲気の ある所だ。森の道を少し進むと、左に「猿田彦大神」の碑が祀られている。

田舎道 山野井八幡宮の石段

林の中の小さな祠

猿田彦大神の碑


林の中の道は、やがて広い道と合流し、山陽本線を右に見ながら進む。この辺りの旧街道は、山陽本線によって分断されているが、先達が 歩いた道を探しながら進むことにする。
JR沿いの道は、鉄道を見下ろすように連なっている所から、二股を線路方向に降りて、踏切を渡り、今度は線路を左に見て進み、高架橋で 再び鉄道を渡ると先程の道と合流する。
線路を右に見て、左の山裾を縫うように進むと山陽本線はトンネルに入る入口の上を交差するように右に曲がり、山道に入り、坂を上って行く。
ここで、珍しい光景と出会う。軽トラックが停まっており、猟銃を持った猟師さんが辺りを見回している。猪捕りだ。猟師の方と話すと、今日は 獲物に当たらなかったと。道なりに上って行くと数台の軽トラが集まり、猟犬も数匹いる。集団で猟をされているようだが、不猟だったのだろう 解散されて、我々を追い抜いて帰って行かれた。

山陽本線を右に

トンネルの上の道

猪捕りの猟師さん


山道を猪捕りの話をしながら、猟師さんが進まれた方向に行くが、これが間違いで、左に向かう道に進み、山陽本線のトンネルの上を越えて、線路の 左に出なくてはならないのを、右の道を進んでしまったのだ。
平地に下りて、右に「福田八幡宮」が見えた所で気付いた。神社の前に踏切があり、本来ならこの踏切を渡って、神社の前に出るのだ。 間違ったことを認識し、そのまま進むことにする。
少し進むと広い道にぶつかり、その右角に「右吉田・左埴生道」と記された「道標」が立っている。左角には「小さな祠」が祀られている。 右・吉田道に従って右に曲がり、少し進むと「旧山陽道・左吉田へ」の道標が立っている。
いよいよ、今回の紀行で最大の難所である「蓮台寺坂」への入口だ。
何処が入り口か分からないのではないかと不安だったが、道標があるので 問題ないと一安心する。

福田八幡宮

旧山陽道・左吉田への道標 小さな祠

蓮台寺坂への入口


いよいよ難所「蓮台寺坂」に入って行く。先達の話では、「ぬかるみ道」もあるとのことなので、以前歩いた「松子山峠」の経験から、足元を覆う ビニール袋も用意してきた。行程がはっきりしないので、国土地理院の地図を拡大し準備してきた。しかし、細い道が入り組んでいて、正確な ルートが判別できないので、慎重に進まねばならない。
数軒の民家の間の道を進むと畑が広がる。用水沿いに直進し。棚田(?)の土手にぶつかり左折し、道なりに右折して坂道を上って行く。しばらく 上ると直進と左への道があり、左を選択すると林の中に入り、抜けた所から右に進むと眼下に畑が広がる。右に「お地蔵様」が祀られているので、 旧街道に違いないと思うが、まだ確信できない。少し進んだ右に用水槽が水を湛えている。国土地図院の地図にも用水槽が記されているので。 間違いないだろうと。この下辺りを、山陽新幹線が走っているのだ。

民家を抜けて

左折して林の中へ

お地蔵様 用水槽


しっかりとした道が続くので、間違っていないと思いながら、まだ半信半疑の状態で進むと右の山から水が流れ落ち、湿地になっている。 これが「ぬかるみ道」だと。道は間違っていないが、ぬかるみを越えねばならない。
しかし、地元の方か誰かが、木切れや石を置いてくれており、ビニール袋を付けなくても渡れるようになっている。感謝だ。10m余りの 「ぬかるみ道」を無事渡り切ることができた。
しっかりした道はやがて草の生い茂った道になる。前方に高圧線の鉄塔が見えるので、地図上では、あの鉄塔方向に向かうのだと考え、道が 無くなりそうなブッシュを分けて進むと、しっかりとした道になり、やがて、鉄塔の下に出た。道なりに進むと右から交わる右角に 「顕彰碑と庚申塚」が立っている。

ぬかるみ道

草の茂った道 鉄塔

顕彰碑と庚申塚


もう直ぐ「蓮台寺坂」の頂だと歩を進める。切通しの道を上り切ると下り坂となるので、ここが「蓮台寺坂」の頂上だと安堵する。下って行くと 廃屋が建ち、その先は林道が続く。
少し下った右に「蓮台寺」の道標が立っている。この階段を上れば、お寺に行けるが、ここで一息入れることにする。もっと難航するかとも 思ったが、間違うことなく「蓮台寺坂」を踏破したのだ。水を飲み、お菓子を食べながら懇談する。(12:00-12:10)

蓮台寺坂の頂

下りの林道

蓮台寺の入口


12時も過ぎ、本日の昼食はこの先の「東行庵」でする予定なので「蓮台寺」への参拝は遠慮することにし、坂道を下って行く。林道なので 快調に歩が進む。
林道は広い舗装道路に当たり、下ると山陽自動車道の高架下を抜けると眼下に「吉田宿」が広がっている。
道なりに進むと右に「庚申塚と猿田彦大神碑」が祀られている。更に進むと道に突き当たり、右角に「古い道標と新しい道標」が並んで 立っている。古い道標には「右上方道・左萩道」と刻まれ、新しい道標には「吉田旧街道」と、側面に 「旧山陽道の街道筋で宿場町として栄えた」と記されている。
突き当たりの正面には「蛭子神社」が鎮座し、高札場の案内板が立っている。

蓮台寺坂の下り坂

庚申塚と猿田彦大神碑

古い道標と新しい道標 蛭子神社


「蛭子神社」の前から「吉田宿」の落ち着いた街並みが続く。

吉田宿の街並み

奇兵隊史跡・末富家

少し先の左奥には「長慶寺」が建っている。三好長慶が松永久秀との戦いに敗れ、 子供の信之が父の死後吉田に辿り着き、寺を再興したと。
その先、左の家に案内板が掲げられており、「奇兵隊史跡・末富家」と記されている。 幕末の奇兵隊の本営として定められ、以降末富家は物心両面で 奇兵隊を支えたと。病没した高杉晋作の葬儀も末松家から出て、山県有朋も一時期当家に下宿していたそうだ。
「吉田宿」は高杉晋作と所縁の深い宿場だと認識し、街並みを楽しみながら進む。
少し進むと広い道との交叉点になり、左手前角に三界萬霊の「大きな地蔵尊と小さな地蔵尊」が祀られている。その前には「吉田旧街道」の 「道標」が立ち、「吉田宿」の入口を表している。
「お地蔵様」の横には「一里塚跡」の碑が立ち、赤間関まで5里と記されている。後20kmだと、感慨も新たにする。
「一里塚跡」から旧街道を 離れて、左折して広い道を高杉晋作を祀る「東行庵」に向かう。
勤労感謝の日の祭日なので、山口県では紅葉狩りで有名な「東行庵」は観光客が多く、駐車場は満杯の状態で、駐車場前の食事処も列をなしている。一軒の店に入り、昼食 とする。売り切れのメニューが多く、山菜うどんと名物の晋作餅を頼み一息入れる。(13:00-13:25)

大きな地蔵尊と小さな地蔵尊

一里塚跡

晋作餅 山菜うどん


「山陽道・厚狭(逢坂)〜小月(清末)A」の「紀行スライドショー」

昼食を食べ、観光客の波と一緒に「東行(とうぎょう)庵」に向かう。
丁度、見頃の紅葉の並木道を上って行く。なかなか見事な紅葉で、山口の紅葉も捨てたものではないと再認識する。

東行庵入口

人並みと紅葉

輝く紅葉


高杉晋作の像

観光客も美しい紅葉並木に歓声をあげ、写真を写している。紅葉を愛でながら、「高杉晋作の墓」方向に向かう。
高杉晋作(号「東行」)の愛人おうのは、晋作の死後、尼となって(谷梅処(たにばいしょ)と改名)、その墓を守り菩提をとむらうように なりました。
はじめは山県有朋が住んでいた吉田の無隣庵(むりんあん)を僧堂にあてていましたが、明治17年に山形有朋・伊藤博文・井上馨らの寄付に よって、無隣庵の隣接地に、現在の東行庵が建立されました。
早春は梅、初夏は菖蒲、秋は紅葉の名所として知られています。(しものせき観光HPより)


高杉晋作の墓

おうのの墓















吉田宰判勘場跡と御茶屋跡

紅葉を楽しみながら、坂を下り「東行庵」から元の十字路に戻ろうとすると「吉田宰判勘場跡と御茶屋跡」の案内矢印があるので、右に入って 行く。
慶安3年(1650)防長2国は18の行政区画に分けられ宰判(さいばん)が置かれていました。また宰判を代表して司る者を代官といい、 出張する役所を勘場といいました。
吉田宰判の管轄区域は厚狭村、埴生村をはじめ12村で、勘場として使用された建物や土塀が今もなお当時の名残をとどめています。
御茶屋は勘場に隣接していて、参勤交代時代の大名の宿泊所でした。幕末には、いずれも奇兵隊 の屯所として使われ、隊ではここの隊士を 「勘場詰め」「御茶屋詰め」と呼んでいました。(しものせき観光HPより)

崩れた土塀だけしか残っていないが、史跡が残っているのが少ない「旧山陽道」の宿場としては貴重な史跡だ。
明治維新のひとつの起点としても「吉田宿」の立ち位置が分かり、「東行庵」共々、貴重な史跡だった。
「一里塚跡」のある十字路に戻り、左折して舗装道路の旧街道を進む。小川橋を渡り道なりに進むと国道33号線に合流し、吉田大橋を渡って 歩道が完備された木屋川右岸を進む。
全般的に、山口県の道路は整備され、歩道も広いのは、有力政治家が多いからだろうかと話す。
気持ち良く国道の広い歩道を歩む。道路標識に「小月4km・下関22km」と記されている。いよいよ、明日は踏破達成だと快調に進む。
前方に新幹線が見える右に「地蔵堂」が祀られ、右に斜め上る道が旧街道で上って行く。左に木屋川を見下ろし、地道を進むと右の山裾に 小さな石地蔵が祀られている。やがて下り坂になり、新幹線の手前で国道に合流し、高架下を抜けて進む。

木屋川

地蔵堂

地道の旧街道 石地蔵


川沿いの道を進むと右に坂を上って行く道が旧街道なので、右折すると「本照寺」の立派な門を眺め、道なりに進む。小高くなった舗装道路の 左には池があり、その先には小月小学校が建ち、角には「旧国道」の道標が立っている。横には、江戸時代からの街道云々と書かれている のだから「旧街道」と記せば良いのにと話すが、後に国道となったようだ。
その先の十字路を右折すると「小月神社」の鳥居が迎えてくれ、左に曲がり、広い県道を越え小月川の手前右に小月神社の御旅所に大きな 「庚申塚」が立っている。案内板によると「庚申塚」は日本一と云うべき巨大な塚で、深く刻まれた「庚申」という文字のくぼみに米粒を 入れると2斗が入るそうだ。
今日の宿泊所は、小月駅からバスに乗って行く菊川温泉なので、バスの時刻を考慮して、ここで休憩することにし、コーヒーを沸かして一息入れる。 (15:05-15:25)

本照寺 旧国道の道標

小月神社

日本一の庚申塚


一息入れ、本日のゴール地点を目指して歩き始める。小月川を渡り、直進すると県道に当たり、左折すると「一里塚跡」の案内石碑が立っている。 県道を進むと「本町通り」の石碑が立ち、旧街道であることが記されている。
その先の道角には古い道標と案内石碑が立っている。道標には「右かみがた道・左とよた道」と刻まれ、案内石碑には、小月が 「山陽道の半宿場」であったと。この角を右折して、旧街道は西に向かう。
右折した所には「見廻り通り」の石碑が立っている。石碑の横には、山陽道の一部である下市は宿場街、茶屋町は歓楽街で、 武士が庶民の暮らしや治安を見て廻ったと記されている。
「小月半宿」の雰囲気が残る旧街道を進むと右に「清浄山観音寺・小月観音参道」の石碑が立ち、参道の階段が上っている。

一里塚跡 本町通り

古い道標と案内石碑 見廻り通り

小月半宿の街並み 小月観音参道の石碑


JR小月駅に通じる道になり、如何にするか考える。バスの時刻まで、まだ小一時間あるので、明日の行程に余裕を持たすため、先に進むこと にする。
「小月半宿」の旧街道の歩道は、オレンジ色にカラー塗装されているので、間違うことなく進み易いのは嬉しい。街並みを楽しみながら進むと右に 「孝行塚・孝女政碑」が祀られている。碑は漢文で記されているが、案内板によると「政は幼少の時に父を亡くし、母だけと暮らしていた。 非常に孝行で、結婚してからも母と夫にもよく仕え46歳で病死する。生前の政の行動を称え、募金してこの碑を建てた」そうだ。
その先の二股は、カラー歩道に従い左に進むと、左に先程の「孝女政宅跡」の碑が立ち、更に進むと右に「清末八幡宮」の鳥居が 立っている。
そろそろ、次のバスの時刻になるので、近くのバス停を探し、清末バス停に着き、バスを待つ。(16:15)
下関発のバスが10分余り遅れ、小月駅経由で菊川温泉方面に進む。今日の宿舎「サングリーン菊川」は素泊りなので、手前の「道の駅・菊川」で 夕食とする。ビールで乾杯し、名物の「かも鍋」で美味しくいただく。安くて美味しかった。

孝行塚・孝女政碑 孝女政宅跡

清末八幡宮の鳥居

かも鍋


「山陽道・厚狭(逢坂)〜小月(清末)B」の「紀行スライドショー」

道の駅から約10分、小雨が降り出し、ホテルまで真っ暗の中歩いて行く。「サングリーン菊川」にチェックインし、直ぐに温泉で身体を癒す。やはり、 大浴場で身体を伸ばすのは気持ち良い。
風呂上りには、一部屋に集まり、持参したNHK連続小説で有名になったウイスキーや芋焼酎で大反省会を催す。今日の反省、明日の予定を語り合い お開きとなる。(19:00-21:00)
今日歩行歩数は41600歩だった。難所の「蓮台寺峠」も迷うことなく踏破し、「東行庵」では見事な紅葉狩りもできたことは満足だ。 明日は、バスで清末まで戻り、最終地点・下関まで進み、「旧山陽道」踏破を達成し、「ふぐ料理」で祝杯をあげることを夢見ながら、 ぐっすりと眠る。


[嘉川〜厚狭(逢坂)][厚狭(逢坂)〜小月(清末)][小月(清末)〜下関]







    
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