「青春18きっぷ・中山道懐古の旅@」



今年の夏は暑い。各地で猛暑日が続き、クーラーなしでは生活ができない感じだ。それに加え、コロナ禍の拡大が続き、全国的には20万人超えが続き、 大阪も連日増加している。
大阪府知事から、高齢者の不要不急の外出自粛要請もあり、悶々としていたが、4年振りに「青春18きっぷ」を購入した。 その使用用途はたくさんあるが、 今回は「中山道・懐古の旅」と銘打って「旧街道・日本縦断」踏破記念に、その行程を想い出すことにする。
出来るだけ忠実に「中山道」の行程をJR路線で辿ることにし、14年前とどの様に変わったのか、記憶が残っているのか・・・・を確かめたい。

○ 2022.08.02. (高槻⇒京都⇒米原⇒岐阜⇒美濃太田⇒多治見⇒中津川→馬籠宿→妻籠宿→南木曽⇒中津川⇒ 金山⇒大垣⇒米原⇒高槻)

始発乗車のため、4時20分前に家を出て、高槻駅に向かう。「熊野古道」から始まった古道・旧街道歩きは「青春18きっぷ」を用いて、何時も始発電車に 乗っていたので、久し振りの始発乗車なのだ。まだ日の出には早いが、薄明るい中を高槻駅に向かう。

@高槻(4:58)⇒京都(5:19・5:30)⇒米原(6:38・6:46)⇒岐阜(7:35)

平日の始発なので高槻駅は閑散としており「18キッパー」らしき姿も見られない。やはり、コロナの影響かと。京都に行くまでの間に日の出があり、 久し振りの始発出発に胸が躍る。

弥次喜多像

京都で乗り換え「中山道」スタート時の三条大橋の「弥次喜多像」を想い出す。その時は、夢にも思わなかった 「旧街道・日本縦断」のスタート地点だ。
列車は逢坂山トンネルを抜けて「大津宿」に向かう。「義仲寺」には、木曽義仲の墓があり、巴御前の供養塔も祀られている。松尾芭蕉の墓が 義仲かの墓と背中合わせに祀られているのには驚いた。
瀬田川を「瀬田の唐橋」で渡り、草津に向かい、「草津宿」の「追分道標」で「東海道」と分かれて左の「中山道」に進んだのだ。
「近江路」の田園風景の中を進み「守山宿」の「源義経元服池」を観て、「奥州街道」の源義経関連史跡のスタートを改めて認識する。
近江鉄道沿いの「武佐宿」「五箇宿」と近江商人発祥の地を進み、近江平野の「愛知川宿」「高宮宿」「鳥居本宿」「番場宿」と JRと離れた街道を進むと米原を過ぎ「醒井宿」でJRと合流する。
この地蔵川の「梅花藻」は有名で、その清流に癒されたことを想い出す。街道歩きの至福の時だった。

義仲寺

追分道標

梅花藻


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

再びJR沿いの旧街道を進むと次の「柏原宿」は薬草の商いで栄えたそうで、次の「今須宿」との間にある「寝物語の里」の先には、「近江の国・蓑の国の国境」 の碑が立ち、近江の国から美濃の国に入って行く。
「関ヶ原宿」には、壬申の乱翌年に天武天皇によって建てられた「不破の関跡」や「関ケ原の戦い跡」の東軍・西軍の歴史史跡を観て進む。
次の「垂井宿」には数多くの史跡が残り、「垂井一里塚」は「中山道」の中で国の史跡に指定されている一つで、あと一つは板橋の「志村一里塚」だけだと。 大きな欅の下から湧き出る「垂井の清水」見事で、一息入れたのを想い出す。

近江の国と美濃の国の国境

不破の関跡

垂井の清水


「中山道」は少し北に進み、大垣からの美濃赤坂線の赤坂に向かっている。大垣からの二駅の盲腸路線だが、この線に乗るのはパスして岐阜に向かう。
「赤坂宿」には、皇女和宮のご降嫁の史跡が残っているのだ。余り知らなかった皇女和宮を知ることができた。また、赤坂は近くの金生山で産出された大理石等の 運搬のため 開けた「赤坂港」があり、河港の発展を示すように、立派な「川燈台」や洋館の建屋が建っている。
長良川を渡り、岐阜の「加納宿」に向かう。ここで、街道から離れた所に渡し船があることを知り、少し遠回りをして「小紅の渡し」で長良川を渡り、 岐阜市内に向かう。

皇女和宮・お茶屋屋敷

赤坂港の川燈台・洋館

長良川・小紅の渡し


A岐阜(7:41)⇒美濃太田(8:36・8:40)⇒多治見(9:10・9:27)⇒中津川(10:10)

「中山道」は岐阜から東海道本線から離れて、高山線に沿って進むことになる。高山線の列車もなかなか立派な二人掛けのシートでゆっくりと車窓を 楽しみながら美濃太田に向かう。乗客は少なく涼しい車内は快適だ。
「美濃路」を東に進んで行く。平坦な「加納宿」の古い街並みを見ながら進むと木曽川の対岸に「犬山城」の天守閣が見え、遠くまで来たことを実感する。 やがて「鵜沼宿」に入り、「大安寺橋」の柳と木製の常夜燈の風情は、旧街道そのものと感じ入る。
この時の紀行は、以前「青春18きっぷ」で同席した方から「おわら風の盆」 は深夜に鑑賞するのが良いとの勧めに従い、その開催に合わせて 実施したので、ここで紀行を終了し、高山線で「おわら風の盆」を見物に行った想い出が深く残っている。
「鵜沼宿」から「太田宿」の間にある「うとう峠」は初めての本格的な峠道で、落ち葉を踏みしめての気持ちの良い歩行は、これからの「美濃路」の 良さを暗示する紀行だった。

鵜沼宿・大安寺橋

おわら風の盆

うとう峠


段々と「美濃路」の魅力が感じられる旧街道を進むと「太田宿」に到達する。高山線はそのまま北上するが、「中山道」は西に向かい、JR太多線、名鉄・広見線を 経由して鉄道から離れた山間部に通じる本格的な「美濃路」となる。
今回の「青春18きっぷ・中山道懐古の旅」は、山間部の交通の便が少ないため省略して、美濃太田で太多線に乗り換え多治見に向かい、中央本線に合流する ルート選択する。
「太田宿」は、難所・木曽川を渡る「太田の渡し」で有名で、増水時の川止めで栄えたと。「「木曽のかけはし 太田のわたし 碓氷峠がなくばよい」と 旅人から詠われていた難所だ。木曽川を渡り「伏見宿」を通り、街道の趣きが残る「御嵩宿」を抜け、今まで歩いた中で最高の「美濃路」でもある 「細久手宿」に通じる峠道を進む。
この峠には、立派な一里塚・道祖伸・馬頭観音等の史跡が残り、地道や石畳を快適に歩んだことか想い出させる。
驚いたことに、街道から少し離れた所に 「聖母マリア像」が立っている。隠れキリシタンがこの辺りにも住んでいたのだと。織田信長の居城に近かったからだろうか。
気持ちの良い山道を進むと当時の旅籠「大黒屋」が宿として残っているのて、その空いている部屋に合わせて宿泊し、古人の趣きを堪能したのも 記念すべき「美濃路」だった。

太田の渡し跡

御嵩宿の街並み

細久手宿・旅籠大黒屋


「大黒屋」で宿泊し、峠の地道や「琵琶峠」の石畳には、往時の面影を残す道標・石仏・一里塚も現存しているのは嬉しく快調に進む。 塚の両方が残っている一里塚も多く、距離感も楽しみながらの歩行だったことを想い出す。
峠道から里に下り、恵那駅を越えて「大井宿」に向かう。
ここからは、中央本線沿いに進み「中津川宿」に向かう。春の桜が満開の頃で「上宿一里塚」に飢えられた桜が満開だったのは印象的だった。
今回の「青春18きっぷ・中山道懐古の旅」では、太多線で多治見まで出て、中央本線で中津川に向かったが、多治見駅の接続時間の間に、駅前の温度計を見ると 32.2℃を示していた。帰宅して確認すると多治見市の最高温度は、38.8℃だったと。さすが、過去日本一暑い街となったことが証明された。

琵琶峠の石畳

権現山一里塚

上宿一里塚


ここまでの行程は、2003年6月にHP「Shimotsuma's homepage」を 作成し始め、14年前の2008年4月から歩き始めた「中山道見聞録」 のHPを辿りながら、その時撮った写真をベースに記述してきた。 「おわら風の盆」も「青春18きっぷ」のHPの中の「おわら風の盆・観賞の旅」 を引用したものだ。 当時は、記録として作成していたHPが、回顧録の機能を果たしていることを嬉しく思う。
過去の紀行の記録と今回の紀行を合わせて、もう一度「中山道」の魅力を再認識したいものだ。


B中津川(10:45)→バス→馬籠宿・西ノ口(11:10)→馬籠宿散策→馬籠宿・陣場(13:27)

10時10分に中津川駅に到着する。約5時間の列車の旅を終え、ホームで柔軟体操をして腰を伸ばす。
駅の立ち食い蕎麦屋で、「冷やしとろろ蕎麦」を食べ、英気を養う。当時もこの蕎麦屋での蕎麦を楽しみにしていた店だ。中津川駅は改装中なのか、 工事車が駅前に集まり騒々しい。
駅前の「木曽五木」は以前に比べると少し小さくなったように感じる。木曽の繁栄をもたらした五木とは、 檜(ヒノキ)・翌檜(アスナロ)・高野槙・ネズコ・サワラを云うらしい。高野槙以外は全て檜科だと。
駅前広場には「中津川・栗きんとん発祥の地」の案内板と石碑が立っている。以前は気付かなかった案内だ。

冷やしとろろ蕎麦

木曽五木

栗きんとん発祥の地案内板


以前は 「中津川宿」から「落合宿」を通り「馬籠宿」に向かって歩いたが、今回はバスで「馬籠宿」に向かう。
10時45分発のバスは、乗客はなく最前列の席に座り、運転手と話しながら進む。以前は観光客も多かったが、コロナ以降はさっぱりだと。 地方の観光地も厳しい状態であることに直面した次第だ。
「落合宿」に至る旧街道には、「落合の石畳」「芭蕉句碑」「馬頭観音」「一里塚」「道祖伸」等の史跡が点在していたのを想い出す。 「美濃と信濃の国境碑」が立ち、美濃と信濃の国境を示している。近江と美濃の国境は「寝物語の里」だったことを想い出す。その先には 「是より北木曽路」の碑が立っている。島崎藤村の筆による碑だと。

中津川宿・高札場

美濃と信濃の国境碑

是より北木曽路の碑


バスは峠道を上り「馬籠宿」に到着する。バスを降りると暑さが全身を襲う。暑い!!
以前は、「馬籠宿西ノ口」で「落合宿」からの疲れを癒すため「かき氷」を食べたことを想い出しながら「馬籠宿」の散策をスタートする。予定では、 「馬籠峠」の頂上まで歩き、そこからバスで「妻籠宿」に向かうことにしていたが、この暑さを考え、無理をしないことにする。
石畳の道を上り始め、枡形の坂にかかると大きな水車が回っている。涼しげではあるが、暑い。水車の横を抜ける時、少し涼しさが感じられるのは嬉しい。 以前は観光客が多く、枡形の周辺は交差し難い人混みだったが、誰も通っていないのには驚きだ。

馬籠宿西ノ口

石畳の道

枡形の水車


日差しの厳しい「馬籠宿」の落ち着いた街並みを上って行く。石畳の照り返しと陰のない街並みは暑い。以前は、人を写さないでの撮影ができなかったが、 今回は、普通に写しても人影が入らない寂しさだ。バスの運転手の言葉通りの閑散とした光景に驚く。
観光客と出会うと挨拶するが、マスクをしている人からの返答はなく、街道歩きの面白みがないのは寂しい。散策時はマスクをしていないが、観光客の 半数以上は暑い中、マスクをしている。数人、海外の方とすれ違うが、彼らはマスクをしていず、こんにちわの挨拶に笑顔で応えてくれる。 民族によって、対応が異なることを認識する。
前回は、ポイントとなる史跡を訪ねたが、今回は街道沿いの郵便局や「島崎藤村記念館」の前を通り、確認するだけにした。

人影のない馬籠宿

郵便局と水車

藤村記念館


しかし暑い。35℃以上あるのかと思う程で、閉まっている店も多いが、かき氷の幟を出している店に入り、みぞれかき氷を注文する。店の人の話では、 コロナ以降、全く暇になって大変だと。観光客が少ないので、店を開けていても仕方がないので、閉めている店が多いのだと。 冷たいかき氷で一息入れ、暑い街道に戻る。
昔の趣きが残る「脇本陣跡」をチェックし、国道と交差する陣場を越えると立派な「高札場」が残っている。さすが「馬籠宿」の「高札場」だと 感心し、その上の展望台に向かう。

かき氷

馬籠宿・脇本陣跡

馬籠宿・高札場


暑いが、涼風が通る展望台で一息入れる。今まで訪れた時には、なかなか望めなかった「恵那山」が青空の下、その雄姿を見せているのは嬉しい。 展望台の手すりにもたれて、2191mの「恵那山」をゆっくりと眺める。
展望台の片隅に、街道歩きの途中でよく観た「道祖伸」が祀られているので、パチリと。ここて、これから先の「馬籠峠」まで進むか否かを思案する。 まだ2.2km、約40分かかりそうだ。時間的には大丈夫だが、この暑さの中、無理をしないことにし、「馬籠宿」の散策を終える。
展望台の下に、以前も訪れた有名な蕎麦屋「恵盛庵」があるので、ここで時間を潰して陣場からバスに乗ることにする。蕎麦屋に入り、 ビールを注文すると冷やしたキュウリの漬物が付いてきたので、冷たいビールとキュウリで体を冷やす。少し粘って座っていたが、お客さんが多いので 外のバス停で待つことにする。
バス停の待合所は日陰になっているので、座っていると涼風が気持ち良く、近くの水琴窟と思われる涼やかな音色に癒される。

恵那山

男女の道祖伸

恵盛庵 ざる蕎麦



C馬籠宿・陣場(13:27)→バス→妻籠宿(13:51)→妻籠宿散策→妻籠宿(15:26)→バス→南木曽(15:35)

13時27分発のバスはもう一人の乗客を乗せて出発する。「馬籠峠」への国道をウネウネと進む。十返舎一九や正岡子規の句碑が立ち、 出合う観光客はほとんど外国人だったことを想い出しながら、標高801mの「馬籠峠頂上」に到着する。 本来なら、ここまで歩いたが、暑さのためパスしたのは仕方がないと納得させる。
ここからは「馬籠宿」への下り道となるが、有名な「男滝・女滝」が迎えてくれ、豊かな水量のしぶきを浴びたことを回想し、更に下ると「妻籠宿」の 大きな看板が立ち「妻籠宿」が近いことを教えてくれる。

馬籠峠

男滝 女滝

妻籠宿の看板


尾又橋のバス停で降り、蘭川を渡り「妻籠宿」に入って行く。人通りもなく寂しい光景に、コロナ以降の厳しさを感じる。「馬籠宿」と違って 平地の宿場通りは歩き易いが、多少陰ができたが、日差しは厳しく暑い。
店を閉めている所もあるが、ボツボツと観光客もあり、郵便局の古いポストを確認して前に進む。

尾又橋

妻籠宿の街並み

郵便局


空き家になった店には、地元の工芸品が飾られたり、七夕の笹が飾られたりと街の温かさを示している。以前訪れて泊った時はお祭りの日で賑やかだったことを 想い出し名から、泊った宿「大吉」を探しながら奥に進む。
桝形の跡を通り、立派な「脇本陣」の屋敷を確認し、さらに進むと水車小屋がクルクルと廻っている。宿場に水車は素敵な構図だと何時も思ってしまう。 その先には「高札場」が立ち、宿場の終わりに近いことを示している。

七夕飾り

妻籠宿・脇本陣

水車小屋 高札場


以前に泊った「大吉」は宿場の奥の端にあったと思い、進んで行くと「大吉」の看板を発見し、引き戸を開けて訪ねる。女将さんが出てこられ、13年前に 泊めてもらったことがあり、今回「旧街道・日本縦断」踏破記念として「中山道」を再び訪ねていると話すとそれは素晴らしいと。
13年前に泊めてもらった時はお祭りで賑やかだったこと、翌朝、誰もいない宿場を散策し感動したことなどを伝えると、次回はぜひ泊ってくださいと話して 記念撮影をした。懐かしい宿を尋ねることができ、嬉しい限りだ。
当時のお祭りの写真と翌朝の朝の宿場町の静けさの写真を添付する。

前回泊まった宿

馬籠宿のお祭り 御神楽

早朝の妻籠宿


目的を果たした達成感に満足しながら、「妻籠宿」をバス停方向に戻る。あの早朝の街並みと同じ位、人通りのない道は少し寂しい。暑いので、 バスの時間待ちに喫茶店に入り、宇治かき氷を食べて体の熱を発散させる。
ここでも観光客が少なくなり、大変な状況の話を聞き、都会以上に地方の観光産業の衰退を実感する。早く自由に旅行できる世の中になることを祈るのみだ。 バス停でゆっくりと時間を楽しむ。
15時26分発のバスで、南木曽駅まで進むが、このバスも一人だった。

静かな妻籠宿

宇治かき氷

南木曽駅



D南木曽(15:56)⇒中津川(16:08・16:19)⇒金山(17:32・17:39)→大垣(18:18・18:34)⇒米原(19:10・19:18)⇒高槻(20:27)

南木曽駅に到着したが、次の列車まで1時間以上の待ちがあるので、中津川まで特急に乗り、中津川から新快速に乗ることにする。 「青春18きっぷ」では、特急に乗る場合は乗車券+特急券が必要だが、仕方がないの300円+360円を支払って特急に乗る。以前だったら1時間待っていただろうと 考えながら・・・・
中津川駅構内の売店で、ビールとつまみを買い求め、新快速に乗るが、何とロングシートの列車で飲み食いがやり難い。ただ、ガラガラなので、連結部分に近い席で 乾杯。初めての「中山道懐古の旅」を無事終えたことに感謝して乾杯だ。
何時ものように終点・名古屋の手前の金山駅で東海道本線に乗り換え、名古屋までは立つが、名古屋駅からは座れる方式だ。本来なら米原行に乗りたかったが、 駅のホームには時刻表が無くなっており、仕方がないので直ぐに来た大垣行に乗り、大垣で米原行きを待つことになった。
以前は、金山で時間調整の乾杯をしたことを想い出したが、後の祭りだ。そして、新快速で高槻に帰り、21時過ぎにバスで帰宅した。 本日の歩行歩数は、列車・バスの旅だったので、13700歩と少なかった。

久し振りの「青春18きっふ」でのテーマを「中山道懐古の旅」と銘打って、昔作成したHPを参照しながら、車窓から当時のことを 想い出す紀行となった。以前は10回・12日間の紀行を1日でした訳だ。
やはり、歩いての紀行は時間がかかることを再認識するとともに、当時は毎日35000歩〜50000歩も歩いていた記録を観ると やはり、若かったのだと懐かしく思う。今では25000歩を目標にしているのだから・・・・。
さあ、次も暑さに負けず、楽しんで進めたいものだ。





    
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