「潮岬・熊野古道回顧の旅」


[一日目][二日目][三日目]




○ [第2日]、大島・潮岬、熊野古道回顧(2008/6/10)

4時に目覚時計を合わせたが、その前に目覚めて外を見ると曇っているようだが、雨は降っていないので、日の出は 見られそうだと急いで着替える。
スウェーデンのサポーター(2004.6)
テレビをつけるとサッカーのヨーロッパ選手権を放映をしており、オランダがイタリアに見事な攻撃で得点している。4年前の 「スペイン・ポルトガル旅行」の時、ポルトガルで 開催されていたので、リスボンのホテルにはスウェーデンのサポーターが泊っていて、可愛い女の子と交流したことを思い出す。 今年のオランダは強そうだ。

「橋杭岩」まで行くより、ホテルの庭から見る方が良いと考え、少し肌寒い高台の庭に出て、日の出を待つ。
曇り空で心配だが、空が茜色に染まり出し、その瞬間を待つが、太陽は顔を出さない。高台の下の森でさえずるウグイスの声を 楽しみながら待つ。
しかし、日の出が望めないので、諦めて部屋に戻り、サッカーの続きを見ることにする。しばらくして、窓の外を見ると高い空に 太陽が薄く顔を出し始めたので、慌てて庭に飛び出し、かすかに伸びる光の帯を写す。
しばらく、「橋杭岩」の間に伸びる光の帯と幻想的な日の出を楽しむ。やがて、雲に隠れてしまったので部屋に戻る。
太陽の顔が見られないと思っていたが、5-6分の短い時間だったが、見ることが出来良かった。

朝焼けの橋杭岩
日の出
薄雲に包まれた太陽

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

部屋に戻るとサッカーは終わっており、3-0でオランダがW-CUP優勝のイタリアを破った。 面白い展開になったので、これからの試合が楽しみだ。(このHPを作成している時に、オランダはフランスにも勝つ)
朝風呂に行き、露天風呂で明るくなった「橋杭岩」を眺めながら、身体を温める。
7時からバイキングの朝食に行く。観光バスで来ているグループもあり、混雑しているが、和食・中華・洋食と種類も多い食事を美味しく いただく。

8時30分にロビーでレンタカー会社の担当と会い、車で事務所に向かい手続きを行う。トヨタ・ヴィッツで、カーナビも付いているので安心だ。
海金剛
まずは大島に向かう。潮岬の付け根から平成11年に完成したループ状の立派な「くしもと大橋」を渡り、「ここは串本、向かいは大島、 仲を取り持つ巡航船・・・」と唄われている大島で、橋が出来たので巡航船は無くなっている。
車も走っていない緑に囲まれた道路を進み、「海金剛」に向かう。

駐車場の横に、1791年アメリカ商船が大島に来訪し、日米交流したことを記念して建てられた「日米修好記念館」が建っている。 まだツツジが咲いており、その蜜を求めて大きな黒アゲハ蝶がたくさん群れている。一足早い夏の趣だ。
横の照葉樹の細道を進むと潮騒が聞こえ、林の切れ目の展望台から「海金剛」の雄大な景観が望まれる。
朝鮮半島の名勝金剛山からその名をとった、鋭く切り立った岩礁に荒波が砕け散る迫力満点の景勝地。ピラミッド形や獅子頭のような 巨岩が海面から突き出す様子には身がすくむほどの迫力と近寄りがたい神秘が感じられるはずです。
昭和58年に朝日新聞社の「21世紀に残したい日本の自然100選」に選ばれました。 (串本観光協会HPより)

岩に砕ける波の音と男性的な景観をしばし堪能する。さすが本州最南端の太平洋に浮かぶ島の荒ぶる光景だ。

日米修好記念館 説明
黒アゲハ蝶
海金剛の巨岩

大島の東端にある「樫野崎灯台」に向かう。舗装された道のあちこちに無人の果物売り場があり、地方色一杯で嬉しくなる。 大きな駐車場から灯台に向かう途中にきれいなタイル張りの「トルコ記念館」が建つ。
「大辺路」を歩いている時、目玉模様のモニュメントが立っていた。その時、初めて日本とトルコ友好の原点が串本にあることを知った。
明治23年、トルコ巡洋艦「エルトゥールル号」が来日し、日本帝国の国賓として扱われ、トルコへの帰路に就いた時、台風に合い、樫野埼灯台下の 岩礁に乗り上げ沈没してしまいました。
トルコ記念館 看板
トルコ軍艦遭難慰霊碑
地元住民の献身的な救助活動にもかかわらず、540名が遭難、69名が救助された。かくして、トルコと旧大嶋村樫野との友情と友好関係が 現在まで続くこととなるのです。 (串本観光協会HPより)


「トルコ旅行」の時、トルコの人々が親日家であることが 体験としても良く分かり、その親切な応対に驚き、感動したことを思い出す。
この遭難救助への感謝の気持ちが、親日家の原点であり、1985年のイラン・イラク戦争時、イランに住む日本人216名がイラク上空を飛ぶ飛行機を撃ち 落とす声明に、驚いていた所、トルコ航空の旅客機が制限時間1時間前にテヘラン空港で救助し、成田に飛んだのは、恩返しだと云われている。
少し進んだ所に「トルコ軍艦遭難慰霊碑」の立派な塔が建ち、日本・トルコ友好の碑として我々の知らない史実を伝えている。

島の先端に向かうと、白い「樫野崎灯台」が姿を見せる。思ったより小型の灯台だ。
「樫野崎灯台」はイギリス人が手がけ、明治3年に建設された日本最初の石造りの洋式灯台だと。
樫野崎灯台 説明
樫野崎灯台からの眺め
外側のラセン階段から灯台の上に登ると 眼下には先程眺めた「海金剛」を逆の方向から望める。
涼風を浴びながら、曇って水平線が見えない太平洋を眺める。晴れていれば、水平線が丸く見え、地球は丸いと実感出来るので あろうが、残念だ。

灯台の下は公園になっており、真っ紅な「ハイビスカスの花」が咲いているので南国の雰囲気が感じられる。

元の道を戻る途中にある「トルコ土産屋」に立ち寄る。「ギューナイドン(おはよう)」とトルコ旅行で覚えた挨拶をして入るとトルコ人の店主が、 上手いねと。 トルコ旅行の時に買い求めた土産が並べられているのは懐かしい。ご主人もにこやかに応対していただいたが、買う物はなく失礼する。 ここで商売になるのかと少し心配しながら。
朝顔が咲いている道を脇にはミカンを売る「無人販売所」があり、ニューサマーオレンジを買い求め、車に戻る。

ハイビスカスの花
トルコ土産屋
無人販売所

大島のポイントを見物して潮岬に向かう。「くしもと大橋」の手前に展望台があるので立ち寄る。
潮岬灯台
対岸の泊っているホテルが見える。部屋の窓から見えている「くしもと大橋」の傍にいるのだから当然だが。橋の姿を写して 橋を渡って潮岬に戻る。
潮岬の方が大島よりも南に張り出しているので、本州最南端の地は「潮岬灯台」付近になるようだ。

岬の中を通り抜けて太平洋を望む海岸線に出る。「潮岬灯台」の見える所で駐車して、最南端の灯台と広々とした太平洋を眺める。
ツァーで一緒の写真仲間一行もここで灯台を狙っておられる。撮影ポイントとしても有名なのだろう。
妻がスケッチしている間に、「本州最南端の碑」があるそうなので、探すが分らない。崖の下まで降りて、灯台を見上げるが そこにもないので諦める。

景観の良いこの場所は「和歌山県朝日夕陽百選」だと。ここでは夕陽も見られるのだ。海上から昇る朝日と沈む夕陽が 見られるのならもっとPRすれば・・・と。
少し暑くなって来たが、海からの涼しい風を浴びながらオゾンを胸一杯吸い込む。気持ち良い。
「潮岬灯台」へ登るのはパスして串本市街に戻る。

くしもと大橋
潮岬灯台
和歌山県朝日夕陽百選


「大島・潮岬」の「スライドショー」


大島と潮岬の観光を終え、ヴィッツは国道42号線を東に進む。
この国道や周辺の道が「大辺路」で那智の「振分け石」で、「中辺路」と出会うのだ。国道沿いを歩いた場所にはトラックの風圧で 帽子を飛ばされたこともあるのを懐かしく思いながらハンドルを握る。
この辺りは3-4年前に歩いた「熊野古道」で、国道から地道への分岐点や地道からの合流点を鮮明に覚えているのには驚く。 ここから曲がるんだとか、ここに出て来るんだと独りよがりで妻に話しながら進む。

紀伊勝浦を過ぎ那智に進む所で、前に歩いた時は高速道路の工事中だった区間が開通しているので進むことにする。 まだカーナビに登録されていないようで、標識に沿って進むと高速道路に入り、トンネルをくぐって行くが、車がたくさん走っている。
飛雪の瀧(2005.10)
熊野川下り(2005.10)
道路特定財源の一般財源化時に問題になった孤立した高速道路なので、車が少ないと思っていたのが予想外だ。新宮まで 快適に走り、高速を降りるが料金徴収所がない。無料なのだ。
それで車が多いのが分かった。これが三重側の高速と和歌山側の高速がつながると有料になるのだろう。

新宮で降り、再びR42を経由して国道168号線を熊野川に沿って上って行く。
「熊野川の舟下り」をした川筋を進むと 対岸には「伊勢路」紀行時に訪れた「飛雪の瀧」が水量豊かに落ちているのが望まれる。
川下りの舟の姿は見られなかったが、川面と同じ目線で見る熊野川周辺の山々の景観は素晴らしかったのを思い出す。

12時に近付いた頃に「道の駅・熊野川」に到着し、食堂で名物の「めはり寿司」を食べる。
高菜の浅漬けに巻かれた寿司は素朴で美味しい。「めはり寿司」の由来は、大きさや美味しさから「目を張るように口を開ける」 「目を見張るほどおいしい」やおにぎりに目張りするよう完全に包み込むことからきたとか。

いよいよ「熊野三山」の一つである「本宮大社」に向かう。
「伊勢路」を歩いた時に渡った橋や志古から山道を通って「本宮大社」に向かう分岐点を見ながら熊野川を上って行く。 「川湯温泉」では川を堰き止めた「千人風呂」を楽しんだりしたことを話しながら、「本宮大社」に近付くと道路が 拡幅され広くなり、当時はなかった店がたくさん開かれているのには驚いた。「世界遺産」効果は大きいようだが、少し 俗化されているようにも見えるのは残念だ。

本宮大社・本殿
「本宮大社」前の駐車場に車を停め、「八咫烏(やたがらす)」の大きな幟に迎えられて鳥居をくぐって階段を登る。
「八咫烏」はサッカーJリーグのシンボルマークとして有名だ。日本のW-CUP第三次予選に進めることが出来、あと一押しの応援で、W-CUPへの 出場を確定したいものだ。
先日行った講演会の表紙はこの「八咫烏」幟と鳥居にした。大阪から歩き通して、初めてこの鳥居に到着した時の 感動は忘れられないものだ。

参道の長い階段の両側には奉納された「熊野大権現」の旗が立ち並んでいる。
前に訪れた時は「大峯奥駆道」の修験道を踏破された山伏の行者さんが、ほら貝を吹き、呪文を唱えながら参拝されている 姿には心打たれた。
それが、「大峯奥駆道」を極めたいとの想いになったが、経験不足で中断しているのは悲しい。いつの日か再挑戦だ!!

階段を登り切ると立派な「神門」が建ち、印象的な垂れ幕には「人生の出発の地」「甦る日本の心」と書かれている。
「神門」から中に入ると檜皮葺きの古色蒼然とした社殿が並んでいる。神聖な雰囲気が漂う空間と社に自然と頭が垂れる。
4つの神殿に参拝して、端で全体の雰囲気を改めて味わう。

本宮大社・鳥居
本宮大社・参道
本宮大社・神門(2005.10)

「神門」の良い写真がなかったので、「小辺路」紀行時の写真を流用します。(2005.10.31撮影)垂れ幕の文字が少し 変わっているのに気付きました。
「熊野」について、詳しくは「熊野古道」を歩いた時、色々とご教授いただいた 「みくまのねっと」のサイト参照して下さい。

「熊野古道」紀行時、大阪から巡って来た「九十九王子跡」の一つである「祓戸(はらいど)王子社跡」を訪ねる。 「本宮大社」の裏門から少し行った所で、この王子跡に参拝して「本宮大社」に到達したのだ。
祓戸王子社跡
テレビ撮影
本来はもう少し先まで歩いて、妻に「熊野古道」の雰囲気を味わいさせたかったが、時間的に難しいので断念する。

「本宮大社」に戻り、「神門」の前で話しているとテレビ撮影のクルーが来た。
見たことのあるタレントがいるので、確認すると元アイドル歌手の「荒木由美子」さんがレポートしているらしい。
なかなか愛嬌良く見物人に笑顔で話しかけている。
売店で話して、参拝するスケジュールのようで、撮影中はカメラは使わないで、音を立てないように・・・とお願いされる。
6/25(水)の昼の情報番組「ミヤネ屋」の撮影とのことだ。関西ローカルから一部全国ネットになった番組なので確認したい。

懐かしく、荘厳な「本宮大社」から近くにある旧社である「大斎原(おおゆのはら)」の大鳥居を眺める。
大斎原の大鳥居
湯の峰温泉・つぼ湯
明治22年の大水害で流されるまでは、ここに「本宮大社」が建っていたそうで、今の敷地の8倍の大きさがあったそうだ。
跡地までは行かなかったが、日本一と云われる大鳥居を見て、湯の峰温泉に車を進める。

山の中の蛇行した細い道を進むと「世界遺産」に登録されている「湯の峰温泉・つぼ湯」に到着する。
色々な伝説のある「つぼ湯」は一坪程の大きさの源泉で、熱い湯が湧き出し、水でうめないと入れない気持の良い温泉だ。 毎回訪れても、順番待ちで入れず、3回目に入った時は嬉しかった。懐かしい温泉だ。
横の90℃近い源泉がが湧き出す「湯筒」では茹卵が出来るほどだ。少し周辺を散策して熊野川を下って行く。

今回のドライブによる「熊野古道」回顧の旅では、「中辺路」周辺を通って田辺・白浜経由で戻ろうと考えていたが、 時間的に難しいので往路と同じ道を戻ることにした。
速玉大社・本殿
速玉大社・神門


新宮の「速玉大社」に参拝する。
少し混雑している新宮の街中に鎮座する大社は、「本宮大社」とは対照的に朱色の鮮やかな色彩豊かな神社だ。

なぎの老樹 説明
妻は「那智大社」には行ったことがあるが、「速玉大社」は初めてで、これで「熊野三山」を全て参拝したことになる。
ここも人が多いので驚く。観光バスが4台停まり、団体で参拝するので、カメラで写すタイミングも難しい。
「熊野三山」を巡る観光コースが設定されているのだろう。

境内には「なぎの老樹」が茂り、土産物屋の前は人で混雑している。
前回訪れた時に比べると参拝者は10倍以上になっている。 今回は行かないが、「那智大社」への参道「大門坂」の石段に生えていた苔が禿げて来たとの報道もあり、「世界遺産」の 効果と負の要素は考えねばならないだろう。

往路の高速ではなく国道42号線を串本に戻る。
R42沿線も「本宮大社」「速玉大社」を参拝し、「那智大社」に向かう「中辺路」のルートになるので、懐かしいスポットが点在する。 あそこで休んだ、道に迷ったと思い出の場所が車窓から見られる。
JR那智駅横の温泉には何度か入って汗を流した。そして少し離れた自販機でビールを買ったと。

干上がった橋杭岩
橋杭岩周辺の岩
往路と同じ道に戻り、一路串本を目指す。
「橋杭岩」に戻ったので、駐車場に車を停め、干潮で干上がった「橋杭岩」の傍まで 歩いて行く。
大きな岩が岩盤の上にゴロゴロと転がっている。
水に浸かっている「橋杭岩」もきれいだが、この光景も見ごたえがある。

17時30分頃、レンタカー事務所に到着し清算する。約200km走行していたので、割引料金も含め、ガソリン代1700円支払う。レンタカー代はホテルで 清算することになっている。6000円なので、総額7700円だが、路線バス・JR旅費から考えると安い。
交通機関の少ない所ではレンタカーで、好きな所を走る方が安価で効率的だと納得する。

ホテルに戻り、夕食が18時からだが、温泉に行き汗を流す。
風呂上りに夕食会場に行くとたくさんの方が食事をしている。他のツァーも入り、昨日よりも多い。今夜の献立は中華料理で、 一品づつ運ばれて来る。
ビールで今日の天候に感謝し、楽しく・懐かしかったドライブだったことに乾杯する。料理は美味しい。次々と郷土の食材を使った料理を たいらげ、夕暮れに煙る大島を眺めながらくつろぐ。
明日は雨の予報なので、本当にラッキーだった。
部屋に戻り、もう一度露天風呂に浸かって、やはり疲れたのであろう、直ぐに眠ってしまう。

「熊野古道・回顧」の「スライドショー」


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