[赤坂宿〜美江寺宿][美江寺宿〜河渡宿][河渡宿〜加納宿]


○ 「中山道No5」見聞録(赤坂宿〜加納宿)・(距離 19.3km(今回)/ 121.0km(累計)/ 412.0km(残距離)

5−2.(55)美江寺宿〜(54)河渡宿・(4.7km) 2008.07.26 11:00〜14:15 晴れ


中山道全行程.Map
「美江寺宿〜河渡宿・行程MAP」

地図の左下の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

揖斐川を鷺田橋で渡る。新幹線や名神高速で渡っていた揖斐川を徒歩で渡ることの意義は深い。これぞ、「中山道」紀行の 醍醐味だと自己満足する。

揖斐川の堤防と入道雲

田園の中の街道


しかし、日を遮るものがない橋や堤防の歩行は辛い。
渡った所でガードをくぐり、しばらく堤防沿いに下の道を進む。
堤防を見上げると青空と入道雲の夏の装いだ。天気予報の曇りは間違いで、真夏の美濃地方だ。

熱い陽射しを浴びながら、影のない道を東へ進むと柿の木がたくさん植えられている。この辺りは富有柿の産地だと。 柿の木と田圃の間の舗装道路は下からの熱気もたまらない。
冷凍してきたポカリスゥェットは底をつきそうだ。どこかで水分補給を しなければと歩を進める。

しばらく進むと中山道跡地のきれいな公園に着き、石畳に沿って「中山道・美濃路」の宿場名の石碑が立てられている。

中山道跡地の公園 説明

少年サッカーの練習

オアシス的な憩いの場所 なのだろうが、炎天下では立ち止まる気分にもならず、広い道に沿った中学校の木陰で一息入れる。
残り少ない飲み物を飲んでいると体育館で練習している生徒が出て来て話す。何処から来たの、何処へ行くの・・・と。話すが 余り「中山道」のことも知らない。バスケットの練習に戻る生徒にバイバイして前に進む。

ここで、地図を確認せず、広い道を市庁舎の前を真っ直ぐに進んでしまった。本来の「中山道」は右側に進まねば ならなかったのだ。道標にも気付かなかったが。
近くの運動場では少年サッカーが炎天下で練習している。幼稚園に行き出した孫がサッカーを始めたので、この炎天下もやってるのかと。 若さは凄いなぁ〜と思うのは年を取った証しだろうか。

進んでも道標がなく、人も通らない。交差点の角に喫茶店があり、氷の旗がぶら下がっているので、休憩と道を聞くために 入る。

美江神社

「熊野古道・伊勢路」紀行時も、峠を越えて氷屋を見つけては涼をとったものだ。
氷のメニューを見ると「センジ」と書かれているので、何かと尋ねると関西で云う「ミゾレ」なので、注文する。
氷と一緒にクッキーと 柿の種のおつまみが付いて来た。さすが、名古屋風だ。
冷たい氷を食べ、冷たい水を飲み、体が冷たくなったので、生気が戻った。道を聞くと直角に曲がって進むと 「美江寺宿」に行くと教えてもらう。(11:15-30)

三角形の二辺を通ったことになり、随分遠回りしている。今日は暑さのためか、ミスが多い。
「美江寺宿」の方向に進む。「美江寺宿」は「美江寺」と云う大寺があったので、宿名となったが、岐阜に移され 地名だけが残ったそうだ。又、明治24年に起こった濃尾地震の震源地に最も近かったので、一軒を残して全壊したと。

東に進むと「美江神社」の鳥居が見え、鳥居の横には「美江寺宿」の標識が立っている。ここが「美江寺跡」で、観音堂が 建っている。ここにあったお寺を移したのだ。境内を見渡し、間違った道を少し戻る。
少し戻った所に「美江寺宿本陣跡」の碑が立っている。もう少し戻って、史跡を見なければならないが、暑さを考え、パスする ことにして、元の道に戻る。
20名位のシニアの方が多いグループの見学者が歩いておられる。語り部らしき人が案内しながら「中山道」を巡っておられるのだろう。 グループの方達を追い越して、前に進むと唯一地震に耐え残った造酒屋「庄屋」が堂々と建っている。 濃尾地震の被害は美江寺村で、全壊208軒、半壊1軒と凄かったようだ。そのためにこの宿場の史跡が少ないのは止むを得ないと 納得する。
「庄屋」の前に自販機があったので、冷たいお茶を補給しておく。これで一安心だ。

美江寺宿本陣跡

団体の見学者

造酒屋・庄屋


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

何処かで昼食をしようとするが、食堂は基より食べ物を売る店もない。一応、おにぎりは買っているが、この暑さでは 余り食欲がわかないし、影のある所も少ない。
少し進むと「美江寺宿一里塚跡」の碑が立つが、ここも塚はない。
樽見鉄道の踏切を渡り、日が高くなって、益々暑さが厳しくなって来た道を進む。道路の横にはビニールハウスが立ち並び、 この辺りはサボテン栽培が多いそうだ。五六川を渡り、「高札場跡」の標識を見て東へと進む。
江戸時代、この辺りは幕府の直轄地であったので「本田代官所跡」の古い建屋が残っている。余り史跡が残っていない 街道筋で趣のある建物に出会うのは嬉しい。

美江寺宿一里塚跡

炎天下の街道

本田代官所跡 説明


右手に「延命地蔵堂」があり、屋根があるので一息入れる。お堂の裏側に墓地があり、水道が設置されているので、 頭から水をかぶって冷やす。タオルを濡らし体も拭き、ホッとする。(12:15-25)
リュックにぶら下げた温度計は38℃を示している。熱い訳だ。
日が当たるコンクリートの上に温度計を置いておく。

延命地蔵堂 説明

路上の温度計・55℃

そこへ、東から男性2人が来られ話す。東京から進んでおられ、今日は岐阜から歩き始めたと。
話していると、先程追い 抜いたグループの方が到着された。枚方から順次歩かれ、今日は「美江寺宿」から「加納宿」まで行く予定だと。
コンクリートの温度計は55℃を示している。やはり路面の温度は凄いのだと再認識する。情報交換をしながら、この暑さに注意 しましょうと一足先に出発する。

糸貫川を渡り進んで行くと、横の広い道と接近し、その道脇に中華料理屋の看板が見えたので、昼食に立ち寄る。しかし、 何と云うことか休業だ。その気持ちになっているのに肩透かしを食って落胆し、元の道に戻り進む。
田圃や少し家が建つ道で、食堂などありそうにない。どうしようかと思いながら進むと広い道と交差したので、交差点周辺に 食堂がないかと探すと、少し離れた所に看板が見えたので行くと居酒屋兼食堂で助かった。
ビールを飲みたいのを我慢して、冷麺を頼み冷たい水をゴクゴクと。(12:45-13:10)

昼食を食べることが出来、冷房の店内で体も冷えて一息ついた。「河渡(ごうど)宿」へ向かって帆を進める。
「河渡宿」は長良川の水害に悩まされ、江戸後期には宿全体の盛り土したと。宿内の戸数は「中山道」で最小だった上に、 戦災で全戸焼失したので、史跡は残っていないそうだ。
しばらく歩くと「河渡宿」の表示があり、長良川の堤防に向かってそれらしき家並みが続く。そして、唯一の史跡と云える 「河渡宿一里塚」の貫禄のある碑が立っている。唯一の史跡だ。

河渡宿の表示

河渡宿の街並み

河渡宿一里塚 説明


前の「美江寺宿」やこの「河渡宿」共に、天災にあったので、宿場としての史跡が残っていないのは残念だ。
小さな「河渡宿」を抜けて、長良川に向かう。


「美江寺宿〜河渡宿」の「紀行スライドショー」


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