[鵜沼宿〜太田宿][太田宿〜伏見宿]


○ 「中山道No7」見聞録(鵜沼宿〜伏見宿)・(距離 15.8km(今回)/ 153.6km(累計)/ 380.4km(残距離)

前回まで
今回
残距離


7−1.(52)鵜沼宿〜(51)太田宿・(7.9km) 2009.03.02 7:45〜13:00 晴れ


中山道全行程.Map
「鵜沼宿〜太田宿・行程MAP」

地図の左下の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

前回は昨年9月1日に「青春18きっぷ」を用いた「おわら風の盆」 見物の前に「加納宿」〜「鵜沼宿」を歩いた。
距離が遠くになると運賃も高くなるので、「熊野古道」歩行の経験から「青春18きっぷ」を活用して進もうと考え、冬の期間に実施 しようと計画していたが、諸般の事情で実行出来なかった。
春の「青春18きっぷ」発売のに合わせて、半年間温めて来た計画の実行を図るべく、天候を見ながら実施した。

「中山道・美濃路」も後半に向かい、旧街道の風情が楽しめるコースになりそうな反面、交通事情が悪くなり、日帰り歩行が 難しくなるので、距離と宿泊場所を勘案して計画しなければならない。
「御嵩宿」から「細久手宿」「大湫宿」を通り「大井宿」までの約32kmは山間部を通るので、日帰りは難しい。 また「細久手宿」には旧旗籠が旅館として残っているので、ぜひ泊まりたいと考え、「鵜沼宿」から「太田宿」を通り、 「御嵩宿」まで行けるだろうが、手前の「伏見宿」まで進み、次回は初めての一泊紀行にしようと考えた。

前回と同じ様に、高槻発5:00の1番列車に乗るべく、4時20分頃出発する。外はまだ寒いが、3月に入り春の訪れを感じる 紀行となっている。列車はガラガラで、「青春18キッパー」の姿は見られない。まだ実施2日目なのであろうか。

伊吹山

高槻を出ると雨が降り出した。天気予報では晴れだったのに・・・・と思いながら、 京都で乗り換え、米原まではウトウトと眠ったり、前に歩いたコースを思い出したりしながら進む。
6時半頃に夜も明け、米原に近付くと雨も上がり、青空が見えて来たので一安心だ。米原乗換も問題なく、空いた列車の 車窓からは伊吹山が間近にはっきりと見える。山頂は雪を戴いていないのは暖冬のせいだろうか。
岐阜で高山本線に乗換える。ディーゼル列車で朝日の差し込む窓から、前回歩いたコースを思い出しながら見とれる。暑い中、 変化の少ない街道を歩いたのだと。平坦な道、国道筋の歩きは余り好きではないと思い出しながら車窓から眺める。
前回の鵜沼駅に到着し、「No7.見聞録」をスタートする。(8:20')

青空が広がっているが、風がきつくて冷たい。前回歩いた「鵜沼宿」の「うとう峠」の分岐点に向かって進む。
8時35分、三叉路の分岐点に到着し、左側の「うとう峠」の方向に歩を進める。緩やかな坂を登って行くとお地蔵様が祀られている。 これは「東見付地蔵道標」でお地蔵様に「江戸ぜんこうじ道」と記されている。「鵜沼宿」の東の入口だと。
坂を上るに連れ、視界が広がり、美濃平野が展望出来、木曽川の向こうに「犬山城」が望まれる。

うとう峠の道しるべ

東見付地蔵道標

犬山城


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

住宅が立て込み段々と急になる坂道を進むと道脇の土手の上に「石仏」が並んで祀られている。梅が所々に咲いている 光景や美濃平野が青空に映えているのを楽しむ。
大きな「かつこ池」の畔には紅梅が咲き、風が強くて波立つ池面には鴨が 群れをなして泳いでいる。自然豊かな風情を楽しみながら上る。池に沿って上ると右手に「日本ラインうぬまの森」の 石の標識が立ち、木造の「もりの本やさん」と云う図書館の横を進む。

石仏の群れ

かつこ池

日本ラインうぬまの森の本や


いよいよ「うとう峠」に進む。きれいな石畳を上って行く。国道や街中を歩くのに比べると木々の間を歩くだけで気分は 良い。時々、散歩で歩いておられる年配の方と挨拶をしながら自然を楽しむ。
木立の中に「うとう峠一里塚」の碑が立っている。自然の中にある一里塚なのだから、もっと立派な一里塚が残っておれば 良いのに・・と思ってしまう。
やがて、頂に到着し、石畳は下り坂になる。苔が付いた石畳は滑り易く、気を付けて進まなければならない。少し広場があり 東屋が建ち、休憩用のベンチが設置されている。ここが「中山道いこいの広場」として、地元の方のウォーキングの中継所となっている ようだ。

うとう峠・石畳

うとう峠一里塚 説明

中山道いこいの広場


うとう峠の落葉の道

石畳はここで終わり、落葉が積もる地道の下り坂になる。
舗装道路・石畳歩きは足腰への負担が多いが、地道は嬉しい。
今まで歩いた区間でも地道を歩いたのは「醒井宿」と「柏原宿」の間にあった「小川坂」の短い距離だけだった記憶がある。
サクサクと気持ちの良い音を楽しみながら、急な下り坂を進む。「まむし注意」や「猪の檻設置」の立札があり、自然が 豊かなことを物語っている。
木漏れ日を受け、照葉樹の落葉を踏みしめていると「熊野古道」の道を歩いているようで懐かしい。
下って行くと車の音が 聞こえてくる。「うとう峠」を越えて、高山本線と国道21号線に近付いたようだ。

坂の下に小川が現れ、鉄道と国道の下にトンネルが設けられている。トンネルには増水に備えて、側壁に鎖のロープが結ばれている。
トンネルをくぐり、階段を上るとそこは広場になっており、廃業したレストランが建ち、国道が走り、木曽川が青く流れている。

うとう峠出口のトンネル

廃業したレストラン

木曽川の流れ


ここからは国道21号線に沿って「中山道」は続く。本来、「太田宿」から「鵜沼宿」まで木曽川沿いに行きたかったのだろうが、 渓谷が厳しくて道を作ることが出来ず、「うとう峠」越えのルートになったのだろう。

岩屋観音 観音様

R21に沿って東上する。車の往来は多く、反対側の歩道に渡るのも躊躇する程だ。横断して山沿いの歩道を進む。木曽川沿いに 国道が走っているので、とうとうと流れる木曽川を眺めながら、歩道に植わった桜並木を歩む。まだ蕾は固いが、満開になれば 美しい並木だと思いながら。

「岩屋観音」に上る階段が現れ、その階段を登る。
段々と木曽川の流れが視界に広がり、見晴らしが良くなり、洞窟の中に「岩屋観音」が祀られている。
大きな岩の洞穴の中に社が作られ、その中に「岩屋観音」が鎮座している。観音様に礼拝して、社の前の広場で 一息入れる。(9:35)
高台になっているので、木曽川の眺めは見事だ。
シーズンになれば、日本ラインを下る観光船で賑わうなのだろうが、今は 青々とした川が流れているだけだが、雄大な光景に疲れが吹っ飛ぶ感じだ。
お茶を飲み、飴を口に入れて木曽川の流れを堪能する。「太田宿」方面への道があるので、元来た階段を降りずに進むと、 緩やかな階段を降ると「中山道」の「道しるべ」がR21に立ち、東から来る人に「岩屋観音」への道を案内している。 R21には「中山道」と大きく書かれた看板が立ち、国道を走る車からも、この辺りは「中山道」なのだと分かる。

岩屋観音への階段

木曽川の流れ

道しるべ


ガイドブックによるとここからの「中山道」は国道に吸収されたようで、史跡も余り残っていないようだ。
木曽川と国道の間の堤防の上は「ロマンティック街道」と命名された遊歩道となっている。国道歩きは「熊野古道」の時も危険を感じたので、 史跡のあると思われる所は国道を歩き、ない時は「ロマンティック街道」を進むことにし、東に進む。暖かい日が射し、気持ち良い歩行だ。

関道道標

ロマンティック街道

国道沿いに「勝山神明神社御跡地之碑」が立っているので、この辺りに渡船場として栄えた「勝山湊」があったのだろうと推測する。
次の「関道道標」を探すべく、国道を歩く。この辺りは坂祝町となり、読み難い町名で名高いとか。
坂祝(さかほぎ)と読むのだ。それを名物にする店も建っている。

トラックの風圧で帽子を飛ばされそうになりながら進むと道端の見え難い所に小さな「関道道標」を発見する。
刃物で有名な関への分岐点を示す道標なのだ。
国道歩きを中断して「ロマンティック街道」を歩く。木曽川をライン川と見立てて、それに沿う道を「ロマンティック街道」として、観光名所と しているのだろう。気持ち良い遊歩道を木曽川を眺めながら進む。川幅は狭く、ここを観光船が下るのだ思いながら東へ。

国道沿いに「宝積寺の地蔵尊」が祀られているので、再び国道に戻り、探し出す。
地図では「取組の一里塚」が国道沿いにあると云うので、車に注意しながら国道を進み、探すのだが見つからない。尋ねる人も 誰もいないので、「行幸公園」から再び「ロマンティック街道」に戻り、木曽川を眺めながらポカポカ陽気の道をのんびりと進む。
堤防の上を歩いていると本当に気持ち良い。遥か向こうに大きな橋が見えだした。あれが「太田宿」の入口に当たる「中濃大橋」と 確認して進んでいると堤の下の農地に紅白の梅が満開に咲いている。春の息吹きが一杯だ。もう直ぐ、堤防にも土筆が顔を 出すのだろうと思いながら、「太田宿」に向かう。

宝積寺の地蔵尊

木曽川の流れ

中濃大橋に向かって



「鵜沼宿〜太田宿@」の「紀行スライドショー」



いよいよ「太田宿」に到着した。
前回、「おわら風の盆」に行く途中、美濃太田駅で下車し、銭湯で汗を流そうと、街道の一部を歩いて行ったが、まだ開店前で 入浴出来なかった。 駅に戻り、次回のために観光案内所で「太田宿Map」を手に入れていたので、そのMapをベースに進むことにする。

木曽川の堤防に設けられた「ロマンティック街道」を下りて、「太田宿」の西の入口に向かう。
「中濃大橋」の手前にある「深田神社」に向かう。誰も居ない静かな境内に入り、参拝する。Mapに「万治の石仏」とあるので 周辺を探すが、見つからない。尋ねる人も居ない。探し回って、境内に戻ると庵があってその中に「石仏」が祀られている。 これが「万治の石仏」(?)として次に進む。
神社の横に建つ「芳春寺」を通り、「中濃大橋」の下の道角に「虚空蔵堂」がひっそりと建っている。ここで太田出身の 坪内逍遥氏が幼少の頃、遊んだと。同時にこの辺りは「承久の乱」(1221)の古戦場だと。歴史のある場所だと認識する。
ここに「道しるべ」があると表示されているが、探しても分からない。諦めて「中濃大橋」に沿って進むと「太田代官所」跡で ある「太田小学校」校庭に当時から植わっている「大いちょう」がそびえている。

深田神社 万治の石仏?

虚空蔵堂 説明

大いちょう


太田宿の枡形 説明

高札場跡と郡上街道道標 説明

「中濃大橋」の下をくぐって進むと早速「枡形」になり直角に道が左折する。
角に「枡形」の説明文が掲示されている。 いよいよ「太田宿」に入ったのだ。

直進して「下町の枡形」を右折する角に「高札場跡」の標識があり、反対側に「郡上街道道標」が立つ。
古い「道標」には「右・関上有知、左・西京伊勢」とはっきりと刻まれている。
Map上で「太田宿案内碑」があると云うので、反対側に行くと広い道端に立派な石碑が建っている。
元に戻り、真っ直ぐに伸びる街道を進む。
静かな街道は人通りもなく落ち着いた雰囲気だ。昔の建屋が残る酒屋があり、「太田宿」と書かれた門灯が飾られ、 切妻屋根の両端に上がる「うだつ」が見事だ。街道筋の家々にも門灯が掲げられ、町が一体となって「太田宿」を保存 しようとする意欲が伝わって来るのは嬉しい。

太田宿の街並み

酒屋

太田宿の門灯


東に向かって進むと「本陣」の表門が堂々と建っている。本陣は焼失したが、皇女和宮降嫁時に建築された表門がそのまま 残っている。

太田宿・本陣 説明

太田宿・脇本陣 説明

右手に広場があり、その奥に立派な建物が建っている。「太田宿・中山道会館」なのだが、生憎、月曜日は休館日で入る ことが出来ない。月曜日が休みの施設が多いのは注意しなければならない。仕方がないのでパスして進む。
その隣に立派な建物が建つ。間口が広くカメラに収めるのに苦労する位の広さの「太田宿・脇本陣・林家住宅」だ。 母屋は昭和、表門は天保年間の建築で、「うだつ」も立派で堂々としている国重要文化財として保存されている。
当時の 建屋が残っている宿場は少なくなっているので、何時までもこの状態を保ってもらいたいと思う次第だ。

太田の渡しは、十三世紀以前から存在していたと考えられます。しかし、ここが宿のひとつとして定められ、繁栄するのは、 徳川家康によって伝馬制が整備されてからです。
慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、政治・軍事上の 必要から伝馬制を拡充し、伝馬を提供する所として宿を定めます。
中山道は慶長7年(1602年)に伝馬制ができ、宿のひとつが 太田宿でした。万治元年(1659年)に五街道(東海道・中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中)が定められ、 太田宿は中山道69宿の一つとして栄えることになったのです。江戸からは51番目の宿場にあたり、本陣・脇本陣・ 問屋・旅籠屋・遊女屋などで賑わいました。
太田宿の大きな特徴は、木曽川を渡る「太田の渡し」。木曽川が増水すると川止めとなり、旅人は木曽川を越えることが できませんでした。
中山道三大難所の一つとして、旅人に「木曽のかけはし 太田のわたし 碓氷峠がなくばよい」と うたわれたほどでした。(太田宿HPより)


月曜日が休みの店が多い。「脇本陣」の前にある「御代桜酒造」の店構えも立派だが、残念ながら閉まっていてNG。 他のお店も休みが多く、やはり紀行する日も調整しなければならないと痛感する。
街並みを楽しみながら歩いていると「旧小松屋」の建物が開放されているので、屋内の見学に入る。無人の館は当時の 室内が保たれ、太田の有名人である坪内逍遥、幡隆上人を展示する部屋がある。静かな部屋をゆっくりと観賞する。

御代桜酒造

太田宿の街並み

旧小松屋 内部


「旧小松屋」の見学を終え、「上町の枡形」を曲がって行くと木曽川との間に「祐泉寺」が建っている。

祐泉寺

魚屋さんの看板

木曽川側の山門から広い境内に入ると「北原白秋の歌碑」「坪内逍遥の歌碑」「松尾芭蕉の歌碑」が立つ 有名なお寺なのだろう。
それぞれの歌碑を見学して街道に戻り、昼食場所を探すが、数が少ない上に休みの店が多い。
街をウォッチングしながら 進んでいると珍しい看板の魚屋さんを発見し、パチリ。木曽川で獲れる鮎を形どったもののようだ。
食堂が見当たらないので、美濃太田駅の方に向かって探す。前回歩いた道を駅に進む途中に中華料理屋があったので、 ここで昼食とする。ここまでの歩行歩数は20000歩余りだ。まだ疲れは感じないのは有難い。(11:50-12:20)

昼食休憩で一息入れて、街道に戻る。道なりに進み、木曽川の堤防の道・「ロマンティック街道」に上り、木曽川の流れと心地よい 風を楽しむ。河原に何か石碑が見えるので降りて行くと「水神」と刻まれている。やはり木曽川の氾濫から守るための 神様が祀られていたのだ。
しばらく河原の芝生の上を歩き、再び堤防に上り、「太田宿」の有名な「太田の渡し跡」に向かう。
丁度、昼休みなので近くのサラリーマンや女性がウォーキングを楽しんでおられる。木曽川沿いの素晴らしい遊歩道でのウォーキングは 心身共にリフレッシュできるだろうと挨拶を交わしながら進む。

太田の渡し跡 説明



「太田橋」が見えて来た。中山道三大難所の一つとして「木曽のかけはし 太田のわたし  碓氷峠がなくばよい」と云われている「太田の渡し」があった所だ。
「太田の渡し」は時代によって場所が変わっているようで、その昔はもう少し下流に「古太田の渡し」が設けられていて、 対岸に「土田の一里塚」があったそうだが、今回は直近まで通っていた「中山道」の「太田の渡し」跡のルートに進む。

「太田橋」の下は公園の様になっているので、橋の根元にある「太田の渡し跡」に降りて行く。
この公園は「化石林公園」と云われ、森林が埋没し、根幹が化石となったものが発見されたそうだ。
河原の石畳を辿って 川岸まで行き「太田の渡し跡」の痕跡を探すが、何もなかった。橋の下でしばし、木曽川の雄大な流れを眺める。
この流れを 渡し船で渡るのは大変だろう。「中山道」三大難所と云われるのが分かる気持だ。

「太田橋」を渡るべく坂を上り、国道に出るが、安全柵を乗り越えなければならない。乗り越えて、橋の向こう側に架かっている 歩道橋で木曽川を渡る。
橋の上から上流を見ると、日本ラインを下る遊覧船の乗場があるが、シーズンオフなので船の姿は見えない。
これで伊勢湾に注ぐ、揖斐川・長良川・木曽川の三川を渡ったのだ。(13:00)
さあ、次の「伏見宿」へ進もう。

水神の碑

太田橋を望む

化石林公園



「鵜沼宿〜太田宿A」の「紀行スライドショー」


[鵜沼宿〜太田宿][太田宿〜伏見宿]






    
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