[鵜沼宿〜太田宿][太田宿〜伏見宿]

○ 「中山道No7」見聞録(鵜沼宿〜伏見宿)・(距離 15.8km(今回)/ 153.6km(累計)/ 380.4km(残距離)



7−2.(51)太田宿〜(50)伏見宿・(7.9km) 2009.03.02 13:00〜14:50 晴れ


中山道全行程.Map
「太田宿〜伏見宿・行程MAP」

地図の左下の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

木曽川の流れ、古き趣きが残る「太田宿」、三大難所の一つである「太田の渡し跡」を充実した気持ちで通過して、 次の「伏見宿」に向かう。

太田の渡し跡

今渡の渡し場跡

木曽川を渡り、「太田の渡し跡」を対岸から見返す。
上から見ると静かな流れだが、流れが激しい時は大変だったろうと 改めて感じ入る。
「太田橋」を渡った所に「今渡の渡し場跡」とある小さな公園がある。「太田橋」の少し上流に「今渡の渡し場」が あったのだ。木曽川の渡しは点在していて、時代によって変化していったのであろう。

ガイドブックによると「伏見宿」までは余り史跡もなく、先達の方の旅行記を読むと道路が拡幅されていて、道を迷い 易いとのことだ。
道なりに進むと「富士浅間神社」の鳥居が見られ、歩道のない道を進む。バイパスが出来ているのだろう、広い道を横切り、 真っ直ぐに進むとJR太多線の踏切を渡る。JR太多線は美濃太田と多治見を結ぶ、岐阜県・愛知県の外周路線で、「中山道」は しばらくこの線に沿って通り、山の中に入り、その後中央本線の恵那に進む。
国道21号線を進むが、拡幅され周りは緑も少なく、殺風景な光景が続くのは興覚めだ。川らしき所を渡る。これが「愛知用水」で、 木曽川の豊富な水を名古屋・知多半島に送り、農業に活用されていると学生時代に教わった覚えがあるのを思い出す。

富士浅間神社

JR太多線の踏切

愛知用水


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

片側3車線の広い国道沿いに進む。Map上には史跡もなく、淡々と歩を進めるがこのような状況の歩行は一番つまらない。 この辺りの開拓は大規模の様で、発展する名古屋地方の勢いを感じる。(今回の世界不況で少し翳りが出ているが)
R21は少し右側に曲り始めているが、直進する細い道(2車線)があるので、多少不安があったが進むと「上恵土神社」の鳥居が見え、 道に間違いがないことを確認し、ホッとする。
広い道との交叉点に「上恵土の道標」が立つ。「右−太田、左−多治見」と刻まれているが、交通量があるので、苦労してパチリと。 少し進んだ道脇に「正岡子規の歌碑」が立つ。歌人・俳人は方々歩いていたのだと再認識する。
この辺りから少しづつ宿場に近付いた雰囲気になって来る。高さ2mの大きな岩に刻まれた「播隆上人碑」が堂々と建っている。 「播隆上人」は江戸後期の浄土宗の僧で初めて槍ヶ岳に登頂した方で「太田宿」の「祐泉寺」にもお墓があった方だ。

上恵土神社

上恵土の道標

播隆上人碑


伏見宿の旧家

街道を進むと民家の前に「常夜灯」が立つと「伏見宿」に入った感じが強くなる。
昔風の旧家が数軒並んでいる。ガイドブックによれは旗籠の「三吉屋」、ペルシャから輸入されたラクダが宿泊した旧造酒屋の「松屋」 の様だが、看板も標識もないので真偽が分からない。しかし、街道筋に旧家が現れたのは嬉しい。
交差点の角には「兼山道道標」が立っている。「右・御嵩、左・兼山」と刻まれている。兼山は安土桃山時代の城下町で、 森蘭丸の墓があると。初めて知った地名だ。
道標の横に和風の立派な「一本松公園・休憩所」があるので、立ち寄って一息入れる。(14:20)

この辺りは交通量も少なく、落ち着いた雰囲気があるので宿場の真ん中のようだ。まだ時間があるので、次の「御嵩宿」まで 行けそうだが、初めの計画に沿って今回はこの「伏見宿」までとし、次回の一泊紀行のため、距離の調整をすることにし、 残っている「伏見宿」の史跡を辿ることにする。
少し進んだ公民館の前に「伏見宿・本陣跡」碑と「領界碑」が立つ。ここが宿場の中心なのだ。建屋等は何もないのは残念だ。

常夜灯

一本松公園・休憩所 道標

伏見宿・本陣跡碑と領界碑


ここから先は次回回すこととし、他の史跡を辿りながら駅に向かう。「一本松公園・休憩所」まで戻り、名鉄・明智駅を 目指し緩やかな坂を下って行く。
昔栄えた「伏見宿」の飯盛女の霊を祀る「女郎塚」が「子安観音堂」の境内にひっそりと。たくさんの石塔が建ち静かに 眠っている。故郷に帰れなく、ここで亡くなった女郎を祀っているのだ。
横の「子安観音堂」も整備され、地元の方が心を込めて奉っておられるのが感じられる。
参拝後、坂を下り切って川に沿って歩き、橋を渡って名鉄・明智駅に到着する。(14:50・35000歩)

女郎塚 説明

子安観音堂 説明

名鉄・明智駅



「太田宿〜伏見宿」の「紀行スライドショー」


名鉄・広見線には初めて乗る。無人駅で新可児までの切符を買い、2つ先の終点・新可児で下車し、すぐ横のJR太多線・可児駅 に乗換える。ここから、今日歩いた美濃太田に向かうか、反対の多治見に行き、中央本線で帰るか時間的には変わらない。
今回歩いたコースを車窓から振り返るために、美濃太田経由岐阜のルートにする。2両編成のワンマンカーから、今日歩いた道をや渡った踏切を 確認しながら美濃太田で乗換え、高山本線で木曽川沿いの道を振り返る。良い道を歩いたのだ。

岐阜駅で下車して、前々回温泉に入って訪れた駅構内の居酒屋で祝杯を挙げる。5時前から開いているは有難い。ビール・芋焼酎で 乾杯し、少し疲れた足腰に栄養を注入する
「熊野古道」の時は接続が悪くて帰宅までの時間は半端ではなかったが、さすが東海道本線一本で帰られるので、スムースに運び、 19時頃に帰宅する。今日の歩行は39000歩で丁度良かった。

半年振りの「中山道」紀行は気持ちの良い道が多く、史跡も充実していて満足出来るものだった。次は「美濃路」の最終行程に なり、「細久手宿」の昔そのままの旗籠が残っているので、そこに泊まり、「木曽路」を目指して進みたい。

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