○ 「中山道No8」見聞録(伏見宿〜大井宿)・(距離 35.3km/ 188.9km/ 345.1km)
8−1.(50)伏見宿〜(49)御嵩宿・(3.9km) 2009.04.02 9:10〜11:30 晴れ
前回は、春の「青春18きっぷ」を使って、久し振りの「中山道」紀行を楽しんだ。もう少し進むことが出来たが、今回の行程を 考えて、「伏見宿」まで歩き、次の一泊紀行の距離調整を行った。 今回は「美濃路」の後半で自然豊かと期待出来る「御嵩宿」から「細久手宿」「大湫宿」を経由して 中央本線・恵那駅近くの「大井宿」までの鉄道と離れた街道を歩くので、日帰りは難しく一泊しなければならない。 3月末に「細久手宿」のサイトでも有名な旅籠「大黒屋」さんに電話して、予約状況を聞くと満室の日もあり、4/2が空いていたので、 当日の天気が心配だが予約する。 天気予報は晴れ時々曇りで寒の戻りも治まり、安定した天候になりそうなので一安心だ。
まだ暗いが、前回と違って少し薄明るくなっている 感じがするが、寒く花冷えの状態が続く。 列車はガラガラで、「青春18キッパー」の姿は見られない。 京都で乗り換え、米原まではウトウトとしていると、明るくなった畑は緑の絨毯になっている。昨年春に「近江路」を歩いた時、 青々と茂っていた麦が、まだ背丈は短いが一面に広がっているのだ。 米原乗換も問題なく、空いた列車の車窓から、朝日に輝く伊吹山を間近に見ると頂上付近が白く輝いている。先日来の寒の戻りで 雪が積もったのだ。
ここまでで3時間以上かかっているのだ。もう乗ることがないだろう太多線(美濃太田〜多治見)に乗換え、ダムになっている木曽川を渡り、 前回のコースを楽しむ。 可児駅で下車し、すぐ横の名鉄・新可児駅で名鉄・広見線に乗換えて、前回の最終行程であった明智駅に到着する。、 出発より4時間経過した後、「No8.見聞録」をスタートする。(9:10') 冷たい風が強くて寒い。前回は「女郎塚」に立ち寄ったので、違う道を「伏見宿・本陣跡」に向かう。誰にも出会わない 静かな道を進み、国道21号線に出て、「伏見宿・本陣跡」に再会する。 ここからはR21に沿って進むが、途中3ケ所、旧街道への迂回道があるので、間違わないようにしなくてはならない。左側を 進むと左に小道があるので、国道から外れて進む。 ガイドブックによると平成13年まで名鉄・八百津線があったが、廃線となり、その横に「伏見宿」の飯盛女の信仰の対象になって いた樹齢千年の柳の木が立っていた「大柳碑」があると記されている。田圃に出て、100m程向こうの廃線跡らしき平地の横に 碑らしきものが建っているので、畦道を辿ると「大柳碑」が寂しく立っている。
畦道を戻り、再び国道を進む。この辺りの国道は車の往来が少ないので有難い。しばらく進むと左への細い道があり、その角に 「右・御嶽宿、左・伏見宿」と刻まれた道標が立っているので安心して旧街道に進む。 桜が咲き始めた街道を進むみ「東海環状自動車道」の高架下を抜けて行くと、国道との合流地点に「比衣の一里塚跡」の碑が 立っている。今回の紀行で初めての一里塚だ。
再び、R21を進んで、再度細道の旧街道を経てもう一度国道に戻る。国道筋に「常夜灯」や「清瀧覚直霊神」碑が立っているのは 旧街道の名残だろう。
伝説によれば、鎌倉初期の建久年間(1190-1199)頃、現在の鬼岩公園の岩穴に住み着き、悪さをしては御嵩の人々を困らせていた 「関の太郎」という鬼がいました。 地元の人々は正治元年(1199)、地頭纐纈源吾盛康に懇願し、4人の武士が派遣されました。 彼らは市で謀をして、見事この鬼を捕らえ首をはねました。その首を桶に入れて京へ運ぶ途中、急に重くなり動かなくなったので 埋めたとされる場所が「鬼の首塚」です。(岐阜観光協会HPより) 国道から左折して旧街道に入ると古い「秋葉常夜灯」が立ち、古道の趣きを感じさせる。 枡形を曲がって古い街並みを楽しみながら進むと名鉄・御嵩駅の駅舎が迎えてくれる。
「伏見宿〜御嵩宿@」の「紀行スライドショー」
蟹薬師とも呼ばれ、開創は平安時代という、伝統ある名刹。本尊の薬師如来坐像を含め、24体の国の重要文化財を持つ。 中でも秘仏とされる本尊は子年の4月1日に御開帳が行われる。約400年前に再建された本堂も国重文になっている。 (岐阜観光協会HPより) 本堂に参拝して、今回の紀行の無事をお願いし、古い建物を見学する。 境内には茅葺の鐘楼もあり、時代を感じる。 本尊等は拝観出来なかったが、「蟹薬師」と彫られた銘は力強い。 前日のお祭りの名残か、やぐらが組まれたままで、地元の方々は楽しまれたのだろうと思わせるものだ。 境内の桜を愛でて一息入れる。(10:30)
「願興寺」の隣に「中山道みたけ館」の新しい建屋が建つ。 中に入ると町の図書館と郷土館が併設されており、 「御嵩宿」の歴史が展示・掲示されている。 昔の浮世絵で描かれたような図柄を楽しく見ながら、ざっと見学する。
その隣は「御嵩宿・本陣」が保存されている。御嵩宿の中心地にあり、た野呂家の建物だと。当時の面影を残した立派な門や、 貴重な古文書などが残されているそうだ。 「御嵩宿・本陣」の隣が「商家竹屋」で見学も可能な展示場となっている。 表には古風豊かな木製の道標が立ち、雰囲気を盛り上げてくれる。 「中山道・御嶽宿・商家竹屋」は、江戸時代の主要街道「中山道」の宿場町、「御嶽宿」のなかに位置しています。 主屋は明治10年(1877)頃の建築と推定され、街道を人や物資が往来し、大きく賑 わいをみせていた頃からの豪商として、 宿場内での役割を立派に果たしてきました。 そのたたずまいは、商家にふさわしい質素で風格のある造りが成され、今日では徐々に姿を 消しつつある江戸時代の建築様式を 色濃く残す建物といえ、平成9年には、このうち「主屋」並びに「茶室」が御嵩町指定有形文化財になりました。 (岐阜観光協会HPより) 中に入ると女性の方から、親切に説明していただく。 本陣の野呂家が分家し、商家として栄えたと。 商家らしく入口の座敷には帳場があり、帳面がぶら下がっている。広い座敷が続き、 奥には茶室も設けられている立派な建屋だ。 入口の広間には昔懐かしい手回しの電話も残ってる昔通りの雰囲気だ。 台所、座敷を見学してしばし係りの方と話す。やはり、史跡として保存するのは大変なようだ。
早い出発だったので、時間的には良いタイミングで休息と美味しい昼食での腹ごしらえを同時に行った。(11:05-11:20) お腹も満ちて、落着いた街並みを楽しみながら「上野の用心井戸」に至る。これは「御嵩宿」の火災を守るために井戸を設けた先人の 知恵を具体化したもののようだ。 これらの防火意識が、古い史跡を後世まで伝える原動力なのだろう。 青空の下、御嶽の雄姿を眺めて進む。本当に良い天気だ。本堂の前に何故か白い象が飾られた「弘法堂」の前を通り、国道21号線に 至る。その角に「細久手宿・御嶽宿の道標」が立つ。 さあ、次の「細久手宿」に出発だ。
「伏見宿〜御嵩宿A」の「紀行スライドショー」
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