○ 「西国街道・再紀行@」見聞録(西宮〜石橋)・16.1km

  1.西宮〜石橋・(16.1km) 2016.06.26 9:50〜16:00 晴れ


西国・山陽道全行程.Map

「西宮〜石橋・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

昨年末に「京街道」を一緒に歩いた小学校以来の友人O君とN君と「西国街道」を歩くことになった。三人で「旧山陽道」を西宮〜下関を踏破してから、 早くも2年経過している。「西国街道」の京都〜西宮間は、小生とN君は一度歩いているが、O君は未経験のため、 京都から下関までを三人で踏破することを目標に、日程を合わせて実施した。
10時阪神西宮駅集合に合わせ、8時過ぎ出発する。梅雨の季節で、雨がよく降るが、今日は晴天の模様でラッキーだ。日曜日なので、ハイキング姿のグループも多く、 梅雨の晴れ間を精力的に楽しもうとする姿は微笑ましい。(我々も同じだが・・・・)
9時50分、全員が揃って、阪神西宮駅から「西国街道」紀行をスタートする。小生は単独で、2012年1月に高槻〜西宮までの 「西国街道」を歩き、その後直ぐに、O君と大阪・北浜〜甲子園までの 「中国街道」を歩き、ここ西宮戎神社で合流し、それ以降の「西国街道・ 旧山陽道」を下関まで歩いた次第だ。
「西宮戎神社」は参拝しいるので、西宮駅から直接「西国街道」を進む。

旧西国街道」の標識

住宅街の旧街道

JR山陽本線を越え、山側に上って行く。細い旧街道が残ってるのを確認しながら、 春先に「毛馬公園」に行って以来の行動について報告し合う。それぞれ、活躍しているのは嬉しいことだ。
阪急神戸線の高架下を抜けて進むと国道171号線に当たり、西宮市立体育館横の川沿いの道を進むと対岸に「旧西国街道」の標識を発見し、その矢印に従って 如何にも旧街道らしい細い道を進む。住宅地の中に、旧街道が残っているのは嬉しい。
住宅街の旧街道を歩きながら、「旧山陽道」には国道・県道歩きもあったが、昔の趣きを残す旧街道が残っていて、楽しい想い出話で盛り上がる。 今歩いている「奥州街道」は県道歩きが多く、余り面白くないとの報告も交えながら。
阪急門戸厄神駅に近付いた道角に「厄神道標」が立っている。「西国街道」と「有馬街道」の追分で、「門戸厄神」への道標ともなっていると。地元の方が、 案内板を整備されているご努力に感謝だ。
阪急今津線の門戸厄神駅横の踏切を渡って進むと「甲山観音」「門戸厄神」への道標が立っている。細い道と道標、旧街道そのものだ。街中に残っている史跡は 嬉しいものだ。
その先には、道角に「西国街道」道標が立っているので、間違いなく進めるのは嬉しい。

門戸厄神への道標

甲山観音・門戸厄神への道標

西国街道道標


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

山陽新幹線の高架下を抜けて、「西国街道」道標に従って右折し、左折する所に「西国街道(1)」の標識が立ち、京都・東寺から武庫川の「髭の渡し」を 渡ってこの地に到達したことを記している。
報徳高校に当たると校門の中には、「二宮尊徳像」が立てられている。 「日光街道」 紀行時、二宮尊徳は「今市宿」で亡くなり、「報徳二宮神社」に祀られていることを話す。校門の前から武庫川の堤防に上るが、堤防上の道路は交通量が多く、 河川敷に下りて「髭の渡し」跡を探すが分からず、散歩やランニングする方が 多い河川敷の遊歩道を進み、木陰を見付けて一息入れる。(11:35-45)

旧街道は右へ 西国街道・道標

二宮尊徳像

武庫川・髭の渡し跡付近


武庫川を甲武橋で渡り、堤防の車道から階段を下りて、堤防下の小道を進む。 小道の横に流れる武庫川からの用水路の水が美しく、鯉が泳いでいる所もある。
武庫北小学校の角に「西国街道」の石の標識が立ち、「髭の渡し跡」の位置を堤防の方を示している。
前回歩いた時は、車道を通っていたので気付かずに行った史跡を見付け、車道を渡って河原に入って行くと鳥居と祠が建ち、横には「髭の渡し」案内板が 立っている。「西国街道」の武庫川渡河の重要な拠点で、茶店や立場が建っていたと。前回見付けられなかった史跡を発見し、再紀行の有難さを噛みしめる。
国道171号線に合流して進むと左に立派な「師直塚」が立っている。高師直は、南北時代の武将で、楠正行を戦死させ、この付近に住んでいたと。
昼食場所を探すが、見つからず近くのイズミヤスーパーで、丼と冷やしうどんセットを食べる。日曜日なので、食堂は混雑しており、随分待って食事となる。 (12:30-13:10)

西国街道の石の標識

髭の渡し跡

師直塚


暑くなってきた。昆陽里の交叉点先右に「西国街道」の新しい道標が立っている。前回には無かった道標で、その指示に従い、旧街道に入って行く。 旧街道の先、左に閼伽井(あかい)公園があり、その中に「閼伽井」と云われる仏様に供える水が湧いたと 思われる井戸が残っている。 旅人の休息の場でも あったそうだ。案内板の下には、それらしき井戸があるので、これが「閼伽井」の井戸と思っていたが、奥の右に案内板があり「閼伽井」と示されている。 前回は気付かなかった井戸だが、こちらが本物だろうと推測する。

西国街道の新しい道標

閼伽井

本物の閼伽井?


閼伽井公園を左折して、国道171号線の方向に向かう。

昆陽寺・山門

この道は「昆陽寺」の参道でもあったようで、国道までの間に寺院が立ち並んでいる。
国道は 高架で遮られているので、少し回って横断歩道で渡り、「昆陽寺」に向かう。
昆陽寺は僧行基創立の畿内四十九院の一つとして天平3年(731)に創建された「昆陽施院(せいん)」の系譜をひく寺です。その後天正7年(1579)に 織田信長の兵火にかかって堂塔を焼失し、それ以前の建物は何一つ残っていません。

昆陽寺・本堂

山門は江戸時代中期に再建されたもので,兵庫県の有形文化財に指定されています。
山門は上層周囲に縁をめぐらし,細部にみる絵様繰形(えようくりがた)の形式手法は、江戸中期のそれをよく伝えています。三間一戸の楼門で, 屋根は入母屋造り,本瓦葺です。桁行は8.6m,梁行4.97mです。 山門の二天像も兵庫県の指定文化財に指定されています。(伊丹市HPより)

静かな境内で、時代の変遷を感じながら一息入れる。日曜日なのに参拝者がだけも居ないのは不思議な感じだ。
国道を少し進んで、「西天神社」の前から右に入って行くのが旧街道で、新しい道標が示してくれている。
少し進んだ左に、「西国街道」の案内板が立っている。 「旧山陽道」を歩いた時、「西国街道」の名称と「旧山陽道」が入り混じっていたことを話しながら進む。姫路近辺までは「西国街道」が多く、その先も 時々「西国街道」の名称が出て来たのを想い出す。
旧街道の趣きを残す細い道を進むが、暑さは厳しくなってきた。

西国街道の新しい道標

西国街道の案内板

旧街道


左に小さな公園があり、入口に可愛い「地蔵尊」が祀られ、「昆陽村」の案内板が立っている。この辺りに「昆陽宿」があり、本陣等もあるのだろうが 分かない。
その先の稲野小学校の校門前に「能因法師の歌碑と道標」が立ち 横には「西国街道の案内碑」も立っている。狭い細い道、史跡と旧街道の雰囲気を感じる 「西国街道」そのものだ。

可愛い地蔵尊

能因法師の歌碑と道標

西国街道の案内碑


日陰を選りながら旧街道を進むが、暑さが増してくる。少し先左に「千僧天神社」の鳥居を見て進むと立派な塀に囲まれた旧家が建っている。 旧街道の趣きを残す街並みは嬉しい。
その先の広い道角にあるコンビニに立ち寄り、アイスクリームを買い求め、しばしの涼を楽しむ。(14:20)
気分新たに歩き始めると「大鹿交流センター」が建ち、大きな木の横に「西国街道」の標識が掲げられている。

千僧天神社

立派な塀に囲まれた旧家

西国街道の標識


旧街道は、緩やかな上り坂となり、道横の茂みの中に「伊丹坂」の標識が立っている。この坂の名称は「伊丹坂」と云うのだ。
坂の途中に「和泉式部の墓」の案内板があるが、今回はパスする。前回は立ち寄ったが、和泉式部の墓は、方々に存在しているようだ。少し進むと左に 小さな広場があり「多田神社道標」が立ち、その奥には「辻の碑(いしぶみ)」が祀られている。碑には「従東寺拾里」と刻まれている。 ここから「西国街道」の始点・東寺まで10里・40kmあるのだと認識し、一息入れる。(14:45-50)

伊丹坂の標識

多田神社道標

辻の碑


旧街道は、JR福知山線を越えて、大きな化学会社の横を猪名川の堤防に上って行く。堤防に上がると伊丹空港が見え、上昇する飛行機の大きな姿が望まれ 川風を感じながら、しばし眺める。
軍行橋を渡ると道沿いに旧家が2軒連なっている。伊丹市景観形成建造物に指定されている入江家と中村家だと。その先に「浄源寺」が建っている。 境内には、 桐とムクの木が寄生する銀杏の木がそびえている。見上げる位の高さに魅入り、一息入れる。(15:20-25)

猪名川の堤防

旧家が2軒

浄源寺 銀杏の木


旧街道は、国道171号線から右側に離れ、川に当たった所から高架下を抜け、歩道橋で川を渡って進む。少し迷いそうになるが、N君が以前歩いたコースを 覚えていたので、間違いなく進むことができた。
その先左の「受楽寺」境内には「桂春團治の碑」が立っている。落語の題材とも なっている池田に記念として祀られたようだ。
中国道の高架下を抜け、道なりに進むと「西国街道」案内板が立ち、石橋に近付いたことを実感する。

歩道橋

桂春團治の碑

西国街道・案内板


阪急宝塚線の踏切を渡った所に古い道標が立ち、横には「石橋村高札場跡」の案内板が立っている。更に道なりに進むと地蔵橋と「辻の地蔵」が 祀られている。短い距離の間に、旧街道の史跡が残っているのだ。
国道176号線に合流すると直ぐに石橋阪大下の交叉点に到達し、本日の紀行を終えることにする。16.1km、19300歩の楽しい紀行だった。前回と逆コース だったが、見落とした所を探し当てたりと幼馴染三人の久し振りの旧街道歩きを終える。(16:00)

石橋村高札場跡

辻の地蔵

石橋阪大下の交叉点


10時からの暑い陽射しの中の紀行を終え、石橋商店街にある銭湯に向かう。商店街は、昔の雰囲気を残し、賑わっているのは嬉しい。石橋駅を過ぎて、 銭湯の前に行くと改装中で開いていない。
前の店で、近くの銭湯の場所を教えてもらうと10分余り歩いた所にあると。教えられた道を人に尋ねながら探し当て、汗を流すことにする。
脱衣場のテレビには 阪神VS広島を放映しており、広島が同点・逆転し、広島に長く単身赴任していたO君は歓声を上げたのには驚いた。周りは阪神ファンばかりなので、一瞬 心配したが、文句もなく湯船に向かう。
露天風呂・水風呂もあり、火照った体を冷やし、湯上りの乾杯の用意を万全にし、駅前の居酒屋で乾杯!! 生ビールは美味しく、串焼きをメインにしつかりと 懇談する。仲間との紀行は楽しいものだ。秋に続きを歩こうと約束して、阪急電車で帰宅する。






    
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