「青春18切符」...「越前・島原・阿蘇・四国周遊の旅」


2008/3.22-25.. [越前大野][島原][阿蘇][四国]

「行程MAP」



A、第2日目・3/23
新大阪(21:59)→ML九州(宿泊)→博多(7:52・8:11)→鳥栖(8:44・8:57)→肥前山口(9:39・9:44)→早岐(10:40・ 10:47)→諫早(11:41・12:54)→島原(14:11・16:06)→島原外港(16:17・宿泊)===>JR..773km・10500円、島原鉄道..43km・1500円

岡山で日付変更になり、その後の停車駅は5時過ぎの厚狭駅までない。岡山で少し人が乗って来たのを気付いたが、 狭い座席で浅い睡眠が続く。

ML九州の最後部

広島を過ぎた辺りからなかなか眠れなくなり、ウトウトとしていると、アナウンスで厚狭到着を告げられる。数人下車したようだ。
雨が降り出したようで、今日の行程が心配だ。

次の下関でJR西からJR九州に代わるので、機関車の交替になるとのことで、10数分の停車になる。
今日は日曜日なので ダイヤが変わり、博多到着が遅くなる。
博多で朝食と考えていたが、時間がないので、下関で弁当を買うことにする。
本来、うどん等の汁物が良いが、まだ開いていないので、「ふぐチラシ寿司」の弁当を買い、関門トンネルを抜けて九州に上陸して 食べ始める。なかなか美味しい。
小倉から博多までは結構時間がかかる。雨の降る景色を眺めながらウトウトと。

7時52分、定刻通り博多駅に到着し、洗面とトイレを済まして急いで鳥栖行のホームに向かう。
雨が止んでいるので、雨雲が通り過ぎたと喜ぶ。
JR九州の列車は他のJRに比べて車両がきれいで、デザインがユニークだ。

特急・つばめの篤姫

特急も路線により特徴を出していることに、鹿児島に単身赴任していた時感じた。その傾向は継続されている。
8時11分発の列車は2人掛けで、頭の位置のクッショクが付き出たタイプで他のJRでは見られない車両で、鳥栖に到着する。(8:44')

鳥栖から肥前山口に向かうのでホームを移動していると、特急「つばめ」が到着した。車両の側面にNHK大河ドラマ「篤姫」の 写真が大きく描かれている。鹿児島県のPR効果を狙っているのだろう。

肥前山口行は長椅子タイプの普通の車両だ。JR九州に乗ってから、何か違和感を感じていた。日頃乗り慣れているJR西の アナウンスは「扉が閉まります。ご注意ください」がJR九州は「閉まるドアに、ご注意ください」と。同じことを云っているが、 云い方が違うと変な感じだが、このような違いを知るのも旅の楽しみの一つだ。

肥前山口から長崎本線で諫早に行く方が近いが、列車の本数が少ない。

早岐行列車

ドア付近の吊皮

佐世保線に乗り、早岐で大村線に乗換えるルートが 早く着くことを調べていたので、5分の待合わせで早岐行にダッシュする。
肥前山口は現役時代、関連会社への出張でよく訪れ、山陽新幹線が出来るまでは夜行寝台で来たこともあった。
列車が出発し、次の大町駅前の工場を久し振りに眺める。順調に操業している様子は嬉しいものだ。
この列車もきれいで、デザインが凝っている。洒落たボックスタイプでシートも良く、ドア付近の補助椅子もなかなかのものだ。 乗客が多いので写真は写せないが、ドア付近の円形の吊皮をパチリ。雨が激しく降って来た。島原での観光が心配だ。

早岐に到着するとすぐに佐世保発の長崎行快速が到着し、急いで乗車する。次の駅が「ハウステンボス」なのに驚く。ハウステンボス には来たことがあったが、全く土地勘が分かっていなかった。この雨では見物も大変だと。
海際スレスレを通って諫早に到着する。(11:41')
順調に乗り継いできたが、博多から4時間近くかかるのだ。ここから島原鉄道で島原まで進むのだが、1時間以上かかるため、 雨が止むことを期待して、ここで昼食にしようと探すが、閉まっている店が多く、やっとうどん屋を見つけて軽く昼食を 食べる。
JRの改札口と島原鉄道の改札口は同じで、一日乗り放題の割引切符(1500円)を購入する。廃線の記念切符は全て売り切れの 状態で、3月末の廃線に殺到するマニアが多いようだ。
ホームに入ると1両編成の黄色い列車が止ってり、車体には「島原の子守唄」をモチーフにした可愛い絵が描かれている。

諫早駅

島原鉄道の列車

島原の子守唄の絵


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

12時54分発のボックスシートの1両編成の列車は諫早湾沿いを進む。雨で煙っていて視界が利かない。問題となった水門や堰は 見えないが、自然保護とダム建設の話題を提供した場所なのだ。

島原城 ..説明→

天気で見晴らしが良ければ、素晴らしい光景が望められるのに残念だ。地元の方と話しながら「島原駅」に到着する。(14:11')

以前、車でこの辺りを通過した時、お城と普賢岳の火砕流跡を見た。火砕流跡を1両編成の「島原鉄道」の列車が 通っているのが印象的だった。
その「島原鉄道」の西側路線が3月末に廃線になるので訪れた次第だ。

「島原駅」は堂々とした造りで駅前には「島原の子守唄」の子守姿のモニュメントが建っている。
まだ雨が降り続いている。Mapを手に入れ、眼の前にそびえる「島原城」に向かう。

島原城は寛永元(1624)年、松倉豊後守重政が7年の歳月をかけて築いたものです。五層天守閣を中核に、大小の櫓を要所に配置した、 安土桃山期の築城様式を取り入れた壮麗な城でした。
しかし、明治の御一新で惜しくも解体されてしまいました。天守閣をはじめすべての建物をなくした島原城は、城壁だけを残して 長年の風雪に耐えてきました。
昭和35年にまず「西の櫓」が、続いて39年に「天守閣」を復元することができました。そのとき館内を資料館にして、 収集した史・資料を「キリシタン史料」「郷土資料」「民俗資料」と各階毎に公開しています。(島原城HPより)


「島原城」のお堀は立派なものだ。広くて石垣が層になっており美しい。お堀端の桜は少し蕾が膨らんでいるが、 冷たい雨に打たれて、開花まではもう少しかかりそうだ。
堀を廻って天守閣に入場する。内部は近代的な造りになっており、歴史的な展示や鎧・武器が展示されている。
「島原の乱」は歴史で教わったが、天草四郎時貞のイメードが強く、天草で戦闘が起こっていたと思いがちだが、島原半島の 原城に立て篭もり、この「島原城」でも攻防があったことを改めて認識した。
天守閣の上から雨が降り続く景色を眺めるが、視界が悪く海も山も霞んでいる。残念だ。

島原駅 ..子守姿→

島原城の堀 ..桜の蕾→

天守閣からの眺め


天守閣から降りて、Mapを頼りに「日本名水100選」の「島原湧水群」に向かって進むが、雨が降り続いているので、 Mapも濡れて見難くなる。
街中の方々に小さな湧水がコンコンと流れだしている。昨日の越前大野と同じ様に柄杓に名水を汲んで飲む。 冷たくて美味しい。
温泉も湧き出していて、手を入れると温かく、冷えて来た体にはありがたい。名水と温泉が湧いている素晴らしい 街だ。しかし、雨で寒くなって来る。
「鯉の泳ぐまち」の案内板に沿って進むと静かな住宅街の小さな水路に鯉がスイスイと泳いでいる。津和野や飫肥でも 見た、きれいな水と地元の努力の賜物をゆっくりと眺める。雨でよけいに雰囲気がある。
雨が降り続いているので、少し遠い湧水探索は諦めて駅に戻る。今日の宿泊は「島原外港」近くのビジネスホテルなので、 列車で行かねばならない。1時間に1本なので、駅に急ぐ。

島原の湧水

温泉の湧き出し

鯉の泳ぐまち ..標識→



「ML九州〜島原」の「紀行スライド」


再び「島原鉄道」に乗り、「島原外港」に向かう。廃線になる路線を進もうかとも思ったが、雨で煙って普賢岳も 望めないので諦める。

上下の島原鉄道

丁度、上り・下りの列車が並んで停車したので記念撮影をする。今月末でこの列車の西行きは廃止になるのだ。ご苦労様でした。

「島原外港」で下車して、港の側のホテルに向かう。少し雨が小降りになって来たので、明日は期待出来ると。
ホテルにチェックインして、外湯の場所を聞くと隣のホテルでやっているとのことで、直ぐに身体を温めに行く。 露天風呂やザボンが浮かんでいる内風呂で疲れを癒す。やはり、夜行列車では睡眠をとっているようで、身体を 伸ばしていないので疲れているようだ。
ホテルに戻り、港の側の居酒屋で夕食にする。この辺りの名物は「具雑煮」とのことで、頼むと雑煮にカマボコやチクワが入り 少し魚も入ってる素朴なもので美味しい。地魚も楽しみながら乾杯。

昨日の越前大野散策から夜行列車の移動でやはり疲れた。 ベットに思い切り身体を伸ばしてぐっすりと眠る。

B、第3日目-1・3/24
島原外港(10:15)→フェリー→熊本港(10:45)===>フェリー..?km・800円

ぐっすりと眠って心地良い目覚めだ。窓から外を見ると雨は止んでいて、どんよりとした曇り空だ。
昨日入浴したホテルにレンタサイクルがあるのを確認していたので、7時過ぎ借りに行く。Mapももらって昨日探索出来なかった 湧水群をサイクリングで探訪することにする。

昨日乗車した「島原駅」から「島原外港駅」まで3駅あり、距離もそれなりにある。「島原外港駅」を確認して 坂道を登って、湧水群のひとつである「白土湖(しらちこ)」に向かうが、道を尋ねた老人の方向が違っていて 別の場所に行ってしまい、アップダウンを繰り返して、やっと辿り着く。
「白土湖」は200年前、地殻変動のため陥没した「日本一小さい陥没湖」で1日4万トンの水が湧いていると。
静かな湖の周辺は花が植えられ、美しく整備されている。地元の方々の熱い思いが感じられる。周辺には湧水が 多く、「洗い場」や「耳洗公園水源」が点在している。

昨日から気になっていた「ねはん仏像」の標識に従って進むと墓地の中に大きな「涅槃仏」が横になり祀られている。

白土湖 ..説明→

耳洗公園水源 ..説明→

ねはん仏像 ..説明→


「古い街並み」の家にはまだ「注連飾り」が飾られている。伊勢地方でもその風習が残っているが、この辺りにも影響が 及んでいることに驚く。
Mapにある湧水を探して、自転車を走らせる。地元の女性に道を尋ね、場所を確認すると丁寧に教えてくださる。 「きれいな湧水が多いですね」と話すと「湧水が多いだけで、田舎ですよ」と。「今の時代、自然の美味しい水は 貴重ですよ」と応えると「そうなのですね、地元にいると当たり前と思っていました」と微笑んでおられた。 きれいな水の所には心優しい人が住んでおられるのだ・・・・。

「水頭(みずがしら)の井戸」は釣瓶も付いた井戸から水が湧き出し、2つの水槽を満たして流れている。
水は美味しく、 少し疲れた身体に沁み渡る。一息入れていると先程の婦人が来られ、「美味しいでしょう」と。
この辺り一円は湧水が多いようだ。昨日はこの辺りまで来ていたが、雨で探索出来なかった。街の商店街のアーケードの 中にも小さな湧水が点在しているのには驚く。
湧水の周りは何処もきれいに掃除され、柄杓やコップが置かれている。 さすが「湧水の街」だ。

古い街並み ..注連飾り→

水頭の井戸 ..説明→

商店街の湧水


湧水を堪能して、「武家屋敷」に向かおうかと思ったが、時間的に厳しいので、昨日訪れた「鯉の泳ぐ街」を訪れ、戻る ことにする。

普賢岳の裾野

眉山

きれいな水路に鯉が元気よく泳いでいるのを眺めて「島原外港」に向かう。
港を通り過ぎて、普賢岳の火砕流跡に行こうと きつい坂道は自転車を押して上り、西に進むが山裾までまだ距離がありそうだ。
通学途中の中学生に「どれ位ある?」と尋ねると「自転車で行くの?」と驚いた表情だ。「大分ありますよ」との返事で 諦めることにする。
丘の上からかすかに見える「普賢岳の裾野」を写して、港に戻ろうと。途中、昨日は雨で煙っていた「島原城」の後にそびえる 「眉山」の切り立った山並が眺められ、自転車を返して(300円)港に向かう。

「島原外港」への歩道に観光用にタイルが貼ってある。島原の名物を表している可愛いものだ。観光にも力を入れている ことが良く分かる。島原城・普賢岳・鯉・涅槃仏・子守姿と大小色々と。
「島原外港」の船着き場は立派で、中には普賢岳噴火による被災状況が時系列でパネル展示してある。
1990年の噴火からの様子が生々しい。それまで「火砕流」と云う言葉も知らなかったのが、映像で初めて見て、その迫力に 怖れ驚いたのを思い出す。41名の被害者が出たのだ。ご冥福を。

熊本港まで高速フェリーで800円だ。有明海沿岸を廻って進むと4-5時間かかると思われるので、約30分で海上を横断出来るのは ありがたい。
フェリーの到着まで、ゆっくりとくつろぎ、立派な高速フェリーに乗船する。内部もなかなか豪華な造りなので驚く。

観光用タイル ..お城→

島原外港 ..パネル→

高速フェリー ..船内→


10時45分にフェリーは出航する。待合室では姿が見えなかった乗客がたくさん乗っている。欧米人・中国人・韓国人と外人も多く、 観光バスで来ているようだ。

高速フェリーの航跡

出航して甲板から島原の街を眺める。
普賢岳も頭は隠しているが、火砕流跡の生々しい傷跡を残している。
あの橋の上を「島原鉄道」が黄色い車体を光らせて走っていた光景を見ていたので、今回の鉄道廃線の話を知り、 島原に訪れたのだ。
本当は自転車で傍まで行きたかったのだが・・・。

航跡の白い泡の先に火砕流跡を見ながら、島原から熊本へ進む。
船の旅は陸が離れるに連れ「さようなら」と云いたくなる。「島原よ、さようなら!!」

カモメが船の後を追って来る。外人がパンの屑を放り投げるとパクリと。甲板ではしばらく楽しい笑い声が響いている。
熊本までついて来て、又、島原に帰るのだろうかと。
11時15分、無事、熊本港に到着して、短い航海を終える。

甲板からの島原の街

普賢岳の火砕流跡

カモメとの戯れ ..カモメ→



「島原散策」の「紀行スライド」


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