「青春18きっぷ・中山道懐古の旅A」



今年の夏は猛暑と豪雨が襲う異常気象の中、甲子園も仙台育英高校の優勝で、優勝旗が初めて「白河の関」を越え、東北に届いた位の熱戦続きで、 大いに楽しむことができた。
今回は、前回に引き続き「中山道・懐古の旅」と銘打って「旧街道・日本縦断」踏破記念に、 出来るだけ忠実に「中山道」の行程をJR路線で辿ることにし、 12年前に泊った「奈良井宿」の旅館の空き具合を確認して実施する。

○ 2022.08.24. (高槻⇒京都⇒米原⇒名古屋⇒中津川⇒塩尻⇒上諏訪(諏訪大社参拝)⇒塩尻⇒奈良井)

前回同様、始発乗車のため、4時20分頃に家を出て、高槻駅に向かう。天候は曇り空で少し心配だが、薄明るい中を高槻駅に向かう。

@高槻(4:58)⇒京都(5:19・5:30)⇒米原(6:38・6:46)⇒名古屋(8:04・8:35)⇒中津川(10:00)

高槻発の始発で京都に向かい乗換えて米原に向かう。「近江路の」の景観を望み、米原からは前回岐阜で降りたが、そのまま名古屋に向かう。

名古屋駅のきしめん

毎回眺める車窓だが、稲穂の大きさや色付きで季節の変化を感じる。通勤時なので、岐阜や一宮からの通勤客で満員となる。
名古屋駅の乗換は、混雑の中でのホーム移動で大変だ。待ち時間の間に、名古屋名物の「冷やしきしめん」をホームの立ち食い蕎麦屋に行く。
注文したが、 間違って「熱いきしめん」が出て来たが、時間がないので了承して食べる。確か、以前の出汁は関西風だと思ったが、黒い色した出汁で、名古屋も関西風で なくなったのだと残念に思う。
しかし、到着する列車が遅れ、15分遅れで中津川行の列車は出発する。ベンチタイプのシートで、長距離移動には不適合だ。昔はロマンスシートだったと思ったが 変わったのだ。
多治見までは「中山道」と関係ないが、多治見からは前回車窓から眺めた景色をぼんやりと眺めながら進むと、珍しいものを発見する。田圃の上を ドローンが飛んでいるのだ。稲の生育状態の観察なのだろうか、農業にも近代機器が導入され、高齢化や後継者問題の解消になることを期待したい。
前回は、中津川駅からバスで「馬籠宿」「妻籠宿」を巡って南木曽駅まで進んだが、今回は乗り継いで、南木曽を経由して「中山道」沿いに塩尻まで進むのだ。

A中津川(10:20)⇒塩尻(12:10・12:49)⇒下諏訪(13:10)

鉄道から前回訪れた「馬籠・妻籠宿」がある山側の景色を眺めながら南木曽に向かう。「妻籠宿」から南木曽に向かう途中に「妻籠城址」や「木曽義仲・巴御前」 の史跡があり、ここで兵を挙げたことを想い出しながら山を下り、木曽川に降りる。
木曽川には、大正時代に水力発電用の資材運搬用に架けられた木造りの吊り橋「桃介橋」が遠くに見えたのを列車から探し、見付けることができた。次の「三留野宿」に 向かう途中、この紀行時によく間違った錯覚の最大の間違いをする。
持参しているガイドブックは、江戸から京への「中山道」の行程を示している。しかし、京から江戸に向かう小生は、全て逆なのだ。 ガイドブックの後ろから読み始め、左折するとある所は右折になり、坂を上るは下ることになるのだ。当初、なかなか順応できず、少し進んで間違いを気付き 戻ることが多かった。今回の間違いは、「階段を下る」とあるので、その通り、本来上るのを下っていまい、大幅なロスをした次第だ。これらも懐かしい想い出だ。
木曽川の急流沿いの道を進み、途中からその急流を避けるように山側のみちを「野尻宿」に向かったのだ。

妻籠城址から妻籠宿を望む

桃介橋

木曽川


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

次の「須原宿」も落ち着いた宿場で「水船」と呼ばれる木をくり抜いた水槽が目立ち、冷たい水で何度も顔を洗ったのを想い出す。
中央本線沿いの旧街道を進むと鉄道の向こうに「小野の滝」が流れ落ちている。久し振りの滝のマイナスイオンを浴びて一息入れたのは懐かしい。 更に「上松宿」に向かう途中、暑さのため軽い熱中症になり、フラフラと進めなくなり、木陰で休んだりしながら「寝覚ノ床」までたどり着いたが。 これ以上の歩行は危険だと思い、タクシーで上松駅に進んだ汚点もあった。列車に乗っても回復せず、中津川で乗り換え、正常に戻ったのは名古屋の 手前だった。夏の歩行は注意しなければ・・・と反省しきりだった。

須原宿・水舟

小野の滝と常夜灯

寝覚ノ床


次の紀行では、上松駅から「寝覚ノ床」まで戻り「上松宿」に戻った。「上松宿」辺りから、所々で可愛い「道祖神」が疲れを癒してくれる。 木曽川沿いの旧街道を進むと「中山道」のひとつ「木曽の桟」が見える。この急流の木曽川の難所に木組みの桟を設けたのだ。旅人も命がけの難所だったの だろう。
旧街道は木曽福島の「福島宿」に入る。「福島宿」には江戸幕府が江戸防衛のために、「東海道」の「箱根関所」や「新居関所」「中山道」の「碓井関所」 などと並ぶ日本四大関所の一つである「福島関所」が設けられている。1月だったので、雪の積もる坂道を上っての見学は印象的だった。

可愛い道祖伸

木曽の桟

福島関所


木曽福島周辺には「木曽義仲」の遺跡が点在する。この地で旗揚げをした義仲は、鎌倉軍に敗れ討死をし、この地に祀られている。「大津宿」の「義仲寺」にも 祀られていたが、故郷にも祀られているのだ。地元の英雄的な存在のようだ。
「宮ノ越宿」に向かう途中に「中山道中間地」の案内板が立っている。「江戸・京都まで67里38町」と記されている。その先の道の駅には 「中山道東西中間之地」と刻まれた立派な碑が立ち、「江戸へ67里28町」と刻まれている。38町と28町の違いがあるので、木曾町観光協会にメールしたが、 回答はなかった。もう修正されているのだろうか。何はともあれ、「中山道」の半分を踏破したことに満足した次第だ。
「宮ノ越宿」の先に「義仲館」が建ち「木曽義仲・巴御前」石像が立っている。この辺りの「木曽義仲」人気は凄いと改めて感じる。
今回の紀行は、木曽福島駅に11時過ぎに着き、宮ノ越駅発15時過ぎに乗らないと帰宅は困難になる。「青春18きっぷ」の日帰り紀行はそろそろ限界に近付いていると 考え、次からの行程を検討することにした次第だ。

木曽義仲の墓

中山道中間地」の案内板 中間碑

木曽義仲・巴御前の石像


「青春18きっぷ」での限界を感じたので、色々と検討した結果、宿泊することと夜行バスを活用しようと結論付けた。
まずは、以前から宿泊したかった「奈良井宿」で泊り、その景観を満喫し、帰宅可能な時間まで進んで「青春18きっぷ」で戻ることに計画する。
春の発売期間に実施しようと計画していだが、その年の雪が深いので、観光協会に「奈良井宿」手前の「鳥居峠」の積雪状態を尋ねると、まだ雪深く、 熊も出るとのことで素人は避けるようにのアドバイスで、夏の「青春18きっぷ」の期間に延期することにする。
7月に何時ものように始発電車で中津川経由で11時過ぎに宮ノ越駅に到着して、紀行を開始する。次の「藪原宿」は鳥居峠と野麦峠の裾に位置するので、 栄えたそうだが、火災のためその面影も残っていない。
いよいよ「中山道」の難所のひとつ「鳥居峠(1197m)」に向かい、熊除けの「熊鐘」を鳴らして上り始める。 地道・石畳道の周辺は藪が深く雪の中の歩行は危険なことを認識する。頂上には、鳥居峠の名前にもなった木曽義仲が御嶽権現に戦勝を祈願した鳥居が立っている。 木曽御嶽山の遥拝所・鳥居を確認し「奈良井宿」に向け下り「鎮(しずめ)神社」に降り「奈良井宿」に到達した。

鳥居峠登り口・熊鐘

御嶽山を望む 鳥居

鎮神社


新旧入り混じってややこしいが、今までは当時の紀行の写真と想い出を記述した。今回の紀行で「奈良井宿」に宿泊したので、当時の紀行時も含め 「諏訪大社」参拝後、「奈良井宿」を訪れた時に記述する。
列車は鳥居峠のトンネル・奈良井駅を通り、贄川に向かう。以前の紀行時は、雨の中を進み、漆器で有名な平沢の集落を抜け、当時の面影が残る「贄川関所」で 雨宿りをし、上に上がり濡れた靴下を絞ったことを記憶している。
次の「本山宿」との間に「これより南・木曽路」の碑が立っている。「馬篭宿」の手前に「これより北・木曽路」の碑を見てから、「木曽路11宿」を踏破して 南の碑に到達したのだと感激する。「木曽路」から「信濃路」に向かうのだと。
「信濃路」に入ったと気分新たに「本山宿」を抜けて「洗馬宿」に向かう。この宿も大火で焼失しているが史跡の標識が仁備されており、「高札場跡」に 「中山道」の碑が立っている。当時の紀行はここまでとして、洗馬駅発15時前の列車で帰宅する。次回は、夜行バス利用だと。

贄川関所

これより南・木曽路の碑

洗馬宿・高札跡


松本行の夜行バスが開通したので、それを活用して紀行を続けることにする。22時10分大阪発で、6時16分に松本着、JRで洗馬駅到着が6時56分と 効率よく進めるのは有難い。
「洗馬宿」から「塩尻宿」に歩き始めると「善光寺街道」との追分を確認し「中山道」方向に進む。ブドウ畑を抜け、焼失した「塩尻宿」の史跡の標識を観ながら 「塩尻峠」を目指して緩やかな坂を上ると頂上からは、眼下に広々とした諏訪湖が望まれる。大阪から遠くに来たものだと感動したものだった。
夜行バスの疲れもなく、快調に下って行くと食事処があり、「おやき」を売っているので「信濃路」突入を記念しておやきときのこ汁を食べ、「下諏訪宿」見学の 力を蓄える。

善光寺街道との追分

塩尻峠から諏訪湖を望む

おやきときのこ汁


列車は塩尻駅に到着し、篠ノ井線に乗り換える。列車の遅れで乗換時間があるので、駅の立ち食い蕎麦屋て゜冷たい蕎麦を食べる。 観光案内所に行き、次回の「岩田峠」を上ってからの信州高原のルートを検討する。高原への上り方等を聞くが、ルートはないとのことで失望する。 観光案内所の横にはブドウの房が実っているのを観て、改めて塩尻がブドウ産地の拠点だと認識する。
列車に乗り、下諏訪駅に向かう途中にも諏訪湖が望め、懐かしく思う。下諏訪駅のホームには注連縄と御柱が飾られ、横には「万治の石仏」の像がかざられている。 さすが、「諏訪大社」の玄関口の駅だ。
    (紀行時の「下諏訪宿見聞録」を参照。)

昼食の蕎麦

塩尻のブドウ

注連縄と御柱 万治の石仏


駅前の観光案内所に行くが休日で開いていない。残念だが仕方がないと諦め、「中山道」は駅から「諏訪大社・秋宮」を通って「諏訪大社・春宮」に行くが、 帰りの行程を考え、タクシーで「春宮」に向かう。
大きな「鳥居」に迎えられて荘厳な境内に進む。参拝者もそれなりに参っておられ、ゆっくりと「神楽殿」に向かうと太い注連縄が飾られている。 奥には「御柱」が堂々と「諏訪大社」の特徴を表し立っている。
荘厳な「本殿」に参拝し、広い境内を進むと立派な「結びの杉」が植わっているのを見上げる。更に奥の浮島に向かうと「万治の石仏」が祀られている。
もう一度、境内を戻り、多くの参拝者の姿を確認して「春宮」を後にして「中山道」を「秋宮」に向かう。

諏訪大社春宮・鳥居

諏訪大社春宮・神楽殿

諏訪大社春宮・御柱


諏訪大社春宮・本殿

諏訪大社春宮・結びの杉

万治の石仏


緩やかな「中山道」の坂道を「秋宮」方向に向かう。途中「龍の口」や「53番目の一里塚跡」や立派な「伏見屋邸」を観ながら下ると紀行時、汗を流した 「旦過の湯」があり、その熱かったことを想い出す。紀行の跡の温泉は最高だと。
その先には、立派な「下諏訪宿・本陣」が残っており「諏訪大社」の宿場としても栄えたことを示している。少し下った所に「甲州道中中山道合流点」の碑が立ち、 五街道の「中山道」「甲州街道」がここで合流したことを示している。「甲州街道」を歩く予定はないが、そこに足を踏み入れ、「東海道」を江戸から 下れば、五街道に接したことになると。
懐かしく「下諏訪宿」の「中山道」を逆方向に歩き「諏訪大社・秋宮」に到達する。

龍の口

53番目の一里塚跡

伏見屋邸


旦過の湯

下諏訪宿・本陣

甲州道中中山道合流点の碑


「秋宮」にも参拝者は多く居られ、寂しさを感じない中、「神楽殿」「本殿」に参拝する。やはり、荘厳な雰囲気に圧倒される。「春宮」と同じように 「本殿」の左右に「御柱」が祀られ、「木落し」の神事を想い出させる。
境内を巡ると「さざれ石」が祀られ、高いイチイの木の「神木」が植わっている。石段を下って、本殿に向かって礼拝し「諏訪大社」を後にする。 駅に向かう途中に「高札場」が立ち「下諏訪宿」の入口だと示している。
観光案内所があったので「岩田峠」を上ってからのルートを確認するが、バスは通っていないとのことで、前途多難だと再認識しなければならない。

諏訪大社秋宮・神楽殿

諏訪大社秋宮・本殿

諏訪大社秋宮・御柱


諏訪大社秋宮・さざれ石

諏訪大社秋宮・神木

高札場



B下諏訪(14:37)⇒塩尻(14:51・15:06)⇒奈良井(15:42)

「下諏訪宿」の散策を終え、本日の目的である「奈良井宿」の紀行時に泊った宿に向かう。
下諏訪駅から塩尻駅に戻る列車に乗り、中津川行の列車に乗り換える。2両編成のワンマンカーで、昔はボックスシートだったが、2列シートに変わっている。 中央本線も大きく変わったのだ。 午前中は通過した奈良井駅に降り、「奈良井宿」を散策する。
   (紀行時の「奈良井宿見聞録」を参照。)
雰囲気のある奈良井駅は以前と変わっていず、その前に立つ「奈良井宿」の看板も変わっていない。12年振りに訪れたが、そのままの姿は嬉しい。 「鳥居峠」に向かって「奈良井宿」を散策する。昔のままの建屋が立ち並び、タイムスリップした感じだ。観光客は疎らで、以前の賑わいがないのは寂しいが、 方々にある「水場」には、観光客が水を飲む姿は、当時の自分を写しているようだ。
漆器類を販売している店が多く、暖簾を掲げたり、花や工芸品を飾ったりと景観を彩っているのは嬉しい気分だ。旧街道からJRの踏切を渡って奈良井川に出ると 立派な「木曽の大橋」が架かっているのも依然と同じだ。維持することが難しい史跡・景観を昔のまま残している努力には頭が下がる。
今夜の宿舎である「伊勢屋」の前を通り過ぎ、街並みを楽しみながら「鍵の手」付近まで進み、色々な「水場」を観て、旅館に戻る。

奈良井駅

奈良井宿の看板

奈良井宿の街並み


水場

暖簾の店

木曾の大橋 鍵の手の鳥居


「伊勢屋」は、当時の下問屋の建物がそのまま残る趣きのあるお宿で、風格もある。
予約客が一杯で、今夜のみ空室があったので予約した程の人気の宿で、受付で今回の訪れた趣旨を話し、離れの二回の部屋に案内される。前回訪れた時より 改装され美しくなっている。

伊勢屋

夕食

早速、改装された風呂に行くと桧の木切れが袋に入れてあり、桧風呂の香りが気持ち良く、ゆっくりと身体を伸ばし、疲れを癒す。
部屋には前回はなかったクーラーも付いており、湯上りの身体を冷やす。冷房がなくても良い位の気温だ。
19時から母屋の座敷で夕食となる。家族連れ。カップル、一人旅の宿泊者が一堂に集まり、地元の素材を活用した料理が運ばれる。ビールで乾杯し、 素朴な料理を美味しくいただく。
隣の席に一人旅の若い男性が居られ、色々と話す。メリハリのある仕事で、長い夏休みを活用し、全国を旅するアクティブな青年で「青春18きっぷ」の 話や「旧街道・日本縦断」等の話で盛り上がる。彼の話を聞いていると若さをもらった感じがするほどの積極さだ。旅先での交流は楽しいものだ。
最後まで話し、お休みと挨拶を交わして部屋に戻り、直ぐに眠ってしまう。本日の歩行歩数は、14000歩だった。

○ 2022.08.25 (奈良井⇒松本⇒中津川⇒金山⇒米原⇒高槻)

夜中の激しい雨音に驚いて目を覚ます。楽しみにしている早朝の「奈良井宿」散策ができないのではと心配しながら、再び眠りにつく。 5時過ぎに目を覚まし、外を見るとまだ小雨が降っている。様子見をしながら、本日の計画を再確認する。昨日の観光案内所の回答では「岩田峠」を上る バスはなく、軽井沢方面へのバスも困難だと。当初の計画通り、松本駅の観光案内所で、再確認することにする。
6時前になると小雨になってきたので、玄関の鍵を開けて「奈良井宿」の散策に出掛ける。
旧街道の宿場を早朝に散策するのは、タイムスリップしたような感覚で、静かな宿場を独り占めする感覚がたまらない。紀行時の「妻籠宿」「奈良井宿」の 散策でその味を覚え、機会があれば早朝の散策に出掛けるようになった。
昨夜の雨の名残が「鳥居峠」に霞としてたなびいている景観を楽しみ、立派な「高札場」点在する「水場」を眺めて、宿場の端にある「鎮神社」に参拝する。 その先には「鳥居峠」の上り口があり、紀行時はここから「奈良井宿」に到着したことを想い出す。懐古の旅、そのものだ。
朝食時間も近付いたので、「可愛い道祖伸」をチェックして宿に戻る。

早朝の奈良井宿

鳥居峠の霞

高札場


水場

鎮神社

鳥居峠の上り口 可愛い道祖伸


部屋に戻り、身支度を整えていると7時からの朝食の時間となる。

朝食

奈良井宿の街並み

朝食は、昨夜と同じく母屋の大広間で、席順も同じだ。隣の青年と挨拶を交わし、朝の散歩の話をすると彼も歩いて宿場の雰囲気を満喫して来たと。
食べながら、今日の予定を尋ねると松本に行き、大糸線の臨時列車に乗り、北上すると。自由に活動的な計画に拍手だ。
朝食も地産地消の食材で美味しく、きのこ汁はお代わりをして満腹になる。
食事も終わり、離れた棚の上に「旅のノート」が置いてあるのを発見する。前回泊まった時も記入したので、その日付を探すと直筆のメモが残っているのだ。 12年前の自分が書いた文書を懐かしく読み返し、新しいノートに本日の感想を記述する。青年にも渡し、彼も記述し、次回訪れた時に読み返したいと。
チェックアウト時に、ご主人と女将さんに挨拶する。HPで紀行時の見聞録も読んでおられたようで「旧街道・日本縦断」達成を祝してもらい、またおいでくださいと リピーターとして、塗りのお箸をいただく。感謝して、気を付けての言葉に送られて出発する。 「奈良井宿」の街並みを楽しみながら奈良井駅に向かう。再訪問は本当に良かったと。

C奈良井(9:17)⇒塩尻(9:42・10:00)⇒松本(10:17)⇒散策・昼食⇒松本(12:23)⇒中津川(15:15・15:19)⇒金山(16:31)⇒夕食⇒金山(17:25) ⇒米原(18:40・18:47)⇒高槻(19:57)

奈良井駅から松本行の列車を待っていると同宿の青年と同じ列車で、再び話しながら塩尻で乗り換えて松本に向かい、お別れする時にアドレスの交感をし、 情報交換をしましょうと。良き旅人との交流は嬉しかった。
観光案内所に行き、次回のコースを探索すべく尋ねるが、松本から高原へのバスはないとのこで、上田からは運行していると。地図を入手し、自治体に 問い合わせることにして探索を諦める。

昼食

夕食

帰路の列車出発まで小1時間あるので「松本城」の姿でも観ようとバス停に向かうとタウンスニーカーと名前の市内周遊バスが停まっている。
松本城を経由 するバスではないが、20分余りで市内周遊をするので、乗車し、松本市内を見物する。落ち着いた城下町の雰囲気を感じ、駅前に戻る。
帰路の列車は、接続が良く、金山まで食事もできないので、駅前の居酒屋でビールで乾杯し、軽く昼食し、野沢菜の土産を買い求める。
松本発12時23分の列車は2両編成のワンマンカーで、中津川まで懐かしい「木曽路」を横目で進む。木曽川の激しい流れや大きな石の河原を眺めながら 中津川で名古屋行に乗り換える。
中津川からの列車は、ロングシートで景観を眺めるのには適していないが、車窓を楽しんだり、ウトウトしながら金山駅に16時30分頃到着する。 松本から4時間余りの移動だ。
名古屋乗換では座れない率が高いので、金山で夕食を食べ、金山で座れなくても、名古屋で座れるようにする「18キッパー」の常識を実践する。 米原行を選んで、名古屋から座り、米原乗換もスムースにでき、無事高槻に到着する。バスで20時過ぎに帰宅し、今回の懐古の旅を終える。 本日の歩行歩数は、8300歩だった。

「青春18きっぷ」を用いての2回目「中山道懐古の旅」はかって泊った宿を訪れる本当に懐古の旅となり、12年前の紀行を想い出すことができ、 大満足の旅だった。次回の計画は困難のようだが、色々と探索・研究して、最終的に江戸まで到達したいものだ。





    
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